第壹集 十全十美拳師登場
登場人物
■龍金山……主人公。拳師(武道家)。
■孫靄超……導姑(女性の導士)。
■何根餠……伍角場に住む少年。富豪の子弟だが拳師を目指している。
■何大爺……根餠の父親。伍角場の富豪。
■史葉仁……何家の使用人。
■聞人蕾……江楠省汰倉州寶汕縣紅灣鄕に出稼ぎに出た兄の訃報を知り、その遺体を引き取るためにやって来た少女。
■喬放生……淞江府淸浦縣珠家角鎭の城隍廟の管理人に任命された導士。赴任の旅の途中で伍角場を訪れる。
■成須增……伍角場義莊の管理人をしている導士。引き取り手の無い遺体を義莊で預かっている。
これは我々の住む世界とは別の世界。池球と呼ばれる惑星で繰り広げられる物語である。
仲華大陸は東西両大陸の東部、東方大陸の亜大陸である。紃治七年は、東西両大陸の西部、西方大陸で使われる栖暦では一六五〇年に当たる。仲華大陸を支配した眀王朝は十七代十六主二百七十六年で滅び、東北部に蟠踞した狩猟・採集を行なう少数民族であった鏋洲族の興した溱王朝が、大陸の支配権を確立しつつあった。
その動乱の陰で、後に大陸最強の拳師(武道家)と呼ばれる事となる、一人の若き拳師の伝説がひっそりと幕を開けようとしていた。
仲華大陸の中部を流れる最大の大河・張江の南部を広く江南と呼ぶ。江楠省はその江南に位置する省で、その領域はかつての眀の南直隷に相当する。
仲華大陸では百戸未満の集落を邨と呼び、百戸以上、千戸未満の都市型の集落を鎭、都市を形成しない集落を鄕と呼ぶ。ここは江楠省汰倉州紅灣鄕に属する伍角場という邨である。その伍角場の五叉路の中心部の広場に人だかりが出来ていた。
「何かしら、あの人だかり?」
長い黒髪の少女が、のどかな水田の広がる田舎の村に不釣り合いな、まるで祭りでもあるかの様な群衆を目にして、立ち止まった。
年の頃は十五、六歳。もっとも仲華大陸では数え年を使うので、満年齢では恐らく十四歳と十五歳の間だろう。黄色と黒の警戒色の導袍(導士の法衣)を纏い、鞄を肩掛けにし、背中には木刀を差していた。
孫靄超:導姑(女性の導士)
「ぎゃあああ!」
突如として野太い男の悲鳴が周囲に響き渡る。
「!」
驚く靄超。
ドサッ! ゴロゴロ!
靄超の足元に大柄で筋肉質の男が吹き飛ばされ、転がって来る。誰の目にも屈強そうな印象を与える、そんな大男であるが、しかし今、その表情は苦悶に歪んでいた。
「ちょっと! お兄さん、大丈夫!?」
心配して倒れている男に声を掛ける靄超。
「うぐぐ……くそっ……」
だが大男は苦痛に呻いたかと思うと、すぐに気を失ってしまう。
「すげえ!」
「あの大男をぶっ飛ばしたぞ!」
「噂以上だ!」
群衆からわっと喝采が湧く。
気絶した大男も含めて、群衆の男たちは辮髪と呼ばれる鏋洲族特有の奇抜な髪型をしていた。後頭部以外の髪を剃り、残った髪を長く伸ばして三つ編みにし、後ろに垂らすという特異な髪型である。仲華大陸に進出した溱朝は、この元来は鏋洲族の風習であった辮髪を、仲國内地に住む多数派民族である熯族に対しても強要し、その受容を以って服従の証としていた。少数の異民族が大多数を占める熯族を統治するという政治構造上、溱は熯族に対して減税などの融和政策を進めていたが、ことこの辮髪の強要に関してだけは、一切の妥協も許さず「髪を留める者は頭を留めず、頭を留める者は髪を留めず」という苛烈なまでの強い姿勢で臨んでいた。
その甲斐(?)もあってか、仲國内地侵攻後のわずか数年にして、辮髪は僧侶と導士を除く全ての成人男子の間に広まっていた。
「何なのよ……!」
怪訝な表情で人だかりに近付く靄超。
「ちょっと! 人が怪我してるのよ! 騒いでないで助けなさいよ!」
無責任に盛り上がっている群衆に声を掛ける。
「何だ、お嬢ちゃん?」
群衆の中の一人、中年の男が靄超の抗議に気付く。やはり辮髪を結った、仕事着の男である。
「何じゃないわよ。人が飛んで来てるのに何で誰も助けないのよ」
「はあ? 何言ってんだ? 別に打架じゃないんだ。ぶっ飛ばされたってしょうがないだろ」
「打架じゃない?」
男の言葉に、訊き返す靄超。
「眞拳だよ」
別の群衆が答える。
「眞拳?」
「金品を賭けてやる草試合さ」
訊き返した靄超にさらにまた別の群衆が説明する。
「さっきの大男をぶっ飛ばしたのがあの兄ちゃんさ。名前は龍金山。人呼んで十層の龍、〝十層龍〟って呼ばれてる凄腕の眞拳師さ」
「十層……?」
聞き慣れない言葉に眉をひそめる靄超。
「負けた時に挑戦者の掛け金の倍を払うのを『倍層』って言うんだ。だがあの兄ちゃんは負けた時に相手の掛け金の十倍の額を払う。だから『十層』って言うんだよ」
「じゃあ、もし挑戦者が一〇文を賭けて、彼が負けたら一〇〇文にして払うってこと?」
群衆に尋ねる靄超。文とはこの仲華大陸で使用される通貨単位である。少額の取引に使用される銅製の小銭だ。ただ我々の世界でいくらに相当するのかは、秤量貨幣である銀の相場に左右されるため、一概には言えない(高額の取引や納税には銀が使用される)。
「ああ」
「それじゃ大損じゃないの」
「負ければ、な」
靄超と群衆のやり取りを聞いていた、道着を着た少年が口を挟む。
「どうせ負けねーけどな」
ニヤリと笑う少年。辮髪を結わず、黒い髪をボサボサにしている。年齢は靄超と同じぐらいなので、やはり満年齢では十五歳ほどだろう。それほど背は高くなく、中背であるが、道着の上からでも引き締まった筋肉の持ち主である事は見て取れる。
この少年が先程の大男を(一方的に)ノックアウトしたのであれば、まず只者ではあるまい。 〝十層龍〟龍金山:拳師(武道家)
「……すごい自信ね」
極めて傲岸不遜な態度の金山に呆れる靄超。
「いや、実際あの兄ちゃんは強い。六百八十戦六百八十勝無敗って肩書きに嘘はねえぜ」
「今一戦やって勝ったから、もう六百八十一戦六百八十一勝無敗だけどな」
筆で掛け軸に白星を書き込みながら、訂正する金山。
「さあ。他に挑んで来るヤツはいねーのか?」
金山は筆を鞄の中にしまうと、周囲を見渡す。
「……」
しかし名乗りを上げる者はいなかった。
「どうした? この村にはもう、オレに勝てるヤツはいねーのか?」
挑戦的な視線を群衆に投げ掛けるが、周りを囲んだ人間はニヤニヤ笑っている。
「……あのな、兄ちゃん」
群衆の一人、最初に靄超と会話をした仕事着の中年男性が口を挟む。
「兄ちゃんは暴れ過ぎ……勝ち過ぎだぜ。誰もあんたに挑む奴なんざいやしねえよ」
「おいおい。腰抜けばっかかよ、この村は。こっちはあちこち周るのに元手が掛かってんんだ。たかが一試合じゃ旅費にもなりゃしねーよ」
不満そうに言う金山。
「だから、勝ち過ぎなんだって。胴元が十割勝つ賭博に誰が乗るって言うんだ?」
「確かに……。挑戦者が絶対に勝てないんじゃ、賭けが成立してないのと一緒だもんね」
群衆の話に同意する靄超。
「ち。ここもかよ。たかが一試合で怖気付きやがって」
舌打ちする金山。
「『どうせ負けない』なんて言ってる人がよく言うわね。賭けはするけど絶対に胴元が負けませんって言ってたら、それじゃあ誰だって乗らないわよ」
「勝ち過ぎた末路だな。眞拳なんて地痞な商売やめて、真面目に働くこったな。――まあ、それだけの腕だ。活かす口ならいくらでもあるだろ。軍に仕官するか、敎師爺や鏢師にでもなるんだな」
中年男性が出した敎師爺とは、権力者や富豪に雇われ武術の伝授や護衛を行なう武芸者、鏢師は商人が金品の輸送の際に雇う護衛の事である。ともに武芸を頼みとする拳師などが就く職業である。
「行こうぜ」
背中を向ける群衆の一人。周りの人々も続き、さっと人の輪が引いて行く。
「け。よけーなお世話だ」
吐き棄てる様に言う金山。
「あのおじさんの言う通りだわ。せっかくそんなに強いんだったら、賭け事なんかに利用しないで、世の中の役に立てた方がいいわよ」
「だからよけーなお世話だって。――つーか、何なんだよ、オメーは?」
広場に残った靄超に問い掛ける。
「私? 私は、姓は孫。名は霧越。字は靄超。導姑よ」
名乗る靄超。字とは成人した際(仲華大陸では男は二十歳、女は十五歳)に本名とは別に付ける名前である。仲華大陸では本名を忌避する風習があるため、親や目上の親族など、ごく親しい間柄の相手以外は、本名を避けて字で呼ぶのである。
「導姑?」
訊き返す金山。仲華大陸の人口の内、九割を占める熯族が信仰する伝統宗教の一つに、導敎がある。導敎の僧の事を導士と言い、その尼僧に当たるのが導姑である。
「そ。修行の旅をしてるの。この村の義莊に用があって立ち寄った訳」
靄超の出した義莊とは、一つには、一族共有の田畑(これを義田と言う)を持ち相互扶助(利益の分配など)を行なうシステムの事を指す。科擧の受験には多額の費用が掛かるが、一族の者から優秀な者を選び、その官界進出に一族の将来を託すために、一族で共有の土地を持ち、そこからの収入(小作料)を勉学や受験のための費用に当てるのだ。またこの資産は一族の貧窮者の救済にも使われる。
もう一つは、出稼ぎ先や旅先で客死した者たちの、遺体を収めた棺や遺骨を収めた骨壷などを安置するための施設を指す。この仲華大陸では客死した者は故郷の土に葬られる事(これを歸葬と言う)を望んでおり、一旦義莊に遺体を集め、そこからそれぞれの故郷に送り届けていた。つまり元々は一時的に預かる場所である。だが中には諸々の事由によって、引き取り手の無い死者たちもおり、彼等の共同墓地的な役割も果たす施設となった(遺体の一時保管や埋葬は、義莊の役割の一つでしかない点に注意が必要である)。
ここで靄超が言ったのは後者の施設であり、導士が常駐して管理しているのが普通であった。
「義莊?」
「符籙を補充しておこうと思って」
符籙とは黃紙という黄色い紙に紅筆という赤い筆を用い、黑墨という墨汁で書かれる、いわゆる護符やお札の事だ。符籙には霊的な効力が宿り、符籙の種類によって攻撃をしたり、殭屍を操ったり、傷の治療を行なったりと、様々な効果を発揮する。
