目標
日が暮れる頃、一行は村から帰ってきた。全員に疲労の色が見える。中でも、大荷物を抱えて歩いたルークは、疲労困憊の様子だ。
「ようやく帰って来たっすね……」
ルークはポツリと呟くと、2つの大きな背嚢を地面に据えた。背後には大きな熊が転がっている。
「ココはこっちね。部屋はいくつも空いてるから、好きな部屋を使っていいわ」
アンナは母屋を指差しながら言う。
アンナが住んでいる家は、一人暮らしには大きすぎる。もとより事務所として使う予定だったため、敢えて部屋を余らせていたのだ。ココはその余らせていた部屋を使う。
「ありがとうございます」
「じゃあ、さっそく家に……」
ルークがそう言って荷物を掴むと、アンナはルークの襟元を掴んで引き止めた。そのままルークの体を引っ張り、馬小屋に正対させる。
「あんたはこっちでしょうが。何、勝手に家に入ろうとしてんのよ」
「うっす……」
ルークは、寂しそうにトボトボと、馬小屋に向かって歩いた。アンナは、そんなことを気にも止めず母屋に向かって足を進める。
「あの……ルークさんは?」
「あいつはいいのよ。馬小屋が気に入ったみたいだから、そこに住ませてあげてるの」
「そうなんですか……。では、改めて。よろしくお願いします」
ココとアンナのやり取りを聞きながら、ルークは馬小屋の中に入っていく。
馬小屋の中は、出発前と変わらず汚いままだ。足を踏み入れればホコリが舞い、風が吹き抜ければ干し草のカスが飛ぶ。寝られるような部屋ではない。
「しかし、酷い部屋だなあ……」
ルークは馬小屋に入るなり、しかめっ面で呟く。乾いた干し草が散らばったこの部屋では、ランプすら使うことができない。明かりが何も無い薄暗い部屋の中で、ただぼんやりと立ち尽くしていた。
「少しでも片付けようかな」
まずは干し草を馬小屋の外に出し、火気厳禁の状態を回避する。
しばらく片付けをしていると、ココが馬小屋に顔を出した。
「ルークさん、お食事の準備ができましたよ」
食事は母屋で一緒に食べるらしい。てっきり馬小屋に運ばれて来るものだと考えていたルークは、ほっと安堵の表情を見せた。
「あざっす。すぐに行くっすよ」
ルークは母屋の扉を開けた。母屋の中は、殺風景で物が少ない。必要最低限の家具があるだけで、飾りっ気がほとんど無いようだ。ルークは建物の中を興味深く見回しながら、奥へと進む。
通されたのは、玄関からほど近い場所にある大部屋。奥にはキッチンが見える、ダイニングルームだ。ルークは、促されるまま席に座る。
この日の食事は、時間がなかったこともあり、保存食の乾パンと簡単なスープのみだった。何も無いよりはマシと、ルークは文句も言わず食べた。
料理と言うにもおこがましいような簡素な料理ではあるが、空腹のルークには十分だった。アンナとココも同意見だったようで、誰一人不満を零すことなく食事が進んでいく。しかし、美味しくはない。
不満は出ないが、口は重い。料理に対する感想が無いので、淡々と食事が進む。誰も何も喋らないまま、やがて全員が料理を食べえた。
沈黙を破るかのように、ココが会話を持ちかける。
「アンナさんはどうして独立したんですか?」
アンナは若く、独立するにはまだ早い。仕事も安定しないだろう。そのことは、ココの目から見ても明らかだった。
「あ、それは俺も聞いてなかったっすね。なんでなんすか?」
冒険者事務所は、仕事を取ってくる代わりに報酬の一部を受け取っている。また、事前調査や現場の冒険者へのサポートも行っており、独立をするならその仕事も本人がやらなければならない。
雑務が増えるため、単独で独立したいと考える冒険者は少ない。多くの場合は、所属していた冒険者事務所から優秀なスタッフを引き抜く。
アンナは単独で独立したため、雑務などもすべて自分でやらなければならない状況である。ルークには、アンナが慌てて独立したように見えた。
「あんた、本当に興味ある……?」
「いや、興味はあるっすよ」
ルークにとってはアンナの事情などどうでもいいことなのだが、興味があるのは事実である。
しかし、アンナはルークの相手をしようとしない。ココはそんなアンナの様子にしびれを切らし、「私は聞きたいですっ!」と説明を要求した。
「ちょっとね……以前の事務所に不満があったのよ。依頼料の配分が不透明だったしね」
「へぇ……? でも、下積み中なら当然なんじゃないっすか?」
低ランクの冒険者に対し、依頼料の詳細を教えないのは珍しいことではない。事務所の事情を理解できず、文句だけを言う冒険者が居るからだ。相手をするのが面倒なので、ある程度育つまでは教えないという事務所は多い。
「あんたは黙ってなさい」
アンナはルークの質問を遮った。すると、ココが困惑したような表情を浮かべて呟く。
「……ルークさんに対して、冷たすぎじゃないですか?」
「あんたも、しばらく付き合ってれば分かるわよ……」
アンナはうんざりとした様子で右手をひらひらと振り、話を続けた。
