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13.血霧の猟兵(4)

 男の号令の後――

 特に問題も起こらず、傭兵たちは拍子抜けした顔で来た道を引き返していった。何人かは未練があるような者もいたが、男の顔を見ては諦めたように足をひきずっていく。

 その様子を見ながら、ギルダスは視界の端に意識を移した。

 巨漢の男が腕を組んで立っている。まだ動かないところを見ると、どうやら最後尾を行く気らしい。

 ギルダスが油断なくその挙動を見ていると、急に振り返った男と目が合った。

 男はニッと笑い、なれなれしく話しかけてくる。

「そんなに構えるなよ。ここまできて騙しゃしねえさ」

「そう言われて素直に信じろってか? できるかよ」

 ギルダスは吐き捨てた。

 金であっさりと依頼主を裏切るような男だ。口で何を言おうと、あっさり信じる気にはなれなかった。

ちげえねえ」

 男は怒るでもなく、あっさりと笑い飛ばした。それを見てますますギルダスは不信感を募らせていく。

「気に入らねェな。不文律ふぶんりつってもんがあるだろうが」

「傭兵の鉄則ってヤツかい? おまえさん若いのに固いこと言うなあ」

“一度引き受けた依頼は、よほどのことがない限り投げ出してはならない”。そうした不文律が傭兵には存在している。

 必ずしも守られているわけでもなく、明文化されてもいない上に罰則もない。だが、だからこそ重要視されてもいた。それを破るような傭兵は、他の傭兵たちに信用されず傭兵ギルドからの待遇も悪くなる。要するに、仕事を回してもらえなくなるのだ。

 このことを知った依頼人などは感心するが、ようは信用の問題だった。

 ただでさえ傭兵は白い眼で見られることが多いのに、それに加えて依頼人を簡単に裏切るようであれば、誰も傭兵を頼らなくなる。

「安心しな。誰でも裏切るってわけじゃない」

 男は視線を脇にそらした。

「裏切っていい相手といけねえ相手ぐらいわきまえてるよ」

 その目が見つめる先には、立ち去る傭兵たちを見届けているリゼッタがいる。

「なんなんだろな。こう、言葉にできるはっきりした怖さってのはないんだが……女で敵に回したくないって思ったのは初めてだぜ」

「……」

「それにだ、おまえらの話通りもうすぐ領主がクビになるんだったら俺らの評判が悪くなることもないだろうからな」

 肝心の依頼主がいなくなれば、自分たちが裏切ったことへの悪評が立つこともない。だから裏切ることに抵抗はない――男はそう言いたいらしい。

 開き直ったような物言いに軽い口調だったが気は抜けない。

 領主は聖封教会のことも伝えていなかったから、領主の側にも問題はある。そのことを知った時点で契約を取りやめにしても、ギルダスにもそれを責めるつもりはない。

 それはいい。

 問題はすべてを知った上で『血霧の猟兵』が集落を襲おうとしたことだ。

 集落の住人たちが、ただの無力な民だった場合――どうなったかを想像して、ギルダスは顔をしかめた。他人事とはいえ、惨劇を想像して楽しむ趣味はない。

 自然と皮肉が口からこぼれでた。

「おまえらの評判なんざ、元々最悪なんじゃねェのか」

「へ?」

 きょとんとした顔を見せたあと、男はいきなり爆笑した。困惑するギルダスをよそに、目の端に涙をためながら、ヒーヒーと苦しそうに腹を押さえる。

「何で笑う?」

「プハッ、ク、クク……い、いや。悪い悪い。そんなふうに馬鹿正直に言ってくるヤツは久しぶりだったから、おかしくってな」

 馬鹿正直と言われて、ギルダスの顔が憮然としたものに変わる。男はそれすらおかしいようにニヤニヤと笑みを浮かべた。

「それで、評判の話だったか? そうでもないぜ。俺たちみたいな悪党はな、こう見えても腹黒い奴らには評判がいい。どこにだってそういう奴はいるもんだ。戦がなくても俺たちの食い扶持がなくなることもないだろうぜ」

 忌々(いまいま)しげに顔をゆがめながら、ギルダスは顔をそむけた。今さら頷くのもばからしくなるほどわかりきったことだったからだ。

 金があり、悪意があり、なおかつ自分の手が汚れるのを嫌う人間はどこにでもいる。『血霧の猟兵』のような金次第でなんでもやる集団は、そういう者たちにとって欠かせない存在なのだろう。

