ロバ
ルークの処遇が決まった後、アンナはすぐに事務所に向かって歩き出した。ルークはアンナのすぐ後ろについて歩く。
「ちょっと待ちなさいよ。どこまでついてくるつもり?」
「どこって……俺は家が無いんすよ? 家までに決まってるじゃないっすか」
ルークはこともなげに言う。ルークは旅の冒険者パーティと一緒に行動していたため、住む場所がない。宿屋に泊まる程度の所持金は持ち合わせているが、今後のことを考えて金を使う気にはなれなかった。ルークはアンナの自宅に住み込めばいいと思っているのだ。
「はぁ!? それは聞いてないわ! あんたと同じ建物で暮らすなんて考えらんない! 採用はナシよ!」
「そりゃあないっすよ。いまさらそんなことを言われたって、困るっす」
アンナとしては部屋を貸す義理など無いのだが、仕事に支障をきたすのも困る。仮採用とはいえ、寝不足で使い物にならないようでは雇った意味がない。
アンナは少し考える素振りを見せ、「……分かったわ。うちに使ってない馬小屋があるから、そこに住みなさい」と答える。すると、ルークは不承不承に頷いた。
「う……この際、どこでもいいっす……」
ルークはベッドで眠ることを期待していたが、それは上手くいかなかった。それでも、屋根がある場所で眠れることに安堵した。
「それで、その背嚢は魔法の鞄なんでしょ? どれくらい入るの?」
「あ、魔法の鞄なら、以前居たパーティーに没収されたっす。これは普通の背嚢っすよ」
魔法の鞄は見た目よりも多くの物が入る袋のことだ。形はさまざまで、背嚢やウエストポーチ、ただの巾着という形のものもある。性能によって重さや容量が変わり、高級品は小さな見た目でも馬車数台分の荷物が入る。冒険者の必需品だ。
ルークはシンディに借りていたため、パーティを抜けた時に返却したのだった。
「はぁ? そんなんで、どうやってポーターをやるつもりだったのよ!」
「ははは。大丈夫っすよ。もともと大容量の鞄を持ってなかったんで、ほとんどの荷物はそのまま背負ってたっす」
「まあ、あんたがそれでいいんなら……」
アンナは不安げに答える。アンナは独立したばかりで、いろいろと道具が足りていない状況にある。魔法の鞄も、まだ持っていなかった。ルークが所持していることを期待していたわけだが、その思惑は外れた。とは言え、荷物を持つのは自分ではないので、すぐに興味を失った。アンナは無言で前に進む。
会話をしているうちに、アンナの自宅に到着した。小さくて古い一軒家で、庭には潰れかけの馬小屋が建っている。母屋もあまりきれいとは言えず、壁のあちこちが剥がれかけている。あまり高い家賃を払えないのだろう。
「こっちよ。ついてきて」
アンナは面倒くさそうに言うと、馬小屋の前で立ち止まって今にも壊れそうな扉を開けた。馬小屋の中には馬はおらず、古びた干し草が残っていた。その干し草が、ホコリとカビの臭いを絶えず放出し続けている。
「ゲホッ! 臭っ!」
「何? 文句ある?」
「無いっす。大変素晴らしい寝床を貸していただき、ありがとうございます」
「……嫌味にしか聞こえないわね。じゃ、この小屋は好きにしていいから、母屋には近付かないでね」
アンナは冷たく言い放ち、母屋へと入っていった。遠くからガチャリと鍵をかける音が聞こえる。
ルークは馬小屋の中に足を踏み入れ、雨戸を開けて光を入れた。身を乗り出して外の空気を吸いながら「ところで……メシはどうすればいいんだろう……」と呟く。井戸は近くにあるものの、炊事場のようなものは見当たらない。
ルークは光が差し込む干し草の上にゴロリと寝転び、今後のことを思って頭を抱えた。
「当面は非常食で凌ぐとして……まあいいか。なるようになるだろっ。そんなことより……」
ルークは自分の背嚢をあさり、数本の針金を取り出した。ルークの悩みとは、母屋への侵入経路である。こんな馬小屋に閉じ込められては、ルークの日課を遂行することができない。ルークにとって、これは衣食住よりも重要なことだった……。
数分後、母屋の扉の前にはルークの姿があった。
「ふんふんふ~ん……」
ルークは鼻歌交じりに母屋の扉の取っ手に手をかける。鍵穴を覗き込むようにしゃがむと、持っていた針金を鍵穴に差し込んだ。
『ガチャリ』
開いたっ! ルークがそう思った瞬間、扉が突然開いてルークの顔面にぶつかる。ルークは跳ね飛ばされて転がった。
「あんた……そんなところで何をしてるの?」
アンナはルークに冷ややかな目を向ける。
「あ……依頼のことを聞きたかったんで……」
ルークは苦笑いを浮かべ、とっさに嘘をついた。
「張り切ってるじゃない。それなら、さっそく出発するわよ」
「もうっすか!?」
「急ぎの依頼だったからね。そこにある荷物を持ってついてきて」
アンナはそう言って、親指で自分の後ろを指差した。そこには剣の柄が飛び出した、大きな背嚢が置かれている。テントなどの野営道具も入っているらしく、見た目にも重そうだ。
