2.一夜目
十字教会の一番奥、祭壇の前に石を積んでかまどが組まれていた。大量に用意した木切れを使って火を熾して煮炊きが始まっている。ツァオさんとアレックスが肩を並べて大鍋で、おそらく全員ぶんの夕飯を作ってた。
あたしたちは十字教会の一番手前の入口付近にかたまって、その様子を眺めていた。教会はとても広くて、端から端まではかなりの距離がある。
「あれ、どう思う?」
「計画的犯行」
カインの問いに、トリスが無表情に応えた。
「ちょっと考えすぎじゃないかな」
「異教であれ、ここが宗教的施設であることを尊重するなら煮炊きは外でするべきなのよ。建物の中にかまどを作ることがとても非常識な行為であることは、彼らも弁えているはず。それなのに大量の薪や食糧を準備して中で煮炊きする準備をしていた。予めこうなるとわかっていたのよ。これでも私の考えすぎだと思う?」
「思いません」
口を挟んだあたしに、トリスがイライラした口調で、それでも理路整然と教えてくれる。トリスは間違ってない。アレックスと一緒に大量に運び込んだ木切れの数は1週間分ぐらいの煮炊きは優に賄える。
「『寺院』は信用できない。だから私はここから動かない」
「キリスト教ってあれだろ? 聖餐っていうんだっけ、パンとかワインとか分け合う儀式があるだろ。祭壇は確か最後の晩餐の食卓を象徴だったはずだし、建物の中で煮炊きしたからって即不敬ってわけでもないんじゃないか? 炊き出しなんかも熱心にやってる印象あるよな。知らんけど」
「彼らがキリスト教徒ならまだ分かるわ。でも『寺院』なのよ?」
「それもそうだな……ところでおれは非常に腹が減ってるんだが、トリスはどうだ? 夕食はどこで調達する?」
「……」
カインの言葉にトリスは黙り込んだ。そう。あたしたちの荷物は全部教会の外にある。トリスのカートは言うに及ばずあたしとカインの武器や防具まで。自前で用意していた食糧も、もちろん外だ。
慎重を期して野営する予定だったことが裏目に出てしまった。
「ま、『寺院』が作ったものは食わぬ!というポリシーでもなけりゃ、おれが持ってきてやるよ。レベッカ、君はどうする?」
「トリスが一人で大丈夫なら、あたしもカインと行くよ」
窺うようにトリスを見る。トリスはなぜか考え込んだ。しばらく考え込んだあとでトリスは上目遣いにあたしを見て、ここにいて、と囁いた。
素直なトリスは、それだけですごい破壊力だ。
◇
カインが一人で祭壇まで出向いて夕食を取りにいってるあいだトリスと二人っきりだ。いい機会なので昼間アレックスから聞いたことをトリスに話した。あたしには分からない重要な情報があるかもしれないから。
・この地域は三百年ほど前までは数十万人規模の大都市だった
・大きな地震と、疫病その他の災害もしくは呪いで大都市は廃棄された
・ここは十字教会である
・アレックスは成人したらツァオさんレオーノフさんが所属している講に入る
・今回の依頼主はその講である
・アレックスが何かの夢を見た結果、石膏像を撤去して神の子羊を捧げるためにこの依頼が出された
・本物の羊はここにはいない
・【参考意見】カインによれば、神の子羊とはイエス・キリストのことである
アレックスと話したことだと言うと最初はまったく興味を示さなかったトリスだけれど、最後は真剣な表情で聞いてくれた。
「役に立つかな」
「そうね。とても興味深い情報ばかりだわ」
「よかった」
「でも、今後は『寺院』の人と二人っきりになるのは止めて欲しい」
「え、なんで」
「嫉妬とかそういうんじゃないの。そういうのも無いとは言わないけれど、その、彼らが生贄を調達するために依頼を出した可能性があるから気を付けて欲しい」
視線を逸らせて早口にトリスが言った。ぽかんとした。あれ? 嫉妬って言ったよね、今。トリスがあたしに嫉妬。そういうのも無いとは言わない、と言ったよね。不意打ちで可愛いのはほんと反則。
いや大事なのはそこじゃなくて後半なのはわかってる。わかってるんだけど表情がにやけてしまう。
