第伍集 無裼慕情
登場人物
■龍金山……主人公。拳師(武道家)。流儀は〝十全十美拳〟。数え年十六歳。
■孫靄超……導姑(女性の導士)。火行系の灋術を得意とする。数え年十六歳。
■身材高……金山と靄超が旅先でしばしば出会う何でも屋。今回は無裼で汰湖石を探している。
■太胖子……材高の弟分。
■梁蠡園……江楠省嫦州府無裼縣に住む青年。賞金で恋人の香妤の手術代を払うため、汰湖石探しに精を出す。
■陽香妤……蠡園の恋人。重い病を患っている。
■耿黿頭……蠡園と香妤の友人。汰湖石探しを手伝う。
■榮錫山……榮家の長兄。巨大な汰湖石に賞金を懸け、人海戦術で汰湖石を探す。
■榮惠山……榮家の次兄。錫山と熾烈な汰湖石探索合戦を繰り広げる。こちらは大金で拳師や導士などを雇う少数精鋭戦術を取る。
■榮靈山……榮家の末弟。汰湖石探しに躍起になる二人の兄を尻目に、事態を静観している。
■榮梅園……無裼随一の大富豪・榮家の当主。三人の息子に「忌中が明ける四十九日までに、一番大きな汰湖石を見つけた者に財産を継がせる」と遺言を残す。故人。
■倪鹿頂……惠山が汰湖石探しのために雇った導士。樸父の邪威闇斗を使役する。
■邪威闇斗……倪鹿頂が使役する樸父(巨人)。身長は二丈(約六.四メートル)。
江楠省嫦州府無裼縣。穌州から西に六一里(約三五キロ)ほどの距離に位置する都市である。町は汰湖という湖に面しており、汰湖で獲れる豊富な魚介類と、汰湖平原の肥沃な水田から収穫される米はこの地を古来より「魚米の郷」と言わしめた。
その汰湖の畔に立つ龍金山と孫靄超の二人。金山は拳師(武道家)であり、靄超は導姑(女性の導士)である。
「いつ見てもでけーな、汰湖は」
目の前に広がる巨大な湖を前に感嘆の声を上げる金山。周囲四〇〇キロ、面積二三三八平方キロは、流石に大陸ならではの規模と言えよう。
「そうね。って言っても私は今回で二回目だけど」
金山の意見に同意する靄超だったが、以前一回だけ来た事がある様だ。
「汰湖石じゃねーべ」
「駄目だ! 次だ、次!」
湖畔には金山たち以外にも何十人もの男たちがいた。だが持っているのはツルハシやシャベルなどで、どうにも漁師や釣り人には見えない。
「何だ?」
「石の採掘をしているみたいね」
「そりゃ見りゃ分かるっての。だが今の連中、せっかく掘り出した石を置いて行っちまったじゃねーか」
「そうね。って言うか、何か様子がおかしいわね。湖の周りでこれだけの人が石を探してるなんて……」
採石場でもない場所で、なぜか石を探す人間たちでごった返している事に疑問を持つ靄超。
「確かにな。いくら汰湖石の本場って言っても、こりゃ人が多過ぎだ」
汰湖石とは汰湖の周辺で採取される、永い年月を掛けて石灰岩が水で侵食された奇岩の事である。仲華大陸では庭園を飾る置き石などとして、古来より珍重されて来た。
と、靄超がある事に気付く。
「あの二人って――」
すぐそばに立つ、ツルハシとシャベルを持った二人組に見覚えがあったのだ。一人は長身で短髪の目付きの悪い青年。もう一人はでっぷりと太った、辮髪(後頭部を残して髪を剃り、残った髪を長く伸ばして三つ編みにして後ろに垂らす、元来は鏋洲族の髪型)の青年である。
「ああ、あの二人組じゃねーか」
靄超の言わんとする事を察し、うなずく金山。絵に描いた様なそのでこぼこコンビは身材高と太胖子であった。過去二回、とある事件で関わった人物である。富豪の用心棒から密漁の警備まで、様々な仕事に精を出す言わば何でも屋だが、正直、性格的にも実力的にも、色々と問題のある二人組であった。
「おい、そこの二人」
「「ん?」」
突然何者かに声を掛けられ、振り向く二人。材高の方はツルハシを振り上げた体勢のまま固まった状態で、だ。その声に聞き覚えがあったからだ。
「「げげげ!」」
二人の姿に目ん玉が飛び出るほど驚く材高と胖子。
「じゅ、十全十美拳師……!」
「な、何でお前がこんな所にいるだど……」
まさかの金山たちとの再会に、尋常ではない驚き方をする二人。二人が会いたくない人物ランキングの、一位と二位にワンツーフィニッシュする金山・靄超ペアとあっさり再会してしまったのだから、無理も無いが……。
「また会ったな」
「また会ったなじゃねえよ! 何で俺等の行く先々に現れやがるんだ!?」
「そうだど!」
「知るかよ。別にテメーらに会おうと思って旅してる訳じゃねー」
金山にして、当然の言い分である。
「何だテメーら、今度は土木工事の打工でもやってんのか?」
「ちげーよ」
「じゃあ何でそんなことしてんだよ?」
「何だ、知らねえのに無裼に来たのかよ。お触れだよ」
「お触れって?」
靄超が訊く。
「ああ。榮家の主・榮梅園が一ヶ月半前ぐらいにおっ死んじまったんだが、亡くなる前にとんでもない遺言を残してな」
「龍家? いや榮家か」
思わず自分の姓と勘違いする金山。龍と榮はカタカナ表記では同じだが、声調が異なるので、仲華大陸の人間ならば聞き分ける事が可能だった。
「その榮家ってゆーのは?」
「無裼一の大富豪だよ」
「ふーん。それでそのとんでもない遺言ってのは?」
「ああ。聞いて驚くなよ。榮大爺には三人の息子がいるんだが、息子達に遺産を相続させる条件として、ある条件を出したんだ」
大爺とは旦那様といった意味である。
「「ある条件――?」」
訊き返す金山と靄超。
「榮大爺の忌中の最後の日に、一番大きな汰湖石を見付けて来た者に、遺産を全て譲るっていう条件さ」
「はあ?」
「全部?」
驚く二人。
「ちょっと待ってよ。それじゃあ、三人の中で一番大きな汰湖石を見付けた一人だけが、その榮家の財産を全部貰えて、あとの二人は何も貰えないって訳?」
「ああ。それで榮家の三兄弟ってのが、長男の錫山、次男の惠山、三男の靈山の三人なんだが、長男の錫山が、町の連中にお触れを出したんだ。一番大きな太湖石を見付けて来た者に、銀一〇〇〇兩の褒賞金を出すってな」
一族の同じ世代で、名前の一字を共有する習慣を仲華大陸では字輩と言う。榮家の三兄弟の世代では、山という字を共有しているのだ。
「銀一〇〇〇兩?」
桁違いの額に驚く靄超。この世界のこの時代における一兩は三十七.三グラムであるが、仲華大陸での銀の価値は、我々の世界の数倍から数十倍であり、銀一兩は農村の年収かそれ以上の金額である。
「一生遊んで暮らせる額じゃねーか」
金山も驚く。一〇〇〇兩ともなればその千倍なので、一生遊んで暮らせるどころか、孫子の代まで遊んで暮らしても、なおお釣りの出る額であった。
「榮家の財産を独り占めだ。それだけの賞金を出す価値があるだろうさ」
「それでおで等も太湖石を探してるって訳だど」
「そーゆーことか」
「それでこんなお祭り騒ぎになってる訳ね」
町の異変に、納得の行く金山と靄超。
「まあ、頑張ってくれよ」
「そうね。賞金貰えたら何かごちそうしてね」
話を聞くだけ聞いて立ち去ろうとする金山と靄超。
「おい! 行っちまうのかよ! 手伝ってけよ!」
「お前の力量だったら大岩の一つや二つ軽いもんだど!」
本来なら金山に会いたくない二人だったが、その超人的な能力は身を持って知っているため、もし手伝ってもらえれば巨大な戦力になる。
「何でオレがテメーらの手伝いしなきゃなんねーんだよ。だったら自分で探して普通に賞金貰うだろーが」
しかし金山が首を縦に振る道理は無かった。
「確かにね」
もっともな意見にうなずく靄超。
「冗談じゃねえ! 手伝う気が無いならとっととこの町から消えちまえ!」
「そうだど!」
手伝ってもらえないと分かるや、金山たちを口汚く罵る二人。彼ららしいと言えば彼ららしいが。
「メシにすっか」
二人と別れ、町の繁華街の方に向かおうとする金山。時刻は昼前だが、徒歩で繁華街に着く頃にはちょうど昼食時になるだろう。
「そうね」
うなずく靄超だったが、
「ンだとお!?」
金山が何かを発見し、突然慌てた声を出す。
「何よ?」
金山が急に大声を出したので驚く靄超。
「くそっ!」
タッ!
