3.第一の殺人
「兄貴! 何があったの?」
「えっ、その呼び方で定着しちゃうの!」
祭壇の前にいたカインのところに駆け寄る。自分がそう呼べって言ったくせに、カインはちょっと嫌そうだ。
ちょっと面白いな、なんてそんな気持ちは十字架に磔にされた死体――間違いない。あたしだって冒険者のはしくれだもの、何度も見てる――に近付いたら吹っ飛んだ。
「ツァオさん……」
遠目から見てもそうじゃないかと思ったけれど、近付いたことで磔にされたのが誰なのかが明らかになる。
ツァオ・リン。このクエストのリーダーだ。すっと背筋の伸びた、長髪を束ねて丸眼鏡を掛けた僧侶らしからぬ風貌の人だった。
長く黒い髪はざんばらになり、眼鏡は外されている。
両手は広げられて手首と足首に太い釘が穿たれている。
見ているだけで痛々しい姿だが、ツァオさんの表情は穏やかだった。
苦しまなかったのかな。そうだったらいいけど。
戦場やダンジョンで死んでいく人たちはそれなりに見てきたけれど、こんなふうに悪意を感じるやり方で殺されている死体を目の当たりにするのは初めてだった。
「おろさないの?」
「そうしたいのは山々なんだけどね」
カインが溜息を吐く。
「絶対におろしてはならぬ」
律師ワシーリィ・レオーノフが、語気を荒げてあたしに向かって言った。蒼い目をして額と鼻と背が高い禿頭の僧侶だ。
今まではツァオさんの背後に控えていて、冒険者たちとの交渉は主にツァオさんがしていた。ずっとフードをかぶっていたので禿頭であることですら今の今知った。
「これは徴候である。神の子羊は捧げられた。決して下ろしてはならぬ」
しわがれた声でそう宣言する。
神の子羊。
その言葉にドキッとしてアレックスの姿を探す。アレックスは祭壇の南端にいて、あたしたちを見ていた。あたしと目が合うとかすかに笑顔になって、それからはっとしたように視線がそらされた。
昨日アレックスは、石膏像を撤去して神の子羊を捧げるために教会に来た、と言っていた。
ツァオさんが神の子羊なのだろうか?
カインは、神の子羊はイエス・キリストだと言った。
イエス・キリストは磔刑に処されて殺された。
ツァオさんのように――ゾッと背筋に冷たいものが走る。この符号はなんだろう?
「レベッカ?」
カインが怪訝そうにあたしに声を掛ける。
「あ……、ええと、でもおろさないとツァオさんの『石』が回収できないんじゃ……」
「ならぬ」
「それではツァオさんが蘇生できません」
「望まぬ」
「あなたが望まなくても、ツァオさんは」
「ならぬ」
何を言ってもレオーノフさんは即答で否定する。見た目通り、かなり気難しい人のようだ。
「さっきからこの調子で話にならなくてさ」
カインが囁いた。白いローブの二人は特に何を言うでもなく、少し離れた場所にいる。あたしは二人を示してカインに聞く。
「彼らの意見は?」
「レオーノフさんが話しだしたら、処置なしと言い捨ててすぐに引っ込んだよ」
そっか。それなら――
「――わたしたちになにか出来ることはありますか?」
意識して『わたし』と言った。多少畏まった言葉づかいにする。姉貴好みの、騎士ふうの。
レオーノフは、ようやくあたしという存在を認識したかのようだった。
「お手伝いできることがあれば仰ってください」
「ああ……そうだな、なにかあれば声を掛けよう」
あたしは彼を責任者のように扱った。
これまで責任者だったツァオ師はいない。
彼はあたしたちに対して依頼者としての責任がある。
わめき散らす以外のことをさせなくてはならない。
あたしたちのために。
「では、ツァオ様は」
「しばらくはこのままにしてくれ。こちらで弔いを済ませたい」
「かしこまりました」
一礼して、下がる。それから、くるりと踵を返してカインの肘をつかみ、トリスのほうに向かう。
「え、なに今のカッコイイ」
