表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/32

11.血霧の猟兵(2)

 鳥のさえずり、虫の鳴き声、動物たちの営みが生み出す様々な音――

 風を受けた枝がしなり、その先に繁った葉が擦れあう――

 自然に満ちあふれた森林が奏でる様々な音色がそこにはあった。

 季節によってその音色は変わるものの、森が存在する限り絶えることはない。

 その音色は一人の人間が生まれ、そして土に還るよりもずっと長い間奏でられてきた。

 聴く者によっては心穏やかになり、荒んだ気持ちを癒してくれるかもしれない。物語を自らの声でうたって生活の糧を得る語り部かたりべなら、即興で詩の一つでも作り上げただろう。

 だが――今その森の奥深くを目指して進んでいるのは、そんな感性とは無縁の世界を生きていた者たちだった。

「うおっ」

 列を組んで歩くその集団の一人――片方の目が醜い傷跡で塞がった男が、いきなり驚いたような声をあげた。そばにいた一人が驚いて振り返る。

「どうした?」

「ちっ……なんでもねえ。虫に刺されただけだ」

「そんなことで騒ぐなよ。馬鹿かテメエは?」

「んだとぉ? コラ、今なんつった」

「ハ、目だけじゃなくて耳まで使えなくなったか? もう死んだほうがいいんじゃねえかテメエ」

 男は容赦のない罵倒で隻眼の男をなじった。ぴくり、と隻眼の男の額に青筋が浮かぶ。

「……殺す」

 ――隻眼の男が、いきなり背中の武器を抜く。

 片端が尖った鉄槌――戦鎚ウォーハンマーが、罵倒を口にした男に振り下ろされる。

 当たれば即死の一撃を、男は危うく盾で受けた。甲高い金属同士の接触音が、森の音色を遮る。

 戦鎚を受けた男は、直後に腰の両刃剣を抜いて横薙ぎに振った。

 隻眼の男は戦鎚を滑らせて、それを受け止める。足が止まり、男たちは至近距離でにらみ合った。その表情は、ふざけているようには見えない。本気で殺す気なのだ。

 それを見る周囲の男たち――同様に武装で身を固めた傭兵たちにも動揺した様子はない。

 日常的な風景でも見るかのような醒めた目を向けるか、無責任に野次を飛ばしている。

 仲間同士であっても、ほんの些細なことで殺し合う――それが傭兵団『血霧の猟兵』の実態だった。

「ぐっ……」

「っ……」

 擦れ合う二つの凶器が、お互いの体の間でせめぎ合う。

 放っておけば、どちらか片方が死ぬ――そんな常人なら怯えて立ちすくむしかない状況のなか、

「ナーニやってんだおまえら」

 まるで緊張を感じさせない声が、殺気立つ二人の男にかけられた。

 剣と鎚で鍔迫り合いをしていた男たちは、慌てて武器を引っ込め、声のしたほうに向き直る。

 そんな二人に、一人の男が顎をぽりぽりと掻きながら近づいていった。争っていた二人の顔が自然と上向く。その二人も恵まれた体格の持ち主だが、その男は彼らと比べても頭二つ分抜けていた。逆立てた髪が、人並み外れた体格をさらに際だたせている。