義莊には導士がいるので、符籙を作っているはずなのだ。
と、そこに――。
「見事なお手前ですな」
靄超と金山以外の人間は引き払ったかと思われたが、一人の老人がまだ残っていた。白髪になった辮髪に白い髭。数えにせよ満年齢にせよ、少なくとも六十歳は超えているだろうが、矍鑠としており、身なりもまずまず上等な物であった。
史葉仁:何家の使用人
「何だ、じーさん。挑戦者か?」
どう考えても目上の老人に対しても不遜な態度を崩さず、話し掛ける金山。
「いやいやまさか。貴殿の腕を見込んでお願いしたい事がありますのじゃ」
「お願い? わりーがオレは金にならねーことはしねー主義なんだ」
「もちろん報酬はお支払い致しますぞ。どうか儂の後に付いて来てくだされ」
顔を見合わせる金山と靄超だったが、話を聞くだけは聞いてみようと、史の後に続いた。
史葉仁に案内され、水田の中にポツンと建つ、何家の屋敷にやって来た金山と靄超。史が何家という富豪の屋敷で働く使用人である事、何家が伍角場随一の富豪である事は、道中、既に聞いていた。
「こちらが何家の屋敷ですじゃ」
「立派なお屋敷じゃない」
開いた門の中を覗き込み、その豪奢ぶりに感嘆する靄超。庭は庭園として整備されており、庭木として藤や松、楓、竹などが植えられ、庭石として白い奇石があちこちに置かれ、色取り取りの鯉(錦鯉はこの世界にも存在する)が泳ぐ池には石橋が架かっていた。江南式と呼ばれる典型的な庭園であった。また門からまっすぐ伸びた道の先にある屋敷も、建築技術の粋を凝らした立派な建物である。柱の一本から黒い屋根瓦一枚に至るまで、素材からして違う。この鄙びた農村にはおよそ似つかわしくないほどの、圧倒的な資産家である事は疑い様が無かった。
「つーか、何でお前も付いて来んだよ」
「良いじゃないの、別に」
会話しながら門を潜り抜けようとすると、突然――。
「やってられねえぜ!」
「これじゃ体がいくつあっても足りやしねえ!」
「辞めさせてもらう!」
こちらに向かって大柄の男たちが三人、逃げる様に走って来るではないか。
「ちょっと!」
靄超たちを押し退け、屋敷の外に駆け出して行く。
「何なのよ――」
「おい、お前ら!」
靄超がぼやく間も無く、男たちを追う様に少年が走って来る。金山・靄超と同年代で、金山同様、道着を着ていた。
何根餠:伍角場の富豪の子弟
「待ちやがれ! 戻って来い!」
「冗談じゃねえ!」
「やってられるか!」
しかし男たちは舗装されていない農道(大陸のほとんどがそうだが)を走り去ってしまう。
「くそっ! あいつら!」
罵りながらも、それ以上は深追いせず、男たちの背中を見送る根餠。
「何なの一体?」
状況が呑み込めない靄超。そこにまた別の男が顔を出す。
こちらは上質な絹の服を身に着けた、恰幅の良い中年男性である。口鬚を生やし、やはり辮髪を結っている。
何大爺:伍角場の富豪
「やれやれ。また潰してしまったのか……」
渋い顔をする何大爺。大爺とは敬称の一つで、我々の世界で言えば旦那様といった意味だ。
「やわなんだよ。今度はもっと骨のあるヤツを連れて来てくれよ」
「いい加減にしろ。これで一体何十人目だ?」
根餠を咎める何大爺。
「組み手の相手として雇ったのに、一週間も持ちやしない」
しかし根餠は父親の言葉を気にも留めず、憮然として毒づいた。
「組み手?」
「さっきの人たちと組み手してたってこと?」
「ああ、それで潰しちまったって訳か。だから逃げ出した、と」
組み手の相手、つまりスパーリングパートナーとして男たちを雇ったものの、根餠の特訓に付いて行かれず、仕事を放り出して逃げ出したという事らしい。そこでピンと来る金山。
「するってーと、つまりオレにこいつの相手をさせようって訳か?」
親指で根餠を指しながら史に訊く。
「左様。あの方は何家のご子息、根餠坊ちゃんですじゃ」
金山の推察にうなずく史。
「報酬はいくらだよ? 額によっちゃやっても良いぜ」
「ちょっと。金山って言ったわね。あなた――」
「じい、何だそいつら」
靄超の声を遮って根餠の方から声を掛けて来る。
「坊ちゃん、新しい組み手の相手を捜して来ましたぞ」
「そいつがか? やわなヤツは御免だぜ。練習相手にならねえ」
金山を値踏みする様に上から下まで見遣る根餠。金山が道着を着ているので、武術の心得がある事は見て取ったが、能力の方には懐疑的だった。
「おい、お前。強いのかよ?」
「そりゃ愚問だな。皇帝に対して『偉いのか?』って訊くようなモンだぜ」
不遜な態度で訊く根餠に、不遜な態度で返す金山。
「言うじゃねえか。気に入ったぜ。俺は何根餠だ」
「龍だ。龍金山」
お互いに名乗る金山と根餠。中庭に移動し早速組み手を始める事となった。
ビュッ!
根餠が左ストレートを金山に打ち込む。常人の動体視力では追い付かない高速のパンチである。
『へえ……。言うだけあって良い動きだわ』
根餠の実力を称賛する靄超。だがしかし――。彼の繰り出す拳打、蹴りをことごとくかわし、あるいは左手一本で受け止め、捌く金山。
「おいおい。どーした?」
「くそお!」
ブン!
苦し紛れに足払いを放つ根餠。しかし、これもあっさりと跳んでかわす金山。
『でも相手が悪いわね。この金山の強さは並じゃないわ』
根餠の動きは、我々の世界で言えば世界レベルのキックボクサーや空手家か、それ以上のレベルに達していたが、金山の動きは全く別の次元であった。一言で言ってしまえば超人である。
「そんな馬鹿な……。左腕だけで俺の攻撃が全部防がれるなんて……」
持って生まれた才能と、今まで積み重ねて来た努力に裏打ちされた、自信を粉砕される根餠。
「常人の水平じゃ頑張ってる方だがな。だがオレは常日頃から匪賊・流賊・妖怪変化の類とやり合ってる身なんでね。その程度の動きじゃオレは捉えられねーよ」
流賊とは盗賊・山賊の類であるが、特定の拠点を持たずに、各地を転々としながら略奪を繰り返す者たちの事である。
「その程度だと!」
激高しながら手刀を繰り出す根餠。
ガッ!
やはり左手の甲で簡単に受け止める金山。
「ぐっ……!」
「二分休憩だ」
根餠を手で制す金山。
「休憩なんかいらねえ! お前に一発浴びせなくちゃ気が済まねえ!」
既に汗で湿った道着の上着を脱ぎ棄て、威勢良く啖呵を切る根餠。
「よせよ。人間、全力で動けるのは三分かそこらだ。そんだけ息が上がってるようじゃ、オレには当てられねーよ」
「はあ……はあ……はあ……」
しかし、金山の言う通り、肩で息をする根餠だった。
それから数時間後。夕刻となった。
「はあ……はあ……はあ……。こんな馬鹿な……。半日やって一撃も当てられないなんて……」
地面にへたり込み、汗だくでまさに疲労困憊といった様子の根餠。
「だからオレは強いっつったろーが」
一方、対照的に全く余裕の金山。数時間、根餅の相手をしていたのにも関わらず、である。
「くそ……。はあ……」
「今日はこんぐらいにしとくか。流石にもう動けねーだろ」
「まだまだ……」
立ち上がろうとする根餠だったが、疲労で体に力が入らなかった。
「根餠って言ったよな。何でそんなに強くなろうとしてんだよ?」
史が持って来たお茶を飲みながら、金山が訊く。茶葉は吓煞人香という緑茶で、我々の世界では碧螺春と呼ばれている物だ。流石に豪商の家で客に対して出されるだけあり、上等な品であった。
「商売を継ぐなり科擧を受けるなり、他に身の振り方はいくらでもあんだろ」
科擧とはおよそ三年に一度の割合で行なわれる、官僚の登用試験である。受験資格は男子であれば(溱朝に限らず、仲華大陸の歴代王朝は筋金入りの男尊女卑国家なので、女子には認められない)原則身分を問わないため、受験者の数は三百人の定員に対して、三千倍の倍率にまで膨れ上がったという超難関である。その及第に人生の全てを懸けて挑み、夢破れた者たちは数知れない。
「大した理由はねえよ。勉強ってのが性に合わないし、商売も不向きだ。体を動かさずにただじっとしてるってのが、我慢出来ねえんだよ」
あるいは根餠のアイデンティティーにも関わって来るかも知れない、際どい質問であったが、根餠は普通に答えた。
「俺は俺のやり方で偉くなってみせるさ。どうせやるなら〝打王〟を目指すぐらいじゃなきゃな」
「そうか」
根餠の答えに何らかの共感を覚えたのか、金山はかすかに笑った。
〝打王〟とは仲華大陸における最強の拳師に対し、皇帝から贈られる最高の称号である。この称号を持つ事は、名実ともに大陸一の拳師であるという証明であったが、しかし眀の神宗(萬靂帝)が政治に倦んだ事と、眀溱交代期の動乱によって、半世紀以上に渡って新しい〝打王〟は出ていなかった。ともあれ、この大陸で拳師を目指す者、武術を習得する者であれば、誰もが目指す究極にして至高の到達点である。
「だが〝打王〟を目指すってゆーなら、オレとも戦うことになるぞ」
金山が根餠に忠告(?)する。
「何だよ。お前も目指してるのか」
意外そうに言う根餠。拳師であればそこを目指すのはごく自然の事ではあるのだが、しかし、実際にはその道は遥かに遠く高く、そして厳しい修羅の道である。
「打王になって見返したいヤツがいる」
「見返したいヤツ?」
訊き返す根餠だったが、それが誰なのかは、金山は答えなかった。
「良いか! 明日も来いよ!」
口は悪いが、きちんと門まで見送りに出る根餠。
「まあ、悪い打工じゃねーからな。しばらく付き合ってやるよ」
肩をすくめながら、金山は荷家の門を潜った。報酬は一兩(約三七.三グラム)の銀錠(馬蹄銀)だった。銀の価値が我々の世界よりも遥かに高いこの世界においては、農村の年収か、それ以上にも相当する大金である。
「それじゃあ、私はこれから義莊に行くわ」
門を出たところで靄超が言う。
「もう夕方じゃねーか。今から行くのかよ」
「ええ。また機会があればどこかで会いましょう。――じゃあ、頑張ってね」
「まあ、お互い生きてたらな」
冗談とも本気とも、あるいは皮肉ともつかない言葉を返す金山。
