6.神の子羊
「見たとこ成人もまだみたいだけど、あまり舐めたことしてくれてると殺すよ?」
『石』持ちじゃなければ蘇生できない。それを踏まえたフィオナの台詞は失笑で返される。
「お好きにどうぞ。わたしがここで死ぬのは預言で決まっていたことだもの。あなたに殺される予定じゃなかったけれど、結果は変わらないし」
「レベッカの死も預言されていたとでも?」
「定められていたのは、わたしたちだけ。あんな人がいるなんて考えたこともなかった」
アレックスは挑戦的な瞳でフィオナを見返した。鍋の構えはまるで様になっていない。戦闘訓練など受けたこともないのだろう。フィオナがその気になればすぐに抑え込むことが出来るのだろうと思う。
それをしないのは、アレックスから出来るだけの情報を引き出すためだ。
「気高くて慈愛に溢れて――美しい人。ああ、レベッカ、彼女こそ神の子羊に相応しい」
アレックスはうっとりするような表情で言った。
とことん女難の相が出てるなレベッカ。なんなのあの子。一人ぐらいおれに譲ってくれてもいいんじゃないかな! いやトリスもアレックスもなんか重いな? なんで二人ともまず殺そうという発想になるのかな。そういうのはやだな。病んでるよね。
「それは――私の知ってるレベッカじゃないな?」
フィオナはドン引きだった。ですよね。
「レベッカさんを返して。あなたたちには彼女の価値はわからない」
「ご冗談を。メルキオール像を調べさせてもらったけれど、中身は『石』入りの死体じゃない。それもひとつやふたつじゃない。これまでにいったい何人殺してきたの?」
フィオナがアレックスに戦斧を突きつける。なにそれこわい!
◇
ただ、おれはそちらの会話に集中できていたわけではない。
「トリス、聞こえてるか?」
『ええ』
おれの肩に止まったドローンが囁く。こういうのを四六時中レベッカに貼り付けてやがったわけね。ほーん。そりゃWiFiが届かない場所にレベッカを寄越したくはなかっただろうね。STK的な意味で。
『状況を』
「とてつもなくヤバいのがいやがる」
『詳しく』
「三賢人像の視点の合わさる場所、十字教会の交点ど真ん中の地面の下に、弩級のヤツがいる」
『比較できるものは?』
「コボルトぐらいしか比較対象がないが、その百倍は強いな」
『フィオナと比べたら?』
「どうだろ。彼女の方が強いかも? わからんけど」
『なら、封印を解いて』
「は?」
『覚醒させて倒させましょう。フィオナたちに』
「無茶振りが過ぎない?! フィオナに何の恨みがあるの?」
『そこはどうでもいいから。十字架から手を離しても感覚は消えない?』
「試してみる」
十字架から離れてみるが、感覚は変わらない。一度覚えたネットワークは学習するようだ。便利だな、『始源の竜』の力。
「問題ない」
『じゃあ封印を解きましょう。封印のために何人も犠牲にするぐらいなら、さっさと大元を叩くべきだわ。バルタザールとカスパールを壊せば封印は解けるはず』
「根拠は?」
『さっきの揺れの中心は弩級クラスがいる場所と一致しているわ。メルキオールが壊れたから封印が弱まっていると仮定できる』
「確かにそんなことをアレックスが言っていたね。どうやって壊すよ?」
『ガーゴイルが動かない程度に上半身だけ吹っ飛ばすぐらいがちょうどいいんじゃないかしら?』
「適当な意見をありがとう!」
『WiFiで魔術環が組めたから、今なら『咒』も使えなくもないわよ?』
「ご親切にどうも」
『投げやりにならずに聞いて。障壁はここの魔術環の支配下にあるわ。障壁もガーゴイルも三賢人像も魔術環下の仕掛けと推定できる。封印が解ければ封じられている何かが復活するかもしれないけれどそちらにリソースが割かれるから、上位者であるあなたなら障壁を突破できる可能性が高まる。復活した何かが暴れようが、私たちには関係ない』
「酷いな! しかし、それも止む無しだな。生贄になる依頼とは聞いてないからな」
『だから絶対レベッカを連れて帰ってきて』
「もう死んでるぞ」
『――知ってる』
そりゃそうか。トリスはさっき『伝えられる状態だったら』と言った。きっと一部始終を目撃していたし、何が起きているのかも正しく理解していたに違いない。
よく理性を保っていられるな、あいつ。
いや理性的か? よく考えろ。指示めちゃくちゃじゃなかったか?
