ブラック企業にブラックバイト、東京オリンピックではブラックボランティア、まてよ? ブラック国家から突き抜けてボランティアをシステム化してみたらどうなる?
(* ̄∇ ̄)ノ 今回は極論で暴論。
ブラック企業、ブラックバイト、という言葉が定着し、社畜という言葉を自嘲と共に口にする。そんなことが当たり前になってきた現代。まるでブラック企業と社蓄が日本の経済を支えていて、いなくなると困るんじゃないの? とか、思ってしまう時代。
しまいには、ブラックボランティアという新単語が出てきたようで。
2020年東京オリンピックに向けたボランティアが募集されて、11万人もの無償ボランティアが動員される予定とか。
ボランティア、と言うと聞こえはいいけれど、言ってしまえばタダ働き。善意の人助けの活動。
国家事業で無償なのかい?
オリンピックのボランティアで得られるものは、四年に一度の世界の祭典に参加して貢献した、という満足感、になるのかな?
いやこれ、災害での救援活動だとボランティアというのもわかるのだけど。
オリンピックは商業イベントで、災害じゃ無いよね? スポンサー収入は? 4000億円越えた? それでもオリンピックの運営は、地震や津波の災害レベルで困ってんの? 救援しないといけないの?
オリンピックを成功させよう、のスローガンで11万人をタダ働きさせるとなれば、これはブラック国家、なんじゃないのかなー。と、ヒネクレ者は考えてしまうわけで。
タダ働きじゃ無いよー。ボランティアだよー。
あ、あの、そうですか、はい。
ボランティアって、なんだ?
『日本において、ボランティアとは一般的に、自発的に他人・社会に奉仕する人または活動を指す。ボランティア活動の基本理念は、公共性、自発性、先駆性である』
以上、ウィキペディアより。
ほー、なるほど。語源は志願兵と。
そしてオリンピックでボランティアを使ったのは、イギリス、ロシア、オーストラリアとあったと。
国家の祭典、お祭り、と考えたならみんなで参加して盛り上げよう、ということにもなるのか。
自発的な奉仕活動がボランティア。
ということは、サービス残業も無償の休日出勤も、会社へのボランティア、とも言えるのかも。実質には強請で逆らえない立場の人に無理させてるのは、ちょっと違うか。
でも、このボランティアというのを推し進めると、おもしろいかもしれない。
例えば、ひとつの企業が人材不足で困っている。
しょーがないなー、助けてやるか、と、無給でその企業にボランティアで働く人がいるとしよう。企業はその人に給料は払わない。
企業は企業で、貧しくて生活できない人に支援したり援助したりする。というのはどうだろう?
従業員、じゃなくてボランティアはその企業で働き現金の給料では無く、その企業に貢献ポイントを貯める。
その貢献ポイントで企業にお願いする。
家賃払ってー、電気代水道代通信料金、あと酒に、マンガも欲しい、パチンコもしたい、ソシャゲのガチャも。
企業は貢献ポイントから、そのボランティアに援助をする。これは給料じゃ無くて、あくまで企業からの支援活動(笑)
なので現金では無く現物支給の方がよいですかね。
互いに善意での支援活動による相互扶助。なので従業員、じゃなくてそのボランティアは収入はゼロ円。
収入がゼロ円だから、所得税も年金も健康保険も介護保険も払えないよね、だって収入はゼロ円だもの。
で、企業は貢献ポイントの分、生活支援する。あくまで慈善活動です。生活に困った人が欲しいというものを、代わりに買ってその人に送っているだけです。恵んでいるのであって、給料じゃ無いんです。
お互いに善意で成り立つ、信頼の相互扶助。互いにボランティアしあっているだけ。これで節税になるんじゃないかな?