その時だった。屋敷の前の農道を歩いていた少女が不意に立ち止まった。この少女も金山や靄超と同年代である。まずまずの美少女であったが、粗末な旅装に身を包んだ、一言で言えば垢抜けない印象を受ける。
「あの、今義莊って言葉が聞こえたんですが、伍角場義莊のことですか」
「! え、ええ……」
突然見知らぬ人間に声を掛けられて驚く靄超だが、すぐにうなずく。
「良かった。そこに行きたかったんですけど、場所が分からなくて……。もしよろしければ、一緒に連れて行ってもらえませんか?」
「それは別に構わないけど……。何か用でもあるの?」
思わぬ申し出にやや困惑する靄超。
「申し遅れました。私、聞人蕾と申します」
聞人蕾:農村に住む少女
「孫靄超よ。こっちの人は龍金山」
それぞれ名乗り合う。立ち去ろうとしていた金山の事も紹介する、律儀な靄超であった。
「それで、どういうことなの?」
「はい。私には兄がいて、この伍角場に出稼ぎに来ていたのですが、先月病気で亡くなったと聞いて……」
「そう……。お気の毒ね……」
蕾の兄を悼み、目を伏せる靄超。
「ああ、それで義莊に遺体が預けられてんのか」
立ち去ろうとしたはずだったが、その場に残った金山が口を挟む。
「はい。兄の遺体を引き取って、故郷の土に還してあげたいと思いまして」
「それは良いことね」
先に述べた通り、仲華大陸には歸葬という風習がある。
「ん? だが妙だな。義莊ってのは、引き取り手のねー人間の死体を保管する場所だろ? 故郷があって妹が健在なら、いきなり義莊に行くはずがねーだろ。少し調べりゃ分かることだ」
「え?」
「確かにそうね」
金山の疑問に靄超が同意する。
「まあ、行ってみりゃ分かることか。――じゃーな」
それ以上は二人に干渉するつもりは無いのか、金山は宿のある五叉路の方に歩いて行った。
金山と別れて伍角場義莊にやって来た靄超と蕾。
江南地方では一般的な、漆喰の白壁に四方を囲われた黒い瓦屋根の建物で、門には右から左に伍角場義莊と横書きされた扁額が掲げられている。
「ごめんください」
コンコン。
赤茶色の門を叩く靄超。
「……」
しかし返事は無い。
「留守かしら?」
「そうでしょうか……」
表情を曇らせる蕾。しかしガタガタと奥で音がする。
「!」
「どちら様ですかな?」
ややあって門が開き、靁巾(導士の帽子)を被り、導袍を纏った中年の男が現れた。パッと目には温厚そうな印象だが、目が笑っていないと言うか、何やら腹に一物を抱えた様な印象を受ける。
成須增:導士・伍角場義莊の管理人
「あ、こちらの義莊の管理人の方ですか?」
「ああ、はい……。そうですが……。お二人は?」
突然の訪問者に戸惑った様だが、先に二人の素性を尋ねる成。
「あの、私、聞人蕾と申します。兄が伍角場に出稼ぎに出ていたんですが、先月病気で亡くなったと聞いて……。こちらに遺体が預けられていると聞いて、それで屍主として引き取らせてもらおうと思ってやって来たんです」
事情を話す蕾。屍主とは遺体の引き取り人の事である。
「お兄さんが……。聞人さんですか……。少々お待ちを」
蕾の話を聞くと、少し思案して一旦中に引っ込む成。
「良かったわね、居てくれて」
「ええ」
うなずく蕾。
「お待たせしました」
数分して戻って来る成。
「兄の遺体は……?」
「はい。一月程前に亡くなられた聞人蓮さんでお間違いないでしょうか?」
「はい! 兄です!」
兄の名を出され、即答する蕾。
「そうですか。ですが、今日は蓮さんの死体を運ぶ荷車などはお持ちじゃありませんよね?」
「え……、あ、はい……。今日は義莊の場所を確認して、兄の遺体を預かってくださっているかを確かめに来たので……」
「そうですか。いえ、蓮さんの死体をこちらで預かっているのは間違いありません。ただ死体を他人に渡してしまう訳には参りませんので、ご家族と証明する物を役人に提出して、手続きを踏んでいただきたいのです」
「それは大丈夫です。ただ一目兄の顔を見せていただけませんか?」
「それは……」
蕾の申し出に、なぜか成の表情が曇る。
「成導士。彼女は間違い無く蓮さんの妹さんよ。他人が蓮さんの遺体を勝手に持ち出す理由も無いんだから、顔だけでも見せてあげてくださらない?」
二人のやり取りに口を挟む靄超。
「いえ、それが……」
なおも渋る成。
『?』
顔を見わせる靄超と蕾。
結局、蓮の遺体を確認する事は許されなかった。
「何か妙ね」
義莊を出て伍角場に戻る途中、靄超が疑問を口にする。
「靄超さんもそう思いますか?」
「もちろん。妹さんが訪ねて来て、兄の遺体を確認したい――。それを断る理由が義莊の管理人に見当たらないもの。何かあるわ」
「そう……ですよね……」
蕾も釈然としないものを感じていたが、現実に兄の遺体が伍角場義莊にある以上、管理人の成の言い分は無視出来ない。
「何か嫌なことが起きそうな気がするわ」
「でもこのままでは埒が明きませんから……。明日、紅灣鄕で証明書を出してもらいます」
「そうね。本人だと分かればあの導士も断らないでしょ」
だが靄超の不安は現実のものとなった。
その日の深夜――。
ここは夕刻過ぎに靄超と蕾が訪れた、あの伍角場義莊である。その霊安室から惨劇の幕が上がろうとしていた。
ガタガタ。
霊安室に置かれた棺が音を立てて上下左右に揺れ動く。中に人間が入っていたとしても、それは遺体のはずの棺が、である。
「完成だ。さあ、目覚めるがいい!」
ドーン!
棺の蓋を吹き飛ばし、〝それ〟は姿を現した。
何家の邸宅に異形の影が蠢く。そう、〝それ〟はまさに異形である。シルエットは紛う事無き人間のそれであったが、しかし、〝それ〟はまばたきも呼吸もせず、血も通わない死体であった。殭屍である。
殭屍とは西方大陸におけるゾンビに相当する妖怪で、死んだ人間が動き出した存在である。人間の霊魂には精神を司る「魂」と肉体を司る「魄」の二つがあり、これを総称して「魂魄」と呼ぶ。人が死ぬと魂は天に昇り、魄は地に沈む。しかし魄は肉体がある限り体内に留まるため、この仲華大陸では遺体を火葬するという習慣が存在しない。
だが、この世に深い恨みを残して死んだ人間の体内には怨霊が残る。怨霊は魂が抜けた魄と融合し、新しい霊魂を構成する。しかしこの霊魂によって蘇った死体は人間ではない。血を求め、生前の恨みや無念の情を晴らすためにさ迷い歩く魔物・殭屍なのである。
その殭屍が突如として何家に押し入り、何大爺の寝室を襲撃したのだ。
「い、命だけは……」
震える声で命乞いをする何大爺。
ザシュッ!
「ぎゃああああ!」
しかし、次の瞬間、悲鳴を上げる何。殭屍が首に牙を突き立てたのだ。
「旦那様!」
使用人の史が騒ぎを聞き付け、寝室に飛び込んで来る。
「これは――!」
室内の惨劇に目を奪われる史。室内には溱朝の官服を纏った殭屍が数体、蠢き、その内の一体が主の首筋に噛み付いていた。
「だ、旦那様……」
恐怖と驚きのあまり、床にへたり込んでしまう史。
「フシュー」
黒いガスの様な息を吐く殭屍。いや、心臓が動いていない以上、「呼吸をする」という生命活動自体行なわないので、息ではないのだろうが。
「金は蔵の中か?」
室内にいた、殭屍ではない一人が振り向き、茫然自失状態の史に尋ねる。黒い導袍を纏い、顔を同じく黒い布で隠している。年齢は分からないが、声の感じから推察すれば、四十歳ぐらいの男か。布の隙間からわずかに覗く切れ長の目が異様に鋭く、冷たい印象を与えた。
Dr.キョンシー:悪の導士
「お、お前は……!?」
震える声でDr.キョンシーに尋ねる史。
「すぐに死ぬお前がそれを知っても意味はあるまい」
「ひ!」
明確な殺意を感じ取り、何とか逃げ出そうとする史だったが、腰が抜けてしまい立ち上がる事さえ出来なかった。と、また別の人物が何の寝室に駆け込んで来た。
「父さん!」
根餠だった。昼間の金山との組み手の疲労で泥の様に眠っていたが、騒ぎに跳び起きて来たのだ。
「じい! どうした!」
「坊ちゃん! お逃げくだされ! 旦那様が!」
「父さんが!?」
賊と異形たちの中から何を捜す根餠。
「と、父さん!?」
殭屍に噛み殺され、床に倒れている何の姿を見付けた。と同時に衝撃の光景に総毛立つ。
「この屋敷の者だな」
パチン!
フィンガースナップをするDr.キョンシー。
ザシュッ!
何と同じく史の首筋に牙を突き立てる殭屍。
「ぎゃあ!」
史の悲鳴が屋敷に響き渡る。
「じいっ!」
怒りの形相で殭屍に向かって行く根餠。危機感も恐怖も何も感じなかった。ただ怒りだけが根餠を突き動かしていた。
「くそお!」
ドガッ!
史に噛み付く殭屍を殴り飛ばす。
「フシュー……」
衝撃で吹き飛ばされた殭屍だったが、しかし何事も無かったかの様に立ち上がった。
「!?」
驚く根餠。昼間組手をした金山とは、全く異質の強さを持った相手だった。
「馬鹿め。その程度の攻撃で殭屍を倒せるものか」
戸惑う根餠に侮蔑の言葉を投げ付けるDr.キョンシー。
単純な打撃だけで殭屍を倒すのは至難である。なぜなら死体である殭屍には痛覚も無ければ意識という概念も無い。痛覚が無いという事は、ダメージを受けても痛みで動けなくなるという事も無く、意識が無いという事は失神・気絶・昏倒するという事も無いのだ。ゆえに殭屍を倒すには、死体を動かしている怨霊その物を消滅させるか、あるいは死体を動かしようが無いレベルまで、損壊させるしかない。
「抵抗は時間の無駄だ。金を出してもらおうか? まあ、出したところで助ける気は毛頭無いが」
「ふざけるな!」
ドカッ!
根餠の蹴りがDr.キョンシーにヒットする。
「!」
吹き飛ばされるDr.キョンシー。衝撃で顔を覆う布が外れる。だが――。
「ふふふ」
こちらもすぐに立ち上がり、口の端から流れた血を無造作に拭き取るDr.キョンシー。彼自身は殭屍ではないが、単純に根餠の攻撃に耐えたのだ。
「よくもやってくれたな。この天才を蹴り飛ばすとはねえ……。この代償は高くつくぞ」
パチン!
再びDr.キョンシーがフィンガースナップをする。
ガシッ!