 男は無造作に近づくと、面倒くさそうに交互に二人を見下ろした。

「た、大将……」

「おいおい。いかんだろうが、お仕事の最中に他のことしてちゃ。そういうことはな、後でやれ後で」

「だけどよ……」

 隻眼の男が、額から汗を流しながら不満そうな声をあげる。

「んん?」

「あ、いや……。なんでもねえ」

 だが視線が合うと、目をそらして口をつぐむ。その態度が両者の立場の違いを物語っていた。

「ん、わかればよろしい」

 ニッ、男は口端をつり上げて笑う。嫌みのないさっぱりとした笑みだった。

 笑みを浮かべたまま、男は陽気な口調で続ける。

「とはいえ、馬鹿にされて殺したくなるっておまえの気持ちもわからんでもない。その鬱憤うっぷんはこれからいくところで晴らせ。そこでだったら好きに暴れていいぞー」

 男は周囲を見渡すと、近くにいた傭兵たちにも話しかけた。

「なんせ今回は皆殺しにすれば、奪うのも犯すのも、なんでもしていいってお墨付きだからな。おまえら、好き放題暴れていいぞ」

『おお!』

 口調に合わない過激な発言に、歴戦の男たちは欲望にまみれた蛮声で応えた。

 再び歩き出したその歩みは、さっきまでと比べていくぶんかペースが速い。どの顔も欲にまみれてぎらついていた。

 その先頭に陣取って男も歩き始める。脚の長さからして違うので、ほかの傭兵たちのように急いでいるといった印象はない。

「ん?」

 その目が、不意に細められた。男の見つめる先には、さっきまでとなんら変わらない緑にあふれた光景が広がっている。

 足を止めた男のすぐ脇を、血気に逸った一人の傭兵が抜き去ろうとした。

 男は遮るように腕を伸ばす。

「? 大将?」

「まー待て待て、気合いが入ってるのは結構なことだが、油断は禁物だぞ」

「わかってますって。けどよ大将、今回の依頼はしみったれた集落を潰すだけなんだろ? 油断もしたくなるってもんですよ」

「そうなんだけどな。そこらへんちょっとひっかかるところがあるし、なにより今この状況が一番ヤバい」

「へ? そりゃどういうことで?」

「教えられたルートは一つきりだったろ。となると当然このルートは相手にも知られてるってことだ。ということはどういうことだ?」

「……あ」

 男はうんうんと頷いた。こうした状況で想定できることは、それほど多くはない。

「待ち伏せに向いてるってこった」

 男の手が背中に伸びる。その手が背中にある“得物”に触れた瞬間、

「こんなふうにな」

 男の口端が最大限につり上がった。


 ――ガギィッ!!


 刃が空を斬り裂く。軌道上にあるものすべてを両断しながら、それは頭上から振ってきたもうひとつの刃に激突した。

 その衝撃に、樹上から斬りかかってきた人影が弾き飛ばされる。

「……ほっ、受けたか」

 しとめ損ねたことに驚きながら、男は自らの得物を引き戻した。

 相手が騎士でも、馬ごと斬れそうな大きさの剣である。それでも、男の体格からすると普通のサイズにしか見えない。その色は血に塗れたような赤。男があらかじめ具現化していた魂精装具ソレスタだった。

 状況を理解した周囲の傭兵たちが殺気立つ。男はその動きを手を振って抑え、弾き飛ばされつつもうまく着地した人影に視線を向けた。

 奇襲してきた人影――炎のように赤い髪の少年は、怖じ気づいた様子もなく剣を構えている。

「大した胆力だな」

 男は感心したように話しかけた。少年の存在はあらかじめ聞いていたので驚きはしないが、それでもそのすべてを信じていたわけではない――実際に会うまでは。

「おまえさんが話に出てきたガキか。ガキにいいようにやられて情けねえとは思ってたんだが……それなりに腕は立つみたいだな」


 ◆


「よう、おまえさん。どうして俺たちが来るのがわかった? まさかずっと木の上で待ちかまえていた訳じゃあるまい」

 朗らかに話しかけてくる巨漢の男に、ギルダスは無言で応じた。答える義理はないし――必要なこと以外は話すなとも言われている。

「だんまりか。じゃあ、何の用だ? まさか本気で一人でやり合うつもりじゃないだろ?」

「忠告にきた」

「ほっ、忠告だあ?」

 明らかに面白がっている様子で、男は身を乗り出した。大剣を地面に突き刺し、聞く体勢になる。

 ギルダスは意識して無表情を続けながら言った。

「あんたらが依頼通りに仕事をしても、金は入らねェ」

「……ほう」

 男の眉が、ぴくりと跳ね上がる。

「俺の知らんことをいろいろ知ってるみたいだが……ま、いい。続けてみな」

「あんたらは知らねェだろうが、今回の件にはあの“聖封教会”が一枚噛んでる」

「聖封教会が……?」

 ギルダスはゆっくりと頷いた。精錬者なら、聖封教会がどういった存在かは誰でも知っている。その規模や、どういったことができるか、ということも。

「今回の件であんたらの依頼主――ドーラン辺境領領主は、聖封教会を敵に回した。今頃は教会とヴァルト王国が交渉してる最中だ。それが終われば、領主はヴァルト王国に地位を取り上げられる。私財もろともな。……引き返しな。ここの領主相手にタダ働きする義理もねェだろ」

