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17.強襲(1)

「さて――」

 長との話が終わったあと、ギルダスとリゼッタ、ジドの三人は喧噪から離れた場所で顔をつき合わせていた。

 場所を移動したのは、このあとどう動くかを決めるためだ。刺々しい視線にさらされては、落ち着いて話もできない。

「焦って動き始めてもいい結果は得られませんが……あまり時間の余裕もなさそうですね」

 リゼッタが言いながら額に手をかざしながら空を見上げる。

 与えられた猶予は、太陽が天頂に昇るまで。夜明け間もないとは言え、余裕はそうあまりない。

「あの煙のところまで、だいたいどのぐらいかかるかわかりますか?」

「さほど遠くはない。歩いていっても時間内にはたどり着くだろう――それまでに何もなければの話だが」

 その可能性がないことを確信した口調でジドが言う。

 リゼッタの推測通り、あの煙がフェルカの民をおびき寄せるためのものなら、襲撃にそなえ警戒している兵士がその周りにはいるはずである。

 そうした連中をやり過ごしながら進めば、普通に行くよりもだいぶ時間はかかるだろう。

 ギルダスがふと思いついた疑問を口にした。

「ところで、あの爺さんは信用できるのか? 時間が来るまでに動き出されでもしたら、下手すりゃ俺たちが囲まれることになるぞ」

「長は一度口にしたことは曲げない。それに影響力もある。長の考えに逆らって飛び出そうとする者はいないだろうな」

 後ろのことは気にしなくていい、ということらしい。

「なら気にするのはあっち側だけってことだな」

 煙の立つ方向を睨みすえる。立ち昇る煙の量は相変わらず多いが、広がる様子はない――今のところは。

「向こうの状況がわかれば、少しはやりやすくなるんだがな」

 半ばぼやきに近い口調で、ギルダスが呟き――背中に手を伸ばした。


 ガサ――


 同時にジドも動き出す。具現化した魂精装具ソレスタを構え、音のしたほうに突きつける。少し遅れて、ギルダスが取り出した短剣を投げる体勢に入る。

「……あァ?」

 音の元を見たギルダスの表情が、呆けたものに変わる。視界に入ったのは、木の幹に手をついて息を荒げる密偵の男だった。

 ついギルダスは、思いついた疑問を口にする。

「もしかしておまえ、出てくるタイミング、計ってたのか?」

「ふざけたことを……」

 忌々しそうに吐き捨て、密偵は額の汗をぬぐった。よほど急いできたのだろう。息を整えて、リゼッタへ向き直る。

「マルフィン司祭、重要なお話があります」

「あの煙に関係したことですか?」

「は、ドーランが――この森に来ています」

 リゼッタが目を細める。ギルダスが唇を歪めた。ジドが口元をかすかに引き結ぶ。

「あの煙の近くにですね?」

 煙の意図をリゼッタが察していることには気づいたらしい。リゼッタの問いかけに密偵の男が頷くと、すぐそばに近づいた。ギルダスとジドを一瞥いちべつし、リゼッタの耳元で何かを話し始める。

 あからさまなけ者扱いだが、今さら腹も立たない。

 話が終わるまでの間、手持ち無沙汰になったギルダスはそばに立つジドを見上げた。こんな事態だというのに、この壮年の男は苛立つ様子も見せずに腕を組んで立っている。

「あんたが手伝ってくれるってんなら助かるけどよ、どういう風の吹き回しだ?」

 泰然たいぜんと構えるジドに、ギルダスは気になっていたことを訊いた。

「意外なことでもないだろう」

 ゆったりとした動作で首を動かし、ギルダスを見る。何気ない動作だが、そこには明確な意志が宿っているように思えた。

「元はといえば私たちの問題だ。任せきりというわけにもいくまい。それに――」

 ジドが不意に表情を緩める。

「覚悟がないならないなりに、やるべきことにはやっておきたいと思ってな」

「……ま、なんでもいいけどな」

 ギルダスは曖昧あいまいに頷く。

 ジドの心境の変化に興味はないが、その腕前は身をもって知っている。さらにはこの森のことにも詳しいだろうから、手伝ってくれるというのを拒む理由はなかった。

「――それでは」

 話は終わったらしい。リゼッタから離れた密偵は、伝えるべきことは伝えた、といわんばかりに背中を向ける。その後ろ姿をつまらなそうに見てから、ギルダスはリゼッタに問いかけた。

