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愛する人に会いに行く

平凡な姉は初恋の第三王子に会うために図書室に通う

作者: 今紺 軌常

私の妹は神様が直々にお創りになられたに違いない。誰もがそう思うほどに彼女、イベリス・エリスローは美しい。

冬の空を切り取った透き通るような淡い青色の瞳、新雪のように清らかで真っ白な肌、柔らかくウェーブするプラチナブロンドの髪は日の下でキラキラと輝き、薄く形の良い唇が微笑みを湛えると儚さが滲んで華奢な体躯と相まって庇護欲を掻き立てる。40歳を間近としても未だ社交界の花と謳われる母と瓜二つの妹はどこからどう見ても一分の隙もない完璧な美少女である。その容姿に相応しく天真爛漫な少女は誰からも愛される。

それに比べて私、カメリア・エリスローはとても凡庸だ。父に似て灰色にくすんだ茶髪、さほど大きくない薄い褐色の瞳、特筆するほど美しくも醜くもない十人並みの地味な容姿。年子の姉妹であるのに、背格好が同じくらいということ以外は一切似ている所などない私はことあるごとにイベリスと比較されてきた。そのせいか、人と話すことは苦手でいつも俯きがちになってしまう。

母を溺愛する父は母によく似たイベリスばかり可愛がり私には興味がなかった。母もイベリスには愛を注いでいたが、私のことは興味がないどころか嫌悪感さえ抱いているようだった。両親がそのような態度であるため、使用人たちも私のことは軽んじている。

両親は何をするにもイベリスが優先、私には何も与えようとしなかった。パーティーで着るドレスだって、イベリスがいっぱい買ってもらった中から「こんな地味なのは趣味じゃない」と押し付けてきたものや、「みすぼらしい恰好のお姉様と一緒にパーティーになんて行けない」と言って仕立てさせた私の趣味ではないもので、自分で選んだものはない。他の物も大体同じような流れで、妹のおまけでしか与えてもらえなかった。


そんな私が唯一妹のおまけじゃなく与えられたのは婚約者だった。ただし、これが幸運なことかと言われると少々首をひねってしまうのだけれど。

婚約者として仲を深めるためという名目で我が家にやってきたのはアンスリウム・プラーシノ伯爵令息とその父ナルシサス・プラーシノ伯爵公。ナルシサス様は母の実弟であり、アンスリウム様は私たち姉妹のいとこにあたる。我がエリスロー公爵家には私たち姉妹しか生まれなかったため、プラーシノ伯爵家の次男であるアンスリウム様に婿入りしていただくための婚約である。


「久しぶりだね、イベリス。姉上に似てより一層美しくなった」


姉弟なだけあり母にそっくりなナルシサス様も美しい方だ。そして、彼も昔からイベリスにしか興味がなく、今日だって私の方をちらりとも見はしない。


「父上、僕より先にイベリスに挨拶しないでくださいよ。イベリス、相も変わらず可憐な君と夕食を共にできることが嬉しいよ。……ああ、カメリアも今日は招いてくれて感謝する」

「ふふふ、ナルシサス様もアン様もお上手ですわ」

「……アンスリウム様とナルシサス様も、息災なようで何よりでございます」


婚約者のアンスリウム様さえ私はおまけのような扱いだ。一体、どちらと婚約しているのか分からない。

ディナーだって私だけが除け者だった。


「ナルシサスも来るなんて珍しいわね」


そう言って笑う母は私たちと姉妹と言っても納得するほど若々しい。いや、あまりに似ていなくて私だけが姉妹には見えないかもしれない。


「えぇ、姉上とイベリスに会いたくて少々無理をしてきました。義兄上も羨ましい、こんな美しい華たちに囲まれながら日々を過ごしているなんて」

「ははは、まったく私にはもったいない程の贅沢だと自分でも思っているよ」

「伯父上は恵まれていらっしゃる。僕も美しい妻を娶りたかったものです」


そう言うとアンスリウム様は侮蔑するように私の方をちらりと見やる。それに釣られるように両親やナルシサス様は嘲笑うような声を漏らす。私は何も気付いていないように料理を小さく小さく切り分けては口に運ぶ。


「お姉様はエリスロー公爵家が代々得意としていた回復魔法がとてもお上手だもの、公爵家を継ぐべきはお姉様だわ。私はアン様の婚約者にはなれないわ」

「そうだな、確かにイベリスは回復魔法だけはどうにも不得手だ。だから公爵家はカメリアに継がせようと思っている、だが、なぁ」

「カメリアができるのは回復魔法だけでしょう? 他にカメリアがイベリスを上回っている所はあって?」


含みを持たせつつもイベリスに同意した父に対して、母はバッサリと私のことを切り捨てる。口に運んだ肉の味がまるで分からなくて、粘土を噛んでいるような心地だった。


「その通りですね、姉上。イベリスは回復魔法こそ使えないが、他の魔法はなんだって熟す。とりわけプラーシノ伯爵家が得意とする氷魔法は目を見張るものがある。姉上の素晴らしい血をしっかりと受け継いでいるようだ」

「それにこんな姉の顔を立てる気立ての良さを持ち合わせている。全く、イベリスの百分の一でもカメリアにも魅力があれば、こんなに憂鬱な気持ちにもならない」


やれやれ、とでも言うようにアンスリウム様が自嘲するように首を振ると、父が「こんな娘ですまないね」と謝る。私は存在自体が親に謝罪させてしまうようなものなのか、とこみ上げてきそうになるものをグッと堪える。