あとはその貢献ポイント、単位はペリカでもカイジでもなんでもいいけれど、これを企業内通貨として扱うと。
その企業がアパート、コンビニなどを企業内に置けば、企業内通貨でやり取りする。
究極のキャッシュレスとなるかもしれない。
企業の方は新しいシステム作りに苦労するかもだけど、人件費は削れそう。
いきなりゼロ円は難しくとも、所得税の壁の中に納めるように、現金給料と貢献ポイントと併用するのはアリかもしれない。
年収が103万円を超えると、所得税が課せられるので、これが103万円の壁。
パートやバイトの収入金額が103万円以下なら、所得税がかからないのでこの中に納める為に計算して働いたりなど。
次に106万円の壁、106万円を越えると社会保険に加入しなければならない可能性が出てくる。
130万円の壁は、扶養の壁。扶養家族となっていた配偶者や学生は、アルバイトでも年収130万円を超えると扶養から外れることになるので、自分で国民健康保険料や国民年金を納めるか、パートやバイト先の社会保険に加入しなければならなくなる。
で、まあ働くパートさんはこの壁の中に納めるように働く時間を調整したりする訳で。
だけど、人材不足というこの現代、企業の方では仕事があるときは働いて欲しいと。
私が働いていたところでも、仕事が忙しいときにパートさんが年末調整の為に休みたい、という話になる。これ以上働くと給料が壁を越えて損をする。今年の稼ぎはここまでにしたいと。だけどそれじゃ現場の仕事が回らない。
会社の方で、壁を越えた分の給料を来年にプールすることで、なんとか給料を壁の中に納めて、パートさんに働いてもらって仕事を回したりなどしてたもので。
厳密に言うと、これは違法のようだけど、ちゃんと取り締まってはいないから、やってるとこはやってるという。
貢献ポイントでの現物支給を現金給料に含まないとすれば、この所得税の壁の問題は解決するのでは?
企業も従業員も節税になってどちらも喜ぶことに、なったりしないかな?
思い返してみると、こういうのやってたのかもなあ、と。
私の父が経営していた工場。そこで働いていたあるおばあさん。その人は若い頃から、私の祖父の代から工場の寮に住み働いていた。
自分にとっては祖母のような人。
定年退職するときに、身寄りも無く行くところも無い、ということで、社長が退職金に、これまで住んでいた寮の一室をオマケでつけました。
で、そのおばあさんはそこに住んでいたんだけど、暇があると工場の掃除をしたり、ゴミを片付けたり、休憩時間には従業員にお茶をだしたり、工場の裏庭の草むしりなどしていたもので。
歳なんだから休んでりゃいいのに、と言うと、動いて無いとボケちまうよ、と働いていた。無給で。やりたいときにやりたいように。それを寮の部屋を貰ったお礼だ、とか言って。
しっかりしてる人で、死んだ後のことを考えていて、自分の死体は献体に出すと決めて、
『これで墓の心配はいらないね』
と、笑っていた。
そのおばあさんが亡くなったときは、自分の母が葬式をした。家族でも無く、親戚でも無く、血の繋がりも無く、それでも自分にとっては実の祖母より身近にいて、自分が幼い頃には風呂に入れてもらったりなどしていたもので。
そのおばあさんにとっては、何が得だったのか、損だったのか、解らないまま。
定年後は年金生活しながら、ずっとタダ働きをしていたようなもの。でもそれじゃ悪いというので、その寮のテレビやエアコンを新しくしたりとか、一緒にご飯を食べに行ったりとか。
労働と報酬、という点ではこんなにグダグダなことも無いのだろうけれど。
これはこれで、アリなのかもしれない、人として。そんなふうに感じたり。
まあ、こんな個人例は特殊なんだろうけれど。
現金に拘らない相互扶助、貢献ポイントによる節税、ボランティアという新しい働き方と生活物資の得方として、こういうのもおもしろいんじゃないかな?
ブラック企業、社蓄を越えて、次は無給のボランティア勤務。ただし現金収入は無くとも、欲しいものは手に入る。貢献ポイントで企業が支援物資として用意してくれる。
企業としては手間が増えるものの、これまでより節税になる。貢献ポイントをプールして、給料は実質後払いで、人件費がちょっと安くなる。更には支援活動であり寄付になるので、企業のイメージアップにもどうだ?
建前としてはー、
従業、じゃ無くてボランティアは。
『働いてません。その会社が困っているので、手助けしているだけです。ボランティアです』
企業は、
『これは給料ではありません。生活に困っている人への支援です。ボランティアです』
となる。これで現金収入103万円以下となれば、所得税を払わなくてもいいので、手取りは増える。
まぁ、かなり無茶苦茶言ってる気もするが、こうなったらなったでおもしろそう。
日本人の主な現金年収が103万円以下となり、代わりに現物収入が増えることで、逆に人は豊かに暮らせるとなると、どうなるのかな?
追記
贈与税を忘れていた。
うん、国は贈与税を無くせ。