10.血霧の猟兵(1)
――領主に雇われた傭兵がこちらに向かっている。
「どういうことだ?」
その言葉を聞いて頭の中が冷えるような錯覚を味わったあと、ギルダスは目を細めてリゼッタに問いかけた。
「詳しいことは、彼に説明してもらいます」
「彼?」
リゼッタが背後を振り返る。それに合わせたように、これといって特徴のない顔をしたまだ若そうな男が一人、姿を現した。
ギルダスは思わず目を見張った。
「おまえ……捕まってたんじゃなかったのか」
初めて会った時と雰囲気はかなり変わっていたが、その男はギルダスたちをフェルカの民の集落まで案内した聖封教会の密偵に間違いなかった。
「そんな失態を犯すか」
密偵はギルダスを嫌そうに見てそう吐き捨てたあと、事情を説明した。
いわく――
ギルダスとジドの“決闘”のあと、解放された密偵の男はいつものように何食わぬ顔で森から出たらしい。
翌日、リゼッタとの待ち合わせ場所へ向かおうとした男だが、なぜか森を監視する兵士の数が急に増えていることに気づいた。
入りこめないほどでもないが、密偵は領主の動きを探ることを優先した。兵士の数が増えた理由を知ろうとしたのだ。
結果、そこで知り得た情報はリゼッタとの連絡のやりとりなどよりもはるかに重大事であったため、さらに詳しく調べるために森へと出向く余裕もなかったらしい。
「その情報が、領主が傭兵を雇ったというものだ」
「ちなみに彼はその傭兵団が森へと発ったことを知り、急いでここまで駆けつけてきてくれたそうです」
補足するようにリゼッタが付け足す。
ちなみに、ここでいう傭兵とは、個人のことを指すのではない。徒党を組んで依頼を受けるいわゆる『傭兵団』のことである。
話を聞いて、ギルダスは首を傾げた。
密偵が捕まっていなかったのなら、一つわからないことがある。
「ならなんで待ち合わせた場所に領主側の奴らがいたんだ?」
「そんなこともわからないか? 捕まっている司祭か誰かが口を割ったのだろうさ。あの場所を知っているのは私だけじゃない。なにせ元はフェルカの民の集落の一つだったんだからな」
さも馬鹿にしたような口調である。会ったときから友好的とは言えなかったが、密偵の男は明らかにギルダスを嫌っているらしい。
普段ならそれに反応するところだが、ギルダスは言葉の意味を理解して顔をひきつらせた。
「ちょっと待て。教会の人間がそのことを教えたってこたぁ、つまり――」
「今使っている集落の場所も知られていると思って間違いないでしょうね」
どこか悲壮さを滲ませたリゼッタの声が、事の重大さを物語っていた。
「おい! どういうことだ!?」
黙って話を聞いていたルキアが、我慢の限界というように怒声をあげた。
リゼッタはルキアに視線を向けると、冷めた声で言い放った。
「少し黙っていてもらえますか?」
「なっ……」
絶句するルキアをよそに、リゼッタは疑問を口にした。
「傭兵団が集落にたどり着くまで、時間はどれくらいかかると思いますか?」
「おそらく二、三時間後かと……。傭兵団と私が森に入ったのはほぼ同時でしたが、なにせ初めて通る道です。集落までの道順には目印がありますが、そう簡単に見つかるものでもありません。集団なら見過ごすこともないでしょうが、彼らも手探りで進むことになるでしょうから」
丁寧な口調で答える密偵に頷き、リゼッタは目を伏せた。
「……なぜドーランは傭兵を雇ったんでしょうか? 彼自身も兵士を抱えています。わざわざ傭兵を雇う意味はないはずですが」
「あ、ああ……確かにな。おい、その傭兵団、名前と何人ぐらいいるかわかるか?」
リゼッタのルキアに対する態度に戸惑いつつも、ギルダスは密偵に顔を向けた。対策を立てるためにも、最低限人数は知っておいたほうがいい。
「人数はともかく、名まで必要なのか?」
「知っている奴らかもしれねぇ。いいからさっさと教えろ。それともわからねぇのか?」
挑発的な物言いに、密偵の眉がぴくりと跳ね上がる。それでも口論している暇はないと思ったのか、渋々といった口調で答えた。
「人数は約五十人。『血霧の猟兵』という傭兵団だ。傭兵組合の関係者から聞いたから間違いない」
「げ……」
その名を聞いた途端、ギルダスの顔があからさまにひきつった。