「……荷物、大きすぎないっすか?」
ルークがそう訊ねると、アンナは「あんたが居るんだから、大きくても問題ないでしょ?」と、こともなげに言う。
「少しは荷物を減らす努力をしてほしかったっす……」
「急ぎの依頼なんだから、そんな暇無いわ。ほら、さっさと行くわよ!」
「うっす……」
ルークは母屋に一歩踏み入れて、背嚢を背負った。荷物は見た目よりも重く、ルークはふらついて母屋の外に倒れ込んだ。
アンナはその姿を一瞥すると、冷静な顔で扉を締めて鍵を掛け、スタスタと歩き出した。ルークは慌てて立ち上がり、アンナの後を追う。
「それで、依頼はどんなんっすか?」
「魔物の退治よ。近くの農村だって話だから、いつものウルフでしょうね」
「なるほど……了解っす」
アンナにとっては慣れた依頼で、詳しいことを言う必要もないという様子だ。ルークは釈然としない気持ちを抱えながら、アンナの後ろを歩き続けた。
依頼者がいる村まで、徒歩で数時間。ルークは文句も言わずに歩いた。背負った荷物の重さも感じさせず、手ぶらのアンナと同じペースで進んでいく。
村が見えてきたところで、アンナは不意に振り返り、ルークに声を掛けた。
「あんた、意外と体力があるわね」
「……え? なんすか?」
ルークはアンナの尻を凝視して、目を離そうとしない。アンナの言葉も聞いていないようだ。
「どこ見てんのよ!」
アンナは怒鳴り声を上げながら体をルークに向けた。視界から尻が消えたルークは、視線を上に動かして胸の位置でピタリと止める。
「何のことっすか……?」
ルークはアンナの豊満な胸元を凝視したまま、口元を緩めながら言う。
「……鼻先にニンジンをぶら下げられたロバみたいね……」
アンナは呆れた様子で呟くと、回れ右をして再び歩き出した。ルークの視線はアンナの尻に戻る。
「ロバよりは働くと思うっすよ?」
「どうだか。ロバを飼った方がマシだったかもしれないと思うわ……」
アンナは呆れた口調で言うが、ルークの位置からは表情を伺うことができない。そもそもルークは表情など見ていないし、それどころか話も聞いていない。なぜなら、尻を見ることに全神経を集中しているのだから……。
ルークの目にはアンナの尻しか映っていないが、アンナとルークは村に到着した。見渡す限りの小麦畑に囲まれた、小さな村だ。広大な畑の真ん中に、20件ほどの住居が小さくまとまっている。
アンナは一軒だけ妙に豪華な家の前で立ち止まった。その目の前には、1人の初老の男性が立っていた。
「よくぞ来てくださった」
「あら。村長自らがお出迎えなんて、気が効いてるじゃない」
アンナは以前から何度も仕事を受けていて、この村長も顔見知りである。
「今回はそれほど危険な魔物なんじゃ……。ところで、本隊はまだかの?」
「ちょっと待って。そんなに危険だなんて聞いてないわよ?」
「な……依頼のときに詳細を聞かなかったのか?」
「あの時はちょっと立て込んでいたからね。詳しいことは聞いてないわ」
アンナが小さく首を横に振ると、村長は困惑したような表情で「そんな……」と呟いた。その様子を見たアンナは、自信満々に胸を叩いて答える。
「大丈夫よ。あたしに任せておきなさい」
「そうか……では、よろしく頼む。案内を呼ぶから、少し待っていてくれ。ココ! 来なさい!」
村長が家に向かって叫ぶと、家の中から薄汚れた麻布の服を着た若い女性が、そろりそろりと出てきた。顔立ちはルークよりも少し幼いくらい。栗色の髪をボブカットにしていて、さらに幼い印象を受ける。
「ココです。よろしくお願いします……」
ココが控えめな態度で頭を下げた。村長はココに目を向けて「この方々を、現場まで案内しなさい」と言い、アンナに向き直る。すると、これまでアンナの後ろに隠れていたルークが、突然目を輝かせてアンナの前に出た。
「ココちゃんっていうんだ! 可愛いね! 俺はルーク! よろしく!」
ルークはココの両手をがっしりと掴み、激しく縦に振った。
「え……?」
ココが戸惑いの表情をルークに向けると、アンナが怪訝そうに言う。
「……あんた、突然どうしたの?」
「可愛い女の子が居たら声を掛ける、男としての礼儀じゃないっすか!」
「見境なしか! あんたは黙ってなさい!」
アンナは不機嫌そうにルークの後頭部を叩いた。
「ごべっ!」
ルークは奇妙なうめき声を上げて崩れ落ち、ココの足元で仰向けに倒れる。
「きゃっ!」
ココが可愛らしい悲鳴を上げて飛び退いた。すると、ルークはニヤけた顔を晒しながら「ふっ……。白か……」と呟いた。ルークは狙って倒れ込んだようだ。
「うちのアホがごめんね……。案内をお願いしてもいい?」
「すみません……。では、さっそくご案内します……」
ココが村の奥に向けて右腕を差し出した。その合図でアンナが動き出し、ココの先導で村の奥へと歩みを進める。これから戦闘だというのに、ルークはニヤニヤと笑いながらその後をつけた。