お目覚め
ルークの朝は早い。夜明け前に目を開き、ムクリと起き上がった。朝一番で向かう先は、アンナが住む母屋である。目的地はもちろんアンナの寝室。風呂は無理でも着替えなら……というわけで、アンナの寝室の前までやってきた。そこにあるであろうクローゼットに身を隠し、アンナの目覚めを待とうと考えている。
アンナの寝室の扉に手を掛けると、突然扉が勢いよく開いてルークの顔を殴った。
「痛っ!」
ルークは下の壁に叩きつけられた。罠だ。ルークだけを狙ったものではない。アンナは冒険者として、何の対策もせずに眠ることができないのだ。
「何!? 誰!?」
アンナは眠そうな目をこすりながら、剣を掴んで廊下に出た。そこでルークを発見し、呆れたような表情を浮かべる。
「こんな朝早くから、何の用?」
「……ははは。起こしに来たっす。おはようございます」
ルークはとっさに嘘をついた。
「どうして家に入ってるのかしら……?」
「ははは……。鍵が開いたんで、入らせてもらったっす」
ルークは苦笑いを浮かべながら頬を掻く。ルークの特技、ピッキングである。
「開いてたんじゃなくて、開いたのね。鍵も付け替えないとダメね……」
アンナは額に青筋を立て、ルークの腹に足を押し付けた。傍目には暴力のように見えるだろうが、ルークは嬉しそうな表情を浮かべて満足げだ。
すると、物音に気付いたココが、アンナの部屋の前にやってきた。寝起きだったらしく、パジャマ姿のままだ。
「どうしたんですか!?」
「なんでもないわ。朝の運動よ」
「そうでしたか……」
ココは腑に落ちない様子で、首を傾げながら自室に帰っていった。
しばらく後、みんなで朝食を食べることになった。ルークは馬小屋に帰らず、母屋に残って朝食をともにする。これがルークの朝のルーティーンになりそうだ。
今日の朝食はココが担当した。しかし、ココはあまり器用ではないようで……。
「ごめんなさい。あまり上手にできませんでした」
サラダの野菜は、口に入らないくらい大きい。大根とレタスのサラダだと思われるが、大根はこぶし大、レタスは手のひら大である。スクランブルエッグが添えられているが、パサパサで所々が焦げている。唯一普通に食べられるのは、市販のパンだけだ。
「いいのよ、食べられれば」
そう言うアンナも、あまり上手ではない。昨日の夕食はアンナが担当したのだが、どうにか食べられる程度の料理だった。
「できれば、美味しい方がいいっすけどね……」
「文句があるなら食べなくてもいいのよ?」
「いえ! 文句は無いっす!」
ルークは、そう言って大根をボリボリと噛み砕いた。ルークとしては、食べられるだけありがたいのだ。下手なことを言って食事抜きにされると困るので、何も言えない。
食事を終えると、ルークは早々に母屋を追い出された。アンナとココは、外出の準備をするという。今日の予定は魔法石の購入と熊の売却だ。アンナはできるだけ早く出発したいらしい。
ルークは馬小屋に帰り、「ふぅ」とため息をついた。考えることは、今朝の反省である。鍵は簡単に開いた。しかし、罠のことまでは頭が回らなかった。風呂場に罠があることは知っていたが、寝室にまで設置されているとまでは考えが及ばなかったのだ。
「いきなり開けたのが拙かったか……」
まずは軽く開けて罠を発動させれば、難なく侵入することができる。ルークは考えを巡らせ、明日のための計画を練った。
ルークがしばらく考えていると、馬小屋の扉が開き、アンナが顔をのぞかせ、ぶっきらぼうに言う。
「買い物に行くわよ」
「いってらっさーい」
ルークはいい加減な返事で見送りをするが、アンナはズカズカと馬小屋の中に入ってきてルークの頭をはたいた。
「あんたも来るの! あの熊、誰が持つと思ってんのよ!」
「あ……アンナさんなら片手で行けるっすよ」
「何のための荷物持ちよ! いいから、熊を持ってついてきて!」
アンナに怒鳴られたルークは、面倒くさそうに立ち上がった。
「はいはい……行くっすよ……」
持ち帰った熊は、馬小屋の横に放置されている。これを運ぶのが、ルークの仕事だ。今日はアンナとココの荷物が少ないので、昨日よりはマシだろう。今日のルークの荷物は、この熊だけだ。
「それで、どこに行くんすか?」
「昨日言ったじゃない……。聞いてなかったの?」
どうやら、夕食後の会話の中に含まれていたらしい。ルークには興味がないため、当然聞いていない。
「ちょっと忘れたっすね。で、どこっすか?」
「……素材屋よ。予定くらい、ちゃんと聞いておきなさいよ」
アンナはうんざりした様子で零した。
獲物を売るとき、食べられない獲物は素材屋に持ち込み、食べられる獲物は肉屋に持ち込む。どちらの店でも、解体作業をして店頭に並べられる。
「あ、熊を売るんすね」
「当たり前じゃない。あんた、何のために引き摺ってると思ってんのよ……」
話をしているうちに、近所の小さな素材屋に到着した。