「よりにもよってあいつらかよ」
「知っているんですか?」
「嫌ってほどにな」
頷き、ギルダスは眉を寄せたまま話し始める。
『血霧の猟兵』――一般的な知名度はさほどでもないが、その名は傭兵たちの間では広く知れ渡っていた。
もっとも、その理由は肯定的なものからではない。同業者でも顔をしかめるような、度を超した残虐さが理由だった。意味のない殺戮を好み、人殺しが趣味とまで言われていたのだ。
その団名も、戦場で常に血煙をまとっていることからつけられたのだという噂すらある。
「かなり荒っぽい連中だぞ。際どい依頼も、金次第で引き受けるような奴らだからな。大きな戦がなくなってから話を聞かなくなったから、てっきり潰れたもんだと思ってたが……」
もっとも、ギルダスの知識の中にある彼らの人数は二百人ほどである。その時に比べればはるかの小規模だった。 とはいえ、戦に明け暮れた五十人の傭兵――はっきりいって驚異である。
「待てよ。あいつらだったら……」
「どうしましたか?」
「いや、わざわざ領主が傭兵を雇った理由なんだが……もしかしたら奴ら、“暴走”を装う気かもしれねぇな」
その場にいたギルダス以外の人物――憤怒に顔を赤くしていたルキアも含めた三人の顔つきが、そろって怪訝なものへと変わる。
「どういうことですか?」
リゼッタが率先して訊くと、ギルダスは苦い顔になって口を開いた。
「そのままの意味だ。手柄を立てるために先走ったふうを装って、集落を襲うってことだよ。命じられてはいないが、依頼者の意志を汲み取ったってことにしてな」
当然、この場合は傭兵団と依頼者――領主は口裏を合わせているので、後で領主が責められてもそんなことは頼んでいないと言い訳ができる。傭兵団も、ただ自衛のために雇ったとでも言えばすむ話である。
もちろん、そんな言い訳が通用するかどうかは別問題だ。
「危ない橋を渡ることが多いんで、俺がいた傭兵団ではやったことはないけどな。似たような話は聞いたことがある」
その場合の依頼料は、口止め料込みの通常よりも割高なものとなる。だが金が払われる代わりに命を奪われることもあり、まともな傭兵ならまず引き受けない類の依頼だった。
「今さらそんな言い訳が通るわけが――」
反論しかけた密偵の言葉を、ギルダスを冷めた視線で遮った。
「そうかもしれねぇが、そうじゃないかもしれねぇ。そんなことは領主の奴らにはわからねえんじゃねえか? 集落の奴らは叩きたいが、聖封教会は敵に回したくねえ。その両方を通すための、ぎりぎりの妥協案なんだろうよ――つってもこれは俺の予想だからな。合ってるも限らねえ」
言葉尻に間違っていた時の予防線を張りながら、ギルダスは興味深そうにリゼッタへと視線を移した。
「というか実際どうなんだ? もし集落の連中が皆殺しにでもされたら、聖封教会はどう出る?」
リゼッタは数秒考え込み、やがて重々しく口を開いた。
「そんな事態になれば、おそらく聖封教会は今ほどこの件に深入りしなくなる……かもしれません」
曖昧に言葉を濁すリゼッタに、色めき立ったルキアが詰め寄る。その間に体を差し込んで、ギルダスは言葉の続きを待った。
「ふう……」
しばらく逡巡した後、区切りをつけるようにリゼッタはため息をついた。
リゼッタの細い手が、白衣の懐から仮面を取り出す。額から目元、鼻筋までを覆い隠す仮面を、リゼッタはゆっくりと顔に押しつけた。仮面はリゼッタの顔の形にあつらえた品であるように、寸分の隙間もなく密着する。
びくり、とリゼッタの体が震えた。
「……?」
「マルフィン司祭?」
その行動の意味がわからないルキアと密偵が、困惑した表情になった。
次にリゼッタが仮面から手を離した時には、そこからは悪びれたような様子はなくなっていた。
「これはあくまで事態が最悪の方向へ進んだ場合の、仮定の話です。そう思って聞いてください」
感情の消えた声が、その口から吐き出される。
まるで別人だった。いや――実際に今のリゼッタとさっきまでのリゼッタは別人と言ってもいい存在である。
ギルダスに話しかけてはいるが、その言葉がルキアに向けられたものなのは明らかだった。