このままここにいれば溢れ出してしまいそうで、食事の途中であったけれど、お先に失礼します、とだけ言い残し早足に自室へと戻った。

後ろから「マナーの一つもなっていない」と私を非難する声が聞こえたけれど、これ以上は我慢できなかった。結局、耐え切れなかった涙を雑に拭いながらベッドに突っ伏したのだった。




昨夜を思い出して深い溜め息をつく。令嬢としてはあまり褒められた振る舞いではないが、一人きりの学園の図書室ではそれを咎める者はいない。

誰も私を歓迎しない家は居心地が悪くて、かと言って友人も少ない私はいつも遅くまで図書室で時間を潰してから帰宅している。

アントス王国立魔法学園は魔力を持つ平民にも門戸は開かれているものの、生徒の殆どは貴族である。そのため、潤沢な蔵書を誇る学園の図書室は貴族の令息令嬢からすれば「わざわざ学園の本を借りなくても買えばいい」とあまり必要とはされていない。利用するのは平民か、貴族なら魔法に関する稀覯本を読みたいときや試験前くらいだ。けれど、私は貴族ではあれど欲しい本なんて買い与えてもらえないので、図書室は重宝している。

図書室の奥の日当たりの良い席が私のお気に入りだ。そこで、今日も現実を忘れて物語に没頭していると、バタンと勢いよく扉の開く音が響いた後にバタバタと慌ただしい足音がこちらに近づいてくる。何事かと顔を上げると、本棚の間から一人の生徒が現れる。相手も人がいるとは思っていなかったようで、私を見て驚いたように目を見開いている。


「ローダンセ殿下……?」

「カメリア嬢……すみません、人がいるとは思わず、煩かったですよね」

「え、いえ、図書室には私しかいませんので、お気になさらず。どうかされたのですか?」


現れたのはローダンセ・エマーティノス殿下、我がアントス王国の第三王子である。

まさか、そのような方に名前を憶えていただいているとは思わず、少々戸惑ってしまったが、普段は落ち着きのある殿下がこのように慌ててどうしたのかと訳を聞く。


「その、恥ずかしい話なんですが、ご令嬢方と話すのに疲れてしまって、どうにか一人になれる場所を探していたんです」

「それは……大変でございましたね」


ローダンセ殿下は濁しているが、また多くの令嬢に迫られて逃げていたのだろう。

ローダンセ殿下には婚約者がいない。

ローダンセ殿下は艶やかな黒髪、穏やかな灰色の瞳を持つ落ち着きのある知的な美青年だ。物腰柔らかで誰に対しても驕ることなく、他者への思いやりを忘れない。そして将来は前王妃、殿下からすればおばあ様にあたる方のご実家の公爵家を継ぐことが決まっている。そう、つまりは超優良物件なのだ。

つい一ヵ月程前まで殿下は見聞を広げるために隣国に留学されていた。帰国されて学園に通い始めると、待っていましたとばかりにまだ婚約者のいない令嬢たちから猛烈なアタックを受けているのである。お優しい殿下はきつく拒絶することはできず、毎回やんわりと断っているようなのだが、その程度で諦めるような令嬢なら最初からアタックなどしていない。殿下は強烈な令嬢たちに日に日に疲弊していくように見える。


「それでしたら、私も失礼させていただきますね」

「ま、待って! カメリア嬢が先にいらしたのに、そんな気を遣わないでください。私が出ていきますから」

「駄目ですよ!? 今出ていってしまったら、見つかってしまいます!」

「それなら、ご迷惑でなければご一緒させていただいてもいいでしょうか?」

「迷惑なんて、そんなわけありません」


良かった、とはにかむように笑った殿下が私の横に腰かける。殿下がこんなに近い距離にいることに酷く緊張してしまう。


「カメリア嬢と話すのは7年前の兄上の13歳の誕生パーティー以来ですね」

「覚えてらしたのですね」

「もちろん。私にとって、大事な思い出だから」


嬉しそうに言う殿下に心臓がドキドキと音を立てる。


7年前、私が11歳の時に第二王子の誕生パーティーが大々的に行われた。誕生パーティーとは名ばかり、第二王子の婚約者探しが本題だったのは暗黙の了解だった。年の近い私とイベリスもそのパーティーに参加していた。とはいえ、私は既にアンスリウム様と婚約していたため早々に暇を持て余していた。壁際でひっそりと会場を眺めていると、同じようにぽつんと壁際に立つ顔色の悪い少年がいることに気が付いた。


「大丈夫ですか?ご気分が悪いのですか?」


知らぬ人と話すのは得意ではなかったが、それ以上に少年への心配が勝っていた。


「あ、いえ、なんともありませんよ。人が多くて、少し疲れてしまっただけです」


少年はこちらを安心させるように柔らかく笑った。体調が悪いにも関わらず、こちらを気遣う優しさに胸が締め付けられた。少しでも少年を助けたくて両手で少年の右手を包み込み、覚えたての回復魔法を使った。