「この建物で二人っきりになるのは難しいんじゃないかな?」
「そういう意味じゃないわ」
トリスがニヤついたあたしを見て、ムッとしたように言った。
「言い方を変えるわ。寺院の人に一人で会うのは絶対にダメ。相手が一人でも二人でも三人でも」
「アレックスも寺院の人扱いなの?」
トリスが溜息を吐く。
「もちろん彼女と二人っきりになるのは一番やめてほしい」
「危険だから?」
「わたしの気が散るから。そこまで言わせないで」
耳を赤くしながらトリスが言った。萌え死ぬかと思った。すごく幸せな気分になって、あたしも頬を緩ませきって、うん、と安請け合いした。
◇
カインが三人分のスープとパンを乗せたトレイを持って戻ってきた。
「トマトスープ? にしては水気があまりないような……」
「ワイン代わりのシャクシュカだそうな。トマトをもって血に替えたらしい。吸血鬼の発想だよな」
「ワイン?」
「そう。聖餐なんだとさ。どうせなら熊肉でも焼いてくれたらいいのに」
シャクシュカはオリーブオイルの風味が勝ったみじん切りされた野菜に卵を落としたスープだ。発酵していないカリカリのマッツァーというパンに乗せて食べると美味しい。馴染みのない味だけど、いくらでも食べられる。
「いちおう何があったのか確認してきた。フィ……白いローブの二人組がツァオ師に確認の上、メルキオール像を台座から降ろした。途端に、像の両脇の柱のところにいたガーゴイル像が動き出して襲い掛かってきたそうだ。台座にはスイッチがあって、像が無くなるとガーゴイルの枷が外れるような仕掛けがあった。石化の魔法も連動して解けたのかもしれない」
マッツァーをもくもくと食べながら、カインが言う。
「石化してない可能性は?」
「ないね。他の像も検分してきたけど見事に石だぜ、あれ」
「襲われなかった?」
トリスの言葉にカインは肩を竦めた。
「おれも命が惜しいから直接は話してない。ぜんぶツァオさん経由の話さ」
カインがずずっとシャクシュカをすする。襲われる? 命が惜しい? なんの話だろう。直接話さずツァオさん経由というならツァオさん以外の誰か。白いローブの二人組かな。知り合いなのかな。
「あと今日はしっかり休息を取って明日どうするか話し合おうって言ってたね」
「行動方針を決めることすら先延ばしにするのね。好ましくない姿勢だわ。いきあたりばったりなのかしら」
「手厳しいね。おれも同感だけど」
白いローブの二人組は北の袖廊、つまりメルキオールの台座がある場所を拠点にしてる、とカインが伝える。十字を折れた場所にいるから、ここから様子を窺うことは難しい。彼らは寝袋などを持ち込んで快適そうにしているらしい。寺院の夕食も用意があるからと断ったそうだ。
『寺院』の人達が陣取っているのは祭壇のそばだ。向こうからも入口のこの場所はよく見えるはずなんだけど、トリスはそれをきらってあたしたちは柱の影になる場所に移動している。
十字で示すなら白いローブの二人組は上端、あたしたちは左端、寺院の人たちは右端にいる。因みに障壁を調べるついでにガーゴイル像の位置と数を確認してきた。ガーゴイル像は中央と右端と下端に各二体あって、上端にあった討伐済の二体を除くとあと六体残っている。左端、入口付近のあたしたちの周囲にはガーゴイル像はない。
食べ終わったお皿をひとつにまとめる。洗って返したいんだけど、建物内に水道は見当たらないし、水は貴重だ。三人とも水筒は身に着けていたので数日は大丈夫だと思うけど、お皿を洗うために水を使うのは惜しい。
「日が昇ってから返すか」
「じゃ今日はもう寝る? 毛布くらいあれば良かったんだけど」
「ふはは。しっかり借りてきたぞ。おれに感謝するがいい」
カインが突然高笑いした。煩い。
「あるなら勿体ぶらずにすぐに出してよ」
「感謝の言葉は?」
「素晴らしく気が利く誇り高きカイン様、下々へのご慈悲をありがとうございます」
「うーん……なんかね、記憶がないせいかカインと呼ばれてもしっくりこないんだよね」