「礼儀作法に則ってみただけ。一旦トリスのとこに戻って作戦会議しよう」
「きちんとした礼儀って見映えがするもんなんだな。正直馬鹿にしてたわ」
「話の通じない人と話すときほど礼儀正しくっていうのが姉貴の教え」
「思っていたよりちゃんとした人なんだね、君の姉貴って」
カインの姉貴に対する偏見が酷い気がする。まぁでもいきなり斧で殴りつけられたら、そうなっても仕方ないか。
「トリスも兄貴も、姉貴に対する誤解があると思う」
「兄貴と呼ばないで。なんかドキッとするから。ときめくのとは逆の意味で」
「我儘だなぁ」
「反省してます。これからはカインとお呼びください」
「オッケー兄貴」
「だからやめろって言ってるだろ」
あたしには案外しっくりくるんだけどね、兄貴。
◇
トリスに概要を話す。主にカインが話したから、情報に抜けや漏れはなかったと思う。ついでにカインにも昨日のアレックスとの会話の概要を伝える。
「なるほどな。だから昨日『神の子羊』について質問したんだな。レオーノフの言葉を聞いて、なんか妙にタイムリーだなと思っていた」
カインが溜息を吐く。
「見立て殺人かぁ……正統派キリスト教だってずいぶんアレだけど、どうせ派生かなんか、こうややこしい邪教的なあれだろ。そんなん推理しようがないだろ。なんでもありだろ」
「なにを推理する必要があるの? 自作自演でしょう」
「まぁ、そうなんだろうけどさ」
「え、ってことは犯人はレオーノフさんってこと?」
「有り得なくはないね」
「可能性としては一番高いと思うわ」
あたしの言葉にカインもトリスも頷いた。
「端末を使って過去にこの教会で起きたことを地域の年報を中心に調べてみたわ。周期的に死人が出てる」
「周期的?」
「ズレがあるけど、ほぼ三十年に一度。多くて十数人、少なくても三人の僧侶が同じ場所で数日間のうちに亡くなっている。ほかの年は一人として死んでないのに。ロケーションからしても、わざわざ死にに行ってるとしか思えない」
「亡くなっているのはみんな僧侶なのか?」
「大半が僧侶よ。だから年報に記録に残っている。『石』があるから、一般市民だとそのへんの記録は雑だし領主によっては公的組織のそれもめちゃくちゃ。こと記録に関する限り『寺院』の情報は信頼できる」
「そいつらも神の子羊ってやつだとしたら、結構長いあいだ生贄を捧げ続けていたことになるな。講ってもっと属人的で寿命が短い印象だし、こんなに長い期間『寺院』にキリスト教が寄生しているのなら、そうとう根が張っているぞ」
「どれも関係なく『寺院』本体が関わってるのかもしれないし、確定はできないわ」
「うーん……石膏像の撤去と神の子羊を捧げる、か。アレックスはいったいどういう夢を見たんだろうな。石膏像は何に関わってるんだ? ガーゴイルが動くことにはどういう意図がある? 仕掛けたのは誰だ? 神の子羊とやらは何に捧げられているんだ?」
「夢の話を聞いた二人がすぐに対処しようと言い出したってことだけど、夢の内容までは聞いてない」
「すぐ対処、か。依頼の締切まで短かったもんな。おれたちが集まらなくても決行したのかな」
疑問が次から次へと沸きあがるけれど、情報が足らないのにあれこれ考えても仕方がないとトリスが打ち切った。
「今現在もっとも確実性の高い推論は、少なくてもあと二人死ぬ可能性があるってことだけよ」
トリスが祭壇のほうを見ながら言った。祭壇のところでは一人で煮炊きしているアレックスと、磔になったままのツァオさんの前で本を――聖書だろうとカインは言った――片手に祈祷をしているレオーノフさんが見える。
「レオーノフを締め上げるか」
「出来ると思う?」
「快く話してくれるわけはないな。まだアレックスに聞くほうがいいんじゃないか」
「それならあたしが――」
あたしが手をあげようとすると、トリスがその手を掴んで止める。
「あなたは絶対に行かないで」