握り締めた私の両手がぽう、と仄かに光が灯る。


「これは、回復魔法?」

「はい。あの、少しでもご気分が良くなられればと思って」


余計な真似だっただろうか、と俯くと、私の両手に少年の左手が添えられてぎゅっと握り返された。


「ありがとう。貴女のおかげで元気が出ました」

「そ、そんな、全然、大したことはしておりません」

「いいえ、そんなことはないです。貴女は優しいだけでなく、謙虚なのですね」


今まで貶されることしかなかったから、真正面からの誉め言葉に赤面してしまった。

パーティーの輪に戻るつもりのなかった私はそのまま少年と話をした。私の他愛ない話も少年は真剣に聞いてくれたし、少年は私の知らない他国の話をいっぱいしてくれた。


「お姉様、どうされたの?」


今までに味わったことがないような幸福な時、そこにイベリスが訪れた。これでこの時間は終わってしまったと確信した。誰もが一目見るだけでイベリスに夢中になってしまうのだ。


「あら、お話中だったの? お邪魔をしてしまったかしら」

「いえ、そんなこと、ないわよ」

「妹君ですか? 貴女の姉上に助けてもらったんだ」

「まぁ! さすがはお姉様だわ」


イベリスはにこにこと当たり前のように輪に加わる。けれど、少年は私から目を逸らさなかった。あくまで先に出会った私に親し気に、イベリスはその妹として一線を置いたまま話を続けたのだ。

少年の話にイベリスも夢中になっていたが、最後まで彼は私のことを除け者にしようなんてしなかった。

パーティーの帰り道も馬車に乗りながらぼんやりと少年のことを思っていた。


「素敵な方だったわね、お姉様」

「えぇ」

「落ち着きがあって大人っぽかったわ」

「そうね、ご自身より周りに気を遣われる方だったわ」

「お話も面白かったわ」

「とても博識だったわね、きっと勤勉なのね」

「お姉様、好きになられた?」

「す!? ちょっと話しただけよ、そんなわけないじゃない!」


慌てて否定するが顔が熱くなる。

イベリスはふーん、と興味を失ったように窓の外を眺め始める。私は熱を冷ますように両手で頬を挟んで悶絶していた。たったあれだけの会話で好きになるなんて、そんなわけはないと自分に言い聞かせるのだった。

あの少年が第三王子のローダンセ殿下だと知ったのはしばらくしてからのことだった。




「あの時は、ローダンセ殿下が第三王子だとは存じ上げず、無礼を働いてしまって申し訳ありませんでした」

「無礼なんて一切ありませんでしたよ。誰であっても手を差し伸べる貴女の優しさに癒されました」

「殿下はあの頃からお上手ですわ」

「私は本当のことしか言っていませんよ。貴女は優しく愛らしい少女だった」

「か、揶揄うのはおやめください」


じわじわと顔が赤くなってしまいそうで、目を逸らしてしまう。そんな私の無作法を咎める事もなく殿下はくすくすと笑っている。


「相変わらず謙虚なんですね」

「こんな私を褒める殿下が変わっていらっしゃるんです」

「そうですか? 7年前からカメリア嬢は聡明で奥ゆかしい淑女でしたし、今だって変わらず魅力的な女性ですよ」

「ほ、本当に、お戯れはおやめください」


顔は茹だったように熱かったし、嬉しいのか羞恥なのか分からないがちょっと涙目になってしまう。そんな顔を見られたくなくて両手で覆った。

まだ、褒めたりないんだけどな、と残念そうに殿下が呟くからますます顔を上げられなくなる。


「カメリア嬢はよく図書室にいらっしゃるんですか?」


私が落ち着いたのを見計らって殿下が質問される。


「えぇ、放課後はほとんどここにおります」

「それなら、また来てもいいでしょうか。お邪魔でなければ、貴女と話がしたいのです」

「私で良ければ、光栄ですわ」


戸惑いがちに返せば、殿下は本当に嬉しそうに笑われる。


「それでは、そろそろ迎えの者も来るでしょうから、今日の所はお暇させていただきます。また明日、カメリア嬢」

「はい、また明日」


また、明日も来てくださる。高鳴る胸の鼓動は誤魔化せそうもなかった、私は恥知らずにも殿下に恋をしている。




それから殿下は宣言通り、毎日のように図書室を訪れた。

殿下が留学で見聞きした隣国の話をしてくださったり、私が庭で育てている花の話をしたり、特に会話を交わさずに並んで本を読むだけだったり、ただ穏やかなだけの時間がとても心地よくて、日々殿下への思いが募っていった。

殿下を思うと読書も進まず、図書室で借りてきた本を開いたまま物思いに耽っていると、自室の扉が元気よくノックされる。私の返事を待たずに入ってきたのは、思っていた通りイベリスだった。両手には大きな花束を抱えている。


「お姉様、アン様がいらしたわ。ディナーにしましょう」

「そうだったの、気が付かなかったわ。……それは、アンスリウム様からいただいたの?」

「えぇ、そうなの、とても大きいでしょう? 私の部屋だけでは飾り切れなくって、お姉様の部屋に飾っても良い?」

「……貴女がいただいたものなのだから、他人に渡すのは良くないわ。飾り切れない分はドライフラワーにでもしたらどうかしら」

「うーん、そうね、後でメイドに言ってドライフラワーにしてもらうわ」


婚約者には今日の訪問すら知らせていなかったのに、その妹には花束を準備してきているアンスリウム様はなかなかいい度胸をしている。いくら自分で花壇を耕すくらいに花が好きでも、そんな花束のお裾分けを貰うつもりにはなれずに断ると、イベリスもあっさりと引き下がった。そうすれば、もはや興味を失ったように花束を花弁が下向きになるように左手でぶら下げるように持つ。随分ぞんざいな扱いだ。


