第參集 蟲毒の戦場
登場人物
■龍金山……主人公。拳師(武道家)。流儀は〝十全十美拳〟。数え年十六歳。
■孫靄超……導姑(女性の導士)。火行系の灋術を得意とする。数え年十六歳。
■喬放生……江楠省淞江府淸浦縣珠家角鎭の城隍廟の管理人を務める導士。
■陽廊橋……珠家角に住む青年。澱汕湖で漁師を営んでいた。
■瀋祥芳……廊橋の妻。
■蘇闇寇……珠家角鎭の地痞・鯢魚會の大亨。
■武功蠱……珠家角鎭近くの森に住む大ムカデの妖怪。
■沸僧……自殺しようとしていた廊橋の前に現れた謎の僧侶。
江楠省淞江府淸浦縣珠家角鎭。この仲華大陸では百戸未満の集落を邨と呼び、百戸以上、千戸未満の都市型の集落を鎭、都市を形成しない集落を鄕と呼ぶ。
珠家角は千三百年を超える歴史を持つ江南を代表する水郷の一つで、縦横に張り巡らせた運河によって、近隣の肥沃な穀倉地帯から収穫された米の集まる、河川舟運の要衝である。百を超える米問屋が建ち並び、秋に米を満載した船が運河を埋め尽くす様は、この地方の風物詩でもあった。
ここはその郊外にある森の中である。時刻は初更(午後八時)を回っており、本来であれば人のいるはずが無い時間帯であったが……。
「すまねえ祥芳……。俺にはお前の仇を討つ事は出来ねえ……。待っててくれ。俺も今そっちに行くから……」
サッ。
首に縄を掛け、首吊り自殺を図ろうとする青年。年齢は二十歳ほどで、辮髪(後頭部を残して髪を剃り、残った髪を長く伸ばして三つ編みにして後ろに垂らす、元来は鏋洲族の髪型)を結っている。どうやら人目を避けるため、深夜にこの森を訪れたらしい。だが――。
「死ぬ前にやり残した事があるのではございませんかな?」
ビクッ!
誰もいないはずの夜の森で突然声を掛けられ、縄を持ったまま振り向く青年。
「だ、誰だ、あんたは……」
声を掛けて来た謎の人物に驚く青年。声を掛けて来たのは四十代半ばの男で、錫杖を持ち袈裟を纏った僧の様であった。
「通りすがりの沸僧です」
沸僧とは南東方大陸のバラト(仲華大陸では巴拉途と音写される)から伝来した宗教・沸敎の僧侶の事である。我々の世界で言えば仏教に相当するが、その神に相当する霊格の事を仏(佛)ではなく、沸という。
「――何やら強い怨念の様なものを感じたので、来てみたのですが……。何やら事情がおありの様で……」
「見ず知らずのあんたには関係無いだろう……。黙って死なせてくれ」
「黙って死なせるなどと……。どうせ死ぬ覚悟がおありなら、拙僧にその命、預けてみてはくださらぬか?」
「あ、あんた、一体……」
思い掛けない提案に戸惑う青年。
「拙僧が何者かなぞどうでも良いでしょう」
ニヤリと笑う沸僧。どうやら青年を助けるつもりの様だが、善意で言っている訳で無い事はひしひしと感じられる口振りである。
沸僧:謎の沸敎の僧侶
拳師(武道家)の少年・龍金山と、導姑(女性の導士。導敎の尼僧)の少女・孫靄超は淞江府淸浦縣珠家角鎭の城隍廟を訪れた。
この前の戦いで受けた傷を癒やすのに、結局二日は掛かったが、静養したお陰で金山の背中の火傷はすっかり癒えていた。
「ここが珠家角城隍廟か」
「そうみたいね」
ドンドン。
赤茶色に塗られた木の扉を叩く金山。城隍廟とは都市の守り神である城隍神(城隍爺ともいう)を祀った霊廟である。珠家角の城隍廟は米の一大集積地として発展を遂げた町の城隍廟だけあり、かなりの規模であった。
ガチャ。
ややあって扉が開く。
「君達は!?」
扉を開けた人物が、金山と靄超の姿を確認し、驚きの声を上げる。二人を出迎えたのは、導袍(導士の法衣)を着た三十代半ばほどの青年である。辮髪を結っていないが、これは導士や沸僧は辮髪を免除されるためだ。
喬放生:城隍廟の管理人(導士)
喬放生は金山と靄超が初めて会った、江楠省汰倉州紅灣鄕伍角場で起きた事件で知り合った導士である。その際に傷(奇しくも火傷である)を負って戦闘不能に追い遣られたものの、命に別状は無かったのだが、
「お元気そうね」
と、靄超が言う通り、特にその時受けたダメージの後遺症は無さそうだ。
「お蔭様でね」
靄超はもちろん皮肉を言った訳では無かったが、苦笑する放生。
「久し振り……って訳でも無いか」
伍角場の事件からまだ一週間ほどしか経っていないのだが、二人はその間に別の事件に巻き込まれた事もあり、久しく会っていない様な、奇妙な感覚に襲われた。
「そうだな。まあ、立ち話も何だ。入ってくれ」
廟内に案内する放生。
「何しろ一ヶ月以上も埃を被っていたからね。まだ掃除の最中なんだ」
サッサッ。
手早く雑巾で簡単にテーブルと椅子を拭く放生。
「座ってくれ。今お茶出すから」
「ああ」
「ありがと」
椅子に腰掛ける靄超。
「珠家角に来たのか。伍角場で会った時は、来ると聞いてなかったから驚いたよ」
「いや、あん時は行くつもりは無かったんだがな」
「ちょっと事情があって、急に来ることになったの」
放生の出してくれたお茶を飲みながら説明する金山と靄超。
「そうか。もし来るなら一緒に来ても良かったんだが」
「そーだな。まあ、せっかく来たから顔でも出そーかって話になったんだ」
少々長くなるが、珠家角に来る事になった経緯を金山が話そうとした、その時――。
〈もし……〉
「え?」
ピクッ。
突然の声に反応する靄超。
「どーした?」
靄超が何かに反応した事に対して、問い掛ける金山。
「今何か声がしなかった?」
「声?」
〈もし。私の声が届いていますか〉
「「!」」
「この声――」
今度は金山と放生の耳にもはっきりと聞こえた。
「誰か来たみたいだな」
椅子から立ち上がり、扉に向かおうとする放生。
「待って喬導士。開けないで」
それを靄超が制する。
「ん? なぜだい?」
「羅盤に反応があるわ。外にいるのは人間じゃないわ」
手にした羅盤を見せる靄超。針がかすかにカタカタと動いている。羅盤とは、本来は風水において気の流れを調べるための道具であるが、この世界では気を感じ取り、針がその気の持ち主の方向を指し示す、我々の世界におけるレーダーの様な役割を果たす道具だ。
「人間じゃない?」
金山が集中して気配を感じ取ろうとする。
「この霊気……。かなりよえーな」
金山の推測にコクリとうなずく靄超。
「そうみたいね。羅盤の針が水色だわ」
羅盤の針は、霊力や妖力の強さによって色が濃くなる性質がある。暖色系の色になればなるほど気が強く、赤が最強だが、水色は最弱の白の次に弱い微弱なものだ。金山や放生が、意図的に探ろうとしなければ気付かなかったほどに。
「この水平の霊気の持ち主では、廟の中には入って来られないな。この廟の扉や窓には符籙が貼られているし、金の漆で呪文が書かれているからね。幽霊や妖怪の侵入を防ぐ結界の役目を果たすから、低級霊では到底突破出来ないよ」
符籙とは霊的な力を秘めたお札・護符の事であり、金の漆も霊的な力を持つ。結界は霊力によって生み出される一種のバリアーの事だ。霊体の侵入を阻む効果があるが、物理的な防御力も持ち合わせている。
「でも何の用かしら?」
「この町にも義莊はあんだろ? 幽霊だったらそこにいる死人の知り合いなんじゃねーのか? 会いに来たのかも知んねーぞ」
義莊とは二つの意味に大別されるが、一つには一族共有の田畑(義田)を持ち相互扶助を行なうシステムの事である。もう一つは、出稼ぎ先や旅先で客死した者たちの、遺体を収めた棺や遺骨を収めた骨壷などを安置するための施設の事である。
金山の指摘は、声の主が幽霊であるならば、義莊に安置された死者の、生前の知り合いではないのか――という意味である。
「どうかしら?」
靄超が放生を見るが、
「……」
黙って首を振る放生。彼にも外にいる幽霊(?)の真意は分からなかった。
〈すいません。ここの導士様にお願いしたいことがありまして……。扉を開けてもらえませんか〉
「……って言ってるけど」
放生に判断を仰ぐ靄超。この城隍廟の管理人は放生なので、最終的にどう対処するかは、彼の判断に任せる事にした。
「女の声だな」
「分かりました。開けましょう」
外にも聞こえる声量で放生が言う。
「良ーのかよ?」
「仮に邪悪な霊であったとしても、この程度の霊力では悪さも出来んよ」
ガチャ。
そう言って、戸を開ける放生。
スッ……。
念のため、金山と靄超がいつでも動ける様に構える。
「初めまして。突然お邪魔してしまってごめんなさい」
中に入って来るなり頭を下げる女性。白い、深衣という裾の広いゆったりとした服を着て、黒髪を頭の上で髷に結っている。年齢は二十歳に届くかというほどで、金山たちよりやや年上だろう。美女ではあったが、顔や首、深衣の隙間から覗く肌が異常なまでに青白い。白い服との組み合わせは、まるで存在自体も希薄かの様だ。
