くびれ
鉱山の町から、アンナの自宅がある街までは、歩いて数時間。出発したのは昼過ぎだが、順調に進めば日が暮れる前には帰れるはずだ。
背嚢はオークの皮でいっぱいになってしまったため、剣やナイフは背嚢から出し、手分けをして持った。今日はいつもよりも冒険者らしいスタイルで歩いている。
「今日は野営したくないから、遅れずについてきてよね」
アンナがルークに向かってのんきに言う。
「……俺が遅れたこと、あります?」
「そう言えば、無いわね。ココは大丈夫?」
ルークは、文句を言いながらも遅れたことがない。大きな荷物を抱えながらも、確実にアンナの歩調に合わせている。それは下心あってのことではあるが、結果的には仕事ができている。
「農作業で慣れてるんで、一日中歩き続けても平気です」
ココはと言うと、こちらもアンナを同じ速度で歩くことができた。体力にはもともと自信があったようだ。睡眠不足にも耐性があり、昨日の徹夜の作業でも、一番元気だった。
「そ。それなら安心ね」
戦闘面以外では不安が無いと感じたアンナは、ほっと胸を撫で下ろした。
しばらく進むと、細い道に出た。しばらくは林の中を進むことになる。行きのときも通過した道だ。道の両サイドは木で覆われていて、魔物や野生動物が飛び出してきそう。一行は警戒して進む。
すると突然、街道上に2人の男が飛び出してきた。1人は痩せ型で、もう1人はヒゲを生やしている。
「待ちな。荷物は置いてってもらおうか」
「盗賊!」
アンナは慌てて叫ぶ。
2人の盗賊は、薄汚れてボロボロになった服を着て、服に見合わない高そうな片手剣を構えている。眼前には2人だが、アンナは回りからも人の気配を感じた。簡単には逃げられない。
「……なるほど」
そう言って、荷物を下ろした。その姿を見たアンナは、怪訝そうに訊ねる。
「何してんの……?」
「何って、荷物を置いて逃げるんすよ」
「冒険者が逃げてどうすんのよ!」
アンナはルークの頭を叩き、腰に刺した剣を抜いた。
盗賊の討伐も、冒険者の仕事である。捕まえた後に相手が盗賊だと証明することは困難だが、現行犯であれば問題ない。資格を持った冒険者であれば、生死不問で逮捕することができる。
剣先を向けられた盗賊は、額に冷や汗を垂らして声を出した。
「まあ待て。魔石を持ってるんだろ? 素直にこちらに渡せば、すぐに通してやる」
鉱山の街から出てくる冒険者は、魔石の輸送をしているか、輸送の護衛をしているか、そのどちらかである。アンナたち一行が魔石を持っていることは、盗賊の目には明らかだった。
現在のアンナたちの見た目は冒険者そのもので、人数も少なくて全員が若い。盗賊から見れば、いいカモだ。「持っていない」という言い訳は通用しない。
「それは無理な注文ね。あんたたちこそ、捕まりたくなかったらすぐに消えなさい!」
アンナは強い口調で言い放った。すると、林の中からさらに2人の男が姿を現す。デブとスキンヘッドだ。
「痛い目を見ないと分からないようだな……」
「いや、分かるっすよ。お渡しするっす」
ルークは盗賊たちに歩みを進める。全面降伏のつもりだ。
「だから! 待ちなさい!」
アンナはルークの首元を掴み、後ろに引っ張った。すると、デブの盗賊がいやらしい笑みを浮かべた。
「ほう……そっちの女は頭が良くないようだな……」
「盗賊に言われたくはないわね!」
アンナはそう言ってデブに斬り掛かった。この盗賊たちは、1人であればそんなに強くない。しかし。相手の盗賊は1人ではない。4人居る。
デブに斬り掛かると、横からヒゲが襲ってきた。それをバックステップで躱すが、次はスキンヘッドが襲ってくる。盗賊ちの攻撃は止む気配がなく、さすがのアンナも、少し分が悪いと感じた。
「ココ、街まで走れる?」
アンナは、ココにそっと耳打ちをする。
「鉱山の街までなら……」
ココは不安げな声で返した。すると、アンナは強がるように口角を上げた。
「十分! ここはどうにかするから、魔石を持って離れて」
ココは「でも……」と声を漏らすが、アンナは「いいから早く!」と叫んでココを急かす。
「……はいっ!」
ココは今にも泣き出しそうな表情を浮かべ、背嚢の中に手を突っ込んだ。
その時、背後から急に人影が現れる。20代後半くらいの、スタイルの良い女性だ。肌の露出が多く、上半身はビキニアーマー、下半身は軽装の鎧とスパッツのみである。腹筋がよく締まっていて、腰のラインが特徴的だ。
「あんたら、何をチンタラやってんのさ!」
この態度から、盗賊たちのボスであろうと思われる。おそらく、この女性が盗賊たちの最大戦力だろう。背後から現れたため、ココは離脱のチャンスを失った。膝をついて背嚢を抱えたまま動けない。
そんな状況の中、ルークが思わず感嘆の声を上げた。
「おおっ!」
「……何?」
女盗賊は訝しげに呟くが、ルークにはどこ吹く風だ。
「きれいなくびれっすね! 触っていいっすか?」