「お姉様、なんだか最近ぼんやりしてるわね」

「そうかしら、そうかもしれないわね。アンスリウム様がいらしたことにも気が付かなかったし」

「まるで恋煩いをしているようだわ」

「恋煩い、だなんて。そんなわけないじゃない、私はアンスリウム様と婚約しているんだもの、恋なんて必要ないわ。少し学業について悩んでいるだけよ」

「そうなの、私の勘違いならいいのだけど」


すっ、とまるでこちらを射抜くような鋭い視線を向けたかと思うと、次の瞬間にはいつも通りの愛らしい笑顔に戻ったイベリスは先に行くわね、とだけ言い残して部屋を去っていった。


今日、訪問されたのはアンスリウム様だけらしい。私を疎む人が一人でも少ないことにホッとする。

いつも通りイベリスのことを中心に話が進んでいたが、途中で流れが変わった。話題が最近の学園のことになり、今現在一番学園を賑わせているローダンセ殿下の話になったのだ。


「噂で聞いてはいたけれど、ローダンセ殿下は留学から戻られているのね。イベリスからは殿下の話は聞かないわね」

「私は学年が違うから関わりがないもの。お姉様とアンスリウム様は同学年でしょう? お話しになったりするの?」

「いや、殿下はいつもご令嬢方に囲まれていて、なかなか話す隙がないよ。もしかして、イベリスも殿下のことが気になっているのか?」


そう言うアンスリウム様は焦った顔をしているが、対して両親は少し嬉しそうな顔をしている。イベリスならば第三王子のローダンセ殿下でも簡単に篭絡できると思っているのかもしれない。


「まぁまぁ、イベリス、そうなの? ローダンセ殿下を最後に拝見したのは留学に出られる前だったから3年前だったかしら、その頃から前王妃様に似て涼やかなお顔立ちだったわね。とてもお似合いだと思うわ」

「ローダンセ殿下は公爵家を継ぐのだったな、きっと良い暮らしをできるだろう」

「伯父上、伯母上、少々気が早いのではないですか!?」

「そうよ、お父様、お母様。私はローダンセ殿下とは一度しかお話したことがないわ。その時だって、私よりもお姉様の方が殿下と親し気にされていたわ」


ねぇ、とこちらに笑顔を向けるイベリスになんと返せば良いのか分からなくなる。自惚れかもしれないが、確かに私に親し気にしてくださったし、今だって私と共に時間を過ごしてくださっている。けれど、それが私にとっては婚約者を裏切るような思いであるような気がして後ろめたくなってしまう。妹に骨抜きになっている婚約者相手に何を気にすることがある、と思わなくもないが、アンスリウム様だって、なんだかんだ言いながらも私で我慢しようとしているのだから、私の気持ちだってあってはならないのだ。


「まさか、イベリスよりもカメリアと親し気にするなんてありえないだろう。こんな女といて楽しいことなんて何もない」

「ローダンセ殿下は初心な方なのかもしれないわね。イベリスには緊張して、上手く話せなかったのかもしれないわ」

「なるほど、ありえるな。私だってシレネと初めて会った時はあまりの美しさに何も話せなくなってしまった」

「まあ、貴方ったら」


いつも通り私を扱き下ろして納得しているようで、深く追求されなかったことに安堵して食事を再開する。


「けれど、やっぱり僕はイベリスがローダンセ殿下に近づくのは反対ですよ」

「アンスリウムったら、可愛らしい嫉妬ね」

「嫉妬だけではありません! ローダンセ殿下は変わった方なのです。隣国に留学した海外かぶれですよ、祖国を尊重されない方じゃないですか」


アンスリウム様の言葉に絶句して顔を上げて凝視してしまう。ローダンセ様が留学されたのは隣国の文化を学び、交易を潤滑に行えるようにしたり、我が国の技術を発展させたりすることを目的とされていた。彼ほど祖国を思っている方はいない。


「確かに、第三王子でありながらこの年まで婚約者がいないというのも不自然だ。いくら王位継承権がないにしても、公爵家を継ぐのだから無責任とも思える」

「もしかしたら、婚約者が来ていただけないような事情があるのかしら」

「なるほど、伯母上、鋭いですね。素晴らしいのは上っ面だけかもしれませんね」


そこまでで私は怒りが頂点に達してしまった。

両手を机に叩きつけて立ち上がると、バンッと思っていたよりも遥かに大きな音が鳴った。何事かと両親とアンスリウム様は私を見上げる。


「ローダンセ殿下のことを何も知りもしないくせに、憶測で貶めるような発言をされるなんて貴方方に恥はないのですか!?」


こんな風に怒りを露わにしたのは10歳の時にイベリスが一人で屋敷を抜け出し街に遊びに行ったことを叱った時以来だ。怒り慣れていないから、頭に上った熱にくらくらとしてくる。


「な、なんだ、急に……そ、そんなに声を荒らげて下品だぞ!」

「尊いお方を嘲笑うことよりは幾分マシだと思いますわ」

「親に向かってなんて口を利くんだ!!」


生まれて初めて私が逆らったことにお父様は顔を真っ赤にして怒っている。しかし、いつもなら怯えてしまうようなそんな顔も、ローダンセ殿下の名誉を思えば微塵も恐ろしくはない。