「お嬢さん、ここに何の用ですか。ここは見ての通り城隍廟。都市の守り神である城隍神を祀った霊廟ですよ。どうやら普通の人間ではない様ですが」
警戒こそ怠らなかったものの、やはり元々の人柄なのか、ソフトな語り口で問い掛ける放生。
「はい。私は二週間ほど前に死んだ者です」
「じゃあ、やっぱり幽霊なのね」
「はい」
横からの靄超の問いにうなずく女性。
「私は瀋祥芳と申します」
瀋祥芳:鬼(幽霊)の女性
「城隍廟の管理人、永豐導君様にお願いがあって参りました」
「えいほう導君?」
「それってこの廟の前の管理人でしょう?」
「え!?」
靄超の言葉に驚く祥芳。
「永豐導君殿は一ヶ月程前に亡くなられました。その代わりとして、先日私がこの廟の管理人に赴任したのです」
放生が簡潔に説明する。
「そんな……!」
元々青白い顔なので顔色には変化が無かったが、明らかに動揺する祥芳。
「永豐導君殿に何か御用がお有りですか?」
「え、ええ……」
祥芳は戸惑いながらもうなずいた。
「何か困りごとみたいね」
「はい……」
「良かったら話してもらえる? 私に出来ることなら協力するわ」
「出たよ、得意のお節介が」
茶々を入れる金山。
「ですが……」
金山の言葉は特に気に留めず(初対面の彼女には意図が分からないので)、靄超の申し出に逡巡する祥芳。
「私も導姑なの。永豐導君って人の代わりが務まるかどうかは分からないけど、灋術の心得はあるわ」
「話してみてください。場合によっては私達も力になりますよ」
「勝手にオレも入れるなっての」
自分の与り知らぬところで勝手にお節介組に入れられてしまい、一応、突っ込む金山。
「……分かりました」
数秒迷った様だが、永豐導君がいない以上、他に頼れる人間はいないのだろう。話をする事にした祥芳。
金山、靄超、放生の三人は一旦席に着いたが、祥芳は立ったまま話を始めた。
「私は生前、去年の春に結婚したばかりの夫と二人で、この珠家角で暮らしていました」
「ではこの城隍廟にも?」
「はい。何度かお参りしたことがあります」
「そうでしたか。それで私の前任の永豐導君殿とも面識があったのですね……」
「ええ」
うなずく祥芳。
「でもその若さで亡くなったのには、何か訳があるはずでしょ? 旦那さんはどうしてるの?」
「夫は澱汕湖で漁をする漁師でした」
澱汕湖とは珠家角の郊外にある大きな湖である。縦横に運河と小運河の張り巡らされた水郷である珠家角からは、陸に上がらずとも船で直接向かう事も可能だ。
「二人で小舟に乗って湖に出掛けて魚を獲って、何とか暮らしていました。生活は決して豊かではなかったのですが、私は大好きな夫といつも一緒にいられる、そんな毎日がとても幸せでした。――でも二ヶ月前の事です。夫が欺騙賭博に引っ掛かってしまい、銀一〇〇兩という莫大な借金を背負ってしまったんです……」
この世界のこの時代における一兩は三七.三グラムに相当する。銀は秤量貨幣なので、銅銭とのレートによって逐一変動する銀一兩の価値を、我々の世界に置き換えるのは中々難しいが、農村の年収が一兩行くか行かないかという貨幣価値を考えれば、一〇〇兩は途轍もない大金である事は確かだ。
「一〇〇兩……。そりゃまた盛大だな」
「ちょっと普通の漁師じゃ返せそうもない金額ね」
流石にその金額に驚く金山と靄超。
「はい。もちろん返せる当ても無く、私はとある地痞の親分さんに借金の形に取られ、妓女として売られてしまったんです」
妓女とは遊女・女郎の事だ。
「地痞?」
靄超が訊く。
「鯢魚會の大亨、蘇闇寇です」
大亨はボス・親分という意味である。
「げいぎょかい?」
「私も来たばかりなので詳しい事は知らないが、この町を仕切っている地痞らしい。正業の人間には手を上げないが、高利貸しや賭博、娼館で大儲けをしているという話だ。もっとも、正業の人間であっても、金を借りて返さない人間に関しては、その限りではない様だが……」
放生が祥芳の代わりに説明する。
「そんなのどこの地痞だってそーだろ」
皮肉と言うよりは、単純な事実を述べる金山。
「はい。それで私は蘇が経営する娼館で働かされました」
「ひどい話ね」
憤慨する靄超。
「ですが、私は一月ほどして体を壊してしまい、床に伏せる事が多くなりました。それでもこなさなければならない定額があるので仕事は休めず、無理をして働き続けました。でも十日ほど経った頃から……」
声のトーンを落とす祥芳。
「無理が祟ったのね」
「はい……。私は病を身罷り、そのまま命を落としました……」
「ひどい……」
祥芳の話を聞き、怒りと悲しみの混ざり合った感情を隠さない靄超。
「でも、あの人には、夫には申し訳無いのですが、それで私は苦界を離れ楽になれるはずでした。――ところが私は幽霊として、突如現世に呼び戻されてしまったんです」
「それで今、この場にいる訳か」
「はい」
金山の問いにうなずく祥芳。
「それはどういう事なんです? 見たところ、生前に恨みを呑んだまま死んだ怨霊とも思えませんが……」
今度は放生が訪ねる。もし彼女が怨霊であるなら、それは生者への恨みが先行し、まともに話が通じない例がほとんどである。祥芳が普通に金山たちと会話が出来ている時点で、彼女がいわゆる怨霊であるという事は無いだろう。
「私にも詳しいことは分からないんです。でも気付いたら私は珠家角の近くの森の中にいました。そこで私が聞かされた話は、あの人が私を妖怪の妻にする事を条件に、鯢魚會の人たちを妖怪に殺させるというものでした」
「!」
祥芳の説明に眉を顰める放生。
「おいおい」
流石に予想だにしなかった話の展開に、金山も顔を歪めた。
「それじゃあ、あなたの旦那さんは、自分の代わりに、妖怪の力を借りて彼らに対する復讐をさせるつもりなの?」
「はい」
目を伏せうなずく祥芳。
「そんな……。それでは、旦那さんは貴方を妖怪に売ったという事ではないですか」
「そういうことに……なると思います。でも……」
きつく唇を噛む祥芳。
「私はあの人を止めたいんです……! どうか力を貸して下さい」
深々と頭を下げる祥芳。
「どーすんだよ?」
靄超に意見を求める金山。
「話だけ聞いておいて、『やっぱり力にはなれない』――なんて言える訳無いでしょ」
「だろーな。金にはなりそうもねーが、まあ、江湖の義気がうずく話ではあるぜ」
「鯢魚會のした事は許し難いが、このままでは旦那さんは左道に堕ちてしまう。まだ間に合うなら止めるべきだろう」
左道とは不正な道、邪道という意味である。
「だな。――良し。やるか」
「本当ですか!?」
祥芳の顔が明るくなる。
「ああ」
うなずく金山。
「ありがとうございます!」
瞳を潤ませながら、また深く頭を下げる祥芳。
「それで、旦那さんはどこにいるの?」
「夫はもうすでに妖怪と一緒に蘇の屋敷に向かっています。私はその間に森を抜け出して来たんです」
「おいおい。もう行ってんのかよ? それを先に言えよ」
まさかそこまで差し迫った状況だとは思わなかったが、
「だったら急がないと。蘇の屋敷の場所は分かるわね?」
やると決まった以上、躊躇する靣子ではなかった。
「はい」
「なら急ぐぞ」
廟を出ようとする金山。
「君達は先に行っててくれ。私は灋具を揃えたらすぐに追う」
灋具とは霊的な力を持った武器や道具の事であり、符籙や羅盤もその中に含まれる。
「分かったわ」
「来る前に終わってるかもな」
放生を残し、金山と靄超は祥芳に先導されて蘇の屋敷へと向かった。
金山たちが祥芳の話を聞いていたほぼ同時刻。ここは同じ珠家角の町中にある蘇の屋敷の前である。やはり人の生き血をすすって肥えているのだろう、周囲の民家とは一線を画す大邸宅であった。
「ここだ。ここが蘇の屋敷だ」
漁を生業としていたためだろう、日焼けした青年がもう一人を案内する。珠家角郊外の森で首吊り自殺を試みた、あの青年だった。彼が祥芳の夫、陽廊橋である(仲華大陸は夫婦別姓である)。
陽廊橋:珠家角鎭の漁師
「ふん。いるわ。人間共がわらわらと」
傍らに立つ男がまるで犬の様にくんくんと鼻を動かす。普通の人間では有り得ない、赤い目をした男である。充血しているのではなく、本当にウサギの様に赤い目だった。
武功蠱:珠家角鎭近郊の森に棲む妖怪
「もう一度言うが剣だけで戦ってくれ。俺が奴らを殺した事になってるんだ」
武功蠱に話し掛ける廊橋。今のこの武功蠱の姿は仮の姿である。妖術を使い、人間の姿に化けているのだ。
「分かっておるわ。いちいち人間如きに指図されぬでもな」
チャキ!
