5.もろびとこぞりて
今回から語り手がカインになります。
「レベッカは?」
「は?」
朝食を手にトリスのところまで戻った途端に聞かれる。
振り返ると、レベッカがいない。ずっと後ろを歩いているものだと思っていた。
かまどを見る。レベッカの姿がない。代わりに白いローブの二人――レベッカの姉貴であるフィオナとグスタフ――が、アレックスと揉めているようだ。
あの二人は正体が隠せていると思っているようだが、おれもトリスも初日からその正体に気付いている。気付いてなかったのはレベッカだけだ。
「ちょっと戻って様子を見て来る」
「待って」
トリスが、おれの手に画鋲のようなものをじゃらっと渡す。
「なんだこれ?」
「ようやくできたの。中継器。10メートルおきに3個ずつ、なるべく高い場所に貼り付けて。支援するから」
「画鋲では?」
「そう。『咒』で電波をとらえて中継できるようにしたから。あ、針の向きは上でね。刺さないで」
「針が上なら何で貼るよ?」
トリスがチューイングガムをくれる。なるほどね。おれはガムを口に入れて包み紙を捨てた。念のためもう2枚ほど貰っておく。
「ほんとにそのローブの下、どうなってんの? 四次元ポケットとかついてない?」
「ついてない」
画鋲を1個取ってくるっと返すと円盤の淵のところに細かい漢字が書き連ねてあって、まるでラーメンの器のようになっていた。
「それから」
トリスが注意を惹くように、おれの真正面に回り込んで見上げてくる。金色のストレートな髪がさらっと白いローブを上を撫でる。
あー、くそ。顔がいいな。この上目遣いでお兄さまって呼んでくれねぇかな。
「向こうに行ったら、まずツァオ・リンの十字架に触れてみて」
「なぜ?」
「希望的感想混じりだけど十字架がここのネットワーク参加のための端末だと推定されるから。『すべての魔獣の祖』である貴方ならハッキングできる可能性もある」
「……なるほど」
おれは今、カイン・ブルーブラッドと自称する本名不詳の野郎の外見をしているが、これはトリスが起こした事故だ。
おれの中身は『始源の竜』という最強クラスのドラゴンだ。
その更に中身は21世紀に生きていたゲーマーなんだけど、どうもおれのプレイデータだか人格データだかが『石』の基礎技術として流用されたんじゃないかと推定している。
つまり、おれの『石』が最古クラスの『石』らしく基幹技術だの上位権限だのが付与されているとしか思えない事象がある。なんというチート。
現時点で分かっている機能は『石を持つ魔獣の位置情報と思惑が掴める』『ほかの竜と意思疎通できる』『魔獣はおれの言うことを聞くようだ』の三つかな。
トリスが言うように、他のことも出来るかもしれないから思いついたら試してみたい。
「レベッカに何か言いたいことはあるかい?」
「……伝えられるような状態だったら、人の話は最後まで聞いて、って伝えて」
「オッケー。じゃ、行ってくる」
◇
トリスの言うとおりに身廊と側廊のあいだの柱にガムで画鋲を貼り付けていく。
こんな荘厳なゴシック建築の建物になんてことしてるんだろうな、おれ。
ふよっと、おれの背後にドローンがいくつかついてきてるのを感じる。
なるほどね、支援。蚊蜻蛉ほどの大きさもない。
支援されていることすら気付かれずに支援するなんて、よく出来てる。
こいつが落ちたらネットワークの構築が巧くいってないってことだね。気を付けよう。
と、祭壇の前まで行くと、ぶんと横に薙いだ戦斧がおれの鼻の先をかすめた。
「危ね!」
咄嗟に背中を反らせて躱して、周囲を見渡す。左側にローブを着て戦斧を構えた錆色の髪の女がいて、対峙するようにアレックスが朝食を作っていた大鍋を盾代わりに構えている。大鍋は中華鍋のような鉄製の重たくて大きなやつだ。盾としては申し分ない性能を持っているだろう。
「ああ、悪いね、帝国の皇子さん」
なんて周囲を観察させる暇もなく、錆色の髪の女――フィオナがご丁寧にももう一度、戦斧を打ち込んできた。
誰だよ帝国の皇子って。
「おれのこと殺す気しか感じないんだけど! 丸腰相手に武器ってずるくない?!」
「あたしからすれば武器を身体から離すほうが信じられないんだけど」
「正論がおれを傷つける! ……レベッカ?!」
床に倒れ込んだレベッカを、グスタフが庇うようにしゃがんで剣を構えていた。ダンジョンで剣を交えたとき以来だ。相変わらず重戦車みたいないかつい体躯をしている。
グスタフは積極的におれを害そうという意思はないようだ。
「大丈夫なの?!」
「大丈夫じゃないね。死んでるから」
はあ?! なに勝手に死んでんだよ?! トリスにどう説明するんだよこれ?!
「人情の欠片もない……」
声に出してしまったらしい。フィオナが呆れたように言った。
「え、いやだって紅茶貰っていただけだよね?! 死ぬとか普通思わないよね?!」
「あたしからすれば無警戒で一人で残って殺害犯と接触するほうが信じられないんだけどね」
「正論が痛い!」
「あたしだって妹がこんな能天気なアホで残念だわ」
蚊蜻蛉の一機がカツンと十字架にあたる。やべ。忘れてた。
おれは祭壇を飛び越えてツァオ・リンが架けられた十字架に向かう。
「あ、そいつ毒針で刺してくるから気を付けて。レベッカもそれでやられたから」
「先に言って!」
きらっとしたものを指の間に挟んで襲い掛かってきたアレックスを間一髪で避けて、おれは十字架に触れた。
ヴン……という低い音が耳の奥で、した。情報の洪水が頭に直接流れてくるような感覚。映画のマトリクスみたいな感じ。視界のレイヤーが切り替わった。
切り替わった視界――というか感覚に映ったのは、このネットワークの参加者だ。
近場にひとり。アレックスだ。フィオナが戦斧で牽制してくれているので、しばらくは時間が稼げそうだ。
彼女に敵意はない。敵意がないのに毒針で襲い掛かってくるということは敵意がないからといって害意がないわけではないということだ。
純粋に善意で人を殺せるって怖いね。
ちらほらと存在だけを感じるのは封印されているガーゴイルたちだろう。昨日レベッカと一緒に障壁の確認したとき、ついでにチェックしていた場所と相違はない。
レオーノフの気配はない。ネットワークに参加していないだけなのか、すでに死んでいるのかは判然としないが、脅威がないならそれでいい。
最後にひとつ。
敵意とか悪意とかを超越した最悪級のものが、いた。
祭壇の前の、地面の下に。