次の瞬間、何者かの腕が根餠の首を後ろから押さえ付ける。
「!?」
後ろからの不意の攻撃に驚く根餠。と同時にジュッ! という肉が焼ける様な音が室内に響き渡る。首に焼き鏝を押し付けられたかの様な激痛が走った。
「かっ、は、あ……!」
尋常ならざる凄まじい力で首を絞められ、同時に高熱に皮膚を焼かれて呻く根餠。両手を後ろに伸ばして必死に抵抗を試みるが、何者かの腕はびくともしない。
「少しばかり武道を齧ったらしいが、あまり調子に乗らない方が良いぞ。上には上がいるのだからな……。ククク……」
もがく根餠を酷薄な笑みを浮かべて眺めるDr.キョンシー。真夜中の訪問者によって、鄙びた農村は一夜にして惨劇の巷と化したのだった。
翌朝。伍角場客棧という旅籠の食堂で、一人朝食を取っている靄超。伍角場客棧は一階を菜館(料理店)にし、二階を宿泊施設に当てている。そこに階段を下りて来た金山が現れた。
「あら?」
金山に気付く靄超。
「お。昨日の導姑のねーちゃんじゃねーか」
金山の方も靄超の存在に気付いた。
「確か靄超とかって言ったな。同じ旅籠に泊まってたのかよ。あっさり再会したな」
「そうね」
うなずく靄超。実際のところ、伍角場の様な農村では旅籠の数は限られているので、確率からすれば、同じ宿に泊まっていたとしても、別段おかしくはないのだが……。
「何だよ。しけたモン食ってやがんな」
靄超が食べている具が野菜だけの麺を見て、ずけずけと思った事を口にする金山。
「うるさいわね。私は導姑だから肉や魚は食べちゃいけないの」
「それで人生楽しいのか?」
「究極なコト訊くわね……」
「親父、炒飯と木樨肉、それに紅燒大腸くれ」
靄超の陣取るテーブルの椅子にドカッと腰掛け、店主の中年男性に注文する金山。木樨肉とはかき卵と木耳、鶏肉の炒め物、紅燒大腸は豚の大腸の醤油煮込みである。仲華大陸での食事は朝昼晩の三食が基本で、さらに間に軽食も挟む事を考えると、朝からヘビーなラインナップではある。
「……それ、私に対する嫌味?」
ジトーとした目で金山を見る靄超。
「肉食いたきゃ食えばいーだろーが。別に誰が迷惑する訳でもねーんだから」
「戒律だからそういう訳にはいかないの」
「戒律ねえ……。そういう下らないことに縛られるのが、オレは一番きれーなんだよ。自分の生き方は自分で決める。それが人生だろ」
「あなたは自由過ぎるわよ」
「否定はしねー。何しろ風よりも自由に生きる男だからな」
「……」
この男に何を言っても無駄と思ったのか、話題を替える事にする靄超。
「今日も昨日のお屋敷に行く訳?」
「ああ。当面の旅費を稼ぐまで行くつもりだ。あの花花公子に稽古付けて一日一兩も貰えるんなら、楽なモンだからな。客の来ねー眞拳よりよっぽど割が良い」
「まあ、賭け事なんかよりは全然まともな仕事だけど――」
と、その時。
カンカンカン!
銅鑼を鳴らすけたたましい音が通りに鳴り響いた。
「何だ、何だ?」
「何かあったのか?」
「騒々しいな」
突然の出来事にざわつく数名の客。
「何だ?」
「事件かしら?」
もちろん金山たちの耳にも十分聞こえる音量だった。
「殺しだー! 何家で殺しだぞー!」
外から聞こえて来たのは、夢想だにしない事態であった。
「!」
表情を強張らせる金山。
「ちょっと! 何家って昨日のあのお屋敷なんじゃないの!?」
間髪を入れずに叫ぶ靄超。
「まさか――」
立ち上がり店の外に駆け出す金山。
「待って! 私も行くわ」
箸を置いて立ち上がり、追い掛ける靄超。
「あ、おい! お勘定!」
店主が呼び止めようとするが、二人は無視して、何家の屋敷に向かった。
超人的な速度で、一分も経たずに何家に駆け付ける金山と靄超。すでに屋敷の周りは、騒ぎを聞き付けた野次馬の人だかりでごった返していた。
「一体何が……」
「強盗だってよ」
「強盗――!?」
「昨晩押し込みがあって、一家全員皆殺しだってさ」
「住み込みの使用人も一緒じゃ。むごいのお……」
「ほんにひどい話じゃ……」
突如としてのどかな農村を襲った惨劇に、村人たちは驚きと恐怖を隠せずにいる。
「おい! 通してくれ!」
「ごめんなさい! 通して!」
持ち前のパワーで野次馬の群衆を押し退け、どんどん屋敷の門に近付く金山。後に付いて行く靄超。
「おいこら、押すな!」
文句を言う野次馬に構わず門までたどり着く。
「邪魔だ! どけ!」
そこへ、高圧的な態度で役人が遺体を載せた荷車を運び出して来た。
「!」
その遺体が根餠だと気付いて駆け寄る金山。
「邪魔だ!」
役人が叱責するが、構わず遺体を覆う布を取る金山。
「花花公子……」
「嘘でしょう……。昨日の今日でこんな……」
目を閉じ、真っ青な顔色のまま眠る根餠の顔を見て絶句する二人。根餠の首筋には首を絞められた痕と火傷の痕があった。
「邪魔だと言ってるだろう! さっさとどかんか!」
「どこのどいつだ」
役人がなおも金山を一喝するが、金山は逆に役人に問い掛ける。
「な、何――?」
静かな声だったが、金山の只ならぬ雰囲気に気圧される役人。
「この家を襲った強盗ってのはどこのどいつだ」
「落ち着いて、金山。根餠以外の人たち、首筋に噛まれた痕があるわ」
布をめくって何大爺や史、その他の使用人たちの遺体の状況を確認し、死因を特定する靄超。
「何?」
「襲ったのは殭屍だわ」
「殭屍?」
首筋には確かに獣の牙で噛み付かれたかの様な傷痕があった。
「屍毒を抜かないと、彼らも殭屍になっちゃうわ」
「何だと?」
靄超の言葉に戸惑う役人。
屍毒とは殭屍の持つ毒の事である。殭屍の爪や牙で攻撃を受けた者の体内に入り込み、徐々に身体を蝕んで行く。そしてついには新たな殭屍となってしまうのだ(もし命が助かったとしても、毒が心臓に回ればその者は命を落とし、やはり殭屍化してしまう)。
「屍毒を抜く処置をするわ。遺体をどこか広い場所に運んで。村の集会所とかあるでしょう? それともち米を出来るだけたくさん用意してちょうだい」
「わ、分かった……」
導袍を纏った靄超の姿を見て、彼女が導姑だという事を理解したのだろう。全くの部外者ではあるが、役人は素直に指示に従ってくれた。
「屍毒を抜くのか。それなら私も手伝おう」
群衆をかき分け、三十代半ばほどの靁巾を被り、導袍を着た男が前に歩み出る。男女の違いはあるが、靄超と同じく〝灋術〟の心得を持つ者らしい。
「あなたは?」
突如現れた青年に尋ねる靄超。
「私は喬放生。淞江府の淸浦縣にある珠家角鎭で、城隍廟の管理人に任命された者だ」
簡潔に自己紹介をする青年。
喬放生:導士
彼の言う城隍廟とは城隍を祀った霊廟である。城隍とは城隍神、あるいは城隍爺とも呼ばれる、いわゆる土地神で、城壁に囲まれた都市の守護神を指す(農村には土地神や穀物の神を祀った土穀廟がある)。
「導士か。ならオレの出番は無さそうだな」
靄超と放生のやり取りを聞き、ここは二人に任せても良いと判断する金山。
「犯人を捜しに行くの?」
「ああ。殭屍を使ったなら、ただの物取りの犯行じゃねーだろ。死体の処置は任せんぞ」
「分かったわ。私も処置を終えたら手伝うけど、とりあえず一人で当たってみて」
「ああ。必ず見付け出してやる」
バッ!
金山はジャンプすると、超人的な跳躍力で野次馬を一足飛びに跳び越えた。
靄超の要望通り、村の集会所に遺体が運び込まれ、そしてもち米も用意された。
「もち米を机の上に」
ザー!
