12.血霧の猟兵(3)
「――二つほど、尋ねたいのですが」
唐突な疑問の声は、ギルダスの背後からのものだった。
(リゼッタ?)
傭兵たちを前にして振り向くことができないギルダスは、耳に意識を集中する。
初めて口を開いたリゼッタに、巨漢の男は面食らったようだった。殺気が薄れ、曖昧な表情で首を傾げている。
「なんだ? 命乞いってわけじゃなさそうだが」
「聖封教会が魂精装具を悪用する精錬者を発見した場合――どう処罰するかは、ご存じですか?」
「へ?」
男は間の抜けた声をあげる。ギルダスも場にそぐわない質問に思わず振り返りそうになった。
「どう処罰するか……? そりゃ牢屋にでも入れられるか、下手すりゃ死刑なんだろう?」
「それは普通の罪人を裁く方法です」
「……へえ」
男の声音が変わる。好奇心がもたげたらしく、顎を出して話を続けるように促した。
「罪が軽ければ、罰は普通の罪人と同じです。鞭打ちや懲役など、なんら変わらない罰が課せられます。ですが、命であがなうほどの罪を犯した者への罰は、通常とは異なります」
「命取られる以外にどんな罰があるってんだ?」
首を傾げる男の問いに、リゼッタはすぐには答えない。ギルダスも男を見据えてまま、話の続きに耳を傾けていた。
「あなたの仲間には、あなた以外にも精錬者がいるようですね」
元々戦いを生業とする者の集団である。精錬者が何人かいてもおかしくはない。
リゼッタは魂精装具を持っている傭兵の一人一人を順番に見渡した。なんとも居心地の悪い間に何人かの傭兵が身じろぎした。
男の眉間に皺が寄っていくのを見計らったように、リゼッタはゆっくりと口を開いた。
「もし、精錬者がなんらかの重罪を犯した場合――その精錬者は、魂精装具を破壊されます。その意味は……おわかりでしょう?」
「……」
男の顔から、表情が消えていく。リゼッタに視線を向けられた精錬者の傭兵たちの顔も、急に強ばっていった。
初めて聞く話に、ギルダスも思わずリゼッタを振り返った。その顔は仮面に覆われ、言っていることが本当なのか読みとることはできない。ただ、嘘だと断言できるような確証もなかった。
――魂精装具を破壊された場合、精錬者は心を失うといわれている。魂精装具は人の魂の具現化したものといわれているだけに、その説には妙に説得力があった。
厳密に言えば魂精装具と魂の関連性は証明できているわけではない。それどころか、魂とは何かという疑問にはっきりとした答えを持っている者もほとんどいない。だが、魂精装具を失った精錬者が廃人同然になるのは周知の事実だった。
ある意味それは、命を奪われるよりも恐ろしい罰である。
「……なるほど、そんなんだったら、戦で殺されたほうがずっとマシだわな」
男の口調から陽気さが消えていた。無言になった傭兵たちにも、動揺の気配が漂っている。
彼らにとって死は身近で恐れるものではないが、心を失うという未知の体験は味わいたくないらしい。
「訊きたいことは二つあるって言ったな。もう一つは?」
傭兵たちの恐れを察したのか、男はあからさまに話題を変えてきた。リゼッタも話を続ける気はないらしく、今度はあっさり男の問いに応じる。
「今回の件であなたたちに払われた依頼料は、いくらほどですか?」
「……それを訊いてどうする?」
リゼッタからの返事はない。答えを聞かずに話を続ける気はないという意思表示である。
今この場を主導しているのは間違いなくリゼッタで、無視できるような状況ではない。顔つきを険しくしながらも、男はむすっとした口調で答えた。
男の告げた金額は、依頼の内容からすれば破格のものだった。口止め料も含まれているからだろう。
リゼッタがちらりとギルダスに視線を向けてきた。
「……まあ、そんなもんだろうな」
ギルダスが頷くと、リゼッタは男に視線を戻して淡々とした口調で話し始めた。
「私は一介の司祭ですが、旅費や与えられた役目に関しての経費は聖封教会から支給される立場にあります」
いきなり話題が変わり、男は困惑顔になる。
「その金額に制限は決められていません。もちろん、限度はありますが、小規模の傭兵団を雇う程度の金額なら自由にできます」
「ほお……」
リゼッタの意図を察して、男の口元に笑みが浮かんだ。ただし目は笑っていない。それがわかっているのか、リゼッタの口調は決められた台詞を呼んでいるように淀みない。
「もしあなた方がこの件から身を引いてくれたら、おそらく数日のうちにそれなりのお金があなたたちに入るでしょう」
ギルダスは話に耳を傾けながら、内心で嘆息した。要するにリゼッタは、金をやるから手を引け、と言っているのだ。