「なんて呼ばれたいの? 言ってみなよ。呼ぶから」
「誰に呼ばれても嬉しい呼び方という方向から考えると、そうだな……お兄さま?」
「兄貴、毛布早よ寄越せ」
「違う。そうじゃない」
カインが微妙な表情しながら毛布をくれる。さっそく包まってみる。寒い季節じゃないけれど、石造りの床は硬いし冷たいから、助かる。
「見張りはどうする?」
「時間決めて交替する? ジャンケンで決めようか」
「必要ないわ。警報を入れる」
トリスが手のひらサイズの五芒星の骨組のようなものをぺたっと最寄の柱に貼り付けた。ヒトデの骨格みたいというか、傘の骨組みたいというか、そんな感じの形状をしている。
「そのローブの下どうなってんの? まだもっと便利なもの持ってない? ん?」
「ひみつ」
つれないトリスのローブを引っ張ってカインが覗きこもうとしてる。
あたしは二人の間に割り込んで、カインに手でバッテンをつきつける。
おさわりダメ、ゼッタイ。
なぜかカインはあたしが割り込むと両手をぱっと離して上空に向けた。
「トリスに触っても怖くないけど、君に触るとトリスが怖いんだよね」
「言いたいことはそれだけ?」
「不調法の失礼をお許しください、お嬢様がた」
カインは片手を腹の前で振り片脚を引くボウ・アンド・スクレーが失敗したようなお辞儀をする。
あたしが同じようにお辞儀を返すと、カインは感心したように口笛を吹いた。
「きちんとすれば格好よく見えるもんなんだな。そういうの、どこで覚えるの?」
「うちは煩い人が多かったから」
主に姉貴が。親父もママも煩かったけど、特に姉貴が。
姉貴には男性側の所作ばかり仕込まれた。そのせいでマナー講師に指摘されて恥ずかしい思いをしたので、何度も矯正しようとした。今でもあたしは女性側の礼儀作法よりも男性側の礼儀作法のほうが得意だ。
もっとも特訓の成果を披露したことは一度たりともない。うちが辺境のド田舎にあるせいだ。近所には交流する貴族などいない。いるのは騎士ばかり。舞踏会ならぬ武闘会なら出たことあるんだけど。
「あー、そいや貴族なんだっけね、君」
「貴族の家系ってだけで、あたしの身分は平民なんだよね。次女だし」
「長子世襲制なんかね。そのあたり、わりと気になるんだが」
「よくわかんない」
「うん、君の説明能力には期待してない」
「失礼な」
◇
夜半、息苦しさを感じて目を醒ました。
トリスがあたしのお腹を枕代わりにして眠りこけていた。
くるんと毛布に包まっていたので枕に手頃だったみたいだ。
トリスの上には毛布がない。毛布はトリスの下敷きになっていた。
ちょっと考えて、トリスの頭を抱き寄せてあたしもトリスの毛布の上にお邪魔する。
そしてあたしの毛布に一緒に包まった。
毛布一枚で縦半分に二つ折りにして間に包まって寝るより、二枚にして一枚は下に敷いて一枚を上掛けにするほうがずっといいよね?
トリスの体温はちょうどいい感じに暖かかった。
夜の静寂の中でどこか遠くのほうからコォーン、コォーンという何かを打ち付けるような音が響くのを聞いた。耳障りというほどでもなく、あたしはすぐ眠りに落ちた。
◇
今度はざわめきで目を醒ました。
外は薄明るくなっている。トリスが身動ぎするのを感じたので、腕を広げる。うっかり頭を抱え込んだまま寝てたみたい。
「おはよう」
「……おは、よう?」
トリスは困惑したように身体を起こして、あたしから離れていった。
あたしも起き上がる。
カインの姿はない。毛布はきちんと畳んで置いてある。重ねていたお皿もない。
「祭壇のほうで何かあったのかな」
「待って」
トリスがあたしの腕を掴む。
「行かないで」
「え、でも」
祭壇のあたりに四人いる。白いローブの二人組、レオーノフさん、カイン。なにかと戦っているようではない。祭壇の奥、メルキオール像の後ろ、壁際の十字架の前に何かが掛かっているようだ。
なにかが磔にされている。
なにか。違う。
誰かが。
昨日、そこには十字架があっただけだった。
「トリスはここにいて」
あたしは祭壇に向かって走り出した。