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8.転機(1)

 ルキアにとって、強者とはそれだけで尊敬に値する存在だった。

 例え相手が敵だとしても、幼くても、自分より強い――ただその一点で、彼女はその人物を認めることができる。それは彼女の生まれ育った環境が大きく影響していたが、価値観の由来など本人にとってはどうでもいいことだった。

 ルキアは強者をうやまう。反面、弱者を嫌う。特に同年代かそれより上で、彼女よりも弱い男には彼女の態度は素っ気ない。

 ルキアが許容できる弱者は、老人と子供、戦の手段を知らない女ぐらいである。

 ルキアは弱者を嫌う。とはいえ、彼女の弱者に対する態度は、むしろ無関心に近いものである。

 ルキアがあからさまな嫌悪を覚えることは少ない。彼女の怒りや憎しみは、ほとんどの場合その場限りのものである。

 だからルキアが誰かを嫌悪し、その感情が長続きする場合、その相手はルキアが心底から嫌う相手であり――

 また、同時に認める相手でもあった。


 ここ数日、ルキアは常に苛立っていた。

 ギルダス相手に勝負を仕掛けてから、彼女の思考はどうすればギルダスに勝てるか――その一点にのみ働いている。

(どうしたらいい?)

 何度も頭の中で自問するが、答えは出てこない。

 剣の届かないはるか遠くから、気の抜けている瞬間を狙って矢を放つ――二人の異なる武器から考えれば、それが最適であることは知っていたが、ルキアはその手段を選ばない。

 あの時以来、屋外にいるギルダスには遠くから見てもわかるほど隙がない。狙撃ではあっさりかわされるだろうし、そもそもそんなやり方はルキアの誇りが許さなかった。

 なにより、あのジドが戦士と認めた相手には、自分から敗北を認めさせるような勝ち方がしたい。

“戦士と認める”――それは、フェルカの民にとって最高の賛辞だった。

 軽々しく口にしていい言葉ではないが、ルキアにはジドの言葉自体を否定する気はない。

 ジドに一太刀浴びせることはできる者は集落でもいないし、あのときの戦いぶりを見ればギルダスの実力が並をはるかに上回るものであることがわかる。

 あんな出会いかたでなければ、もしかしたら今とは違う関係になっていたかもしれない――そう思うほど、ギルダスは明確な強者だった。

 だが何も知らないよそ者なのに、自分たちの問題に首を突っ込んできたことには怒りを覚えていた。

 その怒りを思い知らせたい。

 さらにできれば、生かしたままこの森から叩き出したい。人を殺すのに躊躇いはないが、あそこまで練り上げた技術をあの若さで終わらせるのは惜しい気がした。

 それはルキアの強者に対する敬意であると同時に、彼女の青さを裏付ける想いでもあった。

 ギルダスが知ればあざ笑うであろう想いを抱え、ルキアは一人思案する。

 しかしいくら考えても、彼女の望む答えは出てきそうになかった。

 それが苛立ちとなり、ルキアの心を蝕んでいた。


「……ん?」

 ふとルキアは足を止めると、怪訝そうに周囲を見渡した。

 苛立ちに任せて歩き回るうちに、いつの間にか集落の外れのほうにまで来てしまったらしい。

 視界の端にある小屋に目を止めて、ルキアは顔つきをさらに険しくした。

 住人もなく単なる物置として使われていたその小屋は、今はルキアの苛立ちの元が寝泊まりしている。

 一度だけ睨みつけ、そのまま離れようとしたルキアは、ふと違和感を覚えた。

 話し声が聞こえる。それも、複数。こんな集落の者も滅多に来ない外れの小屋の近くで、いったい何を――?