「で、なんだって?」

 リゼッタが振り返る。その顔にはかすかに緊張が浮いているように見えた。

「ドーランは本陣を構え、襲撃に備えているようです。周りには兵士たちが警護についており、それ以外にもかなりの数の兵士たちが、本陣を中心に配置されているようです」

 襲撃を察知して、警報を鳴らす役割なのでしょうとリゼッタが付け足す。自然のままの森の中で、突発的な事態を避けるためだということは想像がついた。

「何人ぐらいだ?」

「すべてを把握できたわけではないそうですが……ただ、ここに来る前に様子を見に行った兵舎に、人気がなかったそうです」

 つまりは総動員、ということらしい。ギルダスは首を傾げた。

「ようするに……何人だ?」

「ドーランの抱えている兵士の数は七百ほどです。ですが、街道や町の警備についている兵を除けば、自由に動かせるのはおよそ五百ほどだそうです。おそらくは、そのほとんどが……」

 言葉尻を濁し、リゼッタは黙り込んだ。

「五百……」

 ギルダスの顔つきが険しいものへと変わる。

 比べてこちらは三人。まともにぶつかっていったのでは勝ち目はないどころか、相手にもならない。

「そう思い詰めることもないだろう」

 平然とそう言ったのはジドだった。話を聞いていたはずだが、動揺した様子はない。

「五百人いるとしても、そのすべてを相手にしなければならないわけではない。標的にはたった一人だ。そう思えば十分可能だと思わないか」

「……ま、そりゃそうだが」

 密偵の消えた方向を見て、ギルダスはリゼッタにぼやいた。

「いっそのこと、あいつにも手伝わせたほうがよかったんじゃねェか?」

「基本的に彼の役目は、情報の収集と伝達だけです」

 リゼッタの表情が、あえて取りつくろったような無表情に変わる。

「それに彼に一緒に来てもらった場合、私たちに失敗した時に何が起こったのか報告する人がいなくなります」

 さらっと不吉なことを言うリゼッタをギルダスは嫌そうに見て、やがて諦めたように深々と息を吐いた。

「……ま、いい。半端なのがいても邪魔になるだけだろうからな」

 これからやることは、最終的には奇襲だ。その時戦えない者がいても邪魔になるだけだ。そう割り切り、一歩踏み出した。

「じゃ、行くか」

 あえて気楽に言う。隠れる場所ならいくらでもある森の中だ。ある程度までだったら、気づかれずに近づくことは十分可能なはずである。

 あとは運次第――

 そう勢い込んだところで、水を差された。

「気になることが一つある」

 思わずよろめきかけ、ギルダスは強ばった顔で振り返る。

「なんだよ……」

「気づいているかもしれんが、あの場にルキアがいなかった」

「……なに?」

 記憶を掘り返し、ギルダスは舌打ちした。その中に、ルキアの姿はない。それにルキアがもしあそこにいたとすれば、口出ししないはずがなかった。

「まさか、あいつ……」

 ギルダスの脳裏に、ある可能性が浮かぶ。

 こんな状況で、ルキアの行く先に思いつくのは一つしかない。

「あのクソ女……!」

 煙を見上げる。すぐそばで、ジドが重々しく告げた。

「急ごう」


 ◆


 煙を見たときには、すでに体は動きだしていた。

 煙が上がる方角がドーラン辺境領側だとか、その範囲が広がる様子がないということに気づいたのは、走り出した後だった。

 体をつき動かしたのは直感で、それは本来ならこの森にいるはずのない兵士たちの姿を見つけた時点で確信に変わっていた。

 視界の一端、枝と葉の隙間に、二人組の兵士たちが立っている。背中を合わせ、落ち着かない様子で辺りに目を配っていた。

 彼らの目をかいくぐり、ルキアは小走りに駆け抜ける。人の手が入っていない森の中、ほんのわずかな音も立てない。

 まるで気づいたふうもない兵士たちを冷めた眼差しで一瞥いちべつしたあと、ルキアはその場を足早に離れた。

 生活のため、ルキアはふだん弓矢を手に狩りをしている。森の獣たちに比べれば、人間の目をあざむくのははるかに容易だった。それでなくても、この森は庭のようなものである。