◇
それでもトリスの指示に従う以外の策はない。
メルキオールは石膏像だったから、金属バッドみたいなものがあれば簡単なんだが、そういうのを持っているのはこの場ではフィオナとグスタフのみ。
アレックスが持ってる大鍋でも目的は果たせそうだ。
フィオナとグスタフには甦る弩級クラスの何かを殺ってもらわなきゃならんし、となると狙うは大鍋だな。毒針が厄介だな。
待てよ? 竜になったカインと戦ったときカインの考えていたことがおれには筒抜けだったな。ということは逆に、おれからメッセージを伝えることもできるのでは?
たとえば、そうだな。
――その鍋はとてつもなく熱いぞ!
アレックスに向かって強く思うと、彼女は大鍋を放り投げた。おれは走り寄って引っ掴んだそれを即バルタザールの像に投げつける。大鍋は綺麗な弧を描いてバルタザールの頭を直撃し、吹っ飛ばすことに成功した。
いいぞ。
そのままバルタザールへと走り寄ると、台座のあたりにレオーノフが倒れ伏していた。聖書が床に落ちているのを見ると、アレックスに不意打ちを食らったのだろう。
おれは胸元で十字を切って、鍋を拾う。熱ッ! おれには効かなくていいんだよ暗示!
いや、この鍋はさっきまで火にかかっていたわけだし普通に熱いかもな。
アレックスは、小声で何かを呟いている。パスを発動させる呪文だろう。火傷の治癒なら悪魔の逆位置、栄光から基礎のパスだろうか。知らんけど。
熱いのを我慢しておれは鍋を拾う。あとでトリスに治癒してもらうこともできるだろう。あいつも色んな意味でチートだからな。次は――
――地面から生えた無数の手がお前の足を掴んでいる。
アレックスはぎょっとしたように地面を見る。暗示はしっかり効いているようだ。
「さあ、観念してもらいましょうか」
フィオナがその隙に少女の手を戦斧の柄で叩いて毒針を落とし、後ろ手に縛り上げた。
おれは鍋をフリスビーのように祭壇のカスパールに投げつけると、鍋の行方も見ずにレベッカのところまで走り抜けて、彼女の腰を掴んで肩に担いだ。
「おっと。レベッカお嬢さんをどこに連れて行くおつもりで?」
すかさずグスタフがおれの鼻先に剣を突きつける。
まぁ、そうなるよね。
「トリスは後のことは君らに任せとけって言ってたんだけどさ、おれは君らも逃げたほうがいいと思うんだよね」
「どういう意味だ?」
グスタフが首を傾げる。
ご。ご。ご。
三発ほど、床の下から何かが突きあげるような音がして、地面が揺れた。
どこから逃げようかな。
トリスのところに戻るためには、グスタフと化け物を突っ切らないといけない。
それよりはこのまま北の袖廊を突っ切ってそちらから外に出るほうがマシだろう。
初日には何をしても開かなかった出入り口があるが、トリスが正しければ開くだろう。
おれはそちらに向かうことに決めて、グスタフに背を向けて全速力で走り出した。
背後は見ていないが、忠義者らしいグスタフはおれたちを追わずにフィオナの危機に駆けつける選択をしたはずだ。
その証拠におれたちは無事に教会から脱出を果たすことが出来たのだから。
◇
おれたちは、依頼を受注した寺院とは違う寺院でクエストへの異議申し立てと当該寺院への異端審査要求と賠償請求の手続きをして受理された。
レベッカは寺院に着くなりまっさきに蘇生手続きされた。レベッカの遺体を寺院で荼毘に伏したいだの埋葬したいだのといったトリスの要望は通らず、遺骸は解布に巻かれて処分された。まぁ『石』が無事で蘇生するんだから死者を扱うのとは同様には出来ないんだろうけど、納得がいかないトリスを宥めるのには骨が折れた。
未だ同行者登録されたままのフィオナとグスタフに関しては、あの後で別の寺院に寄った記録が残ってるから無事だったんじゃないかな? 知らんけど。
問題の廃教会だが、甦らせたアレがきちんと退治されたかどうかはフィオナたちに直接聞くか数十年単位で様子を見なければ分からない。おれの怪物レーダーに大物はひっかからないから、たぶんどうにかなったんじゃないだろうか。知らんけど。
数週間後、ワシーリィ・レオーノフという律師もツァオ・リンという律師も存在せず、即ち依頼自体がおれたちのでっちあげの架空のものではないかという舐めた報告書が来たが、寺院からの承認番号を控えていたので最終的には異議が認められて本来受け取るはずだった報酬に多少上乗せされた賠償金が支払われた。