「なんて女だ! 父に対してそんな不躾なことを言うのか! 公爵家の令嬢として相応しくないんじゃないか!?」

「アンスリウムの言う通りだわ。あぁ、私はなんて娘に育ててしまったのでしょう」


アンスリウム様も父に同調するように怒りだし、母はさめざめと泣き始めてしまった。それでも私の中には恐怖も罪悪感もない。ただ、この人たちからローダンセ殿下に対する謝罪の言葉を引き出したかった。


「皆、落ち着きましょう。お姉様の言い方は良くなかったけれど、私も殿下を蔑むような言葉は駄目だと思うの」


一人いつも通りの笑顔を浮かべるイベリスはあまりにもこの場には不釣り合いだった。私も含め、全員が毒気を抜かれてしまう。


「そ、そうだな、それは、私たちも良くなかったかもしれない」

「そうですね、伯父上。ごめんね、イベリス。大声を出してしまって、怖がらせてしまっただろう」


最初に我に返った父はそう言いながら腰を下ろす。釣られるように座るアンスリウム様はイベリスに対して謝罪をする。まず謝るべきはイベリスじゃないでしょう、とまた怒りがこみ上げてくると、隣に座っていたイベリスが私の左手をぎゅっと握り締めた。


「お姉様の怒りは分かったわ。でも、ここでの発言をローダンセ殿下はお聞きになっていないのだから水に流しましょう」

「それは、確かに、そうだけれど」

「大丈夫、大丈夫だから、お姉様。全部上手くいくから」


全部上手くいく、とは?

何も分からないが、本日のディナーは気まずい雰囲気のままお開きとなったのだった。




あの全部上手くいく、はどんな意味を持っていたのかは分からないが、翌日からイベリスは学園内でもアンスリウム様と一緒にいるようになった。

今までアンスリウム様は一応私の婚約者という建前があるため学園では積極的にイベリスには近づかなかったし、イベリスも多くの男女に囲まれていたから二人が行動を共にすることは殆どなかった。それが、イベリスの方からアンスリウム様に近づくようになったのだ。するとアンスリウム様も抑えが効かなくなったのか、人目も憚らずイベリスを横に置くようになった。

周りの反応は様々だった。婚約者でもないのにと眉を顰める者、婚約者があの姉ならば妹に手を出したくなるのも分かると同情的な者、平凡な姉という障害を乗り越えようとする美しい二人を応援する者。どちらかと言えば、二人に肯定的な意見が多いことに頭が痛くなる。私はどこにいても邪魔者でしかないようだ。

唯一心が安らぐのは、図書室でローダンセ殿下と過ごす時だけだ。


「カメリア嬢、お疲れではないでしょうか」

「……殿下も私の妹と婚約者のことをご存知なのですね。大丈夫ですよ、ご心配をおかけしてしまって申し訳ありません」

「いや、私のことは良いんです。二人の振る舞いは褒められたものではないでしょう、私の前でくらい我慢なんてしないでください」

「本当に、大丈夫なんです。アンスリウム様がイベリスに夢中だったのは今に始まったことじゃないんです。今まで学園でしていた自制をしなくなっただけですから、私からすればそんなに状況は変わっていません」

「何……? 今まで、ずっと、あの婚約者は貴女を蔑ろにしていたのですか?」


ローダンセ殿下から普段の温かな笑みが消えて、灰色の瞳は凍る様に冷たくなる。整ったお顔が真顔になるというのは大変に恐ろしいものだと知った。蛇に睨まれた蛙の気持ちを思い知っていると、殿下は私が固まってしまっていることに気付いて申し訳なさそうに笑みを浮かべる。


「すみません、カメリア嬢に怖がらせてしまいましたね。カメリア嬢という素晴らしい婚約者がいながら、貴女を大切にしないあの伯爵令息が許せないのです」

「いつも思うのですけれど、殿下は私を過大評価しすぎですわ。アンスリウム様が私じゃなくてイベリスに思いを向けてしまうのは仕方のないことです、イベリスは私とは比べ物にならないくらい美しくて、明るくて一緒にいて楽しい娘ですもの」

「いいえ、貴女自身が過小評価をしているだけです。私は貴女程素晴らしい女性と出会ったことはありません」


殿下の真剣な瞳に心臓がぎゅうと握り締められたように苦しくなってしまう。どうしてこの方はいつだって私を認めてくれるのだろう、まるで愛されているのではないかと勘違いしてしまいそうになる。


「お戯れはやめてくださいと、いつもお願いしているではありませんか」

「戯れではありません。どうしたって貴女は自分の魅力に気付かないようだ。私が言っても困らせるだけだと控えていましたが、今日という今日は我慢の限界です。これ以上、貴女からも貴女自身の悪口は聞きたくありません」


そう言うと殿下は私の右手に自身の左手を重ねる。ギョッとして右手をひっこめようとするが優しく、けれど強く握り締められて身動きが取れなくなる。


「で、殿下、あの右手を離してください」

「嫌です、ちゃんと貴女に話したいのです、逃げられたら困ります」

「に、逃げませんから」


絞り出すような声で懇願するが、殿下は首を縦には振ってくれず、そのまま話し始める。


「初めて会った時から貴女は見ず知らずの私に対して無償の愛を注いでくれました。誰もが兄上の婚約者の座を狙っている中で、貴女だけは何者かも知らない、体調が優れない少年のことを心から心配してくれました。貴女の回復魔法はとても温かかった、心まで解けるような温かさだった、きっと貴女自身を表しているのでしょうね」

