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4.第二の殺人

「それでも朝ごはんは作ってるんだよなぁ……」


 祭壇のほうを見て、カインが複雑そうに呟いた。祭壇の前にあるかまどでは、大鍋でなにかを煮炊きしているアレックスがいる。昨日まではその隣にツァオさんがいた。


 ――神の子羊を捧げるとか。


 仮にレオーノフさんが主犯だとして、アレックスはそれを知っていたのだろうか。知っている可能性は高いと思う。だって知っている人があんな死に方をしているのに、アレックスは嘆きもしていなければ怯えもしていなかった。それどころか、あたしを見て笑顔をくれた――笑顔。あまりにもあの場にそぐわなすぎて、あたしの表情は引き攣ったと思う。だからすぐに視線を逸らされたのではないだろうか。

 昨日見たアレックスの笑顔はただ幼くて可愛かった。今日の笑顔は儚くて消えてしまいそうだった。背筋がぞわっとする。


 もしアレックスが共犯だったら?

 もしアレックスが共犯じゃなかったら?

 アレックスも神の子羊だったら?

 アレックスが犯人が誰であるかを知っていたら?

 アレックスが自分の運命を知っているのだとしたら?

 すべてが辻褄が合ったような気がした。

 少なくともあと二人死ぬ可能性がある。死者の大半は僧侶。それが指し示すことって、つまり――


「レベッカ?」

「あ、ごめん。なに?」

「一緒に朝ごはんを取りに行こうぜ。そのときにあいつらに話を聞こう」

「そうだね。それがいいと思う」


 立ち上がって、身体を伸ばした。毛布を折って座っていたけど椅子が欲しいと思う。


「トリス、ちょっと行ってくるね」


 トリスもあたしと同じように毛布の上に座り込んで、小さいものに何かを書き付けている作業をしていた。陣取っている場所が薄暗いせいか、耳にペン型のライトを挟んでいる。時計職人みたいだ。


「待って。今やってる作業が終わればもう少し安全に動けるようになるから」

「大丈夫だよ、朝食を取りに行くだけだから。レベッカだけじゃなくて、おれも行くし」


 カインが安心させるようにトリスの頭をぽんぽんと叩く。トリスは少しだけ考えたあとで、あたしの腕を掴んで引き寄せた。あたしはトリスの横に膝をついてしゃがみ込む。


「本当は行かせたくないのよ。そのことを忘れないで」


 囁き声で早口に言う。どうしよう最近トリスのデレがすごい気がする。思わずにやけてしまうと、トリスはムッとしたような表情になった。


「理解ってないと思うけれど――」

「だいじょうぶ。わかってる。気を付ける」


 トリスの肩を抱き寄せてぽんぽんと叩いて離れる。立ち合がるとトリスの手が離れる。トリスが心配しないように笑顔でひらひらと手を振って背を向けた。


「相変わらず仲がよろしいようで、あてられるよ」


 カインの目にも仲良く見えちゃうか。そっかー。今回のトリス、めちゃめちゃかわいいよね!


「羨ましい?」

「むかつく笑顔してんなー。くっそ、おれにもハグをくれ!」

「あたしでいいの? くれてもいいけど、トリスが見てるけど」

「ぐぬ……願ってもないチャンスだがしかし」


 トリスが見てるとこは怖いか。そうか。あたしも怖いです。いや別にね、トリスが怖いとかそういう意味じゃないんだけどさ、トリスがご機嫌斜めになるポイントがあたしにはイマイチ分からないんだよね。でもなんとなくね、これはそうなんじゃないかなみたいな気がするんだよね。気のせいかもしれないけど、カインも同じ意見っぽいから多分合ってる。


 ふいに、ドン、と突き上げるような揺れに襲われる。両脚が地面から離れるような突き上げが、更に、ドン、ドンと三度続いて、揺れは止んだ。円柱に吊るされたランプが軋みながら大きく揺れている。


「地震か? けっこう揺れたな」

「それにしてはおかしな揺れだったけど……」

「直下っぽいな」


 地震は数年に一度の頻度で大きいものが発生する。雷が光と音の時間差で距離が計算できるように、地震も小刻みな揺れから大きな揺れまでの時間差で震央までの距離が計算できるそうだ。でも今回は前触れはなかった。


 石造りの床は、祭壇の前でおかしな具合に段差が出来ていた。

 十字の交点のちょうど真ん中の床石が盛り上がったようにズレている。


(……閉じ込められた何かが床を叩き割って出て来ようとしているみたいだ……)


 その考えにぞわりとする。神の子羊は捧げられた。()()


   ◇


「おはよう、アレックス。けっこう揺れたよね、大丈夫だった?」

「レベッカさん、おはようございます。揺れましたね。ちょっと火傷してしまいました」

「え? 大丈夫なの?」


 ぱたぱたと腰のあたりを探るけれど、鍵開け用のツールロールしか見当たらない。軟膏や冷却剤が入っている応急手当キットはトリスのカートの中だ。


「ありがとうございます。冷やしたので平気ですよ」

「役に立たなくてごめんね」

「お気持ちだけで充分です」


 アレックスは控えめな笑顔を見せた。けなげで庇護欲が煽られる。守ってあげたい、と思う。なにから守るのかはよくわかんないけどね!


