18.強襲(2)
――ドサ。
緑深い森の中で、警笛を持った兵士が力なく崩れ落ちた。首に赤く線が走っていたが、血は出ていない。気を失っているだけだ。
「チッ……だいぶ見張りの数が増えてきたな」
ギルダスが曲剣を肩にかついで呟く。
「それだけ近づいてきているということだろう」
そう言った壮年の戦士――ジドの足下には、もう一人の兵士が倒れていた。
すでに二人が気絶させた兵士の数は、優に十を越えていた。
集落を出てから約二時間――
三人と少人数だったのがよかったらしく、移動を始めてしばらくは順調だった。
見張りと思しき兵士には気付かれず、たまにこちらから見かけても、ジドの先導で見つからずにやり過ごすことができていた。
だが、そうした幸運も長続きはしない。
煙の元に近づくにつれて兵士の数も多くなり、どうしてもやり過ごせそうにない時は、今のように警笛を鳴らせないうちに気絶させるという手を使っている。兵士たちはたいてい二人一組で、ギルダス一人では不可能なことだった。
「のんびりしたこと言ってられねェだろうが。最初に気絶させた奴が起きちまうぞ」
気絶させた兵は縛り上げた上に口も塞いであるが、物音や唸り声まで止めさせることはできない。それを他の兵士が聞きつければ、ギルダスたちの存在が露見することになる。
忌々しげに吐き捨てて、ギルダスは背後を覗き見た。
「こんなことなら――」
言いかけ、慌てて視線を元に戻す。
気絶させた兵士を縛りつけるギルダスたちを、リゼッタは無表情で見ていた。
リゼッタの無表情が、ほとんどの場合装ったものであることをギルダスは知っている。だが今の彼女は装っているわけではなく、素で表情がない。
リゼッタがそんな顔をするとき、彼女の機嫌は決まって悪い。
無表情ながら苛立っているとわかる態度に、ギルダスは内心で舌打ちした。
(ったく……急ぐんなら面倒な注文なんざつけるなってんだ)
できる限り殺さないように、とは動き始めてすぐにリゼッタが言ったことだった。
すべてが終わった後で残る禍根は少ない方がいいということらしいが、ギルダスはこの雇い主が人死にを極端に嫌うことも知っている。
「よし、終わった……で、あとどれくらいで着きそうだ?」
荒い手つきで兵士を縛り上げ、ジドに声をかける。
「ここまで来れば、そう急ぐこともないだろう」
「あァ? なに寝言言ってんだアンタ」
険しい目つきで見上げると、ジドはある一点を指さしていた。
「どうやら、到着したようだ」
遠くからでも目立つ、赤い陣幕がそこにはあった。
「コソコソできんのはここまでみてェだな」
森の中では珍しく、そこには見晴らしのいい空間が広がっていた。
自然にできたわけではない。地面のそこかしこに、伐採されたばかりと思しき切り株が生えている。
中心は赤い陣幕で覆われており、当然のことながら中の様子はうかがえない。
「……あれが本陣だな。ってこたァ、あの中か?」
木陰に身を潜めながら、ギルダスは耳を澄ませた。中が見えるわけではないが、複数の人間が動き回っているような音はする。
「で、これからどうする?」
「……行くしかないでしょう」
リゼッタが不機嫌そうに答える。とはいえ、その口調はどことなくためらいを含んでいるようだった。
「行くって言ったってなあ……」
本陣の周囲は、見える範囲だけでも何十人もの兵士たちに囲まれていた。完全武装で、これから起こる戦いの予感に緊張しているようにも見える。
「あそこを力尽くで通れってか? そりゃいくらなんでも無謀だな」
やってもせいぜい途中で囲まれた挙句、寄ってたかって殺されるだけだ。
「ですが、ただ時間が過ぎるのを待っていても状況がよくなるとは思えません」
「死ぬかもしれないって話はいいが、絶対に死ぬって話まで引き受ける気はねェぜ?」
「……私が囮になろう」
言ったのはジドだった。
にらみ合っていたギルダスとリゼッタが、そろって壮年の戦士を見上げる。
「囮だあ?」
「どういうことですか?」
「ここから少し離れたところで、わざと兵士に見つかってみる。すぐそばで警笛が鳴っているのを耳にすれば、あそこの兵士たちも少しは減るだろう。できる限りそれを引きつけるから、その間に頼む」
「……下手すりゃ死ぬぞ」
「むざむざ殺されはせんよ。それに、その役目なら兵士を殺す必要もない。それと――」
ジドの表情に、わずかに陰が差す。
「ここに来るまでの間、見つけられなかったルキアのことも気になる」
「ここになど来ていなくて、集落に残っているだけかもしれませんよ?」
ルキアとは関わりの薄いリゼッタが取りなすように言う。ここに来るまでの間に、ルキアの存在を示すようなものは何もなかった。ジドにしてみても、ルキアがここを目指しているという確信があるわけではない。
「そうかもしれないが……いずれにしても、闇雲の突っ込むよりはマシだろう」
「……そうですね」
リゼッタの言葉に、ギルダスも頷いて同意する。どの程度の兵士が動き出すかはわからないが、無策よりははるかにいい。
「わかりました。ですが、決して無理はしないでください」
「死ぬつもりはない。ある程度引きずり回したら、追っ手を撒いてここに戻ってくるさ」
ギルダスとリゼッタは思わず顔を見合わせた。下手をすれば何十人もの兵士を相手にすることになる。それだというのに、ジドに張りつめた様子はない。
「……へ」
ギルダスが苦笑し、ジドの胸を拳で小突く。
「雑魚に殺されるんじゃねェぞ。なんたってあんたは俺を負かしたんだ。半端なヤロウに殺されるなんぞ俺が納得しねえからな」
「私は勝ったとは思っていないが……そういうことなら、死ぬわけにはいかないな」
苦笑して頷くと、ジドはその体躯には不釣り合いな俊敏な動作で、森の奥へと姿を消した。
――ピイィィィッ!