沸僧から受け取った剣を抜き放つ武功蠱。抜き身の刃に月明かりがギラリと反射した。
「……」
無言で屋敷の門に近付いて行く武功蠱。廊橋もすぐ後に続く。
「ああ? おめえは確か……ああ、そうだ。漁師の陽とかって奴じゃねえか」
「こんな夜中にどうした? 金を作って来たのか」
ヤクザ同士の抗争を警戒してか、門の前には二人の組員が立っていた。下っ端の組員が門番をさせられているのだろう。廊橋と武功蠱の存在に気付き、声を掛けて来た。
「……」
しかし武功蠱は何も答えずに、二人に近付いて行く。
「お、おい、おめえ――」
武功蠱の手に剣が握られているのを確認した組員甲であったが、それを問い詰める間も無く、武功蠱は組員甲に近付き、
「邪魔だ。死ぬが良い」
ヒュン!
ごく無造作に剣を振るった。剣術の基礎も基本も何も無い、ただ持った剣を横に振っただけである。
スパッ!
「があ!?」
しかし、その剣速も腕力も並みのものではなく、いとも容易く組員甲の首が飛んだ。
「!」
飛び散った血に思わず顔を背ける廊橋。
「な、何を――」
ザシュ!
組員乙はあまりにも突然の事態に、何が起こったのかさえ理解する間もなく斬り伏せられた。
ドサッ!
脳天から股間まで縦一文字の唐竹割りにされる。鮮血に混じって脳漿が地面にぶち撒けられた。
「うっ……!」
目の前で起こった余りにも凄惨な光景に顔面蒼白になる廊橋。漁師を生業としている以上、魚をさばく事は日常茶飯事なので、血が苦手な訳ではもちろん無いが、対象が人間となれば話は別である。
「何を驚いている。全てはお前が望んだ事であろう」
人二人を斬り殺したにも関わらず、何の感情も湧いて来ないのか、武功蠱は特に口調も声のトーンも変えずに廊橋に言う。妖怪である彼にしてみれば、人の命を奪う事など、道端に生えた雑草を引っこ抜いたぐらいの感覚でしかないのだろう。
「わ、分かってる……」
務めて冷静を装い、屋敷の門を開ける廊橋。
その数分後。蘇の屋敷にやって来た金山たち。
「あそこが蘇の屋敷ね」
「おい、あれって――」
二人より夜目が利く金山が逸早く異変に気付いた。
「待て!」
サッ。
金山が急に立ち止まり、後ろの二人を手で制する。
「ちょっと。何で止まるのよ」
「どうかされましたか」
「人が死んでやがる」
開けられた門の前に転がる二つの死体を確認する金山。言う迄も無く、先ほど武功蠱によって斬り殺された、鯢魚會の組員たちの変わり果てた姿だ。
「「!」」
表情を強張らせる二人。
「ではもう……」
「間に合わなかったの?」
「そいつはまだ分かんねーが……。ここからはオレたちだけで行く。あんたはここで待ってろ」
祥芳に言う金山。
「待ってください。私も行きます」
しかし祥芳は同行を申し出た。
「……。だがあの屋敷にいるのはもう、あんたの知ってる旦那じゃねーかも知れねーぜ。それでも良ーのか?」
「構いません。私はあの人と話がしたいんです」
強い意志の宿った瞳で金山を見詰める祥芳。文字通り、一度死んだ身なのだ。怖い物など無いのだろう。止めても無駄だった。
「……分かった。好きにしてくれ」
「はい」
一方の屋敷内。
ガラッ!
「お、親分! 大変でさあ!」
組員丙が奥にある蘇の部屋に駆け込んで来る。
「何の騒ぎだ! 騒々しい!」
木製の椅子に腰掛け、お椀で黃酒(醸造酒)を飲んでいた男が不機嫌そうに怒鳴る。五十歳ほどの、顔に切り傷がある強面の男だった。見た目にも、身に纏う雰囲気のどちらも、間違いなく堅気ではない。
蘇闇寇:珠家角鎭の地痞・鯢魚會の大亨(首領)
「陽が、漁師の陽の混蛋が、用心棒を連れて乗り込んで来やした!」
「陽? あの漁師の小鬼だと? 笨蛋混蛋! あんな小孩兒なんぞがどうしたってんだ!?」
組員丙の報告を受けたが、驚きよりも、組員丙が狼狽している事に対して怒鳴る蘇。
「用心棒でさあ! 混蛋の連れて来た男がめっぽう腕が立ちやして、歯が立ちません!」
「阿呆ぬかせ! 俺等は天下の鯢魚會だぞ! 正業の赤老に何が出来る――」
ドン!
扉を蹴り倒し、部屋に飛び込んで来る二つの影。
「蘇闇寇!」
「な!?」
「ひ、ひいっ!? もう来やがった!」
入って来たのは返り血で服を真っ赤に染めた廊橋と武功蠱である。
「陽! てめえ、何の真似だ!?」
流石に一つの組をまとめる一角の侠客らしく、驚きはしたものの、怖気付く事無く廊橋を一喝する蘇。
「何の真似だと!? 俺がここに来た理由は一つしか無い! お前に殺された祥芳の仇討ちだ!」
廊橋も蘇に怯む事無く、言い放つ。
「他の奴等はどうした!?」
蘇が組員丙に訊くが、
「皆殺し」
そう短く答えたのは武功蠱だった。鯢魚會の組員は三十人に及ぶが、屋敷内にいた蘇と組員丙以外は全て、すでに武功蠱に斬り殺されていた。
「ば、化け物だ!」
恐怖に駆られ、蘇を置いて逃げようとする組員丙。
ザシュッ!
「ぎゃあ!」
しかし武功蠱は見逃さず、彼を背中から斬り殺した。
「なっ……!?」
武功蠱の技量に戦慄し、思わず酒の入ったお椀を落とす蘇。いや、武功蠱は剣術の基本をマスターしていないので「技量」という表現は正確ではないのだが、しかし人間の常識を超えた高速で振られる剣から逃れる術は、鯢魚會の構成員たちには以って無かった。
「蘇! よくも祥芳を……!」
怒りや憎しみの感情が際限無く奥底から噴き出して来て、廊橋は異常な興奮状態にあった。この世界のこの時代にはまだ存在しない言葉であるが「血の酩酊」という言葉がある。人間が血を見ると異常な興奮状態に陥る事である。それが人間の持つ本能なのか、それとも狩猟民族だった時の名残りなのかは、判然としないが……。
「ま、待て!」
右手で廊橋を制そうとする蘇。護身用の刀が枕元に置いてあるが、今はあまりにも急な事態なので、丸腰なのだ。
「……」
ス……。
しかし聞く耳を持たずに、無言で剣を振り上げる武功蠱。
「待ってくれ! こいつは俺にやらせてくれ!」
武功蠱を止める廊橋。
「ふん」
つまらなそうに鼻を鳴らし、鮮血で刀身が真っ赤に染まった剣を廊橋に渡す武功蠱。
「祥芳の仇だ! 彼女の苦しみをお前も味わえ……!」
チャキ!
両手で柄を握り、蘇に向けて構える廊橋。
「待ってくれ! 俺が悪かった! 謝る! だから命だけは――」
手で何とか制止しようとする蘇。だが――。
「待って――!」
そこで祥芳が声を掛けた。
「む」
振り向く武功蠱。
「祥芳……。何で君が……」
廊橋も後ろを振り向く。廊下には森で待っているはずの祥芳が立っていた。
「そっちが旦那か。で、そっちの赤い目の方が妖怪だな」
後ろに控える金山が状況を分析する。
「ここの連中を皆殺しにしたのもあなたね」
靄超も続いて部屋に入って来た。
「毛丫頭、何のつもりだ。何だその人間達は?」
「わ、私は……」
武功蠱の赤い目に睨まれ、気圧される祥芳。死の恐怖とはまた別の恐怖に、後に続く言葉が出て来ない。
「あ、あああ……!」
と、突然、両手で胸を押さえて苦しみ出す祥芳。
「ちょっと!」
「どうしたんだ、祥芳!?」
「おい! どーした!?」
只ならぬ祥芳の様子に驚く靄超たち。
「御前は既に儂の手の内にあるのだ。儂に逆らう事は出来ぬ」
「ま、待ってくれ! 祥芳に何を――」
武功蠱に詰め寄って抗議をするが、
ガシッ!
首を掴まれ持ち上げられてしまう廊橋。
「図に乗るな、人間風情が。儂は御前如きの指図は受けぬわ」
「ぐううう……」
足をバタバタさせて抵抗するが、武功蠱は意に介さない。
ドカッ!
そこに金山の蹴りが炸裂した。
「ぬう!」
武功蠱の体が吹き飛ばされる。
ドゴッ!
壁に打ち付けられる武功蠱。
「ゴホッ! ゴホッ!」
床に落ち、喉を押さえて激しく咳き込む廊橋。
「大丈夫?」
廊橋に駆け寄り声を掛ける靄超。
「き、君たちは……!?」
何とか呼吸を戻しつつ、見知らぬ二人に問い掛ける。
「祥芳に頼まれたの」
「……」
祥芳は胸を押さえたまま廊橋を見ているが、彼女の表情は苦痛に歪んだままだった。
「人間が。何の真似だ」
金山の蹴りを食らい、壁に激突したが、特にダメージを受けた様子の無い武功蠱。
「そのねーちゃんに何をした? 術を使ってるならさっさと解きやがれ」
「ふん。毛丫頭の魂は既に儂が握っておる。儂がその気になれば、毛丫頭の魂を消滅させる事さえ可能なのだ――」
メリッ!
