国民皆保険制度について考える
私が聞いたお話は、1つの地域での出来事についてなので、全てがそうだったわけではないと思います。
マイナ保険証がどうこうというよりも、このようなことがあって現在に繋がっているのだと、少しでも多くの方に知っていただきたいと思っております。
「みんなでお金を出し合って、どこでも誰でも医療を受けることができる」
国民皆保険制度は日本が世界に誇れる素晴らしい制度です。
保険制度の始まりは大正時代の1922年(旧)健康保険法からです。
現在の国民皆保険制度は、1958年に国民健康保険法が制定され、1961年に国民皆保険が実現しました。
実はまだ60年ほどしか経っていない制度なんです。
なぜこのような話題を出したのかと言いますと、最近のマイナ保険証騒動に色々と思うことがあり、保険制度について調べたり今まで聞いてきたことを思い出したからです。
考えすぎなのかもしれませんが、マイナ保険証がきっかけでこの保険制度が崩壊していくのではないか。
先人たちが苦労して普及させた制度が保険証廃止と共に必要ないと言われ、なくなっていってしまわないだろうか。
うまく説明ができないのですが、仕事をしていてとても嫌な予感がするのです。
マイナ保険証についてはまた後日お話させていただきたいと思っております。
今回は、私がなぜ国民皆保険制度が素晴らしいと思ったのか、そのきっかけについてお話させてください。
かなり前のことですが、戦後に病院で事務の仕事をしていた方のお話を聞かせて頂く機会がありました。
当時は病院で治療をするためにはかなり高額なお金が必要でした。
しかし、戦後のなにもない時代です。皆その日を生きていくのに必死です。
当然、お金をもっている人なんてほとんどいません。
では何を対価にするのか?
土地や作物、労働を提供することで患者さんは治療を受けることができました。
家族の治療をするために住んでいた土地を売って、そのお金で受診をする人もいたそうです。
土地を売った一家は病院の近くに住み、病院に雇ってもらい労働を提供し続ける事で治療を続けることができました。
病院側が酷いと思いますか?
当時は全てのものが不足している時代です。
治療に使う道具や薬を揃えなければいけません。
お金がなければスタッフを雇うこともできません。
無償で引き受けることはできなかったのです。
また、その当時病院は、道端にいる行き場のない人たちを一時的に受け入れることもあったそうです。
トラックに詰められて運ばれてきた人達の健康状態をチェックしたり、戸籍のない・見つからない人たちの戸籍を役所に申請したり、戦争のショックで記憶を失くした人や話せなくなった人達に、名前をつけたり誕生日を決めて戸籍を作っていました。
拾った場所や近くにあった物の名前をつけ、拾った日を誕生日とし、おおよその年齢を役所に届け出していたそうです。
昔の人の名前で地名や物の名前がついている人は、そのような事情がある方だったりするそうです。
少しずつ復興が進む中、貧富の差が拡大し、低所得者の生活は悲惨なものだったそうです。
売れるものを売って治療できる人すら恵まれていた時代でした。
そんな苦しい時代が続き、1958年、国民皆保険制度が誕生しました。
制度ができた当初は、国民の3分の1は保険に加入していない(できなかった)状況でしたが、厚生省が4年ですべての国民を加入させると目標をたて、実行させました。
何度か破綻の危機がありましたが、現在まで国民皆保険制度は維持し続けています。
この悲惨で混乱を極めた戦後を経験した、話を聞かせて頂いた方は
「どこでも誰でも医療を受けることができるなんて、良い時代になった」と言っていました。
そうです、病気やケガをしてもすぐに病院で治療を受けることができるのは、先人たちが必死で整えてくれたこの制度があるからです。
当時の厚生省の方々は本当にすごいことを実行させたと思います。
国民の高齢化が進み医療費が増大している現在、保険制度は危機に陥っています。
「この制度のせいで無駄な受診をする人がいるからだ」
「国民皆保険制度がなければこのような問題は起きない」
なんておっしゃる方がいますが、悪いのは制度ではなく利用する私たちだと思うのです。
本当に無くても良いのでしょうか?
私はこの貴重なお話を聞いた時、絶対に無くしてはいけない制度だと思いました。
当たり前に享受できているから必要ないと簡単に言えるのです。
病気やケガをしても安心できる社会を維持するために、今一度考えてみる良い時期なのではないでしょうか?