「どこまで話したかしら……えっと、そうね。要は、事務所が信用できなかったの」
「どうして移籍しなかったんすか? 事務所は他にもあるっすよね?」
「あんた、本当に何も知らないのね。移籍や独立をしたら、しばらくは国からの仕事が入らなくなるのよ……」
冒険者の仕事は、事務所が直接受けるものと、国から斡旋されるものがある。国からの仕事は、事務所が直接受ける仕事よりも単価が高く、金払いもいい。冒険者の主な収入源だ。
国からの仕事は冒険者協会から指名されて受けるのだが、移籍や独立をすると、しばらくの間は指名されなくなる。
なぜこのようなことが起きるのかは、この場にいる誰にも分からない。アンナはこういった事実があるということを知っているだけだ。
「それなら、移籍でも同じじゃないっすか?」
「全っ然同じじゃないわよ。事務所に抜かれるんだから、あたしにはお金が入ってこないの」
事務所が直接受ける仕事は単価が安くて仕事量も不安定なため、冒険者としての収入が見込めなくなる。アンナは独立した方がリスクが減ると感じ、独立の道を選んだ。
ココは「では、頑張らないといけませんね……」と、心配そうに呟いた。
「そうよ! ゆくゆくは、世界最大の事務所にするの!」
アンナはそう言って拳を振り上げ、決意を見せる。すると、ルークは突然の宣言に驚いて質問を返した。
「え? 世界最大にしてどうするんすか?」
「世界一の大金持ちになるの! 一切不自由しないくらいに!」
アンナは胸を張って立ち上がり、顔の前で拳を握った。ルークは、その様子を見て訝しげに言う。
「……なんか意外っすね」
「何が?」
アンナは『意外』という言葉こそが意外だったようで、不思議そうな表情を浮かべて聞き返した。
「いや、何でも無いっす。もっと壮大な夢を掲げているかと思ったっす」
「あたしの夢がチンケだとでも?」
ルークの言葉に、アンナは額に青筋を立てた。気を悪くした様子だ。ルークは焦り、必死で言い訳を考える。
「すんません! 失言だったっす! そんなことは思ってないっすよ! ただ、『世界征服』くらいのことは言いそうだと思って……」
「……魔王にでもなれっていうの?」
「いや、その夢ならもう叶えたも同然……」
ルークが真顔で言うと、アンナはルークの脳天に拳を振り下ろした。ゴツンという鈍い音が鳴る。
「痛ったぁぁぁ!」
「あんたは黙ってなさい。とにかく、私はこの事務所を大きくしたいの。協力してくれる?」
「もちろんですっ!」
「……女ばかりの冒険者事務所……天国かな?」
ルークは、そう呟いて口元を緩めた。
「あんた、また良からぬことを考えてない?」
「そんなことは無いっすよ。もちろん協力させてもらうっす!」
夢の実現のためにも、アンナに協力しなければならない。ルークはそう考え、アンナへの協力を心に誓った。
「あんたには頼んでないんだけど……」
「そんなこと言わないでくださいよぉ。俺は絶対に辞めないっすからね?」
クビにされても居座る所存である。
以前のパーティを追い出されたルークが思ったことは、『追い出されてもついていけば良かった』である。その反省を活かし、この事務所は絶対に離れないと決めた。
「世界一の荷物持ちになるんだったら、考えてあげてもいいわよ?」
アンナはふふんと鼻を鳴らして言う。どうせ無理だろうと考えているようだ。
しかし、ルークの考えも同じである。ルークには、ポーターとしての技術を磨くつもりなど一切無いのだ。
「あ、それは無いっす。俺の夢はもっと壮大で、ロマンに溢れているんすよ」
「へぇ……? その立派な夢、聞かせてもらおうじゃない」
アンナの言葉に、ルークは得意げな顔で拳を天に突き上げた。
「ふっふっふ……俺の夢! 世界一の大ハーレムっす!」
永遠とも感じられる数秒間、あたりは沈黙に包まれる。
「……聞いて損したわ」
「ですね……」
アンナがボソリと呟くと、ココも調子を合わせた。ルークはその様子が気に入らず、大げさに手を振って抗議する。
「ちょっ! なんすか!」
ルークは叫ぶが、アンナとココは呆れた顔でため息をついた。そして、ルークを無視して2人で会話を始める。
「アホは放っといて、明日の予定ね。とりあえず、アホが使っちゃった魔法石を補充しに行くわ」
「わかりました。お供します」
話題は明日の予定について。ルークの叫びは無かったものとなった。
会話に混ざれないと感じたルークは、こっそりと立ち上がった。目的は、もちろん風呂の場所を確認するためだ。
ルークが扉に手を伸ばした瞬間、アンナはルークに声を掛ける。
「あ、馬小屋に帰るんだったら、真っ直ぐ帰んなさいね。風呂場には罠を仕掛けておいたから」
「……いやだなぁ。変なことはしないっすよ」
ルークはそう言って目を泳がせ、がっくりと肩を落とした。罠の傾向を知るまでは、風呂場に近寄れない。罠の調査を心に誓い、馬小屋へと帰っていくのだった。