武功蠱は最後まで言い終える事が出来ず、再び吹き飛ばされる。話の途中で金山の拳が頬にめり込んだからだ。
「だったらつべこべ言ってねーで、さっさとその魂を解放しろ」
「人間があ!? 図に乗るな!」
即座に立ち上がる武功蠱。唇の端を切ったらしく、かすかに血がにじむが、その血は人間のそれと同じ赤ではなく、青紫色をしている。
「図に乗る? それはテメーのことだろ。これだけの人間を殺しやがって……!」
「人間が! 手前勝手な理屈をほざくでないわ! それを望み儂に願ったのはそこの人間であろうが!」
「……!」
武功蠱に顎で指され、ビクッと体を震わす廊橋。
「確かにそーかも知れねーが、それでも実際に殺しを楽しんでたのはテメーだろ」
「許せないわ」
武功蠱と対峙する金山と靄超。
「許さない――だと? 儂をなめるな!」
叫ぶ武功蠱。その背中がバリバリと音を立てて破れる。
「「!」」
姿を現したのは巨大なムカデだった。黒光りする青紫色の長い体から対となる歩脚が数十本も伸び、大きさは五丈(約一六メートル)を軽く超える、下手な龍以上の巨体であった。
「オノレ……。許サヌ……! 御前達全員、残ラズ喰ライ尽クシテクレルワ!」
基本的には先程の人間の姿と同じ声だったが、質が変わっている。しゃがれ声と言うにも生ぬるい、金属部品が錆び付いた状態の機械を無理やり動かした様な、暗く冷たい声だった。
「それが正体か」
「飛瘴蜈蚣ね。妖力を持った巨大な蜈蚣の妖怪だわ」
「見りゃ分かる」
化け物の正体にも、特に意に介さない金山と靄超。二人とも十代の少年少女であるが、幾度も修羅の巷を潜り抜けて来た様だ。
「ば、化け物……」
それまでやり取りを見ていた蘇が武功蠱の真の姿に恐れ戦く。
「ガア!」
「あひい!?」
大きく口を開けた武功蠱が、蘇の体を丸呑みにする。
ゴクリ。
抵抗する間も無く胃の中に放り込まれた蘇。
「テメー!」
殴り掛かろうと走る金山。
バシッ!
しかし武功蠱の尾が金山の体を打ち据える。
「ぐっ!」
ドーン!
吹き飛ばされる金山。
「金山!」
「金山さん……!?」
胸を押さえた状態で祥芳が声を掛ける。
「ま、待て。お前とはまだ契約が……」
「ソレヲ破ッタノハ御前ノ方ダ。死ネエ!」
ガバッ!
ワニの様に大口を開ける武功蠱。そのまま廊橋を飲み込もうと迫る。
「うわあああ!」
「廊橋!」
「煉氣炮!」
ドーン!
立ち上がった金山の放った煉氣炮が武功蠱に炸裂する。煉氣炮は闘気を放出する技である。着弾した地点に爆発を起こし、その破壊力は使用者の闘気の強さに比例する。金山が放てば大岩を粉砕する威力がある。なお、闘気を練り上げ放出出来るだけの気のコントロールが出来れば、誰にでも使用可能であり、特定の流儀・門派固有の技ではない。
「フン。温イワ!」
煙はすぐに晴れたが、直撃にも関わらず無傷の武功蠱。
「効いてねーか……!」
舌打ちする金山。今の攻撃で武功蠱の気をこちらに向けさせる事には成功したが、ダメージを受けた様子は無かった。
「ソンナニ死ニタケレバ先ニ殺シテヤルゾ、小鬼」
ゴウッ!
標的を金山に代え、向かって来る武功蠱。
「ちっ!」
サッ。
しゃがんで避ける金山。ちょうど武功蠱の体の下に潜り込む形になった。
「猛虎掏心拳!」
ドゴッ!
アッパーカットの要領で、その腹に闘気の光に包まれた拳を打ち込む。
「ヌウ、グウ……!」
呻く武功蠱。しかしその巨体はさしたる深手を受けた様子は無い。
「くそっ。でけー図体だけあって頑丈に出来てやがる」
毒づく金山。猛虎掏心拳は金山の必殺拳であるが、今使用した猛虎掏心拳は、闘気の「溜め」の時間が短かったため、威力が十分ではなかった。だが、それを差し引いてもかなりの耐久力・防御力を持っている様だ。
ドガッ!
屋敷の壁を突き破って外に出る武功蠱。
「外に出るわ!」
「逃がすか!」
バッ!
武功蠱の開けた穴を通って外に出る金山と靄超。
屋敷の上空に浮く武功蠱。そこへ――。
「爆裂符!」
ドーン!
符籙が投げ付けられ、爆発が起こる。
「ヌ!」
予期せぬ爆発に驚くが、しかしやはり特にダメージは受けない武功蠱。
「喬導士!」
近隣の民家の屋根の上に立つ放生を見付け、声を掛ける靄超。
「どうやら始まってしまった様だな」
後から駆け付けた放生が武功蠱の姿を確認し(敵と断定して)、攻撃したのだ。
「ああ。さっきは人間に化けてたが、本性を現しやがった。――かなり硬くて頑彊らしい」
金山が説明する。
「その様だな。――だがあの様な化け物をのさばらせてはおく訳にはいくまい」
「たりめーだ」
「今の爆発で町の人たちが騒ぎ始めちゃうんじゃない?」
靄超の懸念はすぐに現実のものとなる。
「何だ、何だ!?」
「爆発!?」
そこまで夜の更けた時間帯ではない事もあり、次々に窓から顔を出したり、道に出て状況を確認したりする人々。
「流石にあれだけの音を立てたら、みんな気付くか」
「被害が広がる前に倒しゃー良い」
特に意に介さない金山。
「導士、御前モ小鬼達ノ仲間カ」
「話し合いの通じる相手ではない様だな。退治させてもらうぞ!」
バッ!
武功蠱の質問には答えず、両手の指先から墨線斗(墨壷)を放つ放生。
「墨線斗!」
ヒュンヒュン!
糸が武功蠱の体にからみ付く。
「ヌ」
「羅線縛靁流!」
バチバチッ!
墨線斗を通して電流が走る。
「グヌウ!」
苦悶の声を上げる武功蠱だったが、しかしそれはほんの一瞬だった。
「ガア!」
ブン!
高速で体をくねらせる武功蠱。
ブツン!
「何っ!?」
驚く放生。力ずくで糸が引き千切られてしまった。
「引き千切ったわ!」
「なんつー力量だ……!」
「カアアアア!」
ブシュウウ!
口から緑色の息を吐き出す武功蠱。いや、息と言うよりは毒ガスと言うべきか。
「あぶねー!」
「避けて!」
金山たちが回避を促すが、
「ぐわあああ!」
墨線斗を引き千切られた際に、体勢を崩された放生は避け切れず「毒ガス」の直撃を受けてしまう。
「おっさん!」
「喬導士!」
「か……は……」
グラリ。
意識を失い、屋根から転げ落ちる放生。放生も超人の部類に入る身体能力の持ち主であるが、受け身も取れないのでは、頭から落ちては無事では済まないだろう。
「あぶねー!」
跳ぶ金山。
ガシッ!
地面に叩き付けられる寸前で、何とか放生の体を受け止める。
「くそっ! 毒か!」
みるみる表情が蒼ざめ、呼吸が荒くなる放生の様子に、上空の武功蠱を睨み付ける金山。
「待って! 一旦喬導士の治療をするわ!」
靄超がすぐさま駆け寄り解毒符を当てる。しかし――。
「ダメだわ……! この毒、強過ぎるわ。手元の符籙じゃ治せない」
即座に毒の強さを見抜き、状況判断する靄超。
「ちっ!」
舌打ちする金山。
「ククク……」
ゴオオオオ……。
嗤いながら、悠然と空を飛んで行く武功蠱。
「祥芳!」
そこに屋敷から出た廊橋がやって来る。
「祥芳! 待て! どこに行く気だ!」
「……」
祥芳も屋敷から出て来たが、しかし廊橋の呼び掛けに答えず、宙に浮いたまま武功蠱を追う様に遠ざかって行く。
「祥芳!」
「どーゆーことだ? あのねーちゃん、こっちの声が聞こえてねーのか」
「何かの術で操られているのよ。――それより今は喬導士を城隍廟に連れて行くわよ。早く毒を抜かないと命に係わるわ」
「祥芳! 待ってくれ!」
祥芳を追おうとする廊橋。
「待てって」
グイッ。
金山が廊橋の腕を掴んで留まらせる。
「離してくれ! 祥芳が!」
何とか金山の手を振りほどこうとするが、廊橋の力では金山はびくともしない。その間にも武功蠱と祥芳は、どんどんと遠くへ飛び去って行ってしまう。
「無駄だって。何かの術で操られてるんだってよ」
「術……!」
思い当たる節があるらしく、追うのを止める廊橋。
「あんたの口からも聞きたいことがある」
城隍廟に戻った金山と靄超、廊橋と、意識を失っている放生。
一時間ほど経ち、放生を運び込んだ部屋から出て来た靄超に、
「解毒は?」
と、金山が話し掛ける。
「大丈夫よ。確かに強力な毒だったけど、成分が分かったから、解毒剤は調合出来たわ。薬も一通り揃っていたしね」
「そーか」
安堵する金山。靄超は絕對靈感という特殊能力を持っており、毒の成分さえ解析出来れば、それに合わせた解毒剤を作り出す事が可能だ。靄超の手持ちの丹薬や薬草だけでは不安だったが、幸い城隍廟には解毒剤の素となる薬などは豊富にストックされていた。
「そっちはどーだ? 少しは落ち着いたか?」
続いて椅子に座っている廊橋を見る。
「ああ……」
わずか二日足らずの間に色々な事が立て続けに起こって憔悴していたが、落ち着きを取り戻した様だ。
「そーか。なら靄超も来たし詳しい話を聞かせてくれ」
「ああ。分かったよ」
「祥芳から彼女がさっきの鯢魚會っていう連中に妓女にされて、体を壊して亡くなった話は聞いたわ」
「それであんたがあの蜈蚣妖怪の力を借りて、ねーちゃんの仇を討とうとしているって話もな」
「そうか……」
深い溜め息をつく廊橋。
「で、一体何がどうなってあの蜈蚣妖怪が出て来て、ねーちゃんが幽霊になる羽目になったんだよ?」
その核心が依然として謎のままであった。
「全部話すよ。――発端は五日前の話だ。俺は欺騙賭博で作った借金を返して、祥芳を身請けするために、この一ヶ月昼夜を問わず漁に出ていた。その疲労が一気に出て、家で倒れ込むように眠ってしまっていた――」
運河の畔にある廊橋の家。
ドンドンドン!
