陰謀
アンナたちは、冒険者協会の建物を出てすぐに立ち止まった。
「まったく、どうして登録されてなかったのかしらね……」
アンナが訝しげな表情を浮かべて呟く。
冒険者協会が管理していた書類では、アンナが無所属ということになっていた。そのせいで、仕事が斡旋されなかったのだ。こういったことが頻繁に起きることから、『独立すると仕事が減る』という噂が立ったのだろうと、アンナは予想する。
「書類、ちゃんと書いたんすか?」
「当たり前じゃない。間違いなく冒険者協会に提出したわよ」
書類上の不備があった場合、不慣れな者に問題があることが多い。ルークはアンナが書き間違えや提出場所を間違えるなどのミスをしたのではないかと考えた。
しかしアンナは、しっかりと下準備をした上で書類を提出している。自分にミスがあったとは、考えられない様子だ。不機嫌そうに頬を膨らましている。
そんな様子を見かねて、ココが笑顔で口を開いた。
「とにかく、これで依頼が増えますね」
「そうね。忙しくなりそうだわ」
アンナの顔に笑顔が戻った。そしてルークは確実に来るであろう鉱山関係の依頼を思い、嬉しそうな顔をする。
「女神様っすね! また会いたいっす!」
ルークが言う女神様とは、アンナの友人、パンツが見えても気にしないリディアのことだ。ルークはこの女性に再会することを、楽しみにしていた。
しかし、アンナはそうでもなかったようで、「……何? 鉱山に行くつもり?」と、困った顔で聞く。
「行かないんすか?」
ルークが訝しげな表情を浮かべて聞き返すと、アンナはあっさりと言葉を返す。
「依頼が来ても断るわよ」
「え……? 断るんすか?」
「今から参加しても、雑用くらいしか残ってないわよ。せっかくだから、この街の中での依頼を片っ端から受けましょう」
鉱山には、アンナの会いたくない人間が居る。会いたくないという理由ももちろんあるが、いまさら行っても仕方がないというのがアンナの考えである。やりがいのある重要な仕事は、すでに誰かが受け持っているだろう。それに、今は街の冒険者が少ないため、鉱山の街以外での仕事を独占できるはずだ。
「えぇ……女神様……」
「文句を言わない!」
アンナはそう言ってルークの頭を軽く叩き、「さっさとその荷物を売って帰るわよ」と続けた。
「うっす……」
今ルークが抱えている荷物は、それなりに重い。その荷物が軽くなるのなら、との思いでアンナの指示に従った。
その後、いつもの素材屋でオークの皮を売却した。オーク革はしなやかで丈夫だと言われ、人気が高い。貧民街では皮を売って肉を食うので、これが『貧民街の肉』と言われる所以である。やや安い買取価格ではあったものの、数が多かったので十分な収入になった。
そして数日が経ち……。
「全然仕事が来ないわね……」
アンナたちは相変わらず暇な毎日を送っていた。
「今は暇な時期なんじゃないっすか?」
ルークはどうせタダ働きなので、暇な方が助かる。現状を楽観視していた。
「そんな時期、ないわよ」
「ですよねー」
ルークは加減な調子で返事をする。仕事が無いと事務所が継続できないということに、気付いていないようだ。対するアンナは危機感を持っていて、深刻そうな顔で腰を上げた。
「ルーク、行くわよ。ココはお留守番ね」
「俺もっすか?」
「そうよ。文句ある?」
「無いっすけど……」
どこに行くかを教えてもらえなかったルークは、不安げに立ち上がった。
「どちらへいくんですか?」
「冒険者協会。文句を言ってくるわ」
「え? 俺、いります?」
「あんたみたいなもんでも、男が居ると対応が変わるのよ。いいからついてきて」
女性冒険者は少なくないが、男性向けの仕事が多いだけに男が優遇される。女性だけだと軽く見られるため、アンナはルークを同伴させることにしたのだ。
冒険者協会に到着すると、アンナは迷いなくツカツカと進み、以前申請書を提出したカウンターの前にやってきた。
「あ、アンナさん。こんにちは」
以前と同じ女性が、にこやかに対応する。しかし、その態度がアンナの神経を逆撫でした。
「挨拶はいいから。どうなってんの?」
アンナは苛ついたような口調で言い放つ。
「何がです?」
女性は現状を理解していないようで、キョトンとしている。アンナはカウンターに身を乗り出して、カウンターの向こう側に居る女性に顔を近付けた。
「依頼が来ないんだけど!」
「そんなことを言われても……」
女性は困惑したような声を出すが、アンナはさらに詰め寄った。
「ちゃんと登録されてる?」
「申請書は専門部署に渡しました。数日で依頼が行くと思いますけど……」
「もう数日経ってるでしょうが!」
アンナと女性の言い合いを眺めていたルークは、ふとカウンターの上に置かれたプレートに目を移した。そこには、『緊急対策科 窓口 ティナ』と書かれている。
緊急対策科とは、街道などに発生した問題を解決するための部署だ。この窓口は、問題や異常を報告をするためにある。部署が違うので、ティナがアンナの現状を把握していないのは仕方がない。