「……それが本当だって証拠はあんのかい? おまえさん、集落の連中に雇われた傭兵なんだろう?」

「領主からはそう聞いてんのか。傭兵だってのは本当だが、雇い主は違う。――リゼッタ!」

 ギルダスの呼びかけに応じて、今まで木陰に身を潜めていたリゼッタが姿を現す。純白を基調としたゆったりとした衣装――聖封教会の法衣を身につけた女の登場に、傭兵たちはざわめいた。その顔につけた白の仮面も、その一助になっている。

「あの女が俺の依頼主で、聖封教会の司祭殿だ」

「……どこか適当な女に、それっぽい格好をさせただけかもしれねェわな」

「疑うなら二、三日待ってみろよ。俺の言ったことが本当だってわかる。それとも――」

 あくまで疑う男に、ギルダスは笑いかけた。友好さとは真逆の、見る者によっては悪寒を覚えるような笑みである。

「待ちきれねェなら、ここでヤり合ったって俺は一向に構わねェよ。依頼主殿の御意向で柄じゃねェ話し合いなんぞやってるが、俺としちゃあそっちのほうがわかりやすくていい」

 少年の顔に凄みのある笑みを浮かべたまま、ギルダスは腰を落とした。

 実際のところ、五十人の傭兵を敵に回して勝てる自信などない。ようするにハッタリだが、この場合は相手にほんの少しでも危機感を抱かせるのが目的だった。

 二、三日中に話がつく確証などないが、少し調べればギルダスの言っていることがなんの根拠もないデタラメではないことはすぐにわかる。

 言葉とは裏腹に、ギルダスは傭兵たちが武器を納めて引き返すことを望んでいた。

 だが――

「く……くく」

 傭兵たちはお互いに視線を交わしあう中、そのうちの誰かが笑い声をもらす。

「……?」

 笑い声はだんだんと増えていき――それはすぐに耳を塞ぎたくなるような爆笑へと変わった。

 ギルダスと向き合っていた男が、振り返って手を広げた。

「どうする、おまえら? 金が出ないんだとさ」

「そりゃ困ったな」

「ああ、困った」

 水を向けられても傭兵たちに動揺はない。そのうちの一人が、へらへらと笑いながらある提案をした。

「こうなったら、その集落で金目のもんを根こそぎいただくしかねえなあ」

「っ……」

(――そうくるか)

 さすがにこれで終わると考えるのは、楽観的過ぎる予想だったらしい。

「聖封教会に喧嘩を売る気かよ」

「聖封教会なんて知らねえなあ」

 傭兵の一人が、とぼけたような声を出す。

「そんな話、なあんにも聞いてねえからな」

 違う一人が、調子を合わせた。

 どうやら、そんな話など聞かなかったとシラをきるつもりらしい。

 それ以前に、男たちは聖封教会をあまり恐れているようには見えなかった。

 怖い者知らず、命を惜しまない狂人の群れ――そんな風評が、ギルダスの脳裏をよぎる。

 ずらりと引き抜いた大剣を、男は肩に担いだ。

「ま、ぶっちゃけるとだ。金の心配もないんだよな実は」

「……?」

「今回の件が妙にきな臭いってことはわかってたからな。もう貰ってる。前払いで、な」

 ――くは。くく。くふふふふ。

 嘲笑が耳をつく。

 嫌らしい笑みを浮かべたまま、傭兵たちは少しずつにじり寄ってきた。

「だからって諦めて殺されろなんて言うつもりもないぞ。死ぬ寸前まで抵抗してみろ。その方が遊びがいがあるしなあ。おまえさんも望むところなんだろう? ……ああ、そっちの司祭殿には、別の遊びの相手をお願いするかね。変な仮面をかぶっちゃいるが、見たとこ顔つきは悪くなさそうだ。ちっと人数は多いが、最後まで付き合ってくれよ?」