理由を説明する間も無く、跳ぶ金山。
「え!?」
靄超が金山の向かった先を見ると、何と人が崖から落ちかけているではないか。これを見付けた金山がとっさに助けに行ったのだ。
「うわあああ!」
それまで何とか両腕で体重を支えていたその人物だが、ついに握力が無くなり、崖から手を離してしまう。本来であれば、重力に逆らえず地面に真っ逆さまであるが……。
「おい」
「死ぬ~!」
「落ち着けって」
「え?」
「落ちてねーだろーが」
「あ、あれ?」
やや間の抜けた声を出す男。地面に叩き付けられるより先に金山が空中でキャッチし、そのまま地面に下ろしたのだ。
「な、何で? 俺は崖から落ちたはず……」
自分の身に何が起きたのか分からず、目を丸くする。ニ十歳を少し出た程度で、辮髪を結った日焼けした青年である。
「落ちる前にオレが助けたんだよ」
「どうやって!?」
「普通に跳躍して掴んだんだよ」
「跳躍って、あの高さから落ちた俺をかい!?」
「オレは拳師だぞ。あのぐらいの高さなら、余裕で跳べるっつーの」
崖は、二〇メートル程度はゆうにあったが、金山の超人的な身体能力ならば、何の問題も無い高さである。
「拳師……。ま、まあ、助かったよ。ありがとう」
とりあえず礼を言う青年。
「大丈夫そうね」
靄超がやって来るが、特に青年に怪我は無さそうだ。
「何やってたんだよ、あんな所で」
それこそが金山が訊きたい事であった。崖には特に採取すべき植物やキノコなどは生えておらず、何を目的に登っていたのかが不明であった。
「汰湖石を探していたんだ」
「え?」
「何で汰湖石を崖で探してんだよ」
青年の説明では納得の行かない靄超と金山。
「おい! 蠡園! 大丈夫か!」
そこに別の青年が走って来る。手に薄い布団を持っているが、どうやらこれで青年を受け止めるつもりだったらしい。
「ああ。この子のおかげで何とかな」
もう一人の青年に説明する蠡園と呼ばれた青年。
梁蠡園:無裼に住む青年
「彼は友達の耿黿頭だ。汰湖石探しを手伝ってもらってるんだ」
「はあ……。はあ……。はあ……」
肩で息をする黿頭。蠡園と同世代でやはり日焼けをしている。
耿黿頭:蠡園の友人
彼は崖から落ちかけた蠡園を助けるために、第三者を呼びに行き、近隣の民家に干してあった布団を見付け、急いで戻って来たのだが、結局役には立たなかったという訳である。もっとも、二〇メートルの高さから落下した衝撃を、彼の手にした薄い布団で吸収し切れたかどうかは、甚だ疑問が残るが。
「私は孫靄超。導姑よ。こっちは龍金山。拳師よ」
いつも通り簡潔に名乗りを済ませる靄超。
「え? じゃあ惠山に雇われたのかい?」
二人の素性を聞いた蠡園が、なぜかそんな事を訊いて来る。
「はあ? ホエシャン?」
「それって確か榮家の次男の人の名前よね」
先ほどの材高の話に出て来た名前を思い出し、靄超が言う。
「あ、違うのか」
「別に旅の途中で寄っただけだ」
つっけんどんに言う金山。
「とにかく、蠡園を助けてくれたみたいだな。ありがとう」
そこで息を整えた黿頭が礼を言う。
「別に大したことした訳じゃねー」
いつも通り、恩に着せる様な真似はしない金山。
「でも何で崖に登ってたのよ。そんな無理をしてまで探しても、怪我しちゃったら意味無いじゃないの」
崖と汰湖石との因果関係、そして危険を冒す理由がまだ分からない。
「無理をしなければならない理由があるんだ」
しかし蠡園は強い意志のこもった口調で言う。
「無理をする理由って?」
「それは……」
靄超の問いに黿頭が口ごもるが、
「彼らには話したって良いさ」
蠡園が話し始めた。
「俺には陽香妤っていう恋人がいるんだ。だけど彼女は重い癆痎を患ってしまったんだ」
「癆痎……」
「そいつは厄介だな」
病名を聞いて苦い顔をする靄超と金山。癆痎とは肺結核の事である。医療が未発達のこの世界のこの時代では、不治の病とされていた。
「それで色々な医者に診てもらったんだけど、今の仲國の医学では、とてもじゃないけど治せないそうなんだ。だけど医学の進んだ阿武咯培阿の医者なら治せるかも知れないんだ」
西方大陸は東西両大陸の西部、仲華大陸から見た西方の大陸である(阿武咯培阿は仲華大陸における音写)。と言っても、仲華大陸も属する東方大陸が東西両大陸の東部に当たるため、お互いに陸続きであるのだが。
「ああ、阿武咯培阿か。確かに阿武咯培阿だったら、治せる医者もいるかも知れねーな」
実際のところ、この時代ではまだ西方大陸の医療水準が仲華大陸を凌駕しているとまでは言えなかったが、一部の分野において一歩先を行く部分があるのは確かだ。
「ああ。だけどその手術代だが、とてもじゃないが俺みたいな庶民が出せる金額じゃない……」
悔しそうに唇を噛む蠡園。
「金額の問題か……」
「お金の多寡で救える人を救えないのは辛いわね」
天下御免の拳師と導姑といえども、流石に浮世の金銭事情ばかりは如何ともし難い。それでなくとも金山なら道着の新調、靄超なら符籙(お札・護符)の補充などで、旅費以外の出費が嵩んでいるところだ。
「それで、いくら必要なの?」
「渡航費は馬烤までだからそれほどの額じゃないが、手術費と入院費で銀五〇兩は掛かると言われた……」
無念そうに具体的な金額を口にする蠡園。
馬烤は廣棟省獷州府にある港湾都市である。眀の時代にすでに西方大陸の海洋国家・ポルトゥカーレ(仲華大陸では波路土咖靁と音写される)が居留権を獲得し、東方大陸に五つある植民拠点「シダージ」の一つとして栄えた貿易港である。現在は往時の勢いを失ってはいるが、仲華大陸から最も近い西方大陸として、西洋文明の玄関口としての機能を担っていた。馬烤であれば波路土咖靁本国からやって来た西洋医学に精通した医師もいるので、あるいは癆痎に対しても効果的な治療を行なえるかも知れない。
「銀五〇兩……。ちょっと一般人じゃ出せる額じゃないわね……」
「だな」
先述の通り、銀一兩で農村の年収かそれ以上に相当する大金である。
「いや、見ず知らずの君たちに、お金の問題をどうこうしてもらおうとは思わないから安心してくれ。――だけど、たまたま今回の汰湖石の騒ぎがあって本当に助かったよ。もしも銀一〇〇〇兩の褒賞金が手に入れば、それで香妤を助けられるんだ」
「なるほどな。確かに渡りに船って訳だ」
納得する金山。
「でも何でこんな崖を探してたの?」
「確かにな。他の連中は湖の方を探してんじゃねーか」
金山も靄超の指摘に同意する。
「汰湖石は観賞用として昔から人気があるからね。床の徽宗なんかはわざわざ都まで運ばせたって言うし、穌州辺りの庭園じゃ庭石に欠かせないし。だから大きな石はもう、時の権力者や富豪なんかに献上されてしまってるはずなんだ」
床は仲國の王朝の一つで、徽宗はその第八代皇帝である(徽宗は名前ではなく廟号である)。政治を顧みずに書画に没頭して奸臣の跳梁を許し、最後は異民族の王朝・唫によって国都・開湗を落とされ、北方に拉致されてしまったという人物だ。皇帝としては明らかな欠落者であるが、だが書画にかけては掛け値なしの天才であり、遺した作品の多くは後世高い評価を受けている。
穌州は金山たちが無裼に来る前に通った、嫦州府に隣接する江楠省の都市である。
「それじゃあ、今はもう、そんな大きな石は残ってないじゃない」
「探したって無駄じゃねーか」
「いや、そうとも言い切れないんだ。人間が汰湖石を庭石として使う様になったのは、ここ千年・二千年の話なんだ。だから今の汰湖が形作られてから出来た石の中には、もう大きな石は残っていないと思う。だけど俺の考えでは、汰湖石を庭石に使うという概念の無い、はるか昔にも巨大な汰湖石があったはずなんだ。それが地形の変化によって、今は陸地になっているけど、昔は湖に面していた場所の中に眠っている可能性があると思うんだ」
「ああ、そういうことか」
説明に納得する金山。
「確かに千年単位で考えれば、地形が変わっててもおかしくはないわね」
「だから湖から離れた場所を掘ってたっつー訳か」
「つまり地層を掘れば、中から埋もれた汰湖石が出て来る可能性がある訳ね」
「そういう事さ」
うなずく蠡園。と、その時――。
「!」
不意に靄超の顔が強張る。
「どーした?」
「羅盤に反応が……」
カタカタ。
羅盤の針が左右に揺れる。羅盤は霊気や妖気を探知する一種のレーダーである。
「何だ? 妖怪か? それとも幽霊か?」
「昼間なのに妙ね」
ザバー!