今回の熊は魔物だ。魔物は食べられないので、素材屋で買い取ってもらう。魔物と動物を見分けるには、魔石を含むかどうかを調べればいい。魔石は高値が付きやすく、革などの素材も高級なので、素材屋は魔物の持ち込みを歓迎する。
ルークの仕事はここまでだ。店内で交渉をするのはアンナの役目なので、ルークとココは店外で待機する。
ルークとココは2人で並んで待っているのだが、2人とも会話を始められないでいた。ルークが会話の糸口を探っている間に、熊の売却を終えたアンナが外に出てきた。
「おまたせ。行くわよ」
アンナはそう言うと、買い取り交渉について何も言わないままスタスタと歩き始めた。
今持ち込んだ熊は長時間引き摺ったので、皮が少し傷んでいた。かなり安くなるはずだ。ルークはアンナに小言を言われると思い、先に切り出す。
「いくらで売れたんすか?」
「7万センスだったわ。ルークの給料2年分ね。悪くないわ」
ルークの予想とは裏腹に、アンナの機嫌は悪くない。予想よりも高値で引き取られたようだ。
庶民の生活費は、1カ月あたり1万センスから2万センスである。アンナの事務所には3人居るが、最低でも2カ月は生活できる金額を得ることができた。
しかし、計算が合わない。ルークはアンナが言った額を計算して、怪訝な表情を浮かべた。
「俺の給料って……」
「1カ月3000センスよ。文句ある?」
「無いっす! タダでも文句は言わないっす!」
食事と住居は供給されているが、自由に暮らせる金額ではない。しかも、ルークはこの全額を没収されている。魔法石を弁償するためだ。
この事務所にしがみつきたいルークにとっては給料が安い方が都合がいいのだが、アンナはそのことに気付いていないらしい。
「まあいいわ。次に行くわよ」
「次は魔法道具店さんですね」
ココが笑顔で言う。こころなしか声が弾んでいる。楽しみにしている様子だ。
「待って。その前に、ちょっと寄り道させて」
「え……? いいですけど、どこにですか?」
「あ……俺は帰っていいっすよね?」
ルークが不意に口を挟み、踵を返した。
「いいわけないでしょ! 帰りの荷物は誰が持つのよ!」
アンナはルークの襟元を掴んで引っ張る。ルークは「うわっ!」と小さな叫び声を上げ、アンナの前に立たされた。
質問を遮られたココは、少し不機嫌そうだ。
「それで、どこに行くんですか?」
「ごめんね。錠前を買いたいのよ。ちょっと本格的なやつ」
「え……? 錠前?」
ルークが戸惑い混じりの声で聞き返す。
「簡単に開いちゃう錠前じゃ、危ないでしょ?」
「いや、まあ、そうなんすけど……」
ルークはかなり焦っている。アンナの家に付いている錠前は、ルークにとっては付いていないも同然。数秒で開けられる。それが交換されると、朝の日課が行えなくなってしまう。
ルークの不安を他所に、アンナは鍵屋の中に入っていった。
「これでいいんじゃないっすか?」
ルークは、入ってすぐに目に付いた、一般的な錠前を指差して言う。
「これじゃ、今と変わらないでしょうが。もっと厳重なのが欲しいの!」
アンナは一目で却下した。一般的な錠前を付けたところで、ルークは簡単に突破してしまう。罠が効果的なのだろうが、来客を迎える玄関には設置するのが難しい。そのため、厳重な錠前で管理するしか無いのだ。
出入り口の正面で、気弱そうな中年男性が店番をしているのが見える。この店の店主だ。アンナは店主を見つけて声を掛けた。
「この店で一番厳重な錠前が欲しいの。どれかしら?」
すると、店主は店の奥から高級そうな木箱を持ってきた。
「……だったらコレだよ。重犯罪者の牢獄にも使われる魔法鍵だ」
店主はそう言って、木箱の蓋を開けた。中には鈍く光る鉛色の塊が入っている。扉の内側に内蔵するタイプの錠前だ。一見すると、今使っている一般的な錠前と同じように見える。
「いいじゃない。これをもらうわ」
「何が違うんすか?」
「鍵に魔法がかけられていて、偽造することができないのだよ」
店主は鍵を取り出した。スプーンの柄くらいの大きさで、黒い板を2枚の鉄の板で挟んだような材質で作られている。側面には溝が無く、表面には数箇所にくぼみがある。
物理的な鍵部分は普通のディンプルキーだが、そこに魔法が加えられてさらに堅牢になっているのだと言う。
「……この鍵は突破できないんすか?」
「心配いらないよ。これが突破されたなんて話は、今までに一度も聞いたことが無い」
店主はカラカラと笑いながら答えたが、ルークの表情は暗い。ルークが心配しているのは、そうじゃない。突破できる可能性である。
「マジっすか……」
絶望したような表情を浮かべるルークとは対象的に、アンナの表情は明るい。
「ふふっ。いい買い物ができたわ。ありがとう」
アンナは錠前を受け取り、店を後にした。
この荷物は、ルークには持たせない。ルークが意図的に置き忘れる可能性があるからだ。アンナは錠前が入った箱を大事そうに抱え、スタスタと歩くのだった。