 ――ポン。

 ニヤニヤ笑っていた男が、急に何かを思い出したように両手を打ち合わせた。

「そうそう、おまえさん、名前はなんてんだ?」

「あァ?」

「名前だよ、名前。そんくらい教えてくれてもいいだろ?」

「……ギルダスだ」

「んん? どこかで聞いた気がするな」

 男は顎に指を添えて首を傾げた。それでも結局思い当たる節はなかったらしく、

「まあいいか」

 と、大きく頷く。

 と思いきや今度はおもむろに近寄ってきて、口元に手を添えた。反射的に剣を叩きつけそうになるギルダスを目で抑え、耳打ちしてくる。

「おまえさん、ウチにこねェか? なかなか見所あるぜ」

 ぎょっとして見返すと、男はイタズラを思いついた時の子供のような笑みを浮かべていた。

「待ち伏せのとき、殺気むき出しにしてたのってあれ、ワザとだろ?」

 ギルダスは顔をしかめた。見透かされていたことは予想済みだったが、男の提案は気に障った。

「ゴメンだな。あんたの下で働きてェとは思わねえ」

 ギルダスに睨みつけられ、男はひょいと肩をすくめて振り返った。話している間に、傭兵たちの最後尾はかなり先まで進んでいる。

「そか。俺は『血霧の猟兵』の団長をやってるグレッグってんだが、気が変わったら会いに来い」

「変わらねェよ」

「なら次に会った時は殺し合いだな。おまえだったらそっちでも楽しめそうだ」

 巨漢の男――傭兵団『血霧の猟兵ブルート・イェーガー』団長のグレッグは、にやりと笑ってから歩き始めた。

 背中越しにひらひらと手を振るその姿は、妙にさばけたものがある。

 その背を見るギルダスの表情は、自然と苦々しいものへと変わっていった。

「くそっ、冗談じゃねェぞ」

 悪評ばかりが先立って、その実力には不透明なところがある『血霧の猟兵』だったが、戦狂いとも呼ばれるような連中だ。弱いわけがない。

 特に、団長のグレッグは望んで剣を交えたいとは思わない――それほどの使い手だった。


 傭兵たちの姿が完全に消えたところで、ギルダスは深々と息を吐いた。 

 気づけば、リゼッタがすぐ傍に立っている。

「……まさか、本当に上手くいくなんてな」

 薄氷はくひょうを踏むような時間が過ぎ、さすがに気疲れしていた。

 対照的に、リゼッタにはまるで疲れた様子が見られない。

「おまえが口を挟むなんざ、聞いてなかったからよ。ま、そのおかげでなんとか話はまとまったんだろうが」

 事前の話では、交渉がギルダス一人で行うはずだった。リゼッタの口出しは、完全に予定外である。

「口を出す予定などありませんでし。ましてや――」

 リゼッタは急に口をつぐんだ。

 怪訝そうに見つめるギルダスの前で、顔につけていた仮面を外す。

 びくりと体を震わせた後――リゼッタの露わになった表情が微妙に変化した。

 知らない者からすればそうは思えないだろうが、ギルダスにはリゼッタの不機嫌さがひしひしと伝わってくる。

「いえ、なんでもありません」

「……ならいいけどな」

 言葉をにごすリゼッタからギルダスは視線を外した。今のリゼッタを追求することは、やぶをつつくのと同意だ。飛び出た蛇に噛まれてはたまらない。

 それに、リゼッタの機嫌が悪い理由はなんとなく想像がついていた。必要なことだったとはいえ、傭兵たちに買収じみた真似をしたのが気に入らないのだろう。

 微妙に重い空気のなか、茂みをかき分ける音が二人の耳に届く。

 姿を現したのは、傭兵たちの襲来を知らせた聖封教会の密偵である。

 交渉の間、リゼッタの指示で彼はすぐそばに身を潜めていた。交渉が失敗すれば、集落まで駆けつけてそのことを知らせ、その後に聖封教会へも報告に走る予定だった。

 密偵はリゼッタに近づくと、

「傭兵たちは森の外れへと向かっています。それと、言われたとおり印を変えておきました。これで集落までの道筋は途絶とだえたはずです」

 と簡潔に報告した。

 どうやら気づかれないように傭兵たちの後をつけていたらしい。それ以外にも、集落まで続く道筋の目印にも手を加えていたようだった。

「あん……? ちょっと待て。今さらだけどよ、交渉なんて面倒臭えことせずに最初からそうしてたらよかったんじゃねェか?」

 ギルダスが頭を傾げると、密偵は何を今さら、と言いたげな顔で、

「私にそんなことを決める権限はない」

 と無愛想に返した。

「知らされた時点で、彼らはすでに森に入っていましたから。偶然集落にたどり着かないとも限りませんし、中で迷った彼らが自棄になって森に火を放つということも考えられました」