 むしろ、こみあげる殺意を抑えるほうが難しかった。

 一度などは弓を引き絞り、矢を射る直前までいった。

 それをしなかったのは、噛みきった唇から流れる血の味で我に返ったからだ。

 頭にこびりつくような殺意を、無理やり振り払った。

 二本目の矢があると決めてかかれば、一本目の狙いもおろそかになる。いつか仇を討つ機会がきても、仕掛けるのはただの一度――そう決めていた。

 そのただ一度の機会を、雑魚に費やそうとは思わない。

 身を潜め、息づかいも抑え、存在そのものがないように装いながらながら森を進む。

 いつもに比べて、鳥や獣の鳴き声が少ない。見かけることもあまりなかった。

 おそらく彼らは、本能的にこれから何か起こることがわかっているのだろう。

 人に比べれば、動物ははるかに鋭敏だ。

 その動物さながらに、ルキアは感覚をとぎすましていた。

 周囲に意識を張り巡らせ、黙々と体を動かす。ルキアにとっては慣れた作業であり、頭を使わずとも十分こなせる。緊張もしなかった。

 兵士を見かけるたびに煮えたちそうになる感情を誤魔化すため、自然と頭は別のことを考えていた。

(シサラ――)

 争いに縁がない穏やかな姉だった。

 それでいて誰にも軽んじられることなく、誰からも愛された。

 ルキアもそうだ。腕力では負けないこの姉に、ルキアはなぜか頭が上がらなかった。

 ルキアが十五になった年のこと――

 成長し、自分が女であることも疎ましくなったころのことだ。同時にルキアに戦士としての才能が芽生えはじめ、つまらない嫉妬しっとや皮肉をぶつけられた時も、姉は自分の味方だった。

『――つまらん』

『何が?』

『なんであいつらは女ってだけであたしを見下す? 腹が立つ。殴りたくなってくる』

『あら、だめよ。そんなことしちゃ』

『だって……』

 唇をとがらせるルキアに、

『いいじゃない、見下されたって』

 シサラはそう言って微笑んでみせた。

『そんなこと気にする必要はないわ。ルキアには才能があるんだから。そのうち誰も何も言えなくなるわよ』

『そう……かな?』

『きっとそう。だからルキアには、そんなことにこだわらないでいてほしいなあって、姉さん思うわ』

『……わかった。シサラがそう言うなら、我慢する』

『うん、ありがとう――』

 ささくれた心に、シサラの笑みはそっと染み渡った。

 その後で、

『おしとやかになれとは言わないけど、あまり乱暴に振る舞うのも姉さんどうかなって思うんだ。いい人ができた時のために、少しは女の子らしい喋り方も覚えておいたほうがいいかもね』

 そう言っていたずらっぽく笑ったのには閉口したが。

 いつでも穏やかに笑っていられる姉だった。

 直情的な自分にはない、ある種の強さを持つ姉に、ルキアは憧れを抱いていた。

 その姉も、すでにもうない。

 なぶりものにされ、少しずつ殺されたかのような姉の顔は、今までに見たことのない苦しみに満ちていた。

 姉が死の淵にいる時に、ルキアは何も知らず、何もできなかった。

 まんまと誘き出され、異常に気づいて仲間たちと集落に戻った時にはすべてが終わっていた。

 燃え上がる赤と、地面に染み込んだ紅。炎が踊り、少し前まで生きていた知り合いはみな物言わない存在になり果てていた。

 人と木の燃える臭い、流れ尽くした血の臭い――

 あの時の光景が、蘇る。一度だって忘れたことはなく、頭の裏側にこびりついたようにそれはあった。

 カチリ、と音を立てて、ルキアの頭の中が切り替わる。たかぶった怒りと憎しみが、混じり気のない殺意へと昇華されていく。あれほど表情豊かだったルキアの顔が、別人のように何も無いものへと変わっていく。

 狩りのさなか、獲物めがけて矢を解き放つ、その瞬間、その時の境地にルキアはいた。

(殺す――)

 標的とするべき相手の顔だけ思い浮かべ、ルキアはただ一人森の中を駆け抜ける。

 ルキアは今まで、一回も人を殺したことがない。それでも、標的に矢を放つ瞬間、自分がためらわないことを彼女は確信していた。

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