警笛の高い音が、木々の間に鳴り響く。
反応してあからさまに動揺する兵士たちを、ギルダスは目を細めて観察した。
兵士たちに、あまり戦慣れした様子は見られない。となると、どの程度残ることになるか――それが問題だった。
笛の音は一度だけで終わらず、二度三度と本陣にまで届いた。
ジドが派手に動き回っているからだろうが、何も知らない兵士たちからすれば敵が大勢で攻めてきたようにも思えるだろう。
やがて隊長格らしき男の号令が下り、兵士たちは動き始めた。笛の鳴っている、ギルダスたちが潜んでいる場所とは反対の方向に。
息を殺して、その動きを見つめる。やがて――およそ半数の兵士が、本陣からいなくなった。ギルダスの予想よりもずっと多い。
「ギル――」
「まだ早え。すぐに戻ってこれないくらいに離れてから動く」
残った半数が、抜けた穴を埋めるように動く。本陣の周囲を固める兵の厚みが、目に見えて薄くなった。
「……よし」
離れていく兵士たちの足音が完全に聞こえなくなってから、ギルダスは腰を浮かす。
「おまえはここで待ってろ。一人のほうがやりやすいからな」
ギルダスの言葉に、リゼッタは頭を縦に振る。リゼッタの出番は、ドーランを人質にしたあとだ。
「ところで、今さらこんなことを訊くのもなんですが……」
「あん?」
「ドーランの顔を、知っているんですか?」
ぴたり、とギルダスの動きが止まった。
「……そういや知らねェな」
間の抜けた顔で呟くギルダスを、リゼッタの冷たい眼差しが射抜く。
とはいえ、その点に関してはあまり心配していない。
「知らなくても問題ねェさ。行けばわかる」
目をしばたたかせるリゼッタを尻目に、ギルダスは立ち上がった。手には曲剣、今では体の一部と言ってもいいほど馴染んだ感触の得物がある。
今まで具現化していたそれを、ギルダスは粒子化する。黒と灰の色をした魂精装具が形を失い、淡い光を放つ粒子と化して虚空へと消えていく。
「それとギル、わかっているとは思いますが――」
「なるべく殺すなってんだろ」
うんざりした声で答える。敵であろうとリゼッタは人の死に激しく反応する。理由は知らないが、こんな状況で言い聞かせられるとさすがにうっとおしい。
「なるべく、ではなく、できる限りです」
その瞬間――
その言葉を聞き終えたギルダスの表情が、さっと変わった。斜に構えたような顔から苛立ちが消える。振り向いたギルダスを見て、リゼッタは戸惑ったように瞳を揺らした。
「――できなかったら、殺してもいいんだな?」
区切るような、ゆっくりとした問いかけだった。反応をわずかでも見落とさない、そんな眼差しをリゼッタに向けている。
リゼッタの脳裏を、クリアス大森林にまで来た本来の目的――聖封教会とは異なる、彼女自身の目的がよぎる。
フェルカの民に捕らえられた人々を解放すること。
多くの人々が死ぬことになる戦を、事前にくい止めること。
そのために必要とあれば――
間は一瞬だった。
「――ええ」
「そうか」
ギルダスの顔が、元の世の中を斜めに見たようなそれへと戻った。
「ならいい」
口端がつり上がる。
呟いたその声音には、抑えきれない昂ぶりが篭められているようにも思えた。