鬼
ルークは討伐したグリズリーを引き摺りながら、アンナとココの後ろを歩く。背負っている背嚢もそれなりに重く、かなりの重労働だ。しかし、ルークは2人に遅れること無くピッタリとついていく。
「凄かったですね。いつもこんな調子なんですか?」
ココが歩きながら言う。すると、すぐ後ろを歩いていたルークが得意げに口を挟んだ。
「でしょう? 俺だって、やるときはやるっすよ!」
「コラッ! アンタは冒険者ですらないでしょうが!」
すかさずアンナがルークの頭を叩いた。ルークが涼しい顔で目をそらすと、ココが不思議そうに口を開く。
「冒険者じゃなくても戦えるものなんですか?」
「道具を使えばね。大事なのはどうやって使うかだから。経験さえ積めば、これくらいのことは誰にでもできるわよ」
「あの……弟子入りさせていただけないでしょうか……」
申し訳無さそうに言うココに向かって、ルークが元気よく両手を挙げて答える。
「はい! 喜んで!」
「どうしてあんたが答えるのよ! 所長はあたし!」
アンナは再びルークの頭を平手打ちする。ルークはなぜか満足気な顔で目をそらした。
そんなルークを気にもとめず、ココはアンナに向かって懇願する。
「あの……お願いできないですか?」
「いいじゃないっすか。雇いましょうよ。事務員がいるんでしょ?」
「そうね……このバカがいなきゃ、喜んで雇うんだけど……」
アンナは後ろを親指で指差しながら、気まずそうに言う。
「可哀想じゃないっすか。俺も頑張るっすから、俺からもお願いするっすよ」
「……あんたのお願いだから聞く気になれないのよ、何か下心がありそうで」
「何もしないっすよ!」
「冗談よ。とにかく、今は雇う余裕が無いわ。タダ働きでもいいって言うなら別だけど」
アンナはルークが使った青い魔法石の埋め合わせをしなければならない。ルークの給料約1年分である。アンナは、人を雇うのはこの分を回収してルークを解雇した後だと考えている。
「うわぁ……鬼ですか?」
ルークがアンナに批難すると、アンナは鋭い目つきでルークを睨んで黙らせた。
話をしているうちに、村の居住区に到着した。道の真ん中で、村長がアンナの帰りを待ち構えている。村長の顔を見るなり、アンナが村長に「終わったわよ」と声を掛けた。
「相変わらず早いのう。助かるわい。報酬は、いつものようにディートリヒ冒険者事務所に払っておいたぞ」
「ちょっと待って! あたしはもうそこには所属してないわよ!?」
「……はあ? そうなのか?」
村長は困惑したような表情を浮かべて言う。
ディートリヒ冒険者事務所とは、アンナが独立する前に所属していた冒険者事務所である。村長とアンナはその時代からの付き合いで、村長はアンナが独立したことを知らなかった。そのため、以前と同じように支払いを済ませたのだ。
「仕方がないわね……。間違って払った報酬は、所長に返してもらってくれる?」
「いや、アンナさんから言ってくれんかのう……」
「そんなことができるわけ無いでしょうが。あたしが口を出したら話が拗れるでしょ!?」
アンナは強い口調で否定した。アンナへの支払いとディートリヒへの返金要請は、まったくの別問題だ。元所属先だからといって、アンナがディートリヒに請求するのはおかしい。
「それは理解しているんじゃが、ディートリヒさんが素直に返金に応じるとは……」
「……それもそうね。でも、間違って支払ったのは村長なんだから、そっちで始末してくれないと困るわ」
アンナと村長は、ディートリヒが金にガメつい人間であることを知っている。一筋縄ではいかないだろう。もしかしたら、一生返ってこないかもしれない。村長はそう予感して、考えを巡らせる。
「そこまで言うならこっちで対処するが、この村には現金がない。支払いは待ってもらうことになるぞ」
「待つって、どれくらい?」
「作物が売れた時じゃから、半年ほど先かのう……」
「そんなに待てるわけないじゃない!」
アンナは声を荒らげるが、村に現金がないのは事実だ。この村の収入は農作物の売上が全てで、収穫期以外の時期に収入を得る手段を持っていない。今回の依頼料として準備していた現金は、ディートリヒ冒険者事務所の金庫の中である。
「そうは言っても、今現金を減らすわけにはいかんのだ。生活ができなくなる」
食料は備蓄があるので問題ない。しかし、生活にかかる費用は食費だけではない。衣類や調味料類も必要だし、農作業の道具にだって金が掛かる。収穫期に現金が無いと作業が止まってしまう恐れがあるため、村長は金を出すことができい。
「それはわかるんだけど……」
アンナもある程度の理解を示すが、難しい顔で首を横に振った。
今回討伐したグリズリーの売却で収入を得られるため、当面の生活費には困らない。しかし、待てない事情もある。人情としては待ってやりたいところだが、アンナは慈善事業をやっているわけではない。