木戸を叩く激しい音。
「おう! 陽!」
「……!」
激しい物音に覚醒する廊橋。
「いるんだろ! 開けろ!」
「うう……。眠ってしまったのか……」
ガラッ。
気怠い体を何とか起こし、閂を外して戸を開ける廊橋。
「何だ、あんたたち……。――蘇親分……!」
声の主を見て表情を強張らせる廊橋。立っていたのは二人の柄の悪い男を連れた蘇闇寇だった。
「ふん。寝てやがったのか。良い身分だな――おい」
部下を促す蘇。
「へい」
不躾に家に入って来る組員丁。
ドサッ!
乱暴に肩に担いでいた「何か」を床に落とす組員丁。それは何と、茣蓙を被せられた変わり果てた妻、祥芳の姿だった。
「祥芳!」
即座に祥芳に駆け寄る廊橋。
「この笨蛋婊子は返すぜ」
「祥芳! 何があったんだ!?」
祥芳の体を抱き起こし、その冷たさに全身が総毛立つ。
「祥芳! どうした! しっかりしろ! 祥芳!」
「うっせえな。どうせ答えやしねえよ。もうおっ死んでんだからな」
「死んだ!?」
「この婊子、病気で散々伏せった挙句、ぽっくり逝っちまったんだよ」
「嘘だ!」
気が動転しながらも、必死に祥芳の体を揺する廊橋。
「祥芳! 目を開けてくれ! 祥芳!」
「黙りやがれ!」
ドカッ!
「ぐはあ!」
組員丁に顎を蹴り飛ばされる廊橋。
ズザザ!
土間の床を転がる。
「俺達は、んな事を言いに来たんじゃねえ! この笨蛋婊子の代わりにてめえが残りの金を払うんだよ」
「う、か、金……!? 何の事だ……」
「てめえにはまだ九〇兩の借金が残ってるだろうが!」
借用書を見せる組員戊。
「借金だと……? お前たちが借金の形に祥芳を連れて行ったんだろう……」
蹴られた顎を手の甲で押さえながら廊橋が反論する。
「笨蛋混蛋! この婊子はなあ、まだ一〇兩ぽっちしか稼いじゃいねえんだよ!」
「全然足りてねえんだよ! 分かっか? 残りの金はてめえがきちっと働いて返すのが筋だろうが!」
「ふざけるな……! 俺から祥芳を奪って、死ぬまで働かせておきながら――」
ドゴッ!
途中で言葉を遮られる廊橋。組員丁が腹を蹴り上げたのだ。
「ごはっ……!」
血を吐き呻く廊橋。腹を押さえながら体をくの字に曲げて悶絶する。
「文句は残りの九〇兩、耳を揃えてきっちり払ってから言いな」
「良いな? 踏み倒そうなんざ考えるんじゃねえぞ。俺達鯢魚會からはどこのどいつだろうが、逃げられやしねえんだからな」
「分かったらさっさと金策に行って来い!」
言いたい事を言い残し去って行く三人。
「ううう……。祥芳! 祥芳!」
祥芳の遺体にしがみ付き、泣きじゃくる廊橋。どんなに泣き叫ぼうとも、悔やもうとも、決して逃れる事が出来ない、生き地獄が待っているだけであった。
「ひどい……」
蘇たちのあまりの非道ぶりに怒りを隠せない靄超。
「無茶苦茶な連中だな。そりゃ殺されたって文句は言えねーし、もしオレが殺してたら文句は言わせねーぜ」
靄超に同調する金山。しかし。
「だがきついことを言わせてもらうが、欺騙だってことは知らなかったにしても、賭博に乗ったあんたにも責任はあるんじゃないのか?」
思った事ははっきり言うタイプなので、廊橋の落ち度も指摘する。
「君の言う通りだ。俺が間違っていた。だから俺は何とかして祥芳を取り戻そうとしたんだ……」
「『取り戻そうそうとした』と『取り戻した』じゃ全然ちげーだろーが」
「……」
「金山。彼は十分以上に悔いているわ。それ以上は……」
「……ふん」
靄超が諫めたので、鼻を鳴らす金山。
「それで――。どうしてあんな大蜈蚣の妖怪が現れる事態になってしまったの?」
空気を変える事も兼ねて、話を本題に移す靄超。
「町外れの森で出会った沸僧に言われたんだ」
昨夜起きた出来事をそのまま話す廊橋。
「沸僧? どこのどいつだそりゃ?」
「分からない。名前も何も名乗らなかった」
訊き返す金山に首を振る廊橋。
「何だそりゃ。そんな怪しいヤツの話に乗っかんなよ」
「その話は、今は良いわ。それで――」
話の続きを促す靄超。
「ああ。俺は祥芳を失った震驚で茫然自失となっていた。蘇や鯢魚會の奴らに復讐も考えたが、俺一人の力では到底不可能だ。三日ほどあれこれと悩んだが、途方に暮れた俺はもう生きていてもしょうがないと思い、首を吊って自殺しようと考え、森に入ったんだ……」
「そこでその沸僧と会ったのね」
「ああ。彼は自殺しようとする俺を止め、奴らに復讐する方法を教えてくれた」
「それがあの大蜈蚣か」
うなずく廊橋。
「沸僧は俺にこう言ったんだ。『もし貴方が復讐を望むのなら、この森の奥地に住む武功蠱という妖怪の力を借りるのです』って。『その為には亡くなられた奥様の遺体を焼いて骨灰にし、骨壷に入れる必要があります』って――」
「はあ? 遺体を焼いて骨壷に入れる?」
意図の読み取れない話の流れを訝しがる金山。
「金塔率領魂ね」
しかし靄超は沸僧の意図に思い当たる事があった。
「何だそりゃ?」
「以前師匠から聞いたことがあるわ。骨壷の中に死んだ人間の魂を封印し、それを触媒にして幽霊を呼び出す闇の妖術があるって。その術を使って呼び出された幽霊は、骨壷を持っている者の命令には決して逆らえないってね」
ここで言う触媒とは、化学用語ではなく、特定の術を使用するために必要な材料の事である。
「ンな術があんのかよ。――じゃあさっきにーちゃんの声に、あのねーちゃんが何の反応も示さなかったのは、その術で操られてたからか」
靄超の説明に合点の行く金山。
「そうだ……。さっきは気が動転して忘れていた……。それで、俺は沸僧の言う通りにして祥芳の遺体を焼き、その遺骨を入れた壷を持って武功蠱のもとに向かったんだ」
沸僧は廊橋を伴って夜の森へと向かった。
「ココニ何ヲシニ来タ、人間ヨ」
不意に、辺りに暗く冷たい声が響く。
「……!」
ビクッと体を震わせる廊橋。突如現れた巨大なムカデの姿に声を失う。
「ふむ。貴方がこの森の主、武功蠱ですな」
しかし沸僧の方は平然としていた。実力のほどは不明だが、少なくとも胆力は、並の人間のレベルではないだろう。
「儂ノ事ヲ知ッテイルトハ、御前ハ何者ダ」
沸僧が只者ではない事を見抜く武功蠱。
「そんな事はどうでも良いでしょう。――今日は貴方と取引したい事があってやって来たのです」
「取引? 人間ガカ」
沸僧の言葉に興味を引かれた様子の武功蠱。沸僧に代わって廊橋が事情を話す。
「笑ワセルナ。下ラヌ人間ノ復讐ナゾニ、何故儂ガ手ヲ貸サネバナラヌ?」
だが話を聞き終えた武功蠱はにべも無く断る。
「まあそう言わずに……。きちんと見返りは用意してありますので……。さあ、廊橋さん。例の物を――」
「あ、ああ……」
スッ。
沸僧に促され、祥芳の遺骨の入った骨壷を取り出す廊橋。
「これは人間の娘の遺骨が入った骨壷です。金塔率領魂の術は使えますかな? この骨壷を触媒にして娘の幽霊を呼び出し、それを貴方の妻として娶るのが良いでしょう」
「何? 人間ノ幽霊ヲ儂ノ妻ニダト」
沸僧の提案に驚く武功蠱。
「左様です。この森でその娘の霊と共に暮らすと良いでしょう」
「ククッ。面白イ事ヲ言ウ人間ダ。ダガ儂ハ人間ナド最初カラ信用シテオラヌ。儂ガ復讐ニ手ヲ貸シ、ソノ人間共ヲ殺セバ、ソレヲ口実ニシテ、次ハ儂ヲ殺シニ来ルノダロウ?」
武功蠱の様に珠家角クラスの町の近くに棲む妖怪は、流石に少数派であるが、人里離れた山奥や森、湖沼、砂漠などに隠れ棲む妖怪は、実は少なくない数がいる。だがいずれも人間と直接事を構える者は少数派だ。妖怪は普通の人間よりも遥かに強大な力を持つが、人間はとにかく数が多い。中には当然、金山や靄超の様な、超人的な戦闘力を持つ者もいるのだ。そう言った相手を敵に回すリスクを敢えて犯す者は、人間が大陸の大部分を支配するこの時代においては、ごく限られた武闘派だけである(とはいえ、決して皆無ではない)。
「その点に関しては心配いりません。貴方が人間に化け、凶器として剣を使えば済む話です。さすれば飽く迄も彼等を殺めたのは、この廊橋さんになります。貴方は関係無くなる」