「聖封教会もいきなり手のひらを返しはしないでしょうが、消極的にはなるでしょう。この件をあくまでこの国で起こったこととして対応するようになります。領主はこの国の法で裁かれ、その結果がどうなろうと口出しはしないはずです」
「マルフィン司祭……!」
密偵が悲鳴のような声を上げる。その目が話すのを止めるように訴えていた。その反応から、リゼッタの話が決してありえないものではないということがうかがえる。
「身内が理不尽に捕まったってのにか?」
街の教会が封鎖された件をあげたが、リゼッタは首を横に振った。
「もちろんそのことに抗議はするでしょうが、あくまで別件として扱われることになります。今の段階では、フェルカの民は聖封教会とは関係のない存在ですから」
ギルダスは呆れてため息をついた。
聖封教会の対応にではない。部外者がいる前で、ここまで本音を話すリゼッタにだ。ギルダスはともかく、当事者であるルキアもここにはいるのに、彼女の言葉に取り繕うような様子はない。
「わかりやすいけどよ、ちょっと割り切りが良すぎじゃねぇか?」
「聖封教会はすべての人間を救済を唱えているわけではありません。この件に介入したのは、ことが教会の教義にかかわるものだからです」
身も蓋もないことをリゼッタははっきりと言い切った。
聖封教会がこの問題に首を突っ込んだのは、フェルカの民の多くが精錬者だからだ。
魂精装具を神の与えた奇跡とし、それを具現化する精錬者が魂精装具を悪用しないように監視・管理する。それこそが聖封教会の目的であり、存在意義といっていい――少なくとも、建前上は。
もし精錬者がこの件に関わっていなかったらそもそも放置しておいただろうし、彼らが死んでしまった場合も距離を置くだろう。この機会に彼らを取り込もうという、聖封教会の目的はすでに果たせなくなっているからだ。
そこに人道だの人権だのと言った思想はない。ギルダスにはわかりやすい話だったが、ここでそこまで本音を――聖封教会の組織としての本音を明かすリゼッタの意図がわからなかった。
――ギリ。
「くっ……!」
歯ぎしりの音に反応してギルダスが振り返ると、ルキアが走り出すところだった。
「ギル!」
「あ? お、おお」
呼びかけの意味を察して、ギルダスはルキアの腕をつかむ。振り回された逆の腕をかい潜ると、関節をきめてルキアを地面に押し倒した。
「っ……なんのつもりだ!」
痛みと屈辱で顔を真っ赤にしたルキアが、歩み寄ってきたルキアを見上げて抗議の声を張り上げる。
「今、何をするつもりだったのですか?」
リゼッタは地面に膝をつけると、うつぶせになったルキアに淡々とした声をかけた。
「決まっとる。皆にこのことを知らせにいく!」
「なんと伝えるつもりですか?」
「敵がくるんだろう、それ以外に伝えることがあるか!
「それから? どうするつもりですか?」
「迎え撃つ!」
「勝てるつもりですか? それに、戦えない人たちもいるはずですがその人たちはどうするつもりですか?」
「勝ち負けなんぞ後からついてくる話だ! 戦えない者も逃げさせる。森はあたしらにとって庭みたいなものだ。ここだったらどうとでも逃げれる」
「仮に迎え撃ち、追い払うことができても……あなたたちもただではすみませんよ」
「そんなことわかっとる! くそっ、どけ!」
ギルダスをはねのけようと、ルキアがもがいた。
「……っと、無理に外そうとすんな。折れるぞ」
顔をしかめたギルダスの忠告を無視して、ルキアは暴れ続ける。その様子を見ても、リゼッタの顔は感情ひとつ浮かばなかった。
ギルダスはその表情と同様の、仮面の奥に覗ける怜悧さを宿した瞳に嫌な予感を覚え始めていた。
「さっきから何だ、おまえは! なにが言いたい!?」
「相手は領主に仕えているわけではありません。お金で雇われただけの傭兵です」
「だからどうした!」
「戦わずにすむかもしれない、ということです」
ぴたり、とルキアの動きが止まる。ゆっくりと上げた彼女の顔には、疑心が色濃く宿っていた。
リゼッタに疑いの眼差しを注いだのは、ルキアだけではない。
「……手があるのか? 話して聞くような連中じゃねえぞ?」
ギルダスの問いに頷き、リゼッタはルキアに話しかけた。
「さっき話したような最悪の事態にならないように、あなたにも協力してもらいます。そうならないためにも、私たちはここに来たのですから」