湖の表面から顔を出す巨大な人影。
「巨人か――!」
驚く金山。人影は身長二丈(約六.四メートル)はある巨人であった。
「僕夫だわ。知能はそれほど高くないけど、巨体とそれに見合った怪力の持ち主よ。でも今みたいに人間が大陸のほとんどを生活圏にした時代では、滅多に見掛けないけど……」
ズシン! ズシン!
陸に上がり、地響きを立てながら歩いて行く巨人。その先には背中に巨大な瓢箪を背負った男が立っている。
「導士?」
金山と靄超が湖畔に佇む導袍(導士の法衣)を着た男の存在に気付く。年齢は三十歳程度で長髪を頭頂部で髷にしていた(導士は辮髪を免除される)。三白眼の目付きは鋭く、良く言えばキリっとした切れ者、悪く言えば単純に人相が悪い。
「あの導士が使役しているみたいね」
ここで言う使役とは契約を交わした妖怪に命令し、戦闘などをさせる事である。その代償は妖怪に取って価値のある金品から食料、果ては生贄までと幅広い(西方大陸の悪魔であれば死後の魂の譲渡といった条件もある)。
「戻れ、邪威闇斗」
瓢箪を地面に置き、蓋を開ける導士。
ヒュウウウ!
瞬く間に中に吸い込まれる巨人。どう見ても瓢箪の容積に巨人の体は入り切らないが、そこは特殊な力を秘めた瓢箪なのだろう。
キュッキュ。
瓢箪の蓋を占める導士。
倪鹿頂:導士
「うん? 拳師と導姑か」
金山たちの視線に気付いたのか、倪が独り言をつぶやく。恐らく金山と靄超の内在する闘気や霊気を感じ取り、並の人間ではないと見抜いたのだろう。ただそれ以上の興味は無いのか、こちらに声を掛けて来る事は無かったが。
「巨人を使って汰湖石を探させてるんだ」
黿頭が説明する。
「榮家の長男の錫山は褒賞金を出して町の人々に協力を呼び掛けたけど、次男の惠山は導士や拳師たちを、大金で雇って石を探させているんだ」
「じゃあ、あの人は次男の方に雇われた導士って訳ね」
「なるほどな。兄貴は一般人を大量に雇う人海戦術。弟は腕の立つヤツらに探させる少数精鋭ってことか」
合点の行く金山。そして蠡園が金山と靄超に対して、惠山に雇われたのかと訊いて来た意味も分かった。
「そういう事さ」
うなずく黿頭。
「あれ? でもさっきその榮家の兄弟って、三人兄弟って言ってたわよね。あとの一人はどうやって探してるの?」
「ああ、三男は靈山という人で、彼だけは全然熱心じゃないんだ」
靄超の問いに蠡園が答える。
「何でよ?」
「さあ、そこまでは……。ああ、でも苺園という庭園に本部があるからそこで聞いてみてくれないか」
「本部?」
「持ち込まれた汰湖石の管理をしてるんだ」
「何しろ莫大な遺産が懸かってるからね。もしどこかのお大尽が所有している汰湖石を一時的に借りて来て、『自分で探した物だ』ってなったらまずいだろ? そういう不正を防ぐために、第三者に頼んで管理や出所の調査をするんだ」
我々の世界で言うなら運営委員会と言ったところであろう。
「そう。ところで、何か私たちに手伝えることとかない? 私たちに出来ることがあれば協力するわ」
「本当かい!?」
靄超の申し出に驚きの声を上げる蠡園。材高と胖子ではないが、超人的な身体能力を持つ金山と、灋術の使える靄超が手を貸してくれるのであれば、それこそ百人力である。いや、発破や重機どころかドリルも無く、ツルハシやスコップ、シャベルで掘り出し、モッコで運ぶ……というこの時代では、千人力に相当するかも知れない(火薬は存在するが、主に戦争用であり、土木工事に使われる例は稀である)。
「また出たよ、得意のお節介が」
相変わらずの靄超に呆れる金山。
「そうは言っても、また手伝ってくれるんでしょ?」
「まーな」
苦笑しつつも、承服する金山であった。
「頼むよ!」
「もし崖に大きな石が埋まっていても、掘り出して運び出すのが問題だったんだ」
蠡園と黿頭からすれば、靄超の申し出は渡りに船どころか、頑丈な石橋を架けてもらった様なものだ。
「それは探す前に考えとけよ」
一応突っ込むのは忘れない金山。
「それで、何をすれば良いの?」
手伝う事が決まれば行動は早い。
「あ、そうだね。……俺としては、湖の中はさっきの導士も探してるし、湖畔の近辺にはやっぱりそんな大きな汰湖石はもう残ってないと思うんだ。だから俺の仮説だけが根拠なんだけど、崖を探した方が良いと思う」
「分かったわ」
「おいおい。この辺の崖を全部調べんのかよ?」
あっさり承諾する靄超だったが、金山は流石に難色を示す。
「すまない。本当に根拠は無いんだけど、湖の周りは錫山のお触れを聞いた人があちこち掘り返してるし、湖の中は惠山の雇った拳師や導士たちが探してるんだ。今から逆転する目があるとすれば、崖の中に大きな石が埋まってる可能性に賭けてみるしか……」
「今さら他の連中と同じことしても勝てないからな。これで駄目なら諦めもつく」
「良いわ」
「嚴重かよ。崖っつってもたくさんあんぞ。それを四人だけで――」
言い掛けて、そこで疑問が口を突く。
「そういや、その榮何とかっての忌中が明けるのっていつなんだ?」
「あ、三日後だよ」
「おいおい。たったの三日しかないのかよ」
思いの外、残された時間はわずかだった。
「なるほどね。それじゃあもう四十日以上、石を探してる訳ね」
「ああ。俺たちもそうだけど、周りの人たちもね」
「だから湖の周辺や中で、これ以上でかい石はそうそう見付からないと思う」
「なるほどな。だったら誰も探してない崖は、確かに探す価値はあるか。埋まってりゃの話だが……」
「頼むよ。石が見付かれば香妤の治療費以外は君たちにあげるから」
「別に金はいらねー。江湖の義気のためだ」
「その香妤さんって娘が助ければそれで良いわ」
「……。君たちは一体……」
金山たちの言葉に、目を丸くして顔を見合わせる蠡園と黿頭。あらゆる親戚縁者を頼っても銀五〇兩を用立てる事が出来ず(庶民には土台無理な金額ではあるが)、世知辛い世の中に悲嘆していた蠡園だったが、超人的な力を秘めた拳師と導姑の二人が、何の見返りも要求せずに力を貸してくれるという。
「別にそんな大したモンじゃねー」
「ただ単に、恋人や友達のために頑張ってる人を見ると、助けてあげたくなっちゃうお節介な性格なの」
いつも通り、恩に着せる事も無く言う二人。
「まあ、その前に腹ごしらえさせてくれよ。腹が減っては戦は出来ねーからな」
昼食がまだで、穌州から三五キロの距離を歩いて来たのでそれなりに空腹であった(もちろん足腰も体力的にも全く問題は無いが)。
「ああ。俺たちはこの近くにいるから、もし本当に手伝ってくれるんだったら、また来てくれよ」
「あ! もし町の方に行くなら、病院で香妤の様子を見て来てくれないか。俺たちは、ここ最近は、毎日石探しばかりで彼女の見舞いに行けてないんだ」
黿頭の言葉に、蠡園が思い出した様に付け足す。
「そりゃ良い。香妤も退屈してるだろうから、話し相手になってくれれば気分転換にもなるだろうしな。俺らは一生懸命頑張ってるって伝えてくれよ」
「分かったわ」
一旦立ち去ろうとした金山と靄超だったが、
「こらー! おらの布団さどうする気だべ!」
突如老婆が現れ、黿頭を罵倒し出したではないか。どうやら黿頭が持って来た布団の持ち主の様だ。
「しまった! 返すの忘れてた!」
つい話し込んでしまい、布団を無断で拝借した事を失念していた。平謝りする黿頭であった。
昼食を終えてから苺園にやって来た金山と靄超。苺園は汰湖の北岸から北に一里(約五七六メートル)ほど、無裼の中心街からは西に一〇里ほどの距離にある庭園で、榮家の先代主、榮梅園が造営したとの事である。随所に梅の木が植えられ、もう一月ほどすれば花が咲き乱れるはずだが、今はまだ蕾が少しずつ膨らんでいる最中であった。
その苺園の広場に天幕が張られており、そこが「運営委員会」の「本部」になっていた。その本部には、茣蓙の上に二つの汰湖石が置かれ、竹簡に石の大きさが記載されていた。
「今んところ、長男が五尺で次男が五尺二寸、三男は何も無しか」