「ドウイウ事ダ?」
「よもや剣では戦えないとは言いますまい。人間に化ければ可能なはずです。貴方が人間に化けて事を終えた後、剣を彼に渡して姿を消せば良いのです。廊橋さんが凶器となった剣を持って捕まれば、全ての罪は廊橋さんが被る事になりましょう」
「……」
なにしろ相手は巨大なムカデである。人間には表情が全く読み取れなかったが、数秒思案する武功蠱。
「フン。人間メ、小賢シイ事ヲ考エオル」
「はてさて……。それは褒め言葉として受け取っておきましょう。――それで、ご返答はいかがですかな?」
「面白イ。ソノ話、乗ッテヤロウデハナイカ」
人を殺したいという意思、欲求、欲望、衝動――。そういった妖怪としての本性は隠せないらしい。取引に応じる武功蠱だった。
「そんなことが……」
真相を聞き終え、驚く靄超。
「一体何モンだ、その坊主?」
「それは分からないけど……。でも金塔率領魂なんて妖術を知っていて、それを使ってそんな計画を思い付くんだもの。普通に考えて正派な人じゃないでしょうね」
「そりゃそーだ」
沸僧の正体は全くの謎だが、善良な一般市民でない事だけは確かであった。
「でも今の話を聞いてしまったら、ただあの武功蠱っていう妖怪を倒すだけじゃ、済まなくなったわね」
「何でだよ?」
靄超の言葉に疑問を返す金山。
「武功蠱が握っている祥芳の骨壷を取り戻さないと、彼女を助けられないわ」
「だから何でだよ。あの大蜈蚣をぶっ飛ばせば一件落着だろーが」
骨壷との関係が分からず、再度訊き返す。
「骨壷が割れてしまったら、彼女は〝聻〟になってしまうわ」
「せき?」
廊橋が聞き覚えの無い言葉に戸惑う。
「一言で言うなら幽霊の、そのまた幽霊よ」
「幽霊の幽霊? 言ってる意味が……。幽霊は幽霊じゃ……」
靄超の簡潔な説明では、まだ理解が追い付かなかった。
「人間は死ぬと鬼――つまり幽霊になって、冥府の裁きを受けて、生前の功罪に応じて冥府で暮らしたり、来世に生まれ変わったり、あるいは地獄に落ちたりするでしょ。だけど鬼が霊的な損傷を負ってしまい、霊体を保てなくなると、鬼が『死んで』聻になってしまうの。聻となった者は生まれ変わる事も、冥府で暮らす事も出来ずに、現世と冥府をさまよって、ただただ鬼や人に害をなすだけの存在となるわ」
「な――」
靄超の説明を聞き、流石に事の重大さを認識する廊橋。
「そうなっちまったら地獄だな。いや、そもそも地獄に落ちることすら出来ねーのか」
金山も得心が行った。
「ええ。だから骨壷を取り返してきちんと成沸させてあげないと、彼女を助けたことにはならないわ」
「そんな……」
金山たちと出会ってからずっと、覇気の無い表情の廊橋であったが、ますます精気が薄れて行く。
「安心して。必ず彼女の骨壷は取り戻すわ」
「しゃーねーな。骨は折れるが、やるか」
扉の方に向かう金山と靄超。
「君たち……」
二人を交互に見る廊橋。
「あんたのためじゃねーよ。江湖の義気のためだ」
「彼女に頼まれたしね」
そう言うと、武功蠱が棲み処にしているという珠家角郊外の森へと向かうのだった。
そして舞台はその珠家角の郊外の森へと移る。
「お、お許しを……! お許しください……!」
武功蠱の足元(?)にひざまずき、許しを請う祥芳。
「御前ハ儂ノ所有物ニ過ギヌノダ。ソレヲ今一度分カラセテヤロウ」
「かっは……!」
武功蠱がそう言うなり、胸を押さえて呻く祥芳。見た目には何の変化も起きていないが、武功蠱が何かをして、祥芳に苦痛を与えている様だ。
「お許しを……。ど、どうか……」
顔を歪めて祥芳が懇願するが、武功蠱は人間を何の憐憫の念も持たずに斬殺する様な妖怪である。彼女の苦痛を緩める情などあろうはずが無い。だがその時――。
「爆裂符!」
「ヌ!」
ドーン!
靄超が投げた爆裂符が炸裂する。数秒で煙は晴れたが、放生が使った時と同様、武功蠱は特にダメージを受けた様子は無い。
「何者ダ!」
誰何の声を上げる武功蠱だが、現れたのは金山と靄超である。
「あ、あなたがた……は……」
二人の姿を確認し、少し表情を和らげる祥芳。
「彼女を解放してもらうわ」
「人間共メ。性懲リモ無クヤッテ来オッタカ」
ある程度予測はしていたのだろう、特に驚かない武功蠱。もっとも、驚いたところで人間には、その表情は読めないだろうが。
「たりめーだろ。テメーみたいのを生かしておくと世の中のためになんねー」
ポキポキと指を鳴らす金山。
「おい、靄超」
「分かってるわ」
金山に促されるよりも早く、茘枝の葉(ライチの葉っぱ)を目に当てる靄超。
「通天眼!」
カッ!
霊視の術を発動させる。靄超の両目が一瞬黄色く輝いた。
「骨壷はお腹の中だわ!」
霊視の効力により、武功蠱の体内にある骨壷を見付ける靄超。
「チッ。飲み込んでやがったのか」
露骨に舌打ちする金山。思った以上に厄介な状況であった。
「口から入り込むか。毒にやられるかも知れねーが」
「さっきの解毒剤があるから死にはしないけど、ぞっとはしないわね」
念のために、先ほど放生に使った解毒剤の残りを持って来ている靄超が言う。流石に乗り気ではなかったが。
「しゃーねー。骨は折れそうだがやるしかねー」
覚悟を決める金山。
「靄超、灯りだ」
「分かったわ」
袖口から符籙を取り出す靄超。
「閃光符!」
カッ!
閃光符は光を生み出す符籙である。目眩ましに使う場合と、照明の様に辺りを照らす二通りの用途があるが、今回の使用法は後者である。金山も靄超も常人に比べれば夜目は利くが、本来闇に生きる妖怪に比べれば流石に分が悪い。月明りと星の瞬き以外に光源の無い森の中では、閃光符によって視界をキープしておくのは極めて有効である。
「よし、行くぜ!」
コォオオオオオ!
闘気を高めて行くと、金山の体を覆う黄色い光が輝きを増し、炎の様に燃え盛る。閃光符の生み出した明かりにも劣らない輝きだ。
「ヌ!」
こちらも決して力押し一辺倒の妖怪ではないので、金山の闘気の強さを感じ取り警戒する武功蠱。
「はあ!」
タッ!
金山が宙に舞う。
「飛龍斧頭腳!」
ドガッ!
踵落としが武功蠱の頭部に炸裂する。
「グウ!」
呻く武功蠱。
「龍尾圓舞腳!」
着地を待たずに空中でダイレクトの回し蹴りを放つ。
ドカッ!
こちらも踵が命中する。
スタッ。
「猛虎暴飌拳!」
草むらに降り立つと同時に、嵐の様な拳のラッシュを見舞う金山。
「はあああああ!」
ドガガガガガガ!
武功蠱の巨体に闘気に包まれたパンチの雨が降る。しかし――。
「温イワ!」
秒間百発近くのパンチを打ち込んだものの、さして武功蠱にダメージは与えられなかった。
「フン!」
ブン!
武功蠱の振り回した尾が、空を切り裂き金山に迫る。
「ちっ!」
横薙ぎの一撃をしゃがんでかわす金山。
「カアアアアア!」
ブシュウウウウウ!
さらに口から緑色の毒ガスを放出する。
「!」
バッ!
体勢は悪かったが、何とか跳んでかわす金山。
シュワワワ……!
後ろの森の木々が毒ガスを浴び一瞬で枯れてしまう。やはり恐るべき猛毒である。
「くそっ。小技じゃ埒が明かねー。やっぱ一発大きいので倒すしかねーか」
怒涛の連続攻撃にも、びくともしない事にぼやく金山。
「骨壷は割らないでよ」
金山が荒っぽい事を口にしたので、釘を刺す靄超。
「倒してから奪うしかねーだろ。――骨壷があんのは腹だったな。なら、頭を叩き潰す分には問題ねーだろ」
そう言って、闘気を練り上げる金山。
「うおおおおお!」
コォオオオオオ!
金山の体を覆う闘気が右の拳に収束して行く。武功蠱の頭部を潰し、息の根を止めるつもりだった。
「猛虎掏心拳!」
ダッ!
走る金山。蘇の屋敷で使った際は闘気を収束させる時間が短かったため、十分な威力を出せなかったが、今回は本気の一撃である。
「笨蛋メ」
ギラッ!
武功蠱の目が赤く輝いた。と、次の瞬間、
「きゃあ!」
グイッ!