靄超と放生の指示で、有志(役人の命令であればそもそも断る権利は無いのだが)の村人が机の上に袋に入ったもち米を敷いて行く。
「良いわ。それじゃあ遺体をもち米の上に乗せて」
その上に一人一人遺体を乗せて行く。何大爺、史葉仁の遺体も含まれるが、根餠は部屋の片隅に安置されている。
「……。こんな事で本当に殭屍化を防げるのか?」
大人しく様子を見守っているものの、懐疑的な役人が口を挟む。
「ええ。もち米が屍毒を吸ってくれるから。あとは解毒符を額に貼っておけば良いわ」
解毒符とはその名の通り、貼った者の毒を吸い出し治療する符籙である。ただし、すでに死んだ人間の場合は、屍毒を吸い出してももちろん生き返りはしない。
「あの首を火傷している少年はどうするんだ? 処置はしないのか」
根餠の遺体にだけ、もち米の処置をしない事について、役人が問い掛ける。
「彼だけは、牙や爪の攻撃で殺されたんじゃないわ。首を絞めて殺されたみたいなの。ただ、不自然に首だけを火傷している理由が分からないけど……」
「何とかなったわ。ありがとう」
「なに。私も導士の端くれだ」
一時間ほどかけて一通りの処置を終え、集会所を出る靄超と放生。もち米と解毒符が屍毒を吸い取り、無事、殭屍化をした者は一人も出さなかった。もちろん、元々屍毒が体内に侵入していなかった根餠もだ。
「しかしとんでもない事が起きてしまったな」
「そうね」
うなずく靄超。と、そこにちょうど、荷車を引いた蕾が通りかかった。
「蕾!」
「靄超さん――!」
靄超に呼び止められ、歩みを止める蕾。
「これから義莊へ行くつもり?」
「ええ。紅灣鄕の役人から証明書を書いてもらいましたので……。荷車を借りて来たんです」
「そう」
「何かあったんですか? 何だか村の中が騒がしいですけど……」
「昨日、私と会った大きなお屋敷があったでしょ。あそこの家の人たちが殭屍に襲われて大変だったの」
「殭屍に襲われた!?」
思いも寄らぬ単語、そして事態に思わず大きな声を出す蕾。
「今、義莊と聞こえたが」
放生が口を挟む。
「ええ。――あ、彼女は聞人蕾。亡くなられたお兄さんが、この伍角場に出稼ぎに来ていたそうなの。彼は喬放生導士。珠家角の城隍廟で管理人をするそうよ」
それぞれに紹介する靄超。
「初めまして」
「こちらこそ」
挨拶を交わす二人。
「ところで義莊というのは伍角場義莊かい?」
「ええ。もちろん」
「そうか。志望済導士は元気かい? 志導士は修業時代の兄弟子で、伍角場の義莊で管理人を務めているって聞いたから、挨拶がてら寄らせてもらおうと思ってたんだ」
「え?」
放生の言葉に戸惑う蕾。
「ジー? あれ? あの導士って確か成って名乗らなかった?」
靄超も同様だ。
「はい。そうです、確かに成って言ってました」
「何だって?」
思わぬ二人の反応に驚く放生。
「どういうこと? 兄弟子の導士が管理人をしているはずの義莊に、別の導士が居るってことなの?」
「いや、そんな話は聞いていないが……」
「あの成って導士、やっぱり何かあるわね……」
放生の話を聞き、昨日の成の妙な態度を思い出す靄超。最悪の事態を想定するのであれば、何家の襲撃事件にあの成が関わっているのかも知れない。
「蕾、あなたは義莊に行くわよね?」
「ええ。兄の遺体を引き取らないといけませんから……」
「そう。だったら私も行くわ。――ごめんなさい、喬導士。お願いがあるんだけど、蕾と一緒に義莊に行ってもらえないかしら?」
「ああ、それはもちろん。私は元々行くつもりだったし、兄弟子の事も気にかかる」
再び伍角場義莊にやって来た蕾。ただし今回は靄超ではなく、放生と一緒にだ。
「ごめんください」
昨日と同じく扉を叩く蕾。
「はい」
これまた昨日と同じ様に、ややあって成が顔を出す。
「貴方は昨日の……。聞人蓮さんの妹さんでしたね?」
「はい」
「おや? 昨日とはお連れの方が違う様ですが……」
靁巾を被り、導袍を纏う放生を見て、怪訝な表情をする成。
「あ、はい。こちらは喬放生導士と仰って、この義莊の管理人をされている、志導士の弟弟子なんだそうです」
「!」
蕾の説明を受け、成の表情がかすかに歪む。ほんのかすかな変化であったが、しかし相手の反応を窺っていた放生には、見逃せない違和感があった。
「初めまして。喬放生と申します。兄弟子の志望済がこちらで管理人をしていると聞いて、挨拶に伺ったのですが……。兄弟子はどちらに?」
「ああ、志導士の導友でしたか」
導友とは同門の導士の事である。
「それが、志導士は別の義莊に移られまして……」
「……!」
成の言葉に、顔を見合わせる蕾と放生。先程、靄超といくつか話していたパターン通りの説明だったのだ。
曰く――。「もしあの成って人が、志導士の代わりに義莊の管理人に収まっているのだとしたら、『志導士はどうしているか』って訊いたら、多分何かと理由を付けていないって言うと思うわ。例えば出掛けているとか、別の義莊の管理人になったとか言ってね。もしいないって言われたら、いつ戻るのか、どこに行ったのか、詳しく訊いてみて。義莊を移ったって言われたら、どこの義莊に行ったのか、こっちも具体的に訊いてみて。もし分からないとか曖昧な答えだったら、間違い無くクロよ」と――。
「そうでしたか。それではどちらの義莊に移られたのですか?」
「それは……。その、いえ、私も詳しくは聞いていなくて……」
やはり曖昧な説明をする成。
「……」
再び顔を見合わせる二人。コクリと黙ってうなずき合う。
「そうですか。分かりました。挨拶は諦めます。――ああ、蕾さん。そちらの要件をどうぞ」
「はい。――成導士。こちらが私の身分証明書です」
紅灣鄕の役所で発行してもらった書類を差し出す蕾。
「ああ、ありがとうございます。確かに蓮さんの妹さんで間違い無い様ですね」
証明書を確認する成。
「それでは蓮さんの死体を確認してください」
「「!」」
成の言葉に驚く二人。これは事前の打ち合わせの、想定外であった。靄超の予想では、また何かと理由を付けて、蓮の遺体の確認や引き渡しを拒否すると思っていたのだ。
「お願いします」
しかし、兄の遺体を確認出来ると言われて、断る理由が蕾には無かった。
「どうぞこちらへ――」
成に案内されて義莊の中を進んで行く。義莊自体は特に変わった点は無い。だが――。
カランカラン!
突如、鐘の音が鳴り響く。
「!?」
ダッ!
後ろに続く蕾と放生を無視し、駆け出す成。
「あ!」
「待ってください!」
慌てて追い掛ける二人。
義莊の奥。遺体の安置室の扉が開け放たれていた。固く閉ざされ、鍵もかけられていたはずの扉が、である。
「誰だ!?」
叫びながら部屋に駆け込む成。
「!」
振り向く靄超。そう、彼女は蕾と放生に成の相手をさせておいて、その間に壁を乗り越えて義莊の奥に侵入していたのだ。
「おやおや。昨日のお嬢さんではないですか。こんな所で何をしていらっしゃるのですかな?」
意外に冷静な反応を見せる成。ただしどうにも芝居がかった様な口調であった。
室内は、遺体に防腐処置を行なっているのか、腐敗臭こそしないが、遺体を安置する場所ゆえのひんやりとした空気の冷たさが漂っている。
「扉を開けると鐘が鳴る陷穽を仕掛けていたのね。用心深いわね」
「ふふふ。見てはいけない物を見てしまった様だな」
「「!?」」
追い付いた蕾と放生の二人が表情を強張らせる。成の表情と声色が、ぞっとする様な変わり様を見せたのだ。
「あなたはやはり……」
扉の外にいる蕾たちに視線を送る靄超。黙ったままうなずく二人。
「――そう。ではあなたがこの義莊の管理人というのは、やっぱり嘘だったのね」
「ふふふ。よく気が付いたな」
「成と言ったな! 志導士はどうした!? どこに行ったんだ!?」
怒りの表情で放生が問い詰める。
「ああ、あいつか? この義莊をいただくのに邪魔だったからな。後腐れの無い様にきちんと処分しておいたよ」
「処分だと!?」
成の言葉に激昂する放生。あって欲しくない事態だったが、残念ながら現実のものとなってしまった。
「この施設と関係がある訳ね」
「施設?」
改めて室内を見渡す放生。部屋はかなり広く、高さも天井まで二丈(約六.四メートル)ほどもあり、元々は棺が置かれた霊安室のはずである。しかし今は机の上に書物がうず高く積み上げられ、手術に使うメスの様な刃物や鉗子、鋭匙などが置かれ、さらに何かの薬品が入った桶が所狭しと並べられていた。我々の世界の様にフラスコやビーカー、ピペットなどの科学実験器具がある訳では無いが(この世界にもガラスは存在するが普及率は低く、品質も格段に劣る)、何がしかの実験施設である事は間違い無かった。
「これは……? まさか……?」
「ふふふ。そのまさかよ。ここは殭屍を研究するための施設よ」
「何ですって!?」
蕾が叫ぶ。
「改めて名乗らせてもらおうか。儂はDr.キョンシー。成須增とは世を忍ぶ仮の姿よ」
「ドクトル……キョンシー?」
「そうよ。儂は殭屍を生み出す專業的だ。それも強力な戦闘用殭屍を、な」
「まさか……。そんな……」
「兄を……」
「その通りよ。志とかいう導士もお前の兄も、全て儂の実験台として使わせてもらったのよ」
「な――!」
「いやあああ!」
衝撃的な事実に驚愕する放生と、叫ぶ蕾。何かを隠しているとは思っていたが、想定していた以上の衝撃が走った。
「何てことを……」
靄超も驚いたが、同時にそれ以上の怒りがふつふつと湧き上がって来た。
「ここを見られた以上は、生きて返す訳にはいかんな」
しかしDr.キョンシーは全く動じない。彼にとっては、ある意味好都合な展開であったからだ。
「さあ、儂の可愛い殭屍達よ、こいつらを血祭りに上げろ!」
パチン!
指を鳴らす成須增改め、Dr.キョンシー。
ガタ!
暗室に並べられた十個の棺がひとりでに起き上がる。
ドン!
次の瞬間、蓋が吹き飛び、中から殭屍が現れた。
彼らが身に着けているのは溱朝の官僚たちが着用する、補服という礼服と烏紗帽という黒いビロード製の礼帽である。首からは朝珠という珠の首飾りを下げていた。
補服の朝服の胸と背中には、補子あるいは胸背と呼ばれる正方形の刺繍画が縫い付けられており、その図案(徽章)によって、地位が分かる様になっている。烏紗帽もまた、頂に頂戴という丸い石と翎羽という孔雀の羽を付けられており、この頂戴の石の種類によっても地位が分かる。だが、現れた殭屍たちは全員、僊鶴(タンチョウヅル)の補子を付けており、頂戴もルビーであった。これらの服飾は最高位の一品官の文官を表す品々であり、本来は死者に来世で出世して欲しいとの願いを込めて、遺族が身に着けさせたのだろう(つまり本物ではなく模造品である)。
「フシュー……!」
その官服を着た殭屍たちが、今、靄超と放生に対して、文字通り牙を剥いて襲い掛かろうとしていた。
「まだ日は照ってるわ! 日光の下で殭屍を戦わせるつもり!?」
驚く靄超。殭屍は陽の光を浴びると灰になってしまうはずである。時刻はようやく昼下がりになったぐらいで、部屋の外は日光が降り注いでいるし、扉が開け放たれた事により、室内にも光が差し込んでいる状況だ。
「笨蛋め。そんな分かり切った弱点を克服せずに、戦闘用殭屍などと呼べるものか。儂が造るのは究極の兵器よ。光栄に思うが良い。お前達を、數據を取る為の対戦相手にしてやるのだからな」
「それでか……。我々を招き入れたのは……」
想定外の反応だったが、納得の行く放生。しかし、それだけでは、昨日の夕方、靄超と蕾を追い返した事の説明まではまだ付かないが。
「下がっていてくれ」
戦闘は最早避けられない。放生が蕾を霊安室から出る様に促す。
「さあ、やれ!」
「ガアー!」
靄超と放生目掛け、一斉に襲い掛かる殭屍の群れ。
サッ!
背中に差した木刀を引き抜く靄超。この木刀は魔除けの力を持つ桃の木から削り出した、桃木劔と呼ばれる物である。木刀なので物理的な攻撃力は決して高くないが、霊的な力を秘めているため、打撃に対して圧倒的な耐久性を持つ、殭屍相手にもダメージを与える事が出来る。
「はあ!」
バシ!
先頭の殭屍が繰り出す爪をかわし、桃木劔を叩き込む靄超。吹き飛ばされる殭屍。服が破れてそこから煙が立ち上る。
「お見事!」
放生が靄超を称賛する。彼の取り出した武器は淸錢劔である。清めた穴開き銭を赤い糸で繋ぎ合わせた物だ。こちらも桃木劔同様、切れ味は皆無に等しく、剣としては機能しない代物だが、やはり霊的な攻撃力を持つため、殭屍に対しては有効な攻撃手段となる。
「墨線斗!」
左手の指の先から黒い糸を放つ放生。墨線斗とは墨壷の事であるが、放生の使った墨線斗の糸は墨汁に鷄血(鶏の血)を混ぜた液体に浸したもので、これもまた殭屍にダメージを与える事が可能だ。
ヒュンヒュン!