五尺は約一メートル六〇センチで、五尺二寸は約一メートル六六センチ四ミリである。高級官僚や豪商、地主の邸宅であれば六尺(約一メートル九二センチ)を超える石も珍しくはないが、やはり最早採掘し尽くされていて、資源その物が枯渇しているのか、そこまで巨大な石というのは持ち込まれていなかった。
「長男と次男は拮抗してるけど、三男は参加してないみたいね」
「らしーな」
「何でかしら?」
当然と言えば当然の疑問を口にする靄超。
「興味が無いからじゃよ」
「!」
そこで話し掛けて来たのは老人である。年齢は七十歳を超えているだろうか。医療技術が未発達で、栄養状態も芳しくないこの世界では、仲華大陸に限らず、人間の平均寿命は五十歳に届くかどうかというところなので、かなりの高齢の範疇である。
「おじさん誰?」
「この庭園の庭師じゃよ」
現役の庭師として働いているとすればかなりの大ベテランであろう、いかにも好々爺という言葉の似合う老人であった。
「靈山坊ちゃんは心の優しいお方だ。家の遺産相続で町の人々を巻き込み、馬鹿騒ぎをしている事に大層心を痛めておられる」
「何だ。分かってんじゃねーか」
「道理をわきまえた人もいるのね」
「だがそんな条件を出せば、こういった騒ぎになることは目に見えていたはずだ。なのに何で死んだ榮何とかってのは、遺産相続の条件をそんなのにしたんだよ」
「儂にも分からん。ただの酔狂か、それとも何か深いお考えがあっての事なのかも知れん……」
そう言って老人は深い溜め息をつく。
「どうやって大きな汰湖石を見付けるか、その発想とか工夫とかで、跡取りとしての資質を計るってことなんじゃないの?」
「今となっては誰にも分からん」
靄超の推測に首を振る老人。
「――ただ、噂を聞いてよその町から来た者もいる」
「忌中は四十九日だからな。確かにそんだけありゃ噂が広まる時間は十分あんだろ」
この仲華大陸においても、忌中期間は七日か四十九日である。もちろん熯族以外の少数民族や、そもそも宗教が違うのであれば、その限りではないが。
「でも褒賞金が貰えなかったら、旅費や滞在費で赤字だわ」
「上材を求むれば、臣は木を残うか」
金山の言葉は、上の者が不用意な要求を出すと、下の者に大きな災いをもたらす……という意味である。
「そうじゃな。まあお前さんたちもあまり頑張り過ぎて、腰でも痛めん様にな。――ああ、まだお若いからその心配は薄いかの」
そう言うと、よっこらしょとばかりに椅子に腰を掛ける。
「ありがとう。気を付けるわ」
老人の忠告に感謝しつつ、苺園を後にする靄超と金山。
「病院の方に行ってみましょ」
「ああ」
続いて彼女が入院しているという病院へやって来た金山と靄超。もっとも病院と言っても我々の世界の様な近代的な医療施設ではなく、簡素なベッドのある診療所だ。ただし一応個室であった。
コンコン。
ノックする靄超。
「どうぞ」
中から女性の声がする。
ガチャ。
扉を開けて入る靄超と金山。
「誰? 君たち?」
見知らぬ二人の突然の来訪に驚く女性。蠡園や黿頭と同世代で、やはりニ十歳ほどだろう。癆痎を患っているという事もあり非常に華奢で顔色も優れないが、文句無しの美女であった。
陽香妤:蠡園の恋人
「あなたが香妤さんね」
「どうして私の名前を……?」
「蠡園と黿頭って二人の知り合いさ」
「蠡園と黿頭の?」
二人から金山と靄超の様な知り合いがいるとは聞いておらず、困惑する香妤。何しろ金山が道着、靄超が導袍を着ているのだから、一般人の蠡園と黿頭には、本来接点が無いはずの人種である。
「さっき湖の畔で知り合ったの」
蠡園・黿頭と知り合った経緯と、見舞いがてら様子を見て来て欲しいと伝えられた事、そしてこれから汰湖に戻って石探しを手伝う旨を説明する靄超。
「そうだったの……」
二人が悪人には見えない事もあり、納得する香妤。
「何をしてるの?」
彼女は机の上に置かれた硯に墨汁を入れ、筆と紙を用意しており、書を書くか、画を描く準備中だった様だ。
「遺書を書いてるの」
しかし靄超の問いに香妤が返したのは、思い掛けない言葉であった。
「遺書?」
不穏な単語を聞き、眉を顰める金山。
「私はもうそんなに長く生きられないから……。今の内にね……」
「ちょっと」
そう言われては靄超としては聞き捨てならない。
「蠡園と黿頭が汰湖石を捜してるのよ。賞金が貰えれば渡航費や手術費が出せるじゃない」
「そーだ。死ぬと決まった訳じゃねーだろ?」
「分かってるわ。でも期日まであと三日しかないし、今更大きな汰湖石なんて見付からないでしょう」
どこか悟った様な目で、冷めた口調で言う香妤。どうやら諦観が彼女の心を支配しているらしい。この世界では不治の病に近いとされる重病に冒された人間の、苦痛と絶望に追い詰められた姿が、今の彼女なのだろう。
「二人は必死になって、四十日以上も汰湖石を探しているのよ。あなたが二人を信じてあげなくちゃ、見付かる物だって見付からないわ」
「それは分かってるわ。でも――」
反論しようとしたところで、
「ゴホゴホ!」
口を押さえて激しく咳き込む香妤。
「自分の体だもの……。自分が一番よく分かるわ……。私はもうそんなに長くないって……」
喀血したらしく、掌に血が滲む。
「……」
金山は何かを言いたげだが、言葉が出て来ない様だ。単純な励ましや慰めの言葉を並べたところで、死の恐怖が現実に迫っている彼女には届かないだろう。
「筆、借りるわね」
そう言って机の上の筆を取るや、紙に文字をしたためる靄超。まずまずの達筆で、記したのは「鞠躬盡瘁、死而後已」である。生きている限り努力をし続ける……という意味だ。
「汰湖石は必ず見付けるわ」
筆を戻すと病室を出て行った。
「あんな安請け合いして大丈夫なのかよ」
病院を出たところで金山が声を掛ける。
「ああ言うしかないでしょ」
靄超としては当然の事であった。
「だが実際問題、盗賊退治だの妖怪退治だったら、居場所を突き止めてぶっ飛ばせば済む話だが、汰湖石見付けるってなると話は別だろ」
「彼女は生きる希望を無くしてるわ」
「そりゃ、まあ、そーだが……。しかしあんだけ啖呵切っておいて、結局見付からなかったじゃ靣子が立たねーだろ」
「彼女の命が懸かってるんだから、靣子の問題じゃないでしょ。それに仕事を休んでまで、彼女のために二人は額に汗して汰湖石を探し続けているんだもの。助けてあげたくなっちゃうじゃない」
「相変わらずのお人好しだな」
「付き合ってくれるあなたもね」
と、やはり少し嬉しそうに言う靄超。
「でもまあ、ここで二人で考えててもしょうがないわ。湖の方に行きましょう」
「まあ、見付かるかどうかはともかく、探すだけ探すか。今のところは次男の五尺二寸が最高記録だから、まあ、安全を見越して五尺五寸は欲しーな」
「でも湖の畔はほとんど探しちゃったんでしょ」
「だからやっぱりあの二人の言う通り、湖の底か周りの地層だな。あるとすれば」
「それなら湖の中は私が灋術で潜って探すわ」
「だったらオレは崖を探すか」
「分かったわ」
汰湖に戻り、正式に蠡園と黿頭に汰湖石探しを手伝う事を伝えるのだった。
それから三日が経った。榮梅園の命日から数えて四十九日目。忌中の最終日であり、そして榮家の遺産相続を懸けた汰湖石探しの最終日である。
この日、苺園の会場が久々に沸き立っていた。例の二人が新たに大きな汰湖石を見付けて来たからである。
「「おお!」」
どよめく群衆。
「何だあの巨大な汰湖石は!」
「六尺はあるぞ!」
身材高と太胖子が持ち込んだ汰湖石の大きさに現場が騒然となる。
「測定に入ります!」
公正を保つために無裼縣から派遣されて来た、運営委員が物差しを持って計測に入る。いかに大富豪からの要請といえども、科擧官僚である役人が来る訳にはいかず、胥吏という世襲の下級役人であった。
「六尺二寸!」
一尺は三二センチ、一寸は三.二センチなので、一九八.四センチである。ほぼ二メートルだ。
「「おおお!」」
胥吏の言葉に再びどよめく群衆。