 ルキアは頭を振って考えを振り捨てた。ここで考えているよりも、直接確かめた方が早い。

「――だな」

「だけど……」

「ここまで来て怖じ気づくな。相手はヨソもんだ。手段を選んでやる必要もねえ」

「そうだ。それに、今あのガキと女はいねえ。今やるしかねえ」

「けどよ。もう一人のガキも強かったら……」

「そんなわけあるか。異常なのはあのガキだけだ。それに、もう一人のガキは寝込んどる」

 会話の節々からにじみ出る不穏な気配に、ルキアは自分でも知らないうちに足を踏み出していた。

「何を話しとる?」

「ッ! ……なんだ、ルキアか」

 集まっているのは、ルキアにも見覚えのある者たちだった。集落の若者たちである。彼らは張り詰めた顔で振り返ると、声をかけた相手がルキアだと知って安堵の息をこぼした。

「こんなところに集まって、何をこそこそしてる、おまえたち」

 ルキアが険しい口調で問うと、彼らはばつの悪そうな顔を向けあった。

 そのうち、一人が渋々と口を開く。

「あのヨソもんを追い出そうと思ってよ」

「……どうやって?」

「あいつらの仲間に、病気のガキがいたろ? あいつを使って、出ていくように言う」

 一瞬で頭が沸騰した。煮えたぎる感情が、ルキアの声を軋ませる。

「おまえら……」

「ルキアだって、あいつらを追い出したがってただろ? だから――」

 彼らは一斉に表情を強ばらせた。魂精装具ソレスタを具現化したルキアが、感情の消えた顔で自分たちを見渡したからだ。

「お、おい……」

「卑怯もんが……!」

 弓を片手に持ったまま、ルキアが地を蹴る。

 片手に持った弓を突き出す。その片端が一人の腹を突いた。

「がっ!」

 反転させ、背後にいた男の顎を跳ね上げる。

「ぐあっ!」

 戦いとも呼べない一方的な展開だった。

 ルキアの弓を槍に見立てた槍術に、男たちは為す術もなく打ち倒される。

 元々、ルキアが“無関心”な相手である。加えてその槍術は、ルキアがもっとも嫌う男にかつて教わったものだった。

 それほど時間もかからずに、立っているのはルキアと一人の男だけになっていた。

 残ったのは、男たちの中でも特に威勢が良かった一人である。今ではその威勢の良さもなりを潜め、男は顔面蒼白になって立ち尽くしていた。

 ルキアは黙ったまま、具現化した矢をつがえる。

「ま、待って……」

ね」

「ヒィッ!」

 ――ドッ。

 射る寸前に狙いを変えた矢は、男の両足の間に突き立っていた。

「ヒッ……!」

 よろめきながら逃げ出す男を最後まで見ることなく、ルキアは周囲を見渡した。倒れていた者たちもルキアの視線を当てられると、慌てて立ち上がりおぼつかない足取りで逃げ出していく。

「ふん……」

 忌々(いまいま)しかった。強い者に勝てないからといって、弱い者を狙うその魂胆が。

 先ほどまで胸を焦がしそうだった激情が、急激に冷めていく。虚しさを宿した瞳を、ルキアはすぐ近くの小屋へと向けた。

 ルキアは気づかない。この場に近づくものの気配に。

 緑深い森林で鍛えられた感覚も、激情の余韻に乱された今のルキアには十分に発揮できるものではなかった。


 ◆


 ほんの数分前――

 奇しくもルキアと同じ道筋をたどりながら、ギルダスはリゼッタとの会話を思い返していた。

「――持て余しただけじゃねえのか?」

 領主がなぜフェルカの民を裏切ったのか、その言葉にギルダスは大して考えないまま思いつきを口にした。

「それで襲撃というのも急すぎます」

 首を振って、リゼッタはギルダスの思いつきを否定する。

「この地の領主は、代々フェルカの民と“戦力を提供するかわりに、税を免除しその存在を秘匿する”という契約を結んできました。その関係は、両方の側にとって利点があるはずなんです。なのにそれを今さら反故にする理由がはっきりしません」