墨線斗が、こちらも放生目掛けて襲い掛かった、先頭の殭屍の体に巻き付く。
バチバチ!
殭屍の持つ不浄なる闇の力と墨線斗の浄化の力が反発し、体から火花が上がる。
「ガア!」
本来であれば痛覚の存在しない殭屍であるが、霊的な力による攻撃を受けて苦悶の叫びを上げる。
「はあ!」
グイッ!
力を込めて墨線斗を引っ張り、殭屍を淸錢劔の攻撃範囲まで引き寄せる放生。
「昇天!」
ドス!
そしてその胸に淸錢劔を突き立てた。
「グゥアアア!」
口から黒い煙を吐き出しながら絶叫する殭屍。
「淨燄符、天罰!」
ヒュッ!
靄超も符籙を投げる。淨燄符は聖なる浄化の炎で霊体を攻撃する符籙である。低位の鬼(幽霊)であれば一撃で昇天させる事が可能だ。殭屍に使用した場合、内在する怨霊のみを攻撃し、肉体には影響が無いのも特徴である(怨霊が昇天した場合、遺体がそのまま残る)。
「ガァアアア!」
ボワァッ!
青白い炎に包まれて、やはり絶叫する殭屍。怨霊が浄化され、こちらもただの遺体に戻った。
「残念だったわね。この程度の殭屍だったら私たちの相手にはならないわ」
戦闘開始から三分も経たずに、十体の殭屍たちは怨霊を消滅させられ、元の遺体に戻っていた。
「死者の安らかな眠りをさまたげ、己の欲望のために利用するとは左道にも劣る外道。同じ導士として許す訳にはいかない」
左道とは不正な道、邪道と言った意味である。
「ふふふ。得意になるのはまだ早いんじゃないか? こ奴等は所詮、數據を収集するための実験体。昨晩完成したばかりのこ奴こそが儂の切り札よ」
殭屍たちを失ったはずだが、余裕の笑みを崩さないDr.キョンシー。奥に安置された棺に視線が行く様、顎を振る。
「そういうこと……。その殭屍が完成してなかったから、昨日は私たちを追い返したのね」
昨日の夕方は、何かと理由を付けて靄超と蕾を追い返したにも関わらず、今日は一転してすぐに通した意味を理解する靄超。
「そういう事だ。さあ、目覚めるが良い!」
バババッ!
瞬時に両手の指を使って印を結び、灋術を発動させるDr.キョンシー。
ボン!
黒い煙を噴き上げ、棺の蓋が勢い良く吹き飛ぶ。今の術は棺の中で眠っている殭屍を、目覚めさせるためのものだった。
「こいつは……」
「何よ、この赤い肌の殭屍は……」
流石にその異形に驚く放生と靄超。現れた殭屍もまた溱の官服を身に纏っていたが、その肌が赤かったのだ。赤黒いとか赤銅色と言った比喩表現ではなく、純粋に赤いのである。
「兄さん!」
その殭屍の姿を目の当たりにし、扉の陰から中の様子を伺っていた蕾が叫ぶ。
「「!?」」
驚く靄超と放生。
「兄さんって——まさか!?」
靄超がDr.キョンシーと赤い殭屍に注意を払いつつも、蕾に訊く。
「兄です! 私の!」
「そんな……」
「何てことを……」
眉を顰める靄超と、唇を噛む放生。まさに完成迫る戦闘用殭屍の「素体」が蕾の兄・蓮であったのでは、昨日の時点で、彼女に蓮の遺体を確認させる訳にはいかなかったのも当然である。
「ふふふ……。その通りよ。お前の兄は儂の最高傑作となった。名付けてクリムゾンキョンシーよ」
「クリムゾンキョンシー?」
「兄さん! 目を覚まして! 私よ! 蕾よ! 分からないの!?」
クリムゾンキョンシー――変わり果てた姿となった兄に必死で呼び掛ける蕾。
「無駄よ、蕾。殭屍は精神を司る『魂』が抜け、肉体を司る『魄』だけになった存在よ。例え肉体があなたのお兄さんの物であっても、生前の記憶は残ってないの」
「そんな……!」
靄超の説明に、驚きと悲しみの入り混じった表情に変わる蕾。
「だけどお兄さんをこのままにはしないわ。彼に取り憑いた怨霊は私が取り除くから」
スッ。
桃木劔の切っ先をクリムゾンキョンシーに向ける靄超。
「果たしてお前達にそれが出来るかな?」
「志導士の遺体はどうした!? なぜ普通の人間の遺体を殭屍の『素体』に使う?」
それは放生からすれば当然の疑問であろう。志がDr.キョンシーの手にかかったのであれば、志の遺体もこの義莊にあるはずである。殭屍の戦闘能力は生前の能力に比例するため、ただの人間である蓮の遺体よりも、導士である彼のそれを使った方が、殭屍の研究には好都合のはずだ。しかし。
「ああ。あれか。ここで行なっているのは、戦闘用殭屍の研究だと言っただろう? 研究の中には実験に失敗して、灰になる素体も出て来るわ」
放生を逆撫でする事を承知で、何でもない風に言い放つDr.キョンシー。
「貴様!」
ダッ!
怒りに任せDr.キョンシー目掛け突っ込む放生。
「ふ。やれ、クリムゾンキョンシー!」
「クリムゾンキョンシー!」
タンッ!
自分の名前を叫び、跳ぶクリムゾンキョンシー。
「何っ!?」
放生の体を跳び越え、一瞬で靄超の間合いに入り込む。
「はあ!」
バシッ!
クリムゾンキョンシーの攻撃よりも先に、桃木劔の一撃を叩き込む靄超。だがしかし、クリムゾンキョンシーには特にダメージを受けた様子が無い。
「!」
表情を強張らせる靄超。
「そんな玩具がクリムゾンキョンシーに通用するものか、笨蛋め」
嘲笑うDr.キョンシー。耐久力もスピードも、先ほどの「日光に対する処理」しか施していない殭屍たちとは、比べ物にならない様だ。
「なるほどね……。この殭屍、確かに他の殭屍とは格が違うみたい。喬導士、彼女を連れて逃げて。私が戦うわ」
蕾の身を案じて、自分がクリムゾンキョンシーを引き付けておく事を提案する靄超。
「女の君が残るのに、男の私が逃げる訳にはいかない。それに志同志の仇でもある。私が戦うから君が彼女を――」
「さあ、お前の力を見せてやれ」
しかし二人が役割分担を決める間も無く、Dr.キョンシーの指令が下る。
「クリムゾンキョンシー!」
ボウッ!
口から火球を吐くクリムゾンキョンシー。
「!」
「何っ!?」
不意を突かれた以上に、口から火球を吐くという攻撃方法に驚く靄超と放生。
「くっ!」
とっさに靄超は横に跳んでかわしたが、
「うわああああ!」
しかし、一瞬驚いた事で、反応がわずかに遅れた放生は火球の直撃を受けてしまう。苦痛に叫び声を上げる放生。
「喬導士!」
「ふん。口ほどにもない」
またも嘲笑うDr.キョンシー。
「ば、馬鹿な……! 殭屍が火を吐くなど……!」
床に両手両膝を突き、呻く放生。霊的な防御力を持つ導袍のおかげで致命傷には至らなかったが、火傷は深刻で、到底戦闘を続けられるコンディションではないだろう。
「大丈夫!?」
「戦闘は無理だが、彼女を連れて逃げる事は……」
苦痛に耐えながら何とか立ち上がる放生。
「蕾、喬導士と一緒に逃げて」
「でも兄さんが――!」
「すまない……」
逡巡する蕾の手を引き、炎に包まれる——靄超がかわした方の火球が背後で建物に燃え移ったため——霊安室を出る放生。
「待って! 兄さんが――!」
しかし放生は構わず、蕾を連れて駆け出す。
「……」
二人を見送る靄超。残った彼女が牽制していた事もあり、Dr.キョンシーは逃げた放生たちを追いかけはしなかった。いや、彼の目的がクリムゾンキョンシーの「性能テスト」であるならば、すでにその興味は靄超との戦闘に移っていると言うべきか。
「さあ、今度はお前だ」
「どうかしら? 蕾には悪いけど、これで遠慮はいらなくなったわ」
ボォッ……!
靄超の体が淡い青白い光に包まれる。〝気〟である。気とはすなわち人間や動物、植物、妖怪など、生きとし生ける者が持つ潜在エネルギーだ。気には霊気や闘気、妖怪の持つ妖気などの種類があり、この気をコントロールする事が出来れば、靄超の様な導姑ならば〝灋術〟を、妖怪ならば〝妖術〟を使う事も可能になる。人体に張り巡らされた血と気の通り道を経脈・絡脈と言い、その総称を経絡と言う。経絡を通って兪穴(ツボ)から気を体外に出す(放出する)事によって、灋術を構成して行く。
「本気を出させてもらうわよ!」
靄超の掌に青白い光・霊気が集まり、彼女の意志に基づいて炎へと姿を変えた。
「焦燄標鎗!」
ボウッ!
術を放つ靄超。炎は投擲槍と化してクリムゾンキョンシー目掛けて飛んで行く。
ゴオオオオ!
炎の槍はクリムゾンキョンシーの体に突き刺さるや、猛烈な勢いで燃え盛り、その赤い体を覆い尽くした。
「残念ね。私は八行の中でも火行灋術が一番得意なの」
八行とはこの世界における万物を構成する八つの元素で、土・水・火・飌・木・金・光・闇を指す。人間も妖魔も必ずこの八つのいずれか一つを持って生まれて来る(一つの固体で二つの行を持って生まれて来る事は無い)。人間の扱う灋術・妖魔の扱う妖術ともに自身の持つ行と密接な係わり合いを持ち、自身の属する行の術でなければ、高位の僊人や大妖怪であっても、一〇〇%の効果を発揮する事は出来ない。
だが靄超は火行を持って生まれたため、炎を操る術を完璧に使いこなす事が可能なのだ。灼熱の炎に包まれるクリムゾンキョンシー。普通の殭屍であれば、この炎に耐えられるはずが無い。しかし――。
「クリムゾンキョンシー!」
叫ぶクリムゾンキョンシー。その身を覆う炎がたちまちかき消されてしまう。
「え!?」
驚く靄超。
ジャキン!
クリムゾンキョンシーの爪が鋭く伸びる。炎、いや血の様に赤い爪だ。
「クリムゾンキョンシー!」
バッ!
靄超に向けて飛び掛かり、爪を閃かせるクリムゾンキョンシー。
「くっ」
桃木劔で打ち払おうとする靄超だったが、鋭い爪は木刀を苦も無く斬り裂き、彼女の体を捉える。
ザシュッ!