 リゼッタの補足にギルダスは曖昧に頷く。

 実際には、森のただ中で火をつけても放火した側も巻き込まれるのでその可能性は低かっただろう。

「それでは、私はこれで」

 用事は終わった、とばかりに密偵が踵を返した。その背に向かって、リゼッタが礼を告げる。

「ええ、ありがとうございました」

 振り返った密偵は意外そうな顔をしていた。

「いえ……役目ですから」

 そう言いおいて、木々の間へと消えていく。

 まるでいないものと扱われたギルダスはつまらなそうな顔のまま、横にいるリゼッタに問いかけた。

「あー……ところで、その、なんだ」

「なんですか?」

「本当にあいつらに金を払う気か?」

 とたんにリゼッタが眼を細める。背筋に悪寒を感じたギルダスは、さりげなくリゼッタとの距離を空けた。

「そのつもりです」

 返ってきたのは、実に素っ気ない声だった。

「不本意ですが、約束は約束です。それに、個人的には嫌いですがああいった人種は敵に回すと厄介でしょうから」

「……ま、そうだな」

 さして関心なさそうに相づちを打ちつつも、ギルダスは内心で安堵していた。

 わざわざ不機嫌になるような話題をふったのは、リゼッタが金を払わないつもりだったら、払うように説得するためだ。

 もし『血霧の猟兵』が報復に来るとしたら、矢面に立つのはギルダス自身である。

「それに、彼らには預けたものを返してもらわなければなりません」

 リゼッタがグレッグに渡したもの――その装飾品のような代物を思い出し、ギルダスは首を傾げた。

「そういやよ、アレってなんだったんだ?」

「聖封教会の限られた者たちに与えられる“証”です」

「証? ……よくわからねェが、そんなもん取引材料にしてよかったのか?」

「構いません。私にとっては、ただの物です」

「ふぅん……」

 会話をしながら、二人の足は自然とリリーネのいる小屋のほうへ向かっていた。

 その歩みが、急に止まる。

 顔をしかめるギルダスの隣で、リゼッタが一歩前へ出て深々と頭を下げた。

「あなたの協力のおかげで助かりました。ありがとうございます」

「矢を一本射ただけだ」

 無愛想な返事は、ルキアのものである。

 待ちかまえていたらしいルキアは、睨みつけるような眼差しを二人に注いでいた。

 最初に礼を言ったリゼッタを見下ろし、次にギルダスを見据える。その段階で、ルキアの険しい顔がさらに険しくなっていく。

「な、なんだよ?」

「……なんでもない!」

 怯むギルダスに吐き捨て、ルキアは背を向けた。

(……なんなんだ?)

 呆れるギルダスをよそに、その背中が遠ざかっていく。

 そのまま立ち去るのかと思いきや、ルキアは急に立ち止まった。

「……?」

「あたしは、おまえらが嫌いだ」

 いぶかしげにギルダスがルキアを見ていると、顔を前へ向けたままのルキアが言った。

 ギルダスとリゼッタは思わず目を合わせる。

「早く出ていかんかとは今も思っとる」

「……何が言いてぇ?」

 ギルダスは眉根を寄せた。礼など期待していないし、そもそもフェルカの民のためにやったことではないが、今さらわかりきったことを命を張った直後に言われてはさすがに腹も立つ。

 同時に違和感も覚えていた。ルキアの口調からは、その内容とは裏腹に、常にあった突き放すような感じはなくなっている。

「だけど、おまえらがいなかったら仲間たちが何人も死んでたろう。だから……」

 ルキアがちらりと振り向いた。ギルダスとルキアの視線がその瞬間だけ交錯する。

 ルキアの瞳が躊躇ためらいに揺れたのは一瞬、

「二度とあんな下らん真似はさせん。あたしの戦士としての誇りにかけて誓う」

 強い決意の込められた言葉をあとに、彼女は大股で歩き出す。その姿をギルダスは呆然と見送った。

 彼女の後ろ姿が見えなった後で、ギルダスは思わず苦笑する。

「……ったく」

 どうやら、今のはルキアなりの礼のつもりらしい。

「どっちが回りくどいんだか」

「ギル?」

 リゼッタの問いかけの意味をこめた眼差しから逃れるように、ギルダスは歩きだした。

「ちょっと待ってください、ギル。彼女と何かあったんですか?」

「あー、ちょっと待て。ちゃんと説明するから」

 どのみち、伝えなければならないことだ。

 追いかけてきたリゼッタを一瞥し、ギルダスは小屋の前での出来事を話し始めた。

 なるべくリゼッタを刺激しないようにと、頭を悩ませながら。

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