しかし、アンナに申請書を書かせ、それを受け取ったのはティナだ。ティナが責められるのも無理はない。
ルークは「はぁ……」とため息をついてアンナの尻に視線を戻し、2人の会話に耳を傾けた。
「分かりました。確認しておきますので、もうしばらくお待ち下さい」
「待つって、どれくらい? 1時間くらい?」
「え……数日はいただきたく……」
「確認が終わるまで、ここで待つわ」
アンナはティナの言葉を遮って、堂々とした態度で言う。その有無を言わせない様子に、ルークは苦笑いを浮かべた。
「いや、そういうわけには……」
ティナはどうにか断ろうとしているが、アンナはそれを許さない。
「あんた、見た感じ暇そうよね? 急がなくてもいいけど、待たせてもらうわ」
この窓口は基本的に暇だ。ここに報告しなければならないような問題は、そう頻繁に発生するものではない。
「分かりました……確認してきます」
ついにティナが折れた。ティナは引き攣った笑みを浮かべて言うと、スッと立ち上がった。アンナは退屈そうに腕を組んで、ティナの帰りを待っている。
ルークがしばらくアンナの尻を眺めているうちに、ティナが血相を変えて戻ってきた。アンナが「早かったわね。何か分かった?」と声を掛けると、ティナはすぐに頭を下げる。
「すみません! まだ正式に受理されていないみたいです」
「は? どういうこと!?」
アンナも血相を変え、ティナの肩を両手で掴む。不機嫌が最高潮に達しているようだ。ルークは、「止めなければならない」という思いと「関わりたくない」という思いの間で揺れ動き、「関わりたくない」が勝った。静観を決める。
しばらく沈黙の時間が流れ、やがてティナがゆっくりと口を動かす。
「……ごめんなさい。ここでは言いにくいことなので、個室に移動しましょう」
アンナとルークは、ティナにつれられて小さな取調室のような部屋に入った。ここは簡素な椅子と机が置いてあるだけの、殺風景な部屋だ。
アンナは部屋に入るなり椅子に腰掛け、ティナに話し掛ける。
「それで、言いにくいことって?」
アンナは少し落ち着いたが、それでもまだかなり苛ついている様子だ。
「申請の書類なんですけど、受理される前に紛失したというか……」
「は? あたしの目の前で受け取ったわよね?」
申請書はティナの目の前で書いて、そのまま手渡した。もし書き間違いなどがあったとしても、ティナがその場で指摘するはずだ。アンナに不備があったとは考えられない。
「そうなんですけど……」
「どういうこと?」
「……誰かが勝手に捨てたみたいなんです」
ティナは怯えるような表情を浮かべて言う。アンナではなく、他の何かに怯えているようだ。
「は?」
アンナが眉間にシワを寄せて声を漏らす。すると、ティナは複雑な表情を浮かべて俯いた。
「私の口からは、これ以上は言えません……」
「誰かがあたしの妨害をしているっていうことね」
「そういうことになります」
ティナは詳しく語る気がないようで、必死で言葉を選んでいる様子が見て取れた。少ない情報から得られたのは、アンナの申請書は何度出しても無駄だということだ。
「……このことは、ここの所長にでも報告させてもらうわ」
アンナは冒険者協会の責任者と面識があるわけではないが、苦情に対応する窓口は存在するため、そこで報告をすればいいと考えていた。しかし、ティナは申し訳無さそうに首を横に振る。
「……たぶん無駄だと思います」
「は? 止める気?」
アンナが語気を強めると、ティナは真剣な眼差しでアンナを見つめて言う。
「そうではないです。言っても無駄なんです」
「……なるほどね。そう言うこと……」
アンナは納得したように頷き、魂が抜けるようなため息をついた。それを見たルークは、訝しげな表情を浮かべる。
「何がっすか?」
「つまり、ここの所長もグルなのよ。でしょ?」
「私からは何も……」
ティナは本意ない様子で首を振る。その姿を見たアンナは、確信を持ったような表情を見せた。
「否定しないってことは、そういうことでしょ?」
アンナの言葉に、ティナは無言で返す。ここまで否定しないということは、肯定しているのと同じだ。誰が関わっているのかは分からないが、上層部が絡んでいるのは間違いない。
「ここに居ても仕方がないわね。行くわよ」
アンナはそう言って席を立ち、扉の取っ手に手を掛けた。すると、ティナは慌てて立ち上がって呟く。
「……まだ証拠がありません。何か分かったら、報告いたします」
「そ? 期待しないで待っているわ」
アンナはそっけない態度で返すと、扉を開けて退出した。
誰が何のために妨害しているのか、それは分からなかった。しかし、冒険者協会が妨害に加担していることは間違いない。冒険者協会からの仕事は当てにできず、今後も仕事が増えることはないだろう。アンナは今後の苦労を思い浮かべ、遠くの空を眺めた。