何とかかわそうとするが、避け切れずに爪が靄超の左肩をかすめた。
「きゃあ!」
苦痛に顔を歪ませる靄超。刀身部分を失った木刀の柄を持ったまま、右手で斬られた左肩を押さえる。
「そんな……! 火を吐くだけじゃなくて、火に強い殭屍なんて……!」
「ふふふ。クリムゾンの意味を教えてやろうか? 『紅蓮』という意味だ」
「火に弱いはずの殭屍に、逆に火の属性を持たせたって言うの……」
Dr.キョンシーの意図と、そして殺された根餠の首にだけ残された、不自然な火傷の意味も得心が行った。また、志の遺体をクリムゾンキョンシーの素体に使うつもりだったが、失敗して灰になったという事も、恐らく「殭屍に火の属性を持たせる」ための実験に失敗したという事なのだろう。そして、その成功例こそが、今目の前にいる蓮の遺体を素体に使った、このクリムゾンキョンシーという事だったのだ。
「何のためにこんな……」
「言っただろう? 究極の戦闘用殭屍を作る為よ。究極の兵器を造れば鏋洲族などという夷狄にでかい顔はさせん。このクリムゾンキョンシーを皮切りに、次々と強力な殭屍を作り上げ、夷狄を追い払ってくれるわ。やがて儂は救国の英雄として讃えられるだろうよ」
恍惚の表情で自らのプランと、才能とに酔い痴れるDr.キョンシー。
「まさか、その研究資金のために何家を襲ったの?」
「当然だ」
この世界のこの時代にはまだ存在しない概念であるが、彼は一言で言ってしまえば、マッドサイエンティストである。自分の研究のためならば、倫理も良識も人道も、そして人命さえも到底物の数ではないのだ。
「何てことを……」
Dr.キョンシーを糾弾したかったが、しかしそこで眩暈が靄超を襲う。
「屍毒が……! いけない……!」
袖口から符籙を取り出し、肩に貼る靄超。
「――!」
しかし、その表情が強張る。
『解毒符が効いてない!? どういうこと!?』
「ふふふ。解毒符か? 無駄だ、無駄だ。クリムゾンキョンシーには私が調合した特別製の毒を仕込ませてある。通常の屍毒とは訳が違うぞ」
「そんな――!」
『まずいわ……! 毒の成分を解析しないと、手持ちの符籙じゃ手の施しようが無いわ……!』
解毒符は先述の通り体内の毒素を吸収してくれる符籙であるが、毒の成分が分からなければ、言い方を変えれば符籙が毒と認識しなければ、効果を発揮しないのだ(そうでなければ、毒だけでなく血液なども一緒に吸ってしまう事になる)。
「爆裂符!」
ビュッ!
別の符籙を投げ付ける靄超。
ドーン!
爆発が起こる。爆裂符は着弾した場所に爆発を引き起こす符籙である。投げずにあらかじめ貼って置いて、使用者の任意のタイミングで爆発させる事も出来る。その威力は我々の世界における手榴弾ほどの破壊力があるが、しかし――。
「クリムゾンキョンシー!」
特にダメージを受けた様子の無いクリムゾンキョンシー。
「効いてないの!?」
「火以外の術なら倒せると思ったか? その程度の符籙でクリムゾンキョンシーの対術防御は貫けぬわ!」
勝ち誇るDr.キョンシー。クリムゾンキョンシーの着ている衣服や、その肉体自体に、灋術に対する特殊な加工が施されているのだろう。悔しいが靄超の得意とする火行灋術では、火に強いクリムゾンキョンシーにダメージを与える事は出来ず、彼女の手持ちの符籙では、その対術防御を上回るダメージを与える事も叶わなかった。いや、爆裂符の数が揃っていればあるいはダメージを与える事は出来たのだろうが、彼女は手持ちの符籙のストックが枯渇している状態なのだ(元々靄超が伍角場義莊に立ち寄ろうとした理由が、符籙の補充である)。
「っ!」
そこでまたも強烈な眩暈が襲う。グラリと体を傾ける靄超。
「左肩に食らうなんて最悪ね……。屍毒の周りが早過ぎるわ……。いけない……。私まで殭屍になっちゃう……。早く治療しないと……」
「あがくな、あがくな。お前ももうすぐ殭屍の仲間入りだぞ」
「誰が!」
バッ!
またも淨燄符を投げ付ける靄超。
「クリムゾンキョンシー!」
しかし、これもまたクリムゾンキョンシーの対術防御を上回る事は出来なかった。青白い浄化の炎に包まれても、クリムゾンキョンシーは全くダメージを受けた様子は無かった。そもそも表情は無いが、文字通り表情一つ変えていない。
「効かんよ、その程度の符籙など」
「くっ!」
諦めずに爆裂符を投げる靄超。だが今度は霊安室の天井に向かってだ。
ドーン!
爆音が室内に響き渡り、天井にぽっかりと穴が開く。
「む!?」
怪訝な顔をするDr.キョンシー。日の光を室内に降り注がせるためではない。そんな事をしても、太陽光に対する処理を施してあるクリムゾンキョンシーには糠に釘である。靄超の狙いは別にあった。
「飛天噴燄!」
ゴウッ!
飛行系の術を発動させ、天井の穴から外に飛び出す靄超。飛天噴燄は体から炎を吹き上がらせ、その推進力を利用して空を飛ぶ術である。炎の噴射により爆発的な加速力を持ち、数ある飛行系の術の中でも最高クラスの速度を誇る。だがその半面、術の制御は非常に難しく、使いこなすには経験と高い集中力が必要とされる。
「ふん……。逃げたか」
つまらなそうに鼻を鳴らすDr.キョンシー。
「笨蛋め、逃げ切れると思っているのか——追え、クリムゾンキョンシー」
「クリムゾンキョンシー!」
クリムゾンキョンシーも靄超の開けた天井の穴から外に飛び出した。
霊安室から火災が起こった伍角場義莊を後にした靄超であったが、
『!』
またも眩暈を起こしバランスを崩してしまう。
「きゃあっ!」
ズザザザザザッ!
術の制御に失敗し、墜落してしまった。
「はあっ……! はあっ……! いけない。毒のせいで術の制御が……」
草むらに倒れ込む靄超。額ににじむ脂汗を導袍の袖で拭う。今のコンディションでは、とてもではないが飛天噴燄の様な高度な術は操り切れなかった。
「もう鬼ごっこは終わりかな?」
『!?』
振り向く靄超。そこにはDr.キョンシーとクリムゾンキョンシーの姿があった。本来の飛天噴燄の飛行速度であれば、まず追い付けないはずだが、実際に飛行出来たのはほんのわずかな時間だったので、ほとんど引き離す事は出来ず、すぐに追い付かれてしまったのだ。
「くっ――!」
また符籙を取り出す靄超。しかし残されているのはわずかに淨燄符が一枚だけだった。
「くくく……。無駄な抵抗を……」
嗤うDr.キョンシー。これでクリムゾンキョンシーにダメージを与えられないのは、既に実証済みである。
「はあ……。はあ……」
朦朧とする意識と反比例するかの様に、呼吸が荒くなる。周囲を見回す靄超。が、辺りに人影は無い。そもそも伍角場義莊が村の外れに位置しているのだ。いや、人通りがあったところで、彼女を助けられる力を持った人間が、そう簡単にいる訳が無かったが。
「クリムゾンキョンシーよ。心臓を一突きにしてやれ。直接屍毒を注ぎ込めばあっという間に殭屍の仲間入りだ」
「クリムゾンキョンシー!」
ダッ!
クリムゾンキョンシーが走る。
「くっ——!」
しかし靄超は動けない。体の自由が利かなかった。最早逃れる術は無く、クリムゾンキョンシーの赤い爪が靄超に突き立てられるかという、まさにその刹那――。
ドガッ!
「ガアッ!」
靄超にとどめを刺しに行った、クリムゾンキョンシーの方が吹き飛ばされる。
「危ねーな。ギリギリじゃねーか」
そう言って現れたのは金山であった。靄超に迫るクリムゾンキョンシーに跳び蹴りを見舞い、吹き飛ばしたのだ。
「金山!」
「何だ、お前は?」
突然現れた金山に問い掛けるDr.キョンシー。金山は昨日も先ほども義莊には来なかったので、Dr.キョンシーとは初顔合わせである。
「あなた、どうして……」
「あのねーちゃんを連れた、さっきの導士のおっさんが知らせに来た」
短く答える金山。放生と蕾の二人はどうやら無事に逃げおおせた様だ。
「そう。良かった……」
苦し気ながらも、二人の安否を確認し、安堵の表情を浮かべる靄超。
「話は聞いたぜ。あの導士があいつらの仇で、あのねーちゃんの兄貴の仇でもあるってな」
「そう……」
弱々しく答える靄超。
「屍毒を食らったのかよ。解毒は出来んのかよ?」
靄超の肩の傷――かなりの深手――を見て、逼迫した事態を察する金山。
「戦闘中は無理だけど……、毒の成分を解析する時間さえもらえれば何とかなるわ……」
「じゃあさっさと行け。こいつらはオレがぶっ倒す」
「気を付けて……。あの殭屍……かなり強いわ……」
「心配いらねーからさっさと行け。テメーがもし殭屍になったら、その時は容赦しねーぞ」
「ありがとう……。ここは借りておくわ……」
ダッ!
灋術はもう使えないため、残りの力を振り絞って苦悶の表情のまま駆け出す靄超。
「ほう。小鬼、今度はお前が相手という訳か。――何者だ? あの女の男か?」
既に手負いの靄超には興味を無くしたのか、特に追い掛けようとはしないDr.キョンシー。
「別にそーゆー関係じゃねー。ただの朋友だ。ただし、灰ならば土よりも熱く、塩ならば醬よりも鹹い関係だがな」
ぶっきらぼうに答える金山。金山の言葉は家族や友人の間には、他人よりも厚い情がある――という意味である。
「ふん。下らん」
つまらなそうに吐き棄てるDr.キョンシー。やはり極悪非道にして冷酷無情な男である。友情、友愛といった感情は、そもそも持ち合わせていないのだろう。
「よくも何家の連中をやってくれたな。テメーは許さねーぞ」
構える金山。その双眸に怒りの炎が燃える。
「ああ、あの家の関係者か。こんな田舎の村にしては破格の富豪だったからな。狙い目だった。クリムゾンキョンシーの実験と、今後の研究資金の調達の一石二鳥よ」
うそぶくDr.キョンシー。どうやら初めから何家を襲撃するつもりで伍角場にやって来て、管理人の志を殺害し、伍角場義莊を乗っ取った様だ。やはり倫理観も罪悪感も欠如している男だった。
「ふざけんな!」
だがその言葉は金山の怒りに火を注ぐだけだった。
ダッ!
Dr.キョンシーに向かって駆ける金山。
「ゴー!」
ボウッ!
口から火球を吐き、金山を迎撃するクリムゾンキョンシー。
ブン!
だが金山が高速で拳を振るうと、金山を狙った火球はたちまち吹き散らされてしまった。
「何!?」
驚くDr.キョンシー。
「なるほどな。火を使うのか。殭屍つったら火によえーっていう先入観があるが、逆転の発想って訳だ」
バッ!