 男の口元が歪に歪んだ。取り囲むように近づいてくる傭兵たちと同じ、圧倒的優位に立ったものが浮かべる嗜虐しぎゃく的なものへと笑みの質が変わっていく。

 ギルダスは曲剣を下げて、顔を俯かせた。それを見て、男はつまらなそうに鼻を鳴らす。

「なんだあ? つまらねえなあ、諦めたのか――」

「――クク」

 低い笑い声が、ギルダスの口からこぼれた。

 無造作に近づいていた男の足が、ぴたりと止まる。

「……なにがおかしい?」

「なにがおかしいって? そりゃ笑うしかねェだろ。 あんたらは何もわかっちゃいねェんだからよ。……なんで聖封教会が今回の件に首を突っ込んだと思う?」

 嘲る口調のギルダスが顔を上げる。そこには、ついさっきまで傭兵たちが浮かべていたのと同質の笑みが張り付いていた。

 ギルダスが手をあげ、一本だけ立てた指をくいっと折り曲げた。

 直後――どこからか飛んできた矢が、傭兵たちの前へと突き刺さった。

 傭兵たちは一斉に飛び退き、それぞれ近くの木の陰に身を隠す。

「伏兵だと!」

「どこから飛んできた!?」

 矢の飛んできた方向を警戒する傭兵たちをつまらなそうに見渡すと、ギルダスは一人残った巨漢の男に語りかけた。

「その矢を見てみろよ」

 地面に突き刺さっている矢は、通常ではありえない琥珀色をしていた。

魂精装具ソレスタ……?」

「あんたら、自分たちが潰そうとしている集落について全然知らされてねェみたいだな。あそこの奴らは、ほとんどが精錬者だ。だから聖封教会のこの件に首を突っ込んだんだよ。それをやったのも――」

 顎で指し示すと、琥珀色の矢はちょうど光の粒子に分解されるところだった。

「その集落の一人だ。あんたらに襲われようとも、ただ殺されるような大人しい連中じゃねェのさ」

 傭兵たちが色めきたつ。ただ一人、巨漢の男はギルダスの言葉が真実かどうか見極めるように黙っている。

「それに――」

 ギルダスが再び獰猛どうもうな笑みを浮かべる。その表情からは、さっきまでは混じっていた演技の色が抜けていた。

「さっき言ったことも単なるハッタリじゃねェぜ? 俺もただ殺されるつもりはねえ。この人数相手にゃかなわねェだろうが、最低でも五人は道連れだ」

「この……ガキの分際で――」

「待ちな」

 いきり立つ傭兵の一人を、男は無表情で止めた。男だけは、相手が見た目通り、“ただのガキ”ではないことを知っている。

 男が黙り込む。周りの傭兵たちは、男の決断を待つかのように動きを止めた。

 一度依頼を引き受けた傭兵としての自負心。

 ギルダスの言葉の真偽と、集落の人間たちの実力。

 ギルダスと、その背後にちらつく聖封教会を敵に回すことへのリスク。

 それらを天秤にかけて、男は答えを探しているように見えた。

 いや――天秤にかける要素は、もう一つあった。

「やっぱり、引けねえな」

 男が笑う。さっきまでのような嫌らしい笑顔ではない。むしろ朗らかといっていい笑みだったが、そこには妙な凄みがあった。

 おそらくこの顔で、この男は何人も殺してきたのだろう――そう思える笑顔だった。

「いくらおまえがただのガキじゃなくても、やっぱりガキはガキだ。ガキ一人に脅されてすごすごと引き下がったなんてな、みっともなくてできることじゃあねェんだよ。おまえも傭兵なら、そこらへんわかるだろ?」

 頷きこそしなかったが、ギルダスは内心で同意した。

 傭兵としての――しかも、五十人の傭兵たちを従わせる傭兵団長としての面子が男にはあった。それは精神的な問題だけはなく、実質的な問題も兼ねている。ここで引いたら、男を見限る傭兵たちも出てくるだろう。

 その要因が、天秤をギルダスが望まない方へ傾かせた決め手になった。

「……そうかよ」

(――ここまでだな)

 ギルダスは深々と息を吐いた。その表情が、ある種の覚悟を決めたかのような壮絶なものへと変わっていく。

 リゼッタの筋立て通りに交渉は進んだが、最後の最後で決裂した。あとは血塗れの殺し合いだけだ。

 とはいえ、まともにぶつかって生き残る可能性は無いに等しい。

 まず最初に団長らしき巨漢の男に一太刀浴びせる。その結果に関わらず、あとは背中を向けて一目散に逃げだす。うまくいけば、ばらばらになった傭兵たちを相手に有利に戦いを進められるかもしれない。

 頭の中で生き残る算段を巡らせて――

「――二つほど、尋ねたいのですが」

 唐突な疑問の声は、ギルダスの背後からのものだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