野宿
夜間の移動は危険が伴う。夜行性の魔物には凶暴な種類が多く、視界が悪いために戦いにくい。できるなら避けたいことだ。それでも、今回はやむを得ない。街に留まるとディートリヒに遭遇するリスクが高まるので、すぐに移動を開始することにした。
「今日は野宿ね。ごめんね、ココ。それでも大丈夫?」
「はい。初めてですけど、少し楽しみです」
「それなら良かった。行きましょうか」
「ん? 俺は?」
聞かれなかったルークが怪訝そうに言うと、アンナはこともなげに答える。
「居たの? あいつらのところに行けば良かったのに」
「いやいや、あんなムサイ空間には、一秒だって居たくないっすよ」
男しか居ないあのパーティに入るというのは、ルークにとっては地獄でしかない。
「ふふっ。冗談よ。どうせあんたは大丈夫でしょ? とにかく、すぐに出るわよ」
何をどう判断して大丈夫という結論に至ったのか。それはアンナにしか分からない。それはともかく、一行は早々に街を出る。街の明かりが届かないところまで移動して、野営をすることになった。
「ルーク、とりあえずテントよろしく」
アンナはルークを一瞥して言うと、くるっと踵を返してこの場から離れようとした。
「……手伝ってくれるんすよね?」
ルークは不安げな表情で聞くと、アンナは「なんで?」と真顔で返し、不思議そうに首を傾げた。アンナはルークにテント設営の練習をさせたいと考えているため、手伝うつもりはない。
「……いや、いいっす。やりゃあいいんすね」
ルークは背嚢から天幕と下敷きを取り出し、折りたたまれたフレームを並べる。説明書はない。テントは、構造が同じなら設営方法が似ている。しかし、このテントはルークにとって初めての構造だ。勘で組み立てを始めた。
慣れない作業で時間が掛かる。ルークがしばらく悪戦苦闘していると、アンナが近付いて文句を言う。
「遅いっ! 早くしなさいよ!」
ルークがテントを設営している間、アンナとココはテントの横に簡易的な竈と椅子と準備していた。その作業は早々に終えて、今は食事の準備に取り掛かっている。
「そう思うんなら、手伝ってくださいよ」
「あんたの練習にならないでしょうが。口よりも手を動かす!」
「人使いが荒いっす……」
「……手伝いましょうか?」
ココは申し訳なさそうに言うが、彼女も食事の準備で忙しい。アンナは厳しい顔で首を横に振った。
「ダメダメ。こいつのためにならないから」
アンアとココが夕食の準備を進める中、ようやくテントの設営が終わった。組み立てられたのは、広さが3畳にも満たないほどの小さなドーム型テント。4人用として売られている、安物のテントだ。
「やっと終わったっす……」
「遅かったわね。これ以上遅れたら、夕飯抜きにするところだったわよ」
アンナは冗談っぽく言い、ルークにスープを差し出した。ルークを作業が終わるのを、律儀に待っていたようだ。
今日の夕食も、保存食をアレンジしただけの簡単メニューだ。ちゃんとした店で食べられると思っていたルークは少し落胆するも、空腹の限界を迎えていたため、文句を言わなかった。
食事を終えたココとアンナは、すぐに立ち上がってテントに向かった。一日中移動していたので、かなり疲れている。明日は早朝から魔物と戦わなければならないため、今日は早めに就寝するつもりだ。
そんなココとアンナの後を、ルークは何食わぬ顔でついていく。そして、そのままテントに顔を入れた。
「あんたは外!」
アンナはそう言って、ルークの顔を掴んでテントの外に押し出す。
このテントは4人用だが、それは『パズルのように敷き詰めたら4人が寝られる』という意味であり、快適に過ごすなら2人が限度。ルークと密着した状態ではアンナとココが落ち着いて寝られないため、ルークが外に追いやられるのは必然だった。
「ちょ! そりゃないっすよ!」
「外が嫌なら、次からはもう1つテントを持ってくる?」
「どっちも嫌っす!」
荷物が増える。ルークはすでに3人分の荷物を抱えていて、これ以上は荷物を増やしたくなかった。
「じゃ、外で決まりね。寝袋くらいは持ってるんでしょ?」
「あ……置いてきたっす……」
ルークはまさか外で寝ることになるとは考えておらず、荷物が増えると思って持ってこなかった。
「バカじゃないの……? タープを貸してあげるから、それにくるまって寝なさい」
今は比較的温暖な季節だが、それでも夜は冷える。ルークは大きな背嚢を枕にして、少し凍えながらウトウトしていた。
すると、木々の奥から何かが擦れる音が聞こえてくる。不審に思ったルークが目を凝らすと、キラリと光る目のようなものが見えた。それも、大量に。ルークはさらに注意深く観察する。
月明かりに照らされて、二足歩行の豚のシルエットが浮かび上がった。オークという魔物である。集団で行動し、主に人間を襲う魔物だ。
ルークは大慌てでテントに駆け込んだ。
「大変っす!」
「何?」