 ギルダスは鼻を鳴らしつつ肩をすくめた。

 リゼッタもギルダスに話しているというよりも、口に出して情報を整理しているといった様子で、特に答えは求めてこない。

「外部からの介入が……いえ、でもこの取り決めは彼らだけのものだし、そもそもそのことは誰にも知られていないはず……とすると、やっぱりあの件が……」

「何か引っかかることでもあるのか?」

 リゼッタは独り言めいた呟きを止めると、頭を振りながら顔を上げた。

「襲撃に先立って、領主は一人息子を失っています。鹿狩りの最中に何者かに襲われたそうです」

「まさかそれをやったのがここの誰かだってのか?」

「わかりません。結局、犯人は見つからなかったそうですから。ですが、時期的に見てそのことが領主にフェルカの民を裏切るきっかけになったのは間違いないと思います」

「へえ……」

「私たちのすることに役立つかはわかりませんが、一応気には留めておいてください」

「まあ、憶えてたらな」

 話は終わりとばかりに、ギルダスはぞんざいに手を振った。

 正直、そこらへんの経緯はどうでもいい。

 その場で二人は別れ、ギルダスはここ数日の寝床になっている小屋へと向かった。

 ――その足が止まったのは、小屋のすぐ目前まで来た時である。


 ◆


「――よお」

 かけられた声は、ここ数日ルキアが思い描いていた相手のものだった。それまで気付かなかったことに内心舌打ちしつつ、ルキアは身構えながら振り返る。

「おまえ今、ここで何をやろうとしてた?」

 似合わない穏やかな声を出しながら、赤髪の少年はにじり寄ってくる。

「なに? どういう――っ!」

 ルキアはすぐにその裏に隠されたものに気づいた。

 小屋には、病で寝込んだ連れの少女。その近くには、自分に敵意を向ける女。しかも女は武装している。

 ギルダスが脳裏に描いた真実に、ルキアの頭が一瞬で真っ白になる。

 自分が蹴散らした相手と同じに見られたことへの怒りがルキアの思考を停止させた。

 ギルダスの表情が一変する。薄笑いを浮かべた口元はそのままに、瞳に炎のような苛烈な怒りが宿る。

「気に入らないからってずいぶん汚い真似するじゃねえか? えぇ?」

「……あたしがそんな下らないことをするとでも言いたいのか」

「違うのかよ」

 ルキアは答える代わりに、ギルダスを睨みつけた。

 否定する気にもなれない。言葉を重ねる余裕もない。それほどに彼女は怒りにとりつかれていた。

 二人の怒気に、空気が張りつめていく。あとは些細なきっかけで、戦いが始まる。

 見計らったように、キィ――と高い音が鳴った。ルキアが飛び退きながら矢をつがえる。

「待って……」

 弱々しい声が、その動きを制止した。

「リリーネ?」

 振り返ると、寝ているはずの少女が壁にもたれるように出てくるところだった。

「ギル……ダスさん……違うんです」

「――あん?」

 ギルダスは怪訝そうに眉を跳ねあげる。

 壁にもたれたまま、少女の小さな体がずれ落ちた。

「おい!」

 ギルダスが駆け寄って抱き抱える。

 ここ数日、まともに食事をとっていないせいか、その体はやせ細って見えた。

 熱に潤んだ瞳が、ギルダスに向けられる。

「その人は……私を助けてくれて……」

「あ? そりゃどういう――おい? おい!」

 少女は意識を失っていた。一瞬背筋がひやりとした感覚に襲われるが、聞こえてきたか細い寝息に、体の力が抜ける。どうやら単に寝入っただけらしい。

「見てたのか……」

 自分でも意識しないうちに、ルキアは呆然とした声を出していた。

 ギルダスが振り返る。ルキアは意識して表情に険しさを取り戻すと、すぐに踵を返した。

「ちょっと待て」

 それを聞く義務はない。だというのに、ルキアは反射的に足を止めていた。

「どういうことか説明ぐらいしろ。わけがわからねぇ」

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