「すさまじい記録が出ました。今までの記録を一尺以上更新する巨大な汰湖石です」
「よっしゃ~!」
「やったど~!」
喜びを爆発させる材高と胖子。悪徳官吏の使いっ走りから悪徳商人の用心棒まで、様々な汚れ仕事に手を染めて来たが、ようやく苦労が報われた瞬間であった。何しろ銀一〇〇〇兩の大金が懐に転がり込んで来るのだ。
「六尺二寸で、錫山少爺が現在最佳です」
天蓋の下に椅子とテーブルが置かれ、そこに三人の青年が腰掛けている。この三人が錫山、惠山、靈山の榮家三兄弟である。三人は年がそれぞれ二歳ずつ程度しか離れておらず、髪型も同じ辮髪姿なので、よく似ていた。
「ははは! 悪いなお前達。どうやら俺の勝ちだ」
歓喜のあまり立ち上がり、弟二人を見ながら言い放つ長兄の錫山。小指の爪に指甲套を着けた二十代半ばの青年である。
仲華大陸における富裕層には、小指の爪を伸ばすという習慣がある。もちろん小指の爪が長いと日常生活はともかく、仕事には支障を来すのだが、自分は手仕事をしなくても良いほど裕福である……という事を示すステータスシンボルになるためだ。指甲套は爪が割れたり折れたりしないために着ける、いわばネイルガードである。
「く……! まだだ! まだだぜ兄貴! 日没まであと三時ある!」
今までトップにいたのに、いきなりその座を奪われたのは次兄の惠山である。こちらも指甲套を着けており、年齢は二十代前半だ。
「強がりはよせ、惠山。今までの記録をいきなり一尺も更新したんだ。これよりでかい石がたったの三時で見付かるかよ」
三時は六時間である。
「くそ……!」
歯軋りする惠山。
「……」
そんな遺産相続に血眼になっている兄たちを尻目に、読書に没頭する末弟の靈山。二十歳ちょうどで、元の名は三山というが、成人を迎えて字を得たばかりであった(字は名に通じる字を用いるのが通例である)。兄二人と異なり指甲套を着けておらず、商売よりも学問で身を立てて行こうと科擧の勉学に励んでいた。
「あの二人が大きな石を?」
情報を伝えに来た靄超の言葉に金山も驚く。まさかの伏兵であった。
「六尺二寸の石が持ち込まれたって大騒ぎだわ」
「六尺二寸か……。いきなり跳欄が上がっちまったな……。六尺どころか、五尺五寸でも大概だってのによ……」
よもやノーマークの材高と胖子にしてやられるとは思わず、無念そうな表情を浮かべる金山。この様な状況を見越して五尺五寸の石に狙いを定めたが、六尺二寸は想定を超えていた。
あれから三日間探し続けたが、やはりそんな大きな汰湖石はそうそう見付かるはずもなく、五尺どころか三尺(約九六センチ)の石も見付からない有様だった。それが一気に六尺二寸ともなれば、残念だがそれ以上の石を見付けるのは、いよいよ至難の業だろう。
「でも考えようによっては悪い展開じゃないんじゃない? もし駄目ならあの二人から五〇兩貸してもらえば良いじゃない」
「あの二人から借りんのか?」
嫌そうな顔をする金山。ゆっくり話した事が無いが、金山とは価値観がはっきりと異なる二人である。一言で言えば馬が合わないのである。
「貸してくんねーだろ。それにあの二人から借りんのはな……」
「気持ちは分かるけど人命が懸かってるんだから。あの二人だって鬼じゃないんだから、事情を話せば分かってくれるでしょ」
「そうならないよーに、自力で何とか探してみるぜ。六尺とは言わねーが、ある程度の大きさの汰湖石なら、五〇兩出すって金持ちもいるかも知んねーかんな」
しかし無情にも時間は過ぎて行き、もうすでに日没の一時前になってしまった。一時は二時間である。
「くそ。あと一時じゃ、石さ見付かっても会場に運ぶ時間がねえべさ」
「しゃあないさ。諦めるべ」
「一〇〇〇兩欲しかっただ……」
「四十日の苦労が水の泡だべ」
「おめえはまだ良いだよ。おらは母ちゃんに他の仕事頼んで家を空けて来ただ。手ぶらじゃ帰れねえだよ」
「仕方ねえべさ。やる事はやっただ」
「母ちゃんさどやされるだよ……」
「酒さ奢ってやるけ、元気出せや」
ある者は愚痴をこぼし、ある者は仲間を励ましながら、すごすごと引き上げて行く作業者たち。
「くそ……。みんな諦めて帰ってくぜ……」
黿頭も唇を噛む。
「期限はあと一時だ。もし石を見付けても掘り出す時間も運ぶ時間も無い。黿頭、君も上がってくれ。今までありがとう」
「へ。今さら水臭い事言うなよ。ここまで付き合ったんだぞ。最後まで付き合ってやるよ」
照れながら人差し指で鼻の下をこする黿頭。
「……すまない」
「あの子たちが残り一刻もあれば石は運べるって言ってただろ。俺らの期限は日没の一刻前だ。それまでは諦めずに頑張ろうぜ」
一刻は十五分である。
「ありがとう」
「礼なら賞金を貰って、香妤の病気を治した時にまとめてしてくれや」
「すまない」
「その代わり、香妤の病気が治ったら絶対に幸せにするんだぞ。彼女を泣かせたら承知しないからな」
「ああ。約束する。絶対に彼女を幸せにしてみせるさ」
それから刻一刻と時間は過ぎ、日没の三十分前となってしまう。しかしその時、崖に向かって黙々とツルハシを突き立てていた蠡園に、ついに「当たり」が来た。
「でかい! こいつはでかいぞ! 五尺以上ありそうだ! 黿頭、来てくれ!」
「本当かよ!」
少し離れた場所で、同じくツルハシを崖に突き刺していた黿頭が慌てて駆け付ける。
「確かにこいつはでかそうだぜ!」
崖から覗く石の大きさを確認し、意気上がる黿頭。
「黿頭! 金山君を呼んで来てくれ!」
「わ、分かった!」
興奮を抑え切れずに駆け出す黿頭。本来なら三十分で掘り出して、苺園の会場まで運ぶ事など到底出来ないが、金山がいてくれれば話は別である。それにこの大きさであれば、仮に時間までに間に合わなかったとしても、五〇兩で購入を希望する権力者や富豪がいてもおかしくない。
「すごいぞ。これなら勝てるかも知れない……!」
こちらも興奮と、そして香妤を救えるかも知れないという喜びを抑え切れない蠡園。だがしかし――。
「そんなにでかいのか?」
「!?」
不意に後ろから声がして、次の瞬間、巨大な影が蠡園の体を覆い尽くした。
「お前は!?」
そこにいたのは惠山が雇った導士・倪鹿頂と、巨人の邪威闇斗であった。
「こんな崖に石が埋まっているとはな……。運が向いて来たな。やれ、邪威闇斗」
「ワカッタ」
靄超曰く、そこまで知能が高い種族ではないのだが、一応人語を解する邪威闇斗。ズシリと響く低音の声色であった。
ガシッ!
崖から汰湖石を掴み出そうとする。
「何をする!」
「悪いな。こいつは私が頂くよ」
「ふざけるな! この石は俺が見付けたんだぞ!」
「ふふふ。他人の見付けた石を横取りしてはいけないという規定は無い」
蠡園の抗議を無視し、力任せに崖から石を引き抜こうとする邪威闇斗。
「やめろ! この石には香妤の命が懸かってるんだ!」
その脚にしがみ付き、止めさせようとする蠡園。
「ジャマダ」
バチーン!
「ぎゃあ!」
邪威闇斗に張り手を食らわされて吹き飛ぶ蠡園。
ゴロゴロ!
地面を、土埃を上げて転げ回る。
「グッグッグ」
嗤う邪威闇斗。
「馬鹿め。大人しく渡せば良いものを」
「ま、待て……! これだけは……。この石だけは……! 死んでも渡す訳にはいかないんだ……!」
ヨロヨロと立ち上がり、再び邪威闇斗の脚にしがみ付こうとする蠡園。
「死んでも渡さない? ははは。だったら本当に死んでみろ。渡さざるを得ないからな」
ドカッ。
「ぐっ!」
邪威闇斗に軽くはたかれ、うつ伏せに倒れる蠡園。倒れたところを、邪威闇斗が蠡園の背中を踏み潰す。
ボキッ!
背骨の折れる鈍い音が響く。
「がはっ!」
血を吐く蠡園。
「グッグッグッグッ」
「はははははは! どうした? 死んでも渡さないんだろ。このままじゃ取られてしまうぞ。ははは!」
周囲に倪の哄笑が響く。
「こ、この石だけは……。この石だけは……渡せないんだ……。香妤……の、命が……懸かってるんだ……」
「知った事か」
メキッ!