アンナが眠い目をこすりながら起き上がる。
「オークの大群が来てるっすよ!」
「分かったわ!」
アンナは勢いよく立ち上がり、剣を掴んで飛び出した。ココは2人の慌てた様子に戸惑い、あたふたしている。
「私は……」
「あたしの後ろに居て!」
ココは足手まといだ。できればテントの中に隠れていて欲しいところだが、アンナと離れるのはもっと危険。ということで、アンナの後ろでおとなしくしておくことになった。
「じゃ、頑張ってくださいっす」
ルークは他人事のように言うと、アンアはルークを睨みながら怒鳴る。
「あんたは戦うの! 背嚢の中に予備のナイフが入ってるから!」
ルークには戦闘経験がない。以前のパーティでは、荷物持ちに徹していたのだ。戦力が十分だった以前とは違い、こちらの戦力はアンナだけだ。相手は1体ではないので、ルークも戦わなくてはならない。
「マジすか……」
ルークは不承不承に頷くと、背嚢がある場所に移動した。背嚢に手を突っ込み、中をまさぐる。その間にも、オークは棍棒を振りかぶってルークに向かってきている。やがて、棍棒はルークの頭上でルークの頭を捉えた。
その瞬間、ルークは背嚢の中で何かの取っ手のような手応えを感じた。がしっと掴み、一気に引き抜く。すると、背嚢の中からお玉が飛び出した。
「お玉じゃないか!」
振り下ろされた棍棒は、ルークが取り出したお玉によって受け止められた。しかし、勢いを殺しきれない。ルークは衝撃で飛ばされ、ごろりと転がった。
「痛ってぇ……」
と言って立ち上がるが、オークもルークのもとに迫っている。ルークが手に持っているのは、武器ではなくお玉。ルークは焦りと不安を感じていた。
そんなルークを見て、アンナは呆れた様子で声を掛ける。
「……ルーク、それは武器じゃないわよ?」
「分かってるっすよ!」
「まあいいわ。早くあいつらを片付けるわよ」
アンナはオークの群れの中に飛び込んだ。ココはアンナの後ろから不安げな瞳でアンナを見つめ、ビクビクとしている。ナイフを与えたとしても、ココは役には立たないだろう。
アンナは一際大きな個体と対峙している。持っている棍棒も、ゴツくて大きい。この群れのボスだ。アンナは決して弱いわけではないのだが、いかんせん相手が多すぎた。雑魚たちもアンナを狙っていて、苦戦を強いられている。
雑魚のうちの2体は執拗にルークを狙っている。ルークは振り下ろされる棍棒を必死で避けながら、あたふたと逃げ回っていた。
そんな中、オークの攻撃がアンナに届いた。『バリィ』という音とともに服が破られ、アンナの大きな胸が顕になる。
しかし、ルークの位置からはそのことが確認できない。破れたのは確かだ。アンナの位置が変わるたびに、少しだけ見える。やがて、ルークはしびれを切らしたように叫んだ。
「見、え、な、いっ!!」
振り抜かれたルークのお玉は、オークのこめかみに直撃して振り抜かれた。バコッという鈍い音が響くと、オークは首を不自然な方向に曲げ、その場で崩れ落ちる。
ルークは足元に転がったオークを踏みつけ、次のオークへと迫る。そして、同じようにお玉を振ってオークを倒した。2匹目を倒すと、アンナの姿がよく見えるようになった。足元のオークに腰掛けて、真剣な眼差しでアンナの上半身を眺める。
アンナはルークの視線に気付かず、大きな胸を揺らして元気に剣を振り回す。ココはそんなアンナを心配そうに見つめていて、ルークの状況を慮る余裕がないようだ。
ルークは満足げな表情でアンナを見つめる。すると、ルークの後ろから、オークの吐息が聞こえてきた。
「ブヒィッ!」
棍棒を構えたオークが、その棍棒を振り下ろそうとしているのだ。
「邪魔っ!」
ルークは後ろを振り返ることもなく、オークの顎先にお玉を当てた。オークは脳震盪を起こして膝をつく。それを皮切りに、オークの狙いはルークに定められた。次々に襲いかかってくる。
「邪魔すんじゃねぇよ!!」
ルークは一心不乱にお玉を振り回した。その間も、ルークの視線はアンナに釘付けだ。ルークの足元には、次々とオークが積み上がっていく。
やがて、ルークを襲うオークが居なくなった。それと同時に、アンナと対峙していたオークの首が飛ぶ。アンナの勝利だ。アンナに襲いかかっていた雑魚オークは、狙いをルークに変えたのだ。そのため、アンナはかなり楽になった。
「大丈夫っすか?」
ルークは胸を近くで見たい一心で、大急ぎでアンナのもとに駆けつけた。すると、アンナは胸を張って得意げに言う。
「楽勝っ! あんたも、なかなかやるじゃない」
「アンナさんこそ、立派なものをお持ちで……」
ルークはアンナの胸を凝視する。アンナはようやく服が破れていることを思い出し、顔を真っ赤にして両手で胸を隠した。
「どこ見てんのよ!」
「だって! 隠さないんすもん! 見ていいのかと思うっすよ!」
「……着替えてくるわ」
アンナはそう呟くと、背嚢を拾い上げていそいそとテントに入っていくのだった。