「そんな、殿下、讃えられるような素晴らしい行いではありませんわ。人として当たり前のことでしょう」

「その当たり前を当たり前に行うことが如何に難しいのか貴女は分かっていない」

「それを言うならば、殿下だってその当たり前をいつだって行っていますわ」

「私は貴女に恥じない人物でいようと努めているだけですよ」


懐かしむように瞳を細めて、私の卑下も簡単に否定してしまう。

不思議だ、殿下が言えば私は恥ずべき人間ではないのだと、立派な存在なのだと信じたくなってくる。


「再会した時も、自分よりも他人を優先する貴女の変わらない優しさが愛おしくて、同時にもっと自分を大事にしてほしいと思いました。貴女が自分自身を大事にできないのなら、それ以上に周りの人に大事にされてほしいと、できることならば私自身が貴女を大事にしたいと願いました。美しい貴女を包む世界が悲しみのない穏やかなものであることを望みました」

「で、殿下、あの、それ以上は……」


まるで愛の告白である。戸惑いながら止めると殿下は自嘲するように泣きそうな笑みを浮かべる。


「えぇ、そうですね、これ以上は駄目だ。どんな者であろうと、貴女は婚約者がいる身です」

「……はい、私は、エリスロー公爵家の長女であり、公爵家のためにはアンスリウム様と結婚しなければいけないのです」

「分かっています、分かっているんです、貴女が貴族としての誇りを持っていることを。でも、覚えておいてください。貴女が望むのであれば、私はいつだって全てを捨てて貴女を連れ去る覚悟があります。全てに耐えられなくなった時は私を呼んでください。いつだって貴女を助けに行きます」

「ありがとうございます、殿下。そのお言葉だけで、私はこれから先何があっても生きていけますわ」


私がそう言えば殿下は右手を離してくれた。それが酷く名残惜しくて、けれどそんなこと言えるわけもなくて、ただ無言でカーテシーをして図書室を出た。学園を卒業するまであと1ヵ月、私はもう図書室には近づかないし、殿下と話すこともないだろう。




卒業パーティーは案の定、アンスリウム様は私をエスコートしてくださらなかった。卒業パーティーは卒業生のパートナーであれば卒業生以外も参加することができる。そのため、アンスリウム様は一学年下のイベリスを伴って現れた。周りもそのことに驚く者などいない。彼女にしては珍しく落ち着いた深緑のドレスを着るイベリスは会場にいる誰よりも美しかった。

相変らずご令嬢に囲まれているローダンセ殿下は未だに婚約者は決まっていない。そのことに安堵してしまう自分の醜さが憎かった。やっぱり私は殿下に釣り合うような人間ではない。その証拠にガラスに映る自分の顔は陰気で、せっかくの綺麗な白いドレスが浮いてしまっている。


これ以降、遠くからでもローダンセ殿下の御姿を拝見できる機会も少なくなってしまう、そのことを悲しみながら屋敷に戻るとそのまま父の書斎に呼び出された。不思議に思いながら書斎に入れば、そこには父だけでなく、母とイベリス、アンスリウム様までいらっしゃった。


「何故呼び出されたか分かるか、カメリア」


険しい顔をしている父にそう言われてもさっぱり思いつかない。本来ならば婚約者である私を差し置いてイベリスをエスコートしたアンスリウム様が叱責を受けて然るべきだと思うけれど、そんなことは今更だ。


「いいえ、分かりませんわ、お父様」

「分からないだと!? お前には恥がないのか!」


父の横に立っていたアンスリウム様が激昂する。その左手では守る様にイベリスの肩を抱いている。気安く婚約者の妹に触れることは恥じではないのだろうか。


「お前は! イベリスのことを嫉み、虐めていたのだろう! 二人きりになると暴言を吐き、イベリスのドレスや宝石を奪い、あまつさえ暴力までふるっていたそうではないか!」

「なんですか、それは!? 誓って私はそんなことなどしておりません」

「黙れ!! なんて娘なんだ……今までそんなことをしていたなんて、イベリスはお前のためを思って耐え忍んでいたのだぞ、それなのに、この期に及んで言い逃れをしようというのか!?」


身に覚えのない告発に反論するが、顔を真っ赤にしているアンスリウム様も、執務机を叩いて怒りを露わにする父も聞く気などない。


「あぁ、ごめんなさいね、イベリス。こんなことならば、カメリアなど生まなければよかったわ」

「待って、待ってください、なんで私がそんなことをしたなんて」

「私が言ったのよ、お姉様。お姉様にされた仕打ちに我慢ができなくなって、アン様を頼ってしまったの、ごめんなさいね」


私を生んだことさえ後悔して涙ながらにイベリスに謝罪する母の姿に引き裂かれそうな痛みを感じながらも、どうにか誤解を解こうとする。しかし、イベリスから返ってきたのは残酷な言葉だった。