邪威闇斗がさらに力を込めると、
「ぐはっ!」
折れた背骨が内臓に突き刺さった。
「く、くそ……。シャ、香妤……」
激痛に意識を失う蠡園。
ドドドドドッ!
崖を拳で叩きながら土を落として行く金山。石は中々見付からず、たまにあっても小さな石ばかりであった。
「くそっ。日が沈む。あと半小時もねーか……」
湖面に沈みかける夕日を見、毒づく金山。残念だが、六尺どころか、まともな値の付く大きさの汰湖石は見付かりそうもない。半小時は三十分である。
「金山!」
湖から上がって来た靄超が声を掛けて来た。灋術を使って水に直接触れない様にしているのか、髪も服も濡れてはいなかった。
「どう?」
「駄目だ」
首を振る金山。
「そう……」
「その顔じゃそっちも駄目ってことか……」
「……」
沈黙する靄超。だがそこに――。
「おーい!」
二人の元に黿頭が走ってやって来る。
「黿頭さんだわ」
「何かあったのか」
肩で息をしながら事情を説明する黿頭。
「二人とも、すぐに来てくれ……! 蠡園が、すごいでかい石を見付けたんだ……! あの大きさなら五尺は下らない! 勝ち目は十分にあるし、もし負けてもかなり良い値で買い手が見付かりそうなんだ!」
「本当なの!?」
興奮する靄超。
「まだ一刻ある。ギリギリ運べるな」
ゼンマイ式の懐中時計――この世界のこの時代にも存在する――を見る金山。
「それじゃあ、急いで会場に持って行きましょ!」
蠡園が巨石を見付けた畔に戻って来る三人。
「蠡園! どこだ!?」
「来たわよ!」
「――!」
そこで金山が地面に開いた歪なでこぼこに気付く。
「おいこの足跡――! まさか――!?」
「蠡園!」
黿頭が地面に倒れている蠡園の姿に気付く。
「うう……。黿……頭……か……」
既に息も絶え絶えの蠡園。
「おい! 蠡園! どうした!? 何があった!?」
蠡園に駆け寄り助け起こす黿頭。
「診せて!」
靄超も駆け寄り符籙を貼る。傷を回復させる治瘉符である。
『何てひどい怪我……。私の符籙じゃ治せないかも……』
しかし蠡園の傷はあまりにも深かった。
「い、石を……」
「石!? ……!」
ハッとなって上を見上げる黿頭。崖から一部が覗いていた、あの石が無くなっている。
「無い! 石が無い! どこにやったんだ!?」
「きょ、巨人を連れた、導士……」
「巨人? あの巨人を連れた導士に横取りされたのか!?」
「シャ、香妤……」
「おい! しっかりしろ! 蠡園! 死ぬな! お前が死んだら香妤はどうなるんだ!」
「黿頭……。香妤を……頼む……。すまないって……伝えて……く……れ……」
懐から銀の簪を取り出し、鼈頭に渡す蠡園。彼女への贈り物として用意していた品なのだろうか。だが目を閉じて、そのまま意識が途切れて行く。
「蠡園! 蠡園! 蠡園! 目を開けろ! 死ぬな! おい! 蠡園! 目を開けろよ! 死ぬな!」
蠡園の体を何度も何度も揺すりながら慟哭する黿頭。しかし、どんなに呼んでも揺すっても、蠡園が再び目を覚ます事はなかった。
「蠡園~~!」
黿頭の悲痛な叫びが夕闇迫る空にこだました。
「くそっ……!」
ギリっと歯を食いしばる金山。
「ひどい……」
漏らす靄超。
「ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!」
左手で託された簪を持ったまま、右手で地面に落ちていたツルハシを掴む黿頭。
「許さねえ! 絶対に許さねえぞ! あの導士、ぶっ殺してやる!」
憤怒の形相で駆け出そうとする。
「やめとけよ。あんたが行ったって殺されるだけだ」
そんな黿頭を金山が止める。
「これが、これが許せるかよ! 香妤に何て言えば良いんだよ! 香妤を助けるために頑張って、何とか彼女を助けられる希望が見えて来たのによ! これじゃあ、これじゃあ……! あんまりじゃねえかよ!」
黿頭は泣きながら、怒っていた。親友の命も、その恋人の命を助けるための希望も、すべて倪鹿頂によって奪われてしまったのだ。
「落ち着けよ。誰もヤツを許すとは言ってねー」
パシッ。
「……!」
驚く黿頭。彼が持っていたはずのツルハシが、いつの間にか金山の手に握られていた。
「オレが行く。あんたに代わって、あの狗屎堆に地獄を見せてやるぜ」
あまりにも非道なる倪のやり方に、金山の怒りが爆発した。
苺園の本部。間も無く夕日が西の空に沈む事もあり、かがり火がいくつも焚かれて周囲を照らしていた。榮家の遺産を誰が相続するかを見に集まった群衆は百人以上である。科擧の合格発表もある種のお祭り的な雰囲気があるが、大々的な催し物と化した今回の騒ぎも、相通ずるものがあるのかも知れない。
「何買おうかなー」
「うまい酒飲むだど。メシ食いまくるだど。それから……」
「夢が膨らむなー」
「せこせこ小銭を稼いでたのが遠い昔の様だど」
「ああ。全くだ」
「やっぱり人間気持ちに余裕を持たないといかんだど」
「ああ。全くだ」
夢見心地の材高と胖子。最早人生の勝利者である。いずれ迎えるであろう薔薇色の未来に向けて、希望に胸を膨らませる二人であった。
一方の錫山、惠山、靈山の三兄弟はと言うと――。
「くそ! あと一刻、あと一刻だ! 誰か来ないのか!」
惠山が机の上の置時計(こちらもゼンマイ式である)を見ながら苛立ちを隠せずにいた。西の空の夕日は、今まさに沈もうとしている。
「諦めろ、惠山。あと一刻かそこらであの大きさを超える石など見つかる訳が無い。俺の勝ちだ」
こちらは余裕の錫山。財産を手に入れるのが自分であると確信していた。
「くそ……! 役立たずどもが! 何をやってやがる……!」
歯軋りする惠山。彼が大金を投じて雇った拳師や導士は二十名に及ぶが、希望する大きさの汰湖石を見付けられず、ほとんどの者は後金を諦めて探索を打ち切っていた。
「……」
兄弟で骨肉の争いをする兄たちを尻目に、本を読みながら我関せずを貫く靈山。
三人が三様に日没を待つその時――。
ズン……!
周囲に低い音が響く。
「何の音だ?」
「きょ、巨人だ!」
「汰湖石だ! 汰湖石を担いでるぞ!」
「で、でかい!」
ドスン! ドスン!
巨石を肩に担いで近付いて来る巨人の姿に、遺産相続の行方を見届けようと会場に集まった群衆――何人かは誰が相続するか賭けをしていた――から驚きの声が上がる。
「おお、倪鹿頂!」
巨人とともに歩いて来る倪の姿を見て、惠山の表情が一気に明るくなる。
「何!?」
惠山の言葉に驚く錫山。
「惠山、お前が雇った者か!」
「そうよ! 勝負はまだ分からないぜ兄貴! 見ろよ、あの巨大な汰湖石を!」
「くっ……。いや、俺の石が負ける訳が無い!」
強がる錫山だったが、その表情に焦りの色が浮かび、先ほどまでの余裕が一瞬にして消え去ってしまう。
「豪邸……品牌物の服……」
「魚翅……鷰の巣……」
「君たち、夢見てるところ悪いんだけど、あれ見てみなよ」
「「ん?」」
夢見心地の材高と胖子に靈山が声を掛ける。
「何だど!」
「でけえぞ、おい!」
夢から覚める二人。
「それでは測定致します」
横倒しになった巨石を、物差し(巻き尺はまだ発明されていない)を持って測定に入る運営委員の胥吏。
「くそっ。あと一刻だったんだぞ……。ここまで来て負けられるか!」
九分九厘遺産を手中に収めていた錫山は気が気ではない。
「超えろ! 超えろ!」
逆にこちらは超える様に祈る惠山。
「超えられてたまるか!」
「「……」」
固唾を呑んで見守る群衆。
「六尺……」
物差しを石に当てる胥吏。
「二寸……」
ここで材高と胖子の持ち込んだ錫山の石に並んだが……。
「一毛!」
「「おおおおお!」」
どよめく群衆。今日一のどよめきである。
「六尺二寸一毛! 錫山少爺の石をわずか一毛上回りました!」
一毛は三.二ミリである。
「なあっ!?」
驚愕する錫山。
「馬鹿な! そんな! もう一回だ! もう一回きっちり計ってくれ!」
「見苦しいぜ兄貴! 俺の勝ちだ! 親父の遺産は俺の物だ!」
狼狽する兄を尻目に勝ち誇る惠山。そして別な所でも大ショックを受ける二人が。
「そんな……馬鹿な……」
「おでの……一〇〇〇兩が……」
「惜しかったね。でもこれだけの大さの石なら、一〇〇〇兩とは言わないけど、数十兩でなら買い手付くんじゃないかな? 滞在費分の元は取れるでしょ」
天国から地獄に叩き落とされ、茫然自失状態の二人を励ます靈山。しかし一〇〇〇兩を目前でさらわれた二人は、ショックで固まったままだ。
「そしてここで日没です!」
ドーン!