「あっ、おれはカイン、よろしく。冷やしたって、どうやって冷やしたんだい?」

「それは径路(パス)を……」

「パス? それってやっぱり王冠(ケテル)だとか理解(ビナー)とかの間にあるやつ?」

「……」


 アレックスは警戒したようにカインを見る。カインは気にせずに続ける。


「おれそういうの興味あってさ。やっぱキリスト教系で魔術っていったら数秘術(カバラ)とか生命の樹(セフィロト)系が大本命だよね? タロットカードとか使ったりするの? その手に付けてるアクセサリって十字架(クロス)だよね?」


 カインが指摘すると、アレックスは持っていたレードルを離して左の手首に右手を当ててアクセサリを隠そうとした。袖口から銀色のチェーンが見える。よくそんなの目敏く気付くなぁ。


「なんのことを言ってるのか、よくわかりませんが……?」


 アレックスは助けを求めるようにあたしを見た。あたしはカインの服の裾を引っ張って注意を促そうとしたけれど、カインはあたしに構わない。


「今朝、レオーノフが言っていた神の羊ってイエス・キリストのことだよね? ツァオさんと同じように磔刑に処された人。あれってどういう意味なのかな? やっぱ自白かな? 君はどう思う?」


 カインの足を踏んでもいいかな。カインはよくあたしの足を踏むけど、今ならあたしが踏んでもいいのでは? いやしかし、あたしにはカインが何を言ってるのかさっぱり分からない。


「……あの」


 代わりにあたしも口を開いた。


「昨日、夢を見たって言ってたよね? だからツァオさんとレオーノフさんがこの依頼を出したって。石膏像を回収して神の子羊を捧げる――でもあたしたちが受けた依頼は石膏像を回収することだけだった。神の子羊って、なんのことなのかな。神の子羊がツァオさんのことだとしたら、それって……」


 ツァオさんはアレックスの背後で十字架に架けられたままだ。そのせいか、遺体の目は閉じられているにもかかわらず、凝視されているような気がした。

 あたしが問い掛けると、アレックスは溜息を吐いた。そしてあたしを見て言った。


「――夢を見たの。この教会で救世主(セイヴィア)が覚醒してこの世が滅ぶ夢。メルキオール像が壊れて封印が弱まっている。封印をし直すにはわたしたち敬虔講(サクリファイス)の聖職者たちがその死を以って救世主に捧げられなくてはならない」

「ツァオさんは……」

「彼は自ら望んで神の子羊になりました。これは大変栄誉なことだから、と。敬虔講(サクリファイス)はこの地で裁きの時(ドームズデイ)が来るまで救世主(セイヴィア)を封じるために作られたのだから」

「彼がメルキオール像の代わりの封印なのだとしたら、十字架に架けたのはなぜだ?」


 カインが口を挟むとアレックスはぴたりと口を閉ざした。


「あとの話は朝食を済ませてからにしませんか?」


 それから作り笑顔でこれ以上の質問には答えないという意思表示をした。

 朝食は野菜のスープとマッツァーで、三人分をたっぷりと盛ってくれる。


「いやまぁ、腹は減ってるからね。もらうけどね」


 ぶつぶつ言いながらカインが三人分の食事を受け取った。

 あたしは三人分の紅茶が入ったコップを受け取る。


「バカなこと、考えてないよね?」


 コップを受け取ったときのあたしの言葉にアレックスが首を傾げた。


「アレックスって成人はまだなんでしょう? あなたはツァオさんとが違う。『石』を持ってないのに死のうとなんてしてないよね? 死んだら蘇生できない……」

「『石』を持っていても持っていなくても、死は等しく死です。仮に『石』で蘇生できたとしても、その私は私ではない。私によく似た別のものです。だから、あなたが私を憐れむ必要はありません」

「やっぱ死ぬ気なんじゃん。だめだよ、そういうのはさ。生きようよ。ちゃんと生きて対処しようよ。死んだって何も解決しないよ」


 あたしの言葉にアレックスは表情を歪める。


「神の子羊として死ぬのは、とても光栄なことです」


 背筋がゾクッとした。それは間違ってる。死が等しく死だとしたら、死んだら何もかもおしまいだ。死んだ後の光栄さなんて何の役にも立たない。それにアレックスの表情だって笑顔じゃない。死に向かって恐怖を感じないわけがない。

 ふと。

 誰かの不在が気になった。ここにいてもおかしくない人。あたしたちがアレックスに詰め寄っていたら声を掛けてもおかしくない人の。


「待って。いま、レオーノフさんはどこにいるの?」

「あちらに」


 アレックスが南の袖廊を指し示す。バルタザール像に縋りつくようにレオーノフさんが倒れている。聖書は背表紙を上にして開かれた状態で床に落ちていた。

 あたしは息を呑んだ。これで二人。最後の一人は?


「ずっと思っていたんです。自分が神の子羊に相応しいのかって。でも分かりました」


 アレックスがあたしの腕を取った。コップが床に落ちる。アレックスに握られた腕にチクリとなにかが刺さる。


「わたしたちとは違って、あなたには資格がある。あなたこそ神の子羊に相応しい」


 アレックスの表情は、まるで泣いているみたいだった――

次から語り手が変わります。

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