不穏な空気
冒険者協会の事務所にやってきた。大部分は石造りで、屋根は木製。国営の施設だけあって、無機質ながらも大きな建物だ。
「あんたたちからも説明してほしいから、一緒に来て」
アンナの言葉に、ルークは面倒くさそうに頷き、ココは「こんな建物に入るのは初めてです」と、緊張した面持ちで答えた。
外見と同じく、内装も飾り気がない。中は広いが、まだらな黄土色の土壁が剥き出しになった、簡素な空間が続いている。
いくつものカウンターが並んでいるのだが、その役割はそれぞれ違うらしい。アンナはどんどん奥へと進んでいく。ルークとココは、キョロキョロとあたりを見回しながらアンナの後を追った。
すると、アンナの前に1人の若い男が立ち塞がり、笑顔で声を掛けてきた。
「おや、アンナさん。どうしてこちらに?」
この男は歳は20代半ば、アンナよりも少し年上くらいだ。体型はひょろ長くて頼りなくも見えるが、表情からは優しげな印象を受ける。
「あ、久しぶり。ちょっと盗賊に襲われちゃってね。その報告よ」
アンナは足を止めて、男に対応した。
「それは大変でしたね……。無事だったんですか?」
「無事だから、ここに来てるんじゃない」
「ははは。それもそうですね」
お互いに気心の知れた相手かのような態度に、ルークは気を悪くしている。その男をじっと睨みつけ、奥歯を噛み締めているようだ。
そんなルークの態度を察したココが、気まずそうに声を掛ける。
「こちらの方は?」
「あたしの元マネージャー。あの事務所で唯一、話のわかるヤツよ」
「どうも、はじめまして。シモンと申します」
シモンは丁寧に頭を下げた。すると、ルークはシモンとアンナの間に入り、不機嫌そうに腕を組んだ。
「それで、どこの馬の骨っすか?」
「ふふっ。仕事の斡旋や、身の回りのサポートをしていました。あなたが心配をするような関係ではありませんよ」
シモンが笑顔で答えると、ルークは訝しげにシモンの顔を眺めた。
「ふぅん?」
マネージャーの仕事は、冒険者が安全に活動できるようにサポートすることである。依頼者との橋渡しだけでなく、必要なものを確認したり現場の下見をしたりする。
事務作業が中心のシモンはあまり体を鍛えておらず、腕や足が細くて弱そうに見える。ルークはシモンのことを少し舐めているようで、それが態度に現れている。アンナはルークの態度が気に入らず、不機嫌そうに眉間にシワを寄せた。
「あんたねぇ……弱そうだからって舐めすぎよ?」
「ははは……。そんなに弱そうに見えます?」
シモンはそう言って苦笑いを浮かべたが、アンナは気にもとめず話を続ける。
「ルーク、失礼が過ぎるわ。この人は、あたしの独立を後押ししてくれた人なんだから」
「へぇ……?」
アンナのフォローもむなしく、ルークはまだ納得できないでいた。口元を歪めてシモンを睨んでいる。
「いえ、私は大したことはしていませんよ」
「そんなことはないわ。十分世話になったわよ」
「例えば?」
ルークはシモンの懐から見上げるように言う。まるで喧嘩を売っているかのような態度だ。
問答無用で蹴り飛ばされても文句は言えない。アンナはルークの襟首を引っ張る。すると、ルークは「うげっ」と呻き声をあげてココの後ろまで下がった。
「報酬が納得できないっていう話をしたら、独立を提案してくれたの」
「アンナさんは所長と対立していましたからね。私が間に入る形になりました」
アンナとシモンの話が続く中、ルークはココの後ろでふてくされた表情を浮かべている。ルークに代わり、ココが「どうして一緒に独立しなかったんですか?」と質問を返した。
「私の担当はアンナさんだけではありませんから。私が辞めてしまうと、事務所が潰れてしまいます」
シモンが笑顔で答えると、ルークはまたズイとココの前に出てシモンを睨む。
「大げさっすねぇ」
「そうでもないわよ。潰れるってのは言いすぎかもしれないけど、確実に傾くわね」
「……冗談のつもりだったんですけどねぇ。私はただの平社員ですよ」
シモンは苦笑いを浮かべて言った。謙遜する態度が気に入らないのか、ルークはシモンの前で体を左右に揺らして煽るような動作をしている。
アンナはうんざりとした様子で、「いい加減にしなさい」と言いながらルークの頭を叩いた。
これ以上話を続けても、ルークが失礼を重ねるだけ。そう考えたアンナは、すぐにここを離れることにする。
「とにかく、今日は急ぐから。もう行くわね」
「あ……お仕事の邪魔をしてしまいましたね。では、お気をつけて」
シモンはそう言って去っていった。その後ろ姿を見て、ルークは「なんか気に入らないっすね……」と呟く。
「うるさい。さっさと用事を済ませるわよ」
アンナはルークの背中を強く叩くと、スタスタと歩き出した。しばらく無言で進み、一つのカウンターの前で立ち止まる。
このカウンターには、赤毛のソバージュが特徴的な、少しふっくらとした若い女性が座っている。アンナは迷うことなく、その女性に話し掛けた。