相手によっては効果はあるが、こいつに通じるのか――ギルダスは両方が視界に入るように、体を傾ける。
男の反応は冷ややかなものだった。
「そりゃありがたいな。どこの誰かは知らねえが、俺たちみたいな人種に金を恵んでくれるってか」
内容とは裏腹の、あまり信じていない口調である。
「で? 俺たちに確実に金が入るって保証はあんのかい?」
眼を細める男を前に、リゼッタは懐から何かを取り出した。
躊躇いもなく放り投げられたそれは、放物線を描いて男の手のひらに収まる。
「? なんだこりゃ?」
手の中の品を見下ろして、男は首を傾げる。脇からそれを覗きこんだ傭兵の一人が驚いた声をあげた。
「大将……! こりゃかなりの値打ちもんですぜ!」
「これがか?」
男が半信半疑といった様子でそれをつまみあげた。宝石のような丸い石を核に、周囲を螺旋状に細工された金属が覆っている装飾品のような代物である。
宝石や貴金属の目利きなどできないギルダスにも、それが凝った細工だということはわかった。
「どの町でもかまいません。ことが終わったら、それをその町にある聖封教会にまで持っていってください。引き替えに、あなたたちが満足するだけのお金が渡されるはずです」
「担保、ってわけか」
男はつぶやき、あまり乗り気ではなさそうな様子で空を仰いだ。
「それと――」
「んん?」
「もし仮に、私たちがこの森で行方を経った場合、あなたたちの情報が聖封教会に流れるようになっています。引き替えにこなかった場合もです。その際のあなたたちの処遇は、さっき話したとおりですのであしからず」
瞬間――男は眼球が飛び出るのではないかと思えるほど目を見開いた。
リゼッタをまじまじと見つめ、次につまみあげた“担保”と交互に見る。
対照的に、リゼッタはこの場に姿を現してから一貫した無表情だった。
「……へ」
男の口元が、不意に歪んだ。
不適な笑みが、その顔に浮かぶ。
男は渡された“担保”を掌中に納めると、大剣を肩に担いだ。
「そいつは俺を脅してんかい?」
「私は事実を述べているだけです」
「ふうん」
男は無造作に顎を掻いた。
「参ったね、こりゃ」
大げさに嘆息し、空を仰ぐ――その眼光が鋭く光ったようにギルダスには見えた。
前置きはそれだけだった。
男の上体が前へと倒れながらひねられる。担がれた大剣が全身の力を使って振りおろされ、残像を残して男の手から離れた。
気を抜いたいたわけではない。注意していても、かろうじて反応できるほどの速さだった。
うなりをあげて、大剣が回転する。狙いはギルダスではない。さらにその後ろ――リゼッタだった。
「くっ!」
ギルダスはとっさに剣を伸ばした。大剣と接触し、弾かれる。取り落とさずにはすんだが、大剣の軌道は変わっていない。
「避けろ、リゼッタ!」
振り向きながら叫ぶ。
リゼッタは――動かない。立ったまま、迫る大剣を見つめている。
(くそっ――)
間に合わないとはわかりながらも、ギルダスは走り出した。手を伸ばす。
それよりも早く、大剣はリゼッタに到達し――直前で止まった。
大剣がおこした風に、リゼッタの髪が舞い上がる。その体には、傷ひとつついていない。
大剣は空中で動きを止めていた。何もない場所で投げられた剣が止まるはずもない。つまりは、そういった“能力”なのだろう。それを示すように、剣は再び回転して男の手に戻っていった。
「なんのつもりだ、てめえ」
厳しい顔でギルダスは問いつめる。返事によっては斬るつもりだった。
男は問いに答えず、リゼッタを見ていた。
「びびったかい?」
「なにがですか?」
何事もなかったように答える。男がうれしそうに笑った。
「クックッ……大したもんだ、あんた。きっちり命張ってらあな」
「試したってことか……!」
噛みしめた歯を軋ませて、ギルダスが吐き捨てた。
「そうさ。どんだけ口が回ろうが、お偉い身分だろうが命を張らねえ奴を俺ァ信用しねえ。そう決めてる。特に、下っ端を前面に立たせて、自分は安全なところでのうのうと口上たれてるような奴はな」
言いながら男は感心したように笑みを浮かべていた。
「口だけの野郎だったら乗る気はなかったんだぜ? けどあんただったらいい、引き上げてやらァ。そんかわり、筋は通せよ?」
「最初から曲げる気などありません。そして口先で納得しないのはこちらも同様です」
「ほっ、あんたが傭兵だったらおもしろかったのにな」
男は愉快そうに頷き、くるりと身を翻した。
一部始終を見ていた傭兵たちは、毒気を抜かれたような顔で男に注目する。
ゆっくりと首を巡らせてから、男は息を吸った。そして――
「おまえら! 引き上げだ!」
高々と張り上げられた声が、ことの終わりを告げた。