終了を告げる銅鑼の音が苺園に響き渡る。
「結果を発表致します。錫山少爺、六尺二寸。惠山少爺、六尺二寸一毛。そして靈山少爺は参加を辞退しております。よって榮大爺の遺産は、全て惠山少爺に相続される事となります!」
「「おお!」」
歓声が上がる。
「そんな馬鹿な……。一毛……たったの一毛だと……」
「残念だったな兄貴! これで親父の遺産は全て俺の物だ! はっはっは!」
狂喜し哄笑を上げる惠山。と、その時――。
ブンブンブン!
空気を切り裂き、何かが飛来する。そして次の瞬間、
「!」
ガッ!
一本のツルハシが倪の持ち込んだ汰湖石に突き刺さったではないか。
「何者だ!」
怒鳴り声を上げる倪。
ヒュン!
何者かの影が走る。
「む!?」
常人の動体視力では到底捉えられないスピードであったが、倪だけは目で追う事が可能だった。
ドゴーン!
と、突然汰湖石が音を立てて崩れ去った。金山の踵落としが石を粉砕したのだ。
「なあ!?」
「何だ! 何が起こったんだ!?」
「汰湖石が割れたぞ!」
驚く群衆。
「あいつは!?」
「十全十美拳師だど!」
瓦礫と化した汰湖石の上に立つ、金山の姿に茫然自失状態から回復する材高と胖子。
『十全十美拳師?』
胖子の言葉に反応する倪。
「何の真似だ!? 小鬼!」
自らの遺産相続の証を壊され、激昂する惠山。
「その狗屎導士に用があって来た」
「倪にだと? ――う!」
惠山が問い質そうとしたが、金山の纏う闘気に気圧されてしまう。金山の怒りの感情その物が、炎となって燃えているかの様な威圧感である。
「……」
しかし倪は表情を変えない。余裕があると言うよりは、そもそもが鉄面皮という事なのであろう。
「その導士が持ち込んだ石はオレの知り合いが見付けた物だ。それをその導士が横取りしやがったんだ」
「「!」」
金山の言葉に会場がざわつく。
「それもその知り合いを殺してな」
「な――!」
「何だって!」
「本当なのか?」
金山の言葉に動揺が広がる群衆。
「兄上!」
即座に惠山を非難する靈山。
「し、知らん! 俺は何も知らんぞ! 倪が勝手にやった事だ!」
「テメーがそいつの雇い主だろーが。知らねーで済むか。その該死的のせいで人一人死んでるんだ」
怒気を隠さないドスの利いた声で言う金山。空気がひりつく様な威圧感が周囲を支配する。
「ふふふ。他人の見付けた石を横取りしてはいかんという規則はあるまい。契約通り一番大きい石を会場に持って来たんだ。前金の他にも成功報酬は頂くよ」
しかし倪には蛙の面に水であった。それだけで、この男がこれまでに体得した灋術を悪用して、悪逆の限りを尽くして来たであろう事が窺い知れた。
「あなたという人は……! 兄上! 何でこんな男を雇ったんです!」
「知らん! 俺はそこまでしろとは言ってない! 俺は何も知らん!」
なおも靈山が非難するが、惠山は自分には非が無いと主張する。
「そいつは、病気で苦しんでいた恋人を救おうと必死だった。賞金で恋人の病気を治そうと必死だったんだ。それをその狗屎堆が踏み躙りやがったんだ……」
「ふん。私には関係の無い話だ。私は依頼を請けて一番大きな汰湖石を持って来ただけだ。他人がどうなろうと知った事ではない」
「何てことを……!」
金山にやや遅れて会場にやって来た靄超が言う。
「テメーは本物の廢物だな。ぜってー許さねーぞ」
ボウッ!
さらにその身を覆う闘気が膨れ上がった。
「地獄に叩き落してやるぜ」
「ほざけ! 邪威闇斗! この赤老をひねり潰せ!」
「オオ!」
ドスドスドス!
地鳴りを上げ金山に向かって行く邪威闇斗。動作そのものは俊敏とは言えないが、歩幅があるのであっという間に距離を詰める。
「シネ!」
ゴウッ!
拳を振り下ろす邪威闇斗。周囲の空気をかき乱して突風が発生するほどの質量とスピードである。
ドゴッ!
巨大な拳のパンチが金山にヒットする。
「ぐっ――!」
腕を交差させてガードしたが、巨体に見合う怪力の持ち主であり、衝撃の全てを受け止める事は出来なかった。
ドゴーン!
吹き飛ばされ、錫山の汰湖石にぶち当たる金山。石は砕け散り、その残骸の中に金山の姿が消える。
「金山!」
叫ぶ靄超。
「ああ~!」
「おで等の石が~!」
自分たちが持ち込んだ汰湖石の惨状に、再びショックで凍り付く二人。優勝を逃したとはいえ、一〇兩・二〇兩ならば十分買い手の付く代物である。
「何て力量だ……」
「流石は巨人……」
そのほとんどが妖怪の力を間近に見るのは初めてだったらしく、戦慄する群衆。
「いくら金山でも、あれをまともに食らったら……」
ガラガラッ。
石の残骸が転がる。
「やってくれるぜ。道着がまたボロボロじゃねーか」
コキコキと首を鳴らしながら、立ち上がって来る金山。新調した道着こそまたも無残に破けてしまったが、肉体にダメージは無さそうだ。
「金山!」
靄超が声を掛ける。彼に心配は無用であった。
「ほう」
素直に感嘆する倪。
「立ちやがった!?」
「何て子供だ!」
群衆からも驚きの声が上がる。
「グッグッグッ」
ニタ~と薄気味悪い笑みを浮かべる邪威闇斗。
「け。テメーも殺しを楽しんでるクチか。その廢物混蛋に良いように使われてるんだったら、半殺しぐらいで勘弁してやるつもりだったが、そっちがその気なら容赦はしねーぜ。ぶっ殺してやるから覚悟しやがれ」
「グッグッグッ。ヤッテミロ」
巨人が嗤う。やはり妖怪としての持って生まれた本性は隠せないらしく、倪に使役されているかどうかに関係無く、残虐な性格をしていた。
「テメーに言われなくてもやってやるっつーの。生かしちゃおかねー」
バッ!
跳ぶ金山。
「!?」
金山の姿を見失う邪威闇斗。
「キエタ……?」
キョロキョロと周囲を見渡す。
「上だ、邪威闇斗!」
倪が邪威闇斗に注意するが、もうすでに金山は邪威闇斗の頭上に移動していた。
「飛龍斧頭腳!」
ドゴッ!
空中からのダイレクトの踵落としが、邪威闇斗の頭頂部に炸裂する。
「ガア!?」
メリッ!
勢いそのまま顔面を地面にめり込ませる。
ズン!
鈍い衝撃音が辺りに響く。地面が揺れたのだ。当然、邪威闇斗は絶命していた。
「ぬうっ!?」
「巨人を一撃だと!?」
「妖怪以上の化け物だ……!」
「何者だ、あの子供……!?」
金山の実力を目の当たりにし、驚愕する倪や観衆。
「次はテメーだ」
スタッ。
着地する金山。
「なるほど……。どうやら本当に十全十美拳の使い手らしいな……。――だが邪威闇斗を倒したからと言って調子に乗るなよ。そいつを使役していたのは私だぞ」
流石に邪威闇斗が一撃で倒されるとは思わず、金山の実力に戦慄を禁じ得ない倪だったが、しかしまだ余裕が残っていた。
「だったら見せてみろよ」
「言われなくとも見せてやるとも!」
ドサッ。
金山の挑発に、背負った巨大瓢箪を下ろす倪。
「はああ!」
ボォオオオ!
灋術を発動させるために霊気を練り上げる。青白い光がその身を覆って行く。
『この術の構成……!』
息を呑む靄超。彼女は絕對靈感という特殊能力を持っているため、見ただけで術を発動させるためのプロセスを解析可能なのだ(必ずしもその術を再現出来る訳では無いが)。
ゴゴゴゴゴッ!
周囲に地響きが起こる。
「地震!?」
バリバリ!