「鉱山について、報告したいことがあるんだけど」
「鉱山? どうしてまた……」
カウンターの女性は、胡乱げな瞳をアンナに向ける。
「魔石収集の依頼があったからよ。何かおかしい?」
「いえ、冒険者と坑夫さんしか行かない街ですので」
この女性はアンナを冒険者だと思っていないらしく、鉱山の街に行ったことを訝しんでいるようだ。
「あたしも冒険者だけど?」
「本当ですか? 失礼ですが、お名前を伺ってもいいでしょうか」
「アンナよ。試験合格は3年前。ちゃんと調べて」
カウンターの女性は近くの棚から紙の束を取り出し、パラパラとめくった。どうやら名簿を見ているらしい。
しばらく待っていると、女性は一枚の紙を指差して呟く。
「アンナさん……ああ、名前はありますね。無所属?」
無所属とは、ルークが以前所属していたような流れの冒険者のことである。事務所に所属せず旅をしているため、特定の住所を持たない。主な収入源は魔物の売却で、旅先で依頼を受注することもある。
「違うわ。独立したの。アンナ冒険者事務所で再登録したはずだけど……」
「そうですか……。記録には無いみたいですけど」
女性が見ていた書類には、所属事務所も記載されているらしい。しかし、アンナのページには何も書かれていなかった。
「どういうこと?」
アンナが不機嫌そうに言うと、カウンターの女性は「こちらに聞かれても困ります」と答えた。取り付く島もない様子だ。
「どうりで、国からの依頼が来ないわけね……」
冒険者協会はすべての冒険者に対して仕事を斡旋するが、例外がある。それは無所属の冒険者だ。彼らは移動が多く、決まった連絡先を持たない。そのため、冒険者協会は仕事を斡旋することが難しい。
冒険者協会の中ではアンナが無所属という扱いになっていたため、仕事が斡旋されなかったのだ。
「連絡ミス?」
アンナが問い掛けると、カウンターの女性は悪びれもせずに答えた。
「かもしれませんね。もう一度、申請書をご記入ください」
今となっては、冒険者協会とアンナのどちらに不備があったかは分からない。アンナはこれ以上の追求を諦めて、申請用紙を手にとった。
申請用紙には、事務所の住所と所長の名前、そして資格を持った所属冒険者の一覧を記入する。と言っても、アンナは自分の住所と名前を書くだけだ。
「もうミスしないでよね……」
アンナは書き上げた申請用紙を面倒そうに突き出すと、女性は無表情で「承知いたしました。お手数をおかけします」と言いながら受け取り、言葉を続けた。
「それで、本日の御用は?」
「帰り道で盗賊に襲われたの。その報告よ」
「鉱山からこの街までの街道ですね。どんな風貌でした?」
「ボスは若い女だったわ。下っ端は、デブとガリとハゲとヒゲ。見たことのあるヤツは居なかったわね」
アンナは、適当に身体的特徴を並べた。良い表現ではないが、端的に伝えるにはこれしかない。
「女盗賊……初めて聞く話です」
女性は意外そうに呟くと、ルークが会話に割って入った。
「肌がスベスベで、スタイルバツグンの美人だったっすよ」
「あんたの感想は聞いてない!」
ルークとココをここに連れてきたのは、証言をさせるためだ。感想を言わせるためではない。聞きたいのは、使用していた武器や技の特徴である。ルークは一番近くで見ていたので、アンナはそういった証言を期待していた。
「スタイルバツグンの美人ですか……女の敵ですね」
カウンターの女性はそう言いながら、椅子に座ったまま自分の腹をさすった。自分の体型にコンプレックスを抱え、嫉妬しているように見える。
「あんたまで、何言ってんの……?」
アンナは引き攣った笑みを浮かべ、カウンターの女性を見つめた。するとルークは、突然カウンターの女性の手を握った。
「気にすること無いっすよ。抱き心地が良さそうで、いいと思うっす!」
「あんたは黙ってなさい!」
流れるような手付きでルークの頭をはたいて襟首を掴み、そのまま後ろに引く。ルークは「うげっ」と呻き声を上げて尻餅をついた。
ルークの聞き取りはこれで終わりだ。アンナはルークを放置して、ココに視線を向ける。
「ココは、何か気になったことは無い?」
「……あまり臭くなかったのが気になります」
ココは顎に手を当てて、難しい顔をしている。必死で思い出そうとしているようだ。
「ああ、男の盗賊は臭いからね。女盗賊は、割と清潔にしてることが多いわよ」
「そうなんですか……」
そう言って俯くココに、アンナが「それだけ?」と聞くと、ココは静かに「はい」とだけ答えた。これ以上報告できることは無い。
「報告は以上ね」
「……ご報告、ありがとうございました。警戒しておきます」
アンナは「よろしくね」と言って、カウンターから離れた。これから冒険者協会によって、盗賊の調査が始まる。あの盗賊たちは、あそこに居られなくなったはずだ。アンナたちはこの時、これで問題が解決したと考えていた。