「な、何故、どうして、そんな嘘をつくの」

「嘘じゃないわ、お姉様。私はお姉様に傷つけられた、そうでしょう」

「そんなわけない、私は、貴女に何もしていない」

「したわ、貴女だけが、私にしたの」


そう言うイベリスは虐められたと言うには場違いなほど美しい笑みを浮かべる。


「カメリア!! お前の暴虐にはもう我慢できない!! 婚約は破棄させてもらう!!」


そう言ったアンスリウム様は、自身と私たち両人の父のサインが入った婚約破棄の書類を叩きつけた。後は私のサインさえあれば、婚約破棄は成立する。


「もうお前には愛想が尽きた。いくら回復魔法が使えようとも、お前にエリスロー公爵家を継ぐ資格はない。アンスリウムとお前の婚約は破棄し、新たにイベリスとアンスリウムが婚約を結び公爵家を継ぐ事とする」

「もちろん、僕の父上もこのことには賛成している。お前のような女は僕にも、公爵家にとっても相応しくないんだよ」


あぁ、どうしてこんなことになったのだろう。私さえ全部我慢すれば全部上手くいくと思っていたのだ。そうすれば、公爵家を守れると、そうすればいつか私を認めてもらえると思っていた。けれど、そんなことは幻想だったのだ。私はどうあっても邪魔な存在でしかないのだ。

罵声を浴びながら、覚束ない手つきで書類にサインをする。これで、私は全てを失った。これから、私は一体どうすればいいのだろうか。

じわりと涙が滲んで視界が歪む。浮かぶのは灰色の瞳の温かい人だ。


「助けて、ローダンセ殿下」

「もちろんだよ、カメリア嬢」


溜め息のように小さな悲鳴が耐え切れず漏れ出てしまった。誰にも届かないはずの声に、確かに返事があって飛び跳ねるように振り返る。

そこには脳裏に描いていた通りの愛しい人がいた。


「ろ、ローダンセ殿下……なんで、ここに」

「ローダンセ殿下!? 何故、我が屋敷にいらっしゃるのですか!?」


私だけでなく、両親もアンスリウム様も状況が飲み込めずに目を白黒させている。

そんな中、ローダンセ殿下は落ち着きを払ったまま、私と向き合って優し気な笑みを浮かべる。敵しかいなかったこの部屋に現れた殿下にふっと肩の力が抜ける。


「私がお招きしたのよ」

「ど、どういうことなのイベリス!?」

「こういうことだよ、カメリア」


平然と、自分が招いたと言ったイベリスに訳が分からず問い詰めようとするが、私の右手を握った殿下に止められる。そのまま殿下は私の前に跪く。


「カメリア嬢。7年前に私を癒してくれたその日から、私の心は貴女のことだけを思っていました。貴女が幸せになるのなら潔く身を引くつもりだったが、プラーシノ伯爵令息にも、エリスロー公爵家にも貴女を任せてはおけない。どうか、許されるなら貴女を幸せにする権利を私にいただけないでしょうか」


いつだって殿下は私のことを真っ直ぐに見てくれた。きっと、これからだって、この人と一緒であれば幸せになれると信じられる。


「私も貴方を幸せにする権利をいただけるのでしたら、喜んで」

「貴女が隣にいるだけで、私は幸せですよ」

「ふふっ、奇遇ですね、私もローダンセ殿下がいるだけで幸せなんです」


私の返事に弾けるような笑みを見せた後に殿下は私のことをきつく抱き締めた。抱き締め返しながら、じんわりと伝わってくる熱に胸が満たされて、今まで自分の心が空っぽだったことに気が付いた。

永遠に続くかと思った幸福をパンパンという軽い手拍子が現実に戻す。手を叩いたのはイベリスだったようで、相変わらず感情が読めない笑顔を浮かべている。


「ローダンセ殿下、お姉様を抱き締めて幸せに浸るのは良いですけれど、先にやることやっておくべきではなくって?」

「あぁ、すまない、その通りですね。カメリア嬢、それからエリスロー公爵公、こちらの婚約書にサインをしていただきたい。私と父からのサインは既に済んでいる」


ローダンセ殿下の父とはもちろん国王陛下のことである。展開についていけてなかった父もこの婚約は国王陛下もお認めになられている、ということだけは理解できたようだ。私自身はどうして既にそこまで手が回っているのか一切分かってはいない。


「承知いたしました、ローダンセ殿下。おい、カメリア、お前も早くしろ」

「え、えぇ、はい、お父様」


分かってはいないが、ローダンセ殿下と婚約できるのは嬉しい。あっという間にサインをし、一刻も経たないうちに私は婚約破棄をして、新たな婚約を結ぶこととなった。


「ま、待て、どういうことだ!? カメリアはローダンセ殿下と通じていたのか!? とんだ淫乱女め! 僕を裏切っていたんだな!?」

「なんてことなの、そんな淫らな娘だったなんて信じられないわ!!」

「や、やめないか、お前たち、殿下の御前だぞ」

「だとしても! 婚約を交わしているうちに通じていたのだとしたら、いくら殿下であっても許されざる行為では!?」

「えぇ、えぇ、その通りよ、アンスリウムの言う通りだわ」


権力の前で必死に取り繕うとする父に対して、アンスリウム様も母も私のことを敵のように憎しみの籠もった瞳で見ている。やっと、私は二人が私を見下し、私が不幸になることを喜んでいたのだと気付くことができた。どれだけ頑張ったところで、彼らが私を認める日なんてくるわけがなかったのだ。


「アン様、お母様、おやめください。ローダンセ殿下とお姉様は7年前のパーティーでお互いに一目惚れして以来、一途に思い続けていらっしゃった。今の今まで一切触れあうことなく、思いを育んでらっしゃった、そうでしょう? 学園の誰も、二人が一緒にいた所なんて見ていないもの」