続いて地割れが起こり、そこから溶岩が溢れ出したではないか。
「溶岩……!?」
「この術は……!?」
「火行と土行の閤成術ね――!」
閤成術とはこの世界における万物を構成する八行の内、二つ以上の異なる属性の行を組み合わせて発動させる灋術や妖術の事である(同じ行を組み合わせた場合は閤成術とは言わない)。倪が使用したのは、火行の炎のエネルギーと、土行の大地のエネルギーを組み合わせた閤成術であった。
ゴゴゴッ!
溶岩がまるで意志を持ったかの様に龍の姿を形作る。
「わ~!」
「逃げろ~!」
パニックに陥る会場。
「灰になって後悔しろ! 火碎龍!」
ゴウッ!
炎の龍が金山に迫る。
「うわあ!」
「よ、よせ!」
ドーン!
金山に炸裂する溶岩の龍。
「わああ!」
「どひ~!」
飛び散った溶岩がショックで硬直していた材高と胖子を直撃する。
「あちちち! 水! 水!」
「色んな所が火事だど!」
服に火が着いたまま、走り回りながらいずこかへと消える二人。
「あの二人、不幸な目にしか遭ってないわね」
今回で当面の運も使い果たした事であろうし、合掌である。
「ははははは! 笨蛋な奴よ!」
そしてこちらは自らの勝利を確信し、哄笑する倪。
「それはどうかしら?」
しかし靄超は冷静だった。先ほどの巨人の強烈な一撃にも耐えた金山に、心配は無用という事らしい。
「馬鹿な! 直撃のはず!?」
目を剥く倪。そこにいたのは、全く無傷の金山であった。
「こんなモン、熱くもねーぜ。オレの中に燃えてる怒りの炎に比べればな」
周囲に生えていた草が一瞬で燃え尽き、地面が剥き出しになっている。間違い無く金山の立っている場所に術は命中したはずである。だが金山が無傷という事は、溶岩が彼の全身を覆う闘気に遮られ、その体まで届いていない事を示していた。
「お、お前は一体!?」
動揺のあまり声が上擦る倪。この術で何人もの気に入らない拳師や術者を葬り去って来たが、ダメージすら与えられない者などかつて一人としていなかったからだ。
「朋友だよ。テメーの殺した男の、な」
金山の答えは、倪の求めていたものではなかったが、ある意味では最も何者であるかを言い表していた。友の仇を討つためにやって来た者という意味で。
「テメーに渡すモンがある」
「な、何……?」
「もう一人の朋友からの預かりモンだ」
金山が握っていたのは黿頭が持っていた、あのツルハシである。金山が粉砕した汰湖石の下に潜り込んでいたはずだが、いつの間にか金山の手に握られていた。
「ま、待て――」
ブン!
恐らく命乞いをしようとする倪に構わず、ツルハシを振り下ろす金山。
ドスッ!
逃げる間も無く、ツルハシを脳天に突き立てられ、
「……」
悲鳴を上げる事すら無く即死する倪。そのまま、先ほど金山が砕いた汰湖石の上に倒れ込んだ。
「地獄で反省しろ、狗屎堆が」
吐き棄てる金山。
「皮肉ね。蠡園から奪って行った石が、自分の墓石になるんだから」
靄超も、この男に対しては、憐憫の念は湧いて来なかった。
「すいません。父の遺言のために……」
倪を倒した金山に靈山が声を掛ける。群衆はとばっちりを受けるのを避けて園内から逃げ出したが、流石に当事者の彼は残っていた。
「テメーが謝ったところで蠡園は生き返らねー」
頭を下げる靈山だったが――靣子を重んじるこの仲華大陸では、我々の感覚よりも遥かに重い行為である――金山の怒りはまだ収まっていなかった。
「それはそうですが、先ほどの話を聞いたところ、あなたのお友達の恋人が病気との事ですよね」
そこで、やはりやや離れた所で成り行きを見守っている錫山と惠山の方を向く靈山。
「僕は遺産の権利を放棄します。兄上たちで分けてください。ただ、その病気の方の治療費は出させてもらいます」
と、和解の条件を申し出る。
「良いですね、兄上?」
「分かった……」
「……好きにしろ」
短時間に目まぐるしく変わる情勢に疲れたのか、怒りに燃える金山の力に圧倒されたのか、二人は靈山の提案をあっさり受け入れた。兄たちの返事にコクリとうなずくと、再び金山と靄超の方に向き直る。
「いかがでしょう? 人間性を確かめずに、腕だけであの様な非道な導士を雇ってしまった非は兄にありますが、その導士と巨人を倒して、お友達の仇は討ったはずです。何とかこれで手を引いてください」
「……」
「分かったわ」
まだ何か言いたそうだった金山を、靄超が手で制しながら前に出る。
「ただ約束は必ず守ってもらうわ」
「それは我が榮家の名に懸けて」
靈山が抱拳(片手で拳を握り、もう一方の手でそれをかぶせる様にし、胸の前で合わせる礼)をしながら約束した。
翌日。榮家から見舞金という形で、錫山の懸けた賞金と同じ額の銀一〇〇〇兩が香妤に支払われた。
そしてさらに数日後。香妤と付き添いの黿頭が、馬烤に向けて旅立つ日がやって来た。
陸路であれば南の晢江省から、幅建省もしくは江栖省などを通って獷東省に抜けるルートがあるが、海路を行く事になった。一旦張江に出て、汰倉州の劉稼港で大型船に乗り換えるという。劉稼港は「海洋の喉元、江湖の門戸」と称される良港である。幅建省には南眀政権(滅亡した眀の遺臣が生き残った皇族を擁立して建てた亡命政権。南眀政権は溱側から見た呼称)を支える名将・鄭城功が勢力を張っており、沿岸部の航海は鄭氏政権に拿捕される危険性もあるため、遠洋に迂回してから向かうそうだ。
香妤と黿頭の他に十人もの男たちがいる。自分の脚だけでは旅が困難な香妤のために駕籠を用意したので、それを担ぐ人足と、そして大金を持ち歩くため、道中の安全のために鏢師(護衛)を雇ったのだ。これだけでも庶民には到底真似出来ない負担である。
「ゴホ! ゴホ!」
無裼の町の入り口まで見送りに来た金山と靄超に挨拶をするため、駕籠を降りた香妤が咳をする。
「大丈夫?」
「ええ……」
胸を押さえる香妤。症状は小康状態を保っていたが、やはり健康状態は芳しくない。
「じゃあ、私たちはここで」
二人の旅立ちを見届け、こちらも別の町へと旅立つ事にした。
「お世話になりました。本当に……」
頭を下げる香妤。その髪には蠡園が黿頭に託した、あの簪が光っている。
「君らがいなかったら蠡園の仇を討ってくれる人もいなかったし、香妤の旅費も治療費も出してもらえなかったよ」
黿頭が優しく微笑みながら言う。
「いや。蠡園が生きていて、あんたたち全員が幸せになるのが一番だったはずだろ。それが叶わなかったんだから、礼を言われることでもねー」
「それは……そうですが……」
表情を曇らせる香妤。蠡園の死を聞かされた際は半狂乱になって取り乱したが、数日の間に、どうにか気持ちを落ち着かせていた。整理が着いたとまでは言えなかったが、彼が命を懸けて汰湖石を見付け出したからこそ、彼女の治療費も渡航費も捻出出来たのだ。であれば、彼女には蠡園の想いを無駄にしないためにも、生きる義務があるだろう。
「それでも感謝しているよ。蠡園も感謝こそしても、責めたりしないさ」
黿頭がフォローする。
「だったら良ーけどな」
「それじゃ。ちゃんと病気を治してね」
「ありがとうございます。いただいたこの言葉、生涯忘れません」
靄超が「鞠躬盡瘁、死而後已」と書いた、遺書になるはずだったあの紙を見せる。
「別に捨てても良いわよ」
照れ笑いを浮かべる靄超。
「彼女のこと、よろしくね」
「分かってる。俺が死んだ時に、あの世で蠡園に会わせる顔が無いからな」
二人を見送り、無裼の町を後にするのだった。
「これからどうするつもり?」
街道に出たところで靄超が金山に尋ねる。
「これ以上西にはあんま行きたくねー。南にでも行ってみるかな」
「何でよ?」
西には嫦州府の府城があり、その先には鎭紅が、さらに西に行けば紅甯府、鎭紅から長江を渡って北に行けば楊州があるが、なぜか金山は行きたくないらしい。
「この辺で行ったことがねーのは、誼興か」
靄超の問いには答えず、南西に向かって歩いて行く金山。誼興は無裼と同じく嫦州府に属する縣である。
「ちょっと待ちなさいよ」
さっさと歩いて行く金山を追う靄超。今度はいかなる事件が二人を待ち受けるのか。それは次の講釈にて。
(劇終)