農村の収入は毎年変動するため、今回の報酬を支払うだけの金が余るとは限らない。半年間待ったあげく、支払うことができないという事態も十分に考えられるのだ。
2人の意見が食い違うまま時間だけが過ぎていく。すると、ココが意を決したように大声を出した。
「でしたら、私がアンナさんのところでご奉仕をしてきます!」
さっき言っていた、弟子になりたいという話だ。アンナは金銭的都合で一度断っているが、給料が必要ないなら問題ない。
「いいの? タダ働きになるわよ?」
アンナは申し訳無さそうに言う。
「いいんです! それよりも、アンナさんのもとで勉強がしたいんです!」
「そう……。私は構わないけど、村長の意見は?」
「うむ、そうじゃな。ココの意思を尊重しようではないか」
村長は深く頷いて言った。あたかもココを慮っているかのようだが、どこか安堵しているようにも見える。どうやら厄介払いができたと考えているらしいと、ルークの目にはそう映った。
しかし、ルークにとっては若い女性の従業員が増えることの方が重要である。余計なことは言わず、流れに身を任せた。
「そうと決まれば、早く行くっすよ!」
ルークは村長の気が変わることを心配している。ココには今すぐにでも準備を済ませて欲しい。
「妙に張り切っているわね……なんだか気持ち悪いけど、ルークの言う通りよ。日が暮れる前には帰りたいから、準備を済ませてくれる?」
「分かりました! ありがとうございます!」
ココは嬉しそうに何度も頭を下げると、意気揚々と村長の家に走っていった。
「じゃ、私たちはここで待たせてもらうわ。今回の報酬はこれで手打ち。いいわよね?」
「うむ、もちろんじゃ。ココのことをよろしく頼む」
村長は「ココが村を出るための手続きがある」と言い、家に帰っていった。ルークとアンナは道路の隅に寄って、ココの準備が終わるのを待つ。
少し待っていると、背嚢を背負ったココが家から出てきた。引っ越しの準備としては早すぎる。アンナは怪訝そうにココに訊ねた。
「もういいの?」
「はい。居候の身でしたから、いつでも出られるように準備していたんです」
「あんたも大変みたいね……。身の上話は歩きながら聞きましょうか。行くわよ」
アンナは興味なさげに言うと、スタスタと歩き始めた。ココとルークは慌ててアンナの後を追う。
居住区を抜けると、次は広大な畑の中を突っ切る平坦な道に出る。家は無いが、一応ここも村の中だ。一行はしばらく無言で歩き続けた。
すると、沈黙のプレッシャーに負けたココが、恐る恐る口を開く。
「あの……本当に良かったんでしょうか……?」
「グリズリーのおかげで赤字は回避できそうだから、気にしなくていいわよ」
「ありがとうございます……」
しばらく道なりに進み、畑を抜けた。村の敷地はここまでだ。ここからは、しばらくアップダウンが激しい草原の中を歩くことになる。
アンナは突然道の真ん中で立ち止まり、ルークに目を向けた。
「ルーク。ココの荷物を持ってあげなさいよ」
アンナはこともなげに言うが、ルークの背中にはアンナの大きな背嚢が鎮座している。両手にはグリズリーを引き摺るためのロープを握っていて、これ以上何かを持つ余裕は無い。
「いえ! 自分の荷物は持ちますっ!」
ルークの状況を見ているココは、力強く否定した。しかし、アンナも引き下がらない。
「いいのよ。こいつは荷物持ちなんだから」
「ちょ……さすがに持てないっすよ」
ルークが軽く抗議をすると、アンナは冷ややかな目をルークに向けて言い放つ。
「何? か弱い女の子に荷物を持たせる気?」
「アンナさんはか弱くないと思うっす。アンナさんは自分で持てないっすか?」
ルークも負けじと嫌味を返したが、アンナは不機嫌そうな顔でルークの頭を叩いて言葉を遮る。
「つべこべ言わない!」
アンナの怒鳴り声にルークがボソリと「鬼……!」と零すと、アンナは鬼のような形相でルークを睨んだ。
「なんか言った?」
「何でもないっす! ココちゃん、荷物は俺が持つっすよ」
ルークはココに苦笑いを向け、ココの荷物を受け取った。ココの背嚢はアンナの背嚢よりも二回りほど小さいが、重量はアンナの荷物以上にある。ルークは予想以上の重さによろけ、ココの背嚢を地面に置いた。
「すみません……大丈夫ですか?」
「気にしなくていいっすよ。アンナさんの無茶は今始まったことじゃないっすから……」
ルークはココの荷物を腹の前に抱え、両腕でがっしりと支えた。背中にはアンナの背嚢、両手にはグリズリーを引き摺るためのロープを掴んでいる。上手くバランスを保ちながら、ヨタヨタと歩みを進めた。
対するアンナとココの足取りは軽く、お尻を揺らしながらスタスタと歩いている。ルークは引き離されないように食らいつきながら、眉間にシワを寄せて叫ぶ。
「……見るだけじゃ割りに合わない!」
「うるさい!」
ルークの悲痛な叫びは、アンナによって一蹴された。ルークは額に汗を垂らしながら、必死でアンナの後を追うのであった。