そう言って、女盗賊に飛びかかる。すると、女盗賊は持っていた片手剣をルークの脳天に向けて振り下ろした。
「死ねっ!」
殺意のこもった鋭い剣は、ルークの脳天を捉えた……はずだったのだが。ルークは剣をスルリとすり抜けた。その勢いのまま、女盗賊の腰にしがみつく。
「肌スベスベっすねぇ。石鹸、何使ってんすか?」
ルークは女盗賊の腹をさすり、恍惚とした表情を浮かべる。アンナはチャンスだと思い、ルークに向かって怒鳴った。
「ルーク! 今よ! 早く刺して!」
「……こんな昼間っから?」
ルークは間の抜けた声を発した。愉快な勘違いをしているようだ。
「何を刺す気よ! ナイフ!」
アンナは必死の形相で叫ぶが、ルークは嫌そうに首を横に振った。
「そんなこと、できるわけ無いっす!」
ルークの吐息が女盗賊の腹にかかり、女盗賊は邪魔そうに顔を歪める。かなり不快そうだ。
「ええい! 離れろォ!」
女盗賊は、身を捩らせる。そのたびに、ルークの腕が強く絡まっていく。
「いやいや、離す気は無いっすよ」
「てめぇ……姐さんから離れろ!」
ついに、下っ端の盗賊たちの意識もルークに向き始めた。アンナが1人で対応していて、かなり拮抗した状況だったのだが、ここでバランスが崩れる。
アンナの剣が下っ端の1人の腕を掠め、下っ端は剣を落とした。それを拙いと感じた女盗賊は、「くっ! 離れろォ!」と叫んで剣を振り下ろした。狙いは、腰元にしがみついたルークである。
ルークはまたしてもスルリと避けて、女盗賊の臀部に顔をうずめた。すると、空振った剣は女盗賊の足に突き刺さった。女盗賊は苦痛に顔を歪める。
「アンナさん、薬! 早く! 傷残っちゃう!」
溢れ出す血を見たルークは、焦ったように叫んだ。
「敵に使ってどうすんのよ!」
アンナがそう言うと同時に、痩せ型の盗賊が「てめぇ! 姐さんを、よくも……!」と呟いてルークに斬り掛かった。
「どう見ても自業自得でしょうが!」
その剣を、アンナが軽く受け止める。
状況が大きく変わった。盗賊の最大戦力である女盗賊は、戦闘不能だ。あとは有象無象の雑魚盗賊しか居ない。ルークは女盗賊の腰に手を当てて、傷口を心配そうに眺めている。
「ちくしょう! 話が違う!」
剣を受け止められた痩せ型の盗賊は、悔しそうに歯を食いしばって後ろに飛び退いた。
「話……?」
アンナが怪訝そうに呟くが、その問には誰も答えなかった。盗賊は何者からか情報を提供されていたようだが、詳しい話は聞けそうにない。
「クソッ! 引くぞ!」
女盗賊の掛け声が響き、盗賊たちは一斉に剣を捨てて女盗賊のもとに駆け寄った。下っ端たちはルークを強引に引き剥がすと、女盗賊を支えて林の中に消えていった。
ルークは、名残惜しそうに膝をついて右手を伸ばす。
「ああ……待って……」
「『待って』じゃない! とりあえず危機は去ったんだから、良かったと思いましょう」
結局ココもこの場に留まったが、実質は2対5。アンナたちはかなり不利だった。この状況で追い返すことができただけでも、ありがたいことだ。
流れた血を追ってアジトを探ることは可能だろうが、そこまではできない。追い返すだけでやっとだった。
「でも、何だったんでしょう……」
「あたしたちが魔石を持ってると思ったんでしょ?」
「高く売れるから……ですね」
「そういうこと。ちょっと気を抜きすぎたわね」
街では魔石の買取価格が高騰している。盗賊たちは、それを狙い目だと思ったのだろう。アンナはそう結論づけた。気になることが無いわけではないが、それを言っても仕方がない。
アンナとココが事後処理を進める中、ルークはまだ膝をついてうなだれている。
「くびれ……」
「いつまで言ってんの! 早く荷物を持つ!」
アンナはそう言って、ルークの背中を強めに叩いた。
「痛ぁ!」
「ほら、早く荷物を持ちなさい! 変態っ!」
アンナは少し機嫌が悪いようだ。立ち上がろうとするルークの尻を、強く蹴り上げた。
「痛いっすよ!」
「あんたは荷物持ち以外に役に立たないんだから! 早く持つ!」
アンナが早口で捲し立てた。すると、ココが複雑そうな表情を浮かべて呟く。
「でも、今回はルークさんのおかげでしたよね……?」
「やめて。それは考えたくないわ」
アンナは心の底から嫌そうな声を出した。今回、ルークの行動で救われたということはアンナも理解している。しかし、到底納得できるものではなかった。嫌そうに顔を眉を吊り上げ、号令を掛ける。
「さ、気を取り直して行くわよ」
再び歩き始めるアンナを、ココは苦笑いを浮かべて追う。ルークは不満げな表情を浮かべたまま、その後に続いた。気まずい雰囲気を察したのか、アンナが雑談を始める。
「じゃ、この前の続きでも話しましょうか。魔動車の話、途中だったでしょ?」
「あ……そうでしたね……」
ココはそう返事をして顔を引き攣らせた。行きの時に味わった、興味の無い話を延々と聞かされるという地獄の再来だ。アンナはココの顔色に気づかず、得意げに話し続けるのだった。