軽口を叩くやいなや、金山が宙を舞う。
「だが、爪と牙にさえ気を付ければそんなに怖い相手じゃねー」
空中で体をひねる金山。
「龍尾圓舞腳!」
ドガッ!
ジャンプした状態のままダイレクトで放った回し蹴りが、クリムゾンキョンシーの側頭部を直撃する。
「ゴオ!」
吹き飛ばされるクリムゾンキョンシー。
「ほう……。中々やるじゃないか」
クリムゾンキョンシーの方を見ずに、金山の動きを賞賛するDr.キョンシー。
「面白い。お前は次の戦闘用殭屍の素体にしてやろう。光栄に思うが良い」
ただ純粋な気持ちからではなく、飽く迄も自分の利益のためだったが。
「け。勝手なこと言いやがって。次に死体の仲間入りすんのはテメーだ」
「この程度で勝った気か? 私のクリムゾンキョンシーの力は、まだまだこんなものではないぞ」
「ゴー」
Dr.キョンシーの言葉通り、クリムゾンキョンシーは、全くダメージを受けた様子も無く、すぐさま立ち上がって来た。火や爆発はもとより、霊的な力にも強かったが、衝撃にも相当の耐久性を持たせてあるらしい。
「やれ、クリムゾンキョンシー! その小鬼をズタズタに引き裂いてやれ!」
「クリムゾンキョンシー!」
ブン!
屍毒の満ちた赤い爪を振るうクリムゾンキョンシー。
サッ!
体を沈め、爪の斬撃をかわす金山。
「猛虎肘打擊!」
ドゴッ!
がら空きとなったクリムゾンキョンシーのみぞおちに、高速の肘鉄を打ち込む金山。しかしクリムゾンキョンシーは倒れない。
バッ!
その間にも金山はまた宙に舞った。
「飛龍斧頭腳!」
ドゴッ!
今度は空中からダイレクトのかかと落としである。
「クリムゾンキョンシー!」
これもクリムゾンキョンシーの頭頂部にめり込んだが、やはり堪えた様子は無い。
「頑彊なヤローだぜ」
着地する金山。電光石火の連続攻撃にも全くダメージを受けないクリムゾンキョンシーに対し、称賛半分、辟易半分の感想を漏らした。
「無駄だ、無駄だ。その程度の攻撃では、このクリムゾンキョンシーは倒せんよ」
余裕の笑みを崩さないDr.キョンシー。結果だけを見ればクリムゾンキョンシーの攻撃は金山にヒットせず、逆に金山がクリムゾンキョンシーを一方的に攻め立てている構図だ。だが先述の通り、殭屍には気絶や失神、昏倒と言った概念が存在しない。倒す方法は、クリムゾンキョンシーの肉体をコントロールしている怨霊そのものを消滅させるか、肉体自体をコントロール不能なレベルまで破壊しなければならないのだ。
「その程度の攻撃、か。言ってくれんじゃねーか」
悔し紛れに言った訳では無いが、純粋な打撃だけでは埒が明かない事も確かである。
「だったら本気を見せてやるぜ」
そう言うや、
ボウッ……!
金山の体を黄色い光が覆って行く。霊気ではない。闘気である。
「む!」
膨れ上がる闘気に目を剥くDr.キョンシー。
「お、お前は一体――?」
導士であるDr.キョンシーは当然気を感じ取る能力を身に着けていたが、彼が過去見て来た誰よりも、今の金山の体を覆う闘気は強大であった。覿面に狼狽するDr.キョンシー。
「はあああああああ!」
燃え盛る炎の様な闘気が、金山の右腕に収束して行く。
「や、奴を殺せ! クリムゾンキョンシー!」
たじろぎながらも命令するDr.キョンシー。
「クリムゾンキョンシー!」
クリムゾンキョンシーが両手の爪を閃かせるが、しかし、金山はその斬撃をかわし、懐に潜り込む。
「食らえ!」
光り輝く右の拳を、がら空きになったクリムゾンキョンシーの腹部めがけて放つ。
「猛虎掏心拳!」
ドゴッ!
金山の拳がクリムゾンキョンシーのみぞおちにめり込んでいた。猛虎掏心拳――金山の必殺拳である。
「ゴハア!」
バシュー!
クリムゾンキョンシーの口から猛烈な勢いで黒い気体が噴き出す。だがしかし、気体は夕日に照らされるとすぐに消滅してしまった。黒い気体はクリムゾンキョンシーを操っていた怨霊であった。金山の猛虎掏心拳を受けてクリムゾンキョンシーの体外に押し出され、剥き出しの状態で日光を浴びてしまったからだ。
「ガ……ガ……ガ……!」
ドサッ。
自らを操る怨霊の存在を失い、草むらに倒れ込むクリムゾンキョンシー。相手の攻撃をかわし、がら空きになった腹部を攻撃する。過程は同じだったが、一度目と二度目とでは全く結果が異なっていた。霊的な攻撃力を持つ闘気の力ゆえである。
「な――に?」
自身の造り出したクリムゾンキョンシーの戦闘力を鑑みれば、到底信じ難い光景に目を剥くDr.キョンシー。
「おい! どうした、クリムゾンキョンシー!? 立て! そいつを殺せ!」
叫ぶDr.キョンシー。彼の計算ではこんな事は有り得ない。クリムゾンキョンシーが負ける事など。
「立て! 何をやっている! お前は最強の戦闘用殭屍なんだぞ! そんな小鬼に負ける訳が無い!」
だが何を言ったところで、クリムゾンキョンシーが再び立ち上がる事は無かった。骸を動かす怨霊自体が消滅してしまったのだから。
「立て! どうした! クリムゾンキョンシー!」
「戦う前にオレの流儀を聞いておくべきだったな」
なおもクリムゾンキョンシーに呼び掛けるDr.キョンシーに対して、金山が静かに言う。
「流儀――だと?」
金山を見るDr.キョンシー。
「オレの流儀は〝十全十美拳〟」
「じゅ、〝十全十美拳〟だと!?」
その名を聞き、激しく狼狽する。
〝十全十美拳〟――世に万世最強の武術と呼ばれる拳法である。神格拳灋と呼ばれ、大陸に数多ある門派・流儀よりも一段上の扱いを受ける事から、超級把式とも呼ばれる(把式は武術の意)。その真の力を極めれば、天地を引き裂き、海を割るとも称されるが……。
「何で十全十美拳の使い手がこんな所にいる!?」
「修行の旅の最中ってことだ」
短く答える金山。
「私を殺すつもりか!? この天才を! 馬鹿な! 私にはまだまだやるべき事が残っているのだ! 最強の殭屍を造り上げ、夷狄を追い払い、熯族の世界を取り戻すのだ! ここで私を殺してみろ! 永久に仲原は熯族の手には戻らんのだぞ!」
「もう良い。黙れ」
「ふざけるな! この天才の私がお前の様な小鬼になぜ殺されなければならん! そんな馬鹿げた事があってたまるか! 私は――」
「テメーの罪はこの世じゃ裁けねー。地獄に落ちて反省しやがれ」
なおも死ぬほど自分勝手な理屈をこねまくるDr.キョンシーを無視し、金山は闘気の光で覆われた拳をDr.キョンシーに向ける。
「ま、待て――」
「靄超さん、まだ傷が――」
靄超を蕾が引き留める。
「放して、蕾。私も行かなくちゃ」
ここは先ほど靄超たちが殭屍に処置を施した、あの村の集会所である。屍毒の解毒剤を調合し終え、処置を施した靄超が、金山の援護に駆け付けようとしているのだ。流石に顔色は悪いが、命に別状は無さそうである。と、そこに――。
「金山!」
金山の姿を見付け、叫ぶ靄超。蕾が伍角場義莊の前に置いて来た荷車を引いて、金山が歩いて来るではないか。荷車の上には伍角場義莊で焼け残った物を拝借したのか、木棺が載せられていた。
「勝ったの!?」
蕾が袖を放すと同時に、金山に駆け寄る靄超。蕾も後に続く。
「たりめーだ」
当然とばかりに答える金山。
「あの……、それは……」
金山の運んで来た棺を見て、蕾が尋ねる。
「あんたの兄貴なんだろ」
棺の中は倒したクリムゾンキョンシー――すなわち蕾の兄、蓮――であった。
「兄さん……」
棺を開ける蕾。
「怨霊は消滅させた。もちろん、死んだ以上は生き返りはしねーがな」
怨霊に突き動かされていた時の皮膚は赤かったが、今は元の肌の色に戻っていた(血の気は無いが)。その表情が安らかに眠っている様に見えるのは、怨霊が消え去ったからなのか、それとも故郷の土に還れるからなのか……。
「ええ――。覚悟はしてましたから……」
目を伏せる蕾。懸命に、そして気丈に、涙が零れるのを堪えているのだろう。
「あの導士は?」
靄超が訊く。
「地獄で反省してる頃だろ」
つっけんどんな口調で端的に説明する金山。
「そう。――ありがとう。あなたのおかげで助かったわ」
「別に大したことはしちゃいねー。それよか、屍毒は大丈夫なのかよ?」
「ええ。毒の成分は解析出来たから」
「ああ、お前、絕對靈感持ってんのか」
絕對靈感とは簡単に言えば絶対音感の霊感バージョンである。他者の使用した術の構成や、口にした霊薬の成分などを瞬時に解析出来る特殊能力だ。先天的な才覚による部分が大きく、持つ者はごく限られる。ただし絶対音感の持ち主が全員、歌が上手かったり、楽器が弾けたりする訳では無い様に、絕對靈感の持ち主が必ずしも強大な灋術を使える訳では無いが。
「まあね」
「もう一人のおっさんは?」
放生の容体も確認する。
「火傷がひどいけど、彼も命に別状は無いわ」
「なら良い」
ぶっきらぼうに言う金山。
「あの、色々とありがとうございました」
二人の会話に割り込み、頭を下げる蕾。
「もう行くの?」
蕾の言葉に驚く靄超。
「はい。早く兄を安らかに眠らせてあげたいんです。故郷の村で」
うなずく蕾。
「そう……」
「本当にありがとうございました。兄もきっと浮かばれます」
そう言うと、蕾は荷車を引いて歩き出した。やはり普段は農作業に精を出しているのであろう、細腕でありながら、力強く木棺を乗せた荷車を引っ張って行く。
「あなたも行くの?」
彼女の背中を見送ったところで、靄超が金山に声を掛けた。
「いや」
首を振る金山。
「一匹殭屍が増えねーか、確認してから行く」
「ちゃんと調合したわよ」
金山の言葉の意味を即座に理解し、反論する靄超。年相応の少女らしい、少し拗ねた様な口振りだった。
「さーな。殭屍になったら容赦しねーって言っておいたからな」
フッと笑う金山。
かくして伍角場を舞台に起こった、陰惨な事件は幕を閉じたのだった。
二つの宿星が交わる時、武林江湖に義気が燃え、正義の拳が悪を討つ。奇想天外、摩訶不思議、幻想武侠怪異譚。はてさてこの次は、金山と靄超をいかなる事件が待ち受けるのか――。それは次回の講釈にて。
(劇終)