祥芳の体が見えない糸に引っ張られたかの様に、ちょうど金山と武功蠱の対角線上に入ったではないか。
「クク」
嗤う武功蠱。妖術で祥芳の体を操ったのだ。やはり力押ししか能の無い妖怪ではないらしく、祥芳を盾に使うつもりであった。
「ンだとお!?」
焦る金山。ここまで勢いが付いた以上、今更拳を引く事は出来ない。そして圧縮した強力な闘気の塊である猛虎掏心拳は、霊体である祥芳にダメージを与える事など苦も無い事である。当然、金山の最強技であるので、それを食らえば怨霊や悪霊ではない、ただの幽霊である祥芳はひとたまりもないだろう。
「くそっ!」
ガン!
とっさに自分の左の拳で右の拳を叩き、強引に猛虎掏心拳のパンチの方向を変える金山。
「――!」
すんでのところで、祥芳の体を避ける金山の右拳。
ドカッ!
「きゃあ!」
しかし勢い余って祥芳の体に体当たりする形になってしまう(金山は闘気で体を覆っているので霊体に触れられる)。
「狗屎がっ! 何て真似しやがる……!」
毒づく金山だが、その隙さえ見逃さずに攻撃を仕掛ける武功蠱。
「カァアアアア!」
バシュウウウ!
再び毒ガスを吐き出す。
「何っ――」
祥芳の体を抱き起こし跳ぼうとするが、毒ガスの方がわずかに早い。霊体である祥芳は物理的な毒ガスを浴びてもダメージは無いのだが、反射的に助けてしまったのだ。その一瞬のタイムラグが、回避を遅らせてしまう。全身で浴びる事は無いにしても、かわし切れないタイミングである。しかし――。
「結界符!」
キーン!
毒ガスが金山に届く寸前のところで、青白い輝きを帯びたガラス板の様な物が現れ、ガスの直撃から金山を守った。靄超が符籙で結界を張り、フォローしてくれたのだ。結界符は建物に貼る事で、その建物自体に霊的な防御結界を張り巡らせる事が出来るのだが(城隍廟がまさにそうである)、もう一つ使い道があり、符籙に秘められた霊力を一気に解放する(これを発動という)事により、一時的にではあるが、強力な結界を展開する事が可能なのだ。今回は後者の使い方をした訳である。
「焦熱紅蓮!」
ボオオオオオオオ!
続け様に灋術を放つ靄超。焦熱紅蓮は靄超が使える灋術の中で最強の威力を誇る術で、延焼の恐れのある森の中で使うのは、いささかリスキーでさえあるほどの火力と熱量を誇る。しかし。
「ヌウウウウ……!」
文字通りの紅蓮の炎が武功蠱を包み込むが、唸るだけでその外殻が焦げたり、融解したりする様子は見られない。
「これも駄目なの!?」
自身の最強術を持ってしても決定打とならず、焦りの表情を浮かべる靄超。
「図体だけじゃねーのか。思ったより全然つえー」
ぼやき半分、称賛半分の感想を漏らす金山。金山の打撃も放生の灋具も、そして靄超の灋術も、武功蠱には(多少の苦痛は感じた様だが)ほとんどダメージは与えていないのだ。
「……」
心配そうに二人を見る祥芳。彼女の命運もまた、金山と靄超の双肩に懸かっているのだ。
「ククク……。御前達ノ力デハ、コノ儂ハ倒セヌワ……!」
そもそも人間を見下している節が往々にしてあるが、優位に戦いを進める事で嘲る武功蠱。
「外からの攻撃じゃ無理みたいね。体の中から攻撃するわ」
「おいおい。それをやったら骨壷が割れちまうだろ」
「だからその前に取り戻すのよ」
「どうやってだよ?」
「相手はあの巨体だもの。体の中に潜り込むわ」
「それが一番やべーだろ。口から毒を吐き出すヤツだぞ」
下手に口に近付けば、自分から毒ガスを浴びに行く様なものである。
「危險は承知よ。でもそうでもしないと倒せないでしょ?」
「う……!」
金山と靄超が作戦会議を開いてる途中に、突然祥芳が苦しそうな声を上げる。
「どうしたの?」
フワッ。
そしてそのまま体が宙に浮かぶ。
「おい! 待てよ!」
グイ!
祥芳の腕を引っ張って止める金山。
「そ、それが……、体が……言うことを……、聞かないんです……!」
必死にもがくものの、体が勝手に武功蠱のいる方に移動しようとする。どうやら先ほどと同じ術で、武功蠱に引き寄せられている様だ。
「また盾に使うつもりね」
武功蠱の卑劣な戦法に憤る靄超。
「い、いた、痛い……!」
顔を歪める祥芳。武功蠱が引き寄せる妖術を金山が押さえ付けているので、両側から体を引っ張られているのと同じ状態なのだ。
「ちょっと金山!」
このままでは祥芳の身が危険であるため、靄超が叫ぶ。しかし祥芳の腕を離してしまったら、盾や牽制に使われるのは目に見えている。
「しゃーねー。ゆっくり作戦を立てる時間もくんねーんじゃ、やるっきゃねーか」
武功蠱に向き直ると、覚悟を決める。
「そのねーちゃん、押さえとけ。解毒剤も準備しとけよ」
祥芳の体を靄超に預ける金山。
「ちょっと!」
ダッ!
靄超が了解する前に金山が武功蠱に向かって走る。
「もう!」
文句を言いつつも、祥芳の体を後ろから抱き押さえる靄超。
「ム!」
向かって来る金山に向かい、
「カアアアアア!」
またも毒ガスを吐き出す武功蠱。
「は!」
タッ!
横に跳んでかわす金山。
ダン!
片足だけで切り返すと、武功蠱が毒ガスを吐き終わり、口を閉じるよりも早く、その口の中に跳び込んだではないか。
「ヌ!」
この行動は読めず、驚く武功蠱。だが、長さ的には龍にも匹敵する巨体を持つ武功蠱だったが、フォルムはムカデその物である。扁平な体は厚みが無いため、思ったよりも体内は狭かった。
「くそっ。せめーじゃねーか」
人間で言えば食道に相当する器官で毒づく金山。作戦を練り込む時間が無かったので、行き当たりばったりで体内に潜り込んだが、とんだ誤算であった。
「どこだ、くそ!」
四つん這いになって奥に進んで行く金山。
「グウウウウ!」
ドガッ! バキッ! ドン!
何とか金山を吐き出そうと、日光の下に出たミミズがのたうち回る様に暴れる武功蠱。
「ちょっと!」
「きゃあ!」
本来は彼の寝床であろうが、周囲の森の木々を薙ぎ倒す。
「早くしてよ!」
恐らく金山には聞こえていないだろうが、文句を言わずにはいられない靄超。祥芳の体を押さえ付けておくにも限界があるのだ。
「オノレ……!」
暴れても金山は出て来ない事を悟り、金山を体内に入れたまま、毒ガスを吐き出す事にする武功蠱。
ブオオオ!
毒ガスを生成する器官は食道よりも奥にあるのか、金山の進行方向前から緑色の気体が猛烈な勢いで迫って来る。
ブシャアアアアアッ!
「ぐおおおおおお!」
逃げ場の無い体内で、ガスの直撃を浴びてしまう金山。
「くそ……」
放生が食らった時以上の量の毒ガスを浴び、毒づく威勢も弱くなる。リスクは分かってはいたが、流石にこれは効いた。呼吸が荒くなり、意識が薄れそうになるが、強靭な体力と不屈の精神力で何とか持ち堪える。
「こいつか!」
胃に当たる消化器官で人骨の中から、何とか骨壷を見付ける金山。
「長居は無用だぜ」
この場に散らばる人骨が、先ほど丸飲みにされた蘇が早くも――一時間強で――消化された成れの果てであるのなら、相当に強力な胃酸という事になる。気力を振り絞り、体外を目指して元来た道を戻る。四つん這いでありながら、犬よりも速いスピードであった。
「カア!」
人間で言えば絡んだ痰を吐き出すという行為であろうか、喉の辺りまで戻って来た金山をようやく吐き出す武功蠱。
「靄超!」
ブン!
地面に投げ出されたが、無事に手に入れた骨壷を投げる金山。
パシッ!
右手でキャッチする靄超。
「ヌ! ソレハ――」
骨壷を奪われ流石に動揺する武功蠱。金山の狙いを理解したが、ここに至っては時すでに遅し、である。
「解毒剤よ!」
今度は左手で小瓶を投げ返す靄超。
「助かったぜ……!」
グイッ。
受け取り早速飲み干す金山。
「はあ……はあ……はあ……!」
体内の毒素が薄れて行くのは分かったが、それまでに受けた毒のダメージが消えた訳では無いので、やはり体力の消耗が激しい。
「骨壷よ。離れてて」
「はい!」
金山が取り戻した骨壷を祥芳に返す靄超。体内から骨壷が離れ妖術が切れたのか、自由になった祥芳は木々の陰に隠れる。
「オノレ……! 許サヌ……!」
ブン!
武功蠱が金山の頭目掛け、尾を叩き付ける。
ドガン!
「ぐ……!」
苦痛に顔を歪める金山。両腕を交差してガードするが、足の踏ん張りが効かずに地面にめり込んでしまう。毒のダメージが残る今のコンディションで、武功蠱との力比べは甚だ分が悪かった。
「絶対ニ許サヌゾ……!」
「そう長くは戦えねー。遠慮はいらなくなったから、一気に決めるぞ!」
ボワア!