一切触れあうことなく、と言うには少々後ろめたい所もあったが、不貞と決定づけられるような行いがなかったことは断言できる。おずおずと私もローダンセ殿下もイベリスの言葉に頷く。


「だから、ね、落ち着きましょう、この婚約は誰も不幸にならないものでしょ」

「……イベリスの言う通りだ。いや、頭に血が上っていたよ、すまなかった。そうだ、このまま僕とイベリスの婚約も済ませてしまおう」

「そうだわ、それがいいわ。貴方、早く書類の準備を」

「いいえ、私はアン様と婚約なんてしないわ」


またイベリスが爆弾を落とす。

ポカンとしている私たちの中でローダンセ殿下だけがイベリスに深い礼を送る。


「イベリス嬢、貴女のおかげでカメリア嬢を日陰者にすることなく、共に道を歩むことができるようになりました。感謝してもしきれない。貴女の行く道が幸福に満ちていることを願っています」

「いいえ、お礼を言われるほどのことはしていません、お姉様が幸せになるのは貴方のおかげです」


そう言うとイベリスは窓辺に寄っていく。


「アン様、申し訳ありません。私はお姉様を悪く言う貴方のことがずっと大嫌いでした。

お父様、お母様、育ててくれてありがとうございます、感謝はしていますが尊敬はしていません」


そこまで言うと窓枠に足をかける。慌ててイベリスを止めようとする私の手をローダンセ殿下が引き留める。それを見てイベリスは今まで見た中でも一番綺麗な笑顔を浮かべた。


「お姉様を傷つけるような方法しかできなくてごめんなさい。唯一私自身を愛してくださったお姉様、私はお姉様のことが本当に大好きだったわ。遠くにいる私の耳にも届くくらいに、これからのお姉様の人生が幸せであることを祈っております」


そこまで言うとイベリスは3階にあるこの部屋の窓から飛び降りた。そこでやっとローダンセ殿下が手を離してくれ、窓辺に駈け寄り外を見下ろす。風魔法で衝撃を殺して降り立ったイベリスを馬に乗った男性が受けとめる。イベリスは一度だけ振り返り私に向かって手を振ると、そのまま男性と共に去っていった。




「イベリス嬢は卒業パーティーの三日前に、婚約破棄が行われると私に知らせて招いてくれたんです。『自分は駆け落ちするから、お姉様を幸せにしてほしい』と」

「ローダンセ様だけは全てご存じだったのですね」


あの騒動から一年が経った。あれから私の人生は目まぐるしく変化していった。

公爵家は信用ならないからとローダンセ様は私を王宮に連れていかれた。順序が違うのでは、と焦ったけれど、礼儀見習いという名目で王妃様の侍女手伝いをさせていただいたために大きな問題にはならなかった。ローダンセ様は王位継承権が低いこともあって、婚約破棄をされたという大きな傷のついた私のことも王族の方々は概ね快く受け入れてくださった。特に前王妃様は末のローダンセ様のことを特に可愛がっていらして、そんなローダンセ様がいつまでも婚約者を連れてこないことを大層心配していらしたようで、私のことを心の底から歓迎して、本当の孫娘のように可愛がってくださっている。

そして、両親はイベリスの駆け落ちから数日後に無理心中をした。父は私に対して一言「今まですまなかった」と書かれた遺書と私の名前に書き替えられた公爵家の権利書だけを残していた。

薄情かもしれないけれど、両親の死を悲しいとも、嬉しいとも思えなかった。ただ、やっと彼らのことで心を惑わせなくていいのだという解放感だけがあった。

そんな私を醜いと思いますか? とローダンセ様に聞いたことがあるが、彼は君の心が自由になって良かったと微笑み、こんな私さえ受け入れてくれた。

エリスロー公爵家はローダンセ様が継ぐ前王妃様のご実家の公爵家と共に二人で治めていくこととなった。

両親の行っていたプラーシノ伯爵家への援助を打ち切ったら、エリスロー公爵家に頼り切りだったらしい伯爵家はあっという間に傾いてしまったらしく、領地を返上する日も近いのではないかと言われている。


そして両親の喪が明けて、今日はローダンセ様と私の結婚式だ。

真っ白なドレスは卒業パーティーで着た物より遥かに豪華で、やっぱり私には不釣り合いではないかと思ってしまう。


「僕のカメリア、世界一綺麗です。僕を選んでくれてありがとう」

「今、私は世界で一番幸せですわ。私を選んでくださってありがとうございます」


それでも、私を美しいと言ってくれる愛しい人のために、私の幸せを願ってくれる妹のために、私は胸を張って生きていくのだ。


よろしければ、妹視点『美しい妹はおもしれぇ男に会うために修練場に通うhttps://ncode.syosetu.com/n4892gy/』も合わせてどうぞ

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[気になる点] あれほど厚顔に娘を悪様にできる神経を持ってて、無理心中。突拍子なく感じました。
[一言] なぜ無理“心中”? ただ気になるのが、叔父がイベリスを褒めてるのって、母親とそっくりの容姿、母親(実家のプラーシノ伯爵家)由来の氷魔法の才能(性格を褒めたのは息子)と言う「母親」(当人曰く『…
[気になる点] 何故に無理心中? 父が急に改心したのも謎です…
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