最後の気力を振り絞り、残った闘気を高める金山。
「はぁあああああ!」
またも闘気を両腕に収束して行く。だが、使う技は猛虎掏心拳ではない。
「口をこじ開けろ! 体の中にでけーのをぶち込んでやる!」
「ちょっと! それ役割分担逆でしょ! 金山が口をこじ開けさせて、私が術を使うわ!」
「この損傷じゃ口を開ける力量が出ねーんだよ!」
普通に考えれば確かに体力自慢の金山がこじ開けた方が、効率が良いはずだが、先述の通り毒で受けたダメージが大きく、力を出し切れないのだ。
「しょうがないわね!」
腕力では金山の半分以下の靄超にとっては、かなり無茶な注文のはずであったが、不承不承納得する靄超。使える術と手持ちの符籙の中から何を使うべきか、即座に脳内でシミュレーションする。
「食ラエ!」
ブシュウウウウウ!
またもや毒ガスを吐き出す武功蠱。
「何とかの一つ覚えね!」
タン!
跳んでかわす靄超。人間に化ける變化の術や金塔率領魂の術を操るものの、ここに至っても使用しないという事は、どうやら武功蠱は攻撃系の術は習得していない様だ。
「結界符!」
ブン!
符籙を投げ付ける靄超。だが結界符は防御用の符籙であるが――。
「ヌ!?」
キーン!
武功蠱の口の中で結界符を発動させる。青白い光の壁が現れ、つっかえ棒の要領で武功蠱が口を閉じるのを妨害したではないか。
「ゴアッ!?」
何とか口を閉じようとするが、展開された結界に阻まれ口を閉じられない。結界符を発動させた場合、効果の持続時間は短いが、その分その防御効果は絶大である。武功蠱の顎の力でも噛み砕けないほどに。
「今よ!」
「やりゃ出来んじゃねーか!」
どうやって口を開けさせたままにするかは全く相談していなかったが、アドリブにしては想定以上の仕事振りである。
ダッ!
金山が武功蠱の口の前に跳ぶ。
「ガ! ガ!?」
「こいつでとどめだ! 猛虎咆哮破!」
ドウッ!
両腕に収束させた闘気を放出する金山。猛虎咆哮破は煉氣炮と同系統の闘気を放出する技である。だが煉氣炮と異なり、極限まで高めた闘気を一気に放出する技であるため、必殺の破壊力を持つ。敵単体への攻撃力では猛虎掏心拳に劣るものの、射程・効果範囲の点で上回る。
フッ。
まさに結界符の効果が切れたその瞬間に、武功蠱が口を閉じるよりも一瞬早く、口の中に光の奔流が飲み込まれた。そして間髪を入れずに体内で炸裂する。
「グウオオオオオ!」
ドゴーン!
さしもの強靭な外殻を持つ武功蠱も、体の内側を攻撃されたのでは、ひとたまりもなかった。殻の破片と青紫色の体液を撒き散らし、爆散した。
「勝ったわね」
「何とかな……」
軽口を叩こうにも、ダメージが大きくその場に片膝を突いてしまう金山。祥芳の骨壷を取り戻すというハンデがあったとはいえ、靄超との二人掛かりでここまで苦戦するとは、全くの想定外である。外殻の防御力を頼りにした力押しだけではなく、狡猾さも併せ持つ恐るべき妖怪であった。もし攻撃系の妖術も覚えていたなら、負けはしないにせよ、靄超もどうなっていたかは分からない。
「金山さん! 靄超さん!」
木陰で様子を窺っていた祥芳が飛び出して来る。今までに見た事の無い笑顔を浮かべて。これが生前幸せだった頃の、彼女本来の笑顔なのだろう。
「骨壷は無事ね?」
戦闘中の何かの拍子や、最後に武功蠱が爆発した際の破片で壊れてしまうなどという事があれば一大事だったが、彼女が無事でいるという事は、その心配は無いだろう。
「はい! この通りです!」
大事そうに抱えた骨壷を見せる祥芳。
「そう。良かったわ」
「私よりお二人は大丈夫ですか? 特に金山さんは……」
道着のあちこちが緑色に染まり、顔色もすこぶる悪い今の金山は、正直、幽霊の祥芳よりも不健康そうに見える。
「また道着を新調しなきゃならねーが、それ以外は大丈夫だ」
靄超から受け取った治瘉符を体に当てながら、何とか立ち上がる金山。肉体のダメージも体力・闘気の消耗もかなりのものだが、そのタフさも折り紙付きである。
「ごめんなさい……。本当に私のせいで……」
申し訳なさそうに言う祥芳。
「別に謝る必要はねー。江湖の義気のためだ」
謝罪はされても、恩に着せはしない金山。
「そうね。あの鯢魚會っていう地痞も、武功蠱っていう妖怪も、誰かがどうにかしなくちゃいけない相手だったもの。あなたが私たちに頼んだのはたまたまよ」
「そんな……。でも私には本当に、あなたがたから受けた御恩をお返し出来る物が何も無くて……」
「だから良いっつーの」
「あなたをあの妖怪の手から解放出来たことで、全て報われたわよ」
そこに――。
「お~い!」
男の声が森の中に響く。声の主は廊橋であった。武功蠱との戦闘になるので(万が一にも人質に取られてしまえば著しく不利になるので)、彼には森の入り口で待つ様に言ってあったのだ。静かになったので様子を見に来たのだろう。
「廊橋!」
声のした方に叫ぶ祥芳。
「祥芳!」
廊橋の方も祥芳を確認した。
「大丈夫か!? あの蜈蚣の妖怪は!?」
息急き切って走って来たが、祥芳と金山、靄超の三人だけで、武功蠱の姿が無い。
「大丈夫よ。金山さんと靄超さんが退治してくれたの」
「本当かい!?」
正直、子供の金山と靄超があれほどの妖怪を倒せるかどうかと言えば、半信半疑であったのは確かだが(大人の導士である放生があっさり倒されてしまったので)、
「これは……まさか……」
閃光符によって照らされた(範囲によって異なるが一時間程度は有効である)足元に落ちている武功蠱の外殻の欠片と、地面に飛び散った体液を確認しては、信じない訳にはいかないだろう。
「言ったでしょ。彼女の骨壷は必ず取り返すって」
骨壷を見せる祥芳。これを取り返した事、祥芳が無事でいる事が、武功蠱を倒した何よりの証だ。
「それは……」
「もう絶対に人に渡しちゃダメよ」
「もちろん!」
祥芳から骨壷を受け取る廊橋。
「ありがとう。二人のお陰で祥芳をあの妖怪から取り戻せたよ」
「そう言われちまうと、毒で苦しんでる放生のおっさんの立場がねーけどな」
「ごめん! 喬導士には後でお礼を伝えに行くよ!」
金山に指摘され、廊橋が慌てて言い繕う。
「廊橋ったら」
クスリと笑う祥芳。
「でも本当にありがとう。これでまた元の様に暮らせるよ」
「残念だけど、そうはいかないわ」
目を伏せ、声のトーンを落とす靄超。
「え!?」
靄超の言葉の意味が分からなかったが、すぐにその意味を悟る事となった。
スー……。
何と祥芳の体が透け始めたではないか。
「どうした、祥芳!?」
驚く廊橋。
「武功蠱を倒したから、金塔率領魂の術の効果が切れるのよ」
そうなる事は最初から分かっていたので、冷静に告げる靄超。
「そんな! せっかく会えたのに!?」
「……」
祥芳の方は、覚悟はしていたのだろう。激しく狼狽する廊橋に対して、こちらは非常に冷静だった。
「何とかしてくれ! お願いだ! 俺に出来る事だったら何でもする! だから、だから、頼むよ! 俺から祥芳を奪わないでくれ!」
今にも泣きだしそうな顔で靄超に懇願する廊橋。
「残念だけど、人を生き返らせる術は灋術にも無いわ」
再び目を伏せ、首を振る靄超。
「そんな!」
「良いわ、廊橋。私は一度死んだんだもの。仕方ないわ」
現世に呼び戻されたとはいえ、一度死を受け入れていた身である。生者と死者が一緒にいられない事は、身を持って理解していた。
「待ってくれ!」
祥芳を失うまいと抱き留めようとするが、霊体の彼女に生身の廊橋は触れる事は出来なかった。
「祥芳!」
「ごめんなさい。でも最後にお別れが言えただけでも良かったわ。前は別れの言葉も言えなかったから。さようなら、廊橋。私の分も長生きしてね」
そう言い残すと、祥芳の姿は消えてしまった。後に何の痕跡も残さずに。
「うわあああああ!」
祥芳の骨壷を抱いたまま泣き崩れる廊橋。
「最後、彼女は笑ってたわ。あなたも――」
「祥芳! 祥芳! 祥芳~!」
靄超が励まそうとしたが、闇夜の森に響き渡る慟哭に、声が掻き消されてしまう。
「そっとしといてやれよ」
金山が珠家角の町の方に向かって歩き出す。
「でも一度は自殺しようとしてたんでしょ? ほうっておいて良いのかしら……」
「あのねーちゃんの骨壷を取り戻すまでは、江湖の義気のために戦ったが、その先まではオレの知ったこっちゃねー。あのねーちゃんの分まで長生きすんだろ」
歩みを止めずに、背中越しに靄超に言う金山。
「……」
廊橋が気になったが、金山の後を追う靄超。
「もう一度だけ会えたことが良かったのか、二度悲しい思いをしちゃったのか……。どちらなのかしら?」
「さーな。人それぞれだろ」
悲しい男の泣き声が響く森を後にし、珠家角の町の灯りに向かって歩いて行く金山と靄超。武林江湖に燃える義気がある限り、その歩みを止める事は無いのだろう。
次も二人を新たな事件が待ち受けているのだが、それはまたの講釈にて。
(劇終)




