勧誘
鉱山から採掘される魔石は手に入らないということが分かった。依頼された魔石は、魔物から剥ぎ取らなければならない。この街を出て、魔物が出没する場所に移動する必要がある。
しかし、すでに日が傾きかけている。今から出発するのは危険なので、アンナたちはこの街で一泊することにした。
「今日はここに泊まって、明日の早朝に出発するわ。その前に、食事を済ませておきましょうか」
この街には宿は一つしかない。大きな建物に飲み屋が併設されていて、宿泊者の他に、酒と食事が目当ての客もいる。
「うっす。もう、腹が減って死にそうっすよ」
飲み屋の扉を開けて、中に足を踏み入れた。中は50人分くらいの席があるのだが、ほとんどの席が埋まっている。小さな街なのに、大層賑わっているようだ。街には大量の冒険者が来ているため、普段よりも客が多いのだろう。
「……満席みたいね。先に部屋に行って休む?」
アンナがそう言うと、アンナの背後からゴツい男が寄ってきて、アンナに話し掛けた。
「それは賢明じゃないぞ」
「誰っ?」
アンナは驚いて振り向くと、ゴツい男はニヤリと笑って答える。
「俺だよ」
彼の名前はディートリヒ。アンナが以前所属していた冒険者事務所の所長だ。本人も冒険者であり、稀に依頼を受けることもある。今回は、斡旋された部下の様子を見るために来ていた。彼の他にも、数名の部下がこの街に来ている。
「うっげぇ……」
アンナは嫌そうに眉間にシワを寄せて呟き、無言で踵を返した。アンナはこの男が気に入らなくて、事務所を去ったのだ。今一番会いたくない人間である。
「無視すんじゃねぇ! 待て!」
ディートリヒはアンナの腕を掴んで制止した。
「……何の用?」
「この店は、閉店時間までこの調子だよ。俺たちは時間を調整してここに来てんだ」
「忠告ありがとう。じゃあね」
アンナはそそくさと立ち去ろうとするが、腕を掴まれていて自由に動けない。それをいいことに、ディートリヒは質問を続けた。
「いや、待てって。こんなところで何してんだ? お前は呼ばれてねぇだろ?」
この街には、冒険者協会から斡旋された冒険者しか居ない。ディートリヒはアンナが呼ばれているわけがないと考え、不思議そうにしている。事実、アンナは斡旋されてここに来たわけではない。
「別件よ。あんたには関係ないでしょ」
「誰っすか?」
アンナが適当に返事をしているところに、突然ルークが割って入った。
「はぁん? てめぇこそ誰だよ」
ディートリヒは苛ついた様子でルークを睨む。ルークは基本的に空気を読まないので、こういったことは頻繁に起きる。今回はそれが良い方向に進み、アンナは気が逸れたディートリヒのスキを突いて腕を振り払った。
「関係ないって言ってるじゃない。行くわよ」
アンナはそう言って出口に向かう。しかし、ディートリヒは逃すまいと、再びアンナの腕を掴んだ。ディートリヒの執念が窺える。
「だから、何の仕事だって聞いてんだ。答えろ!」
「答える理由が無いわ」
アンナは面倒そうに答えた。アンナの腕を掴むディートリヒの力が、さらに強くなっていく。しかし、その質問に答えることはできない。
冒険者にも守秘義務がある。依頼者についての情報は漏らせないし、遂行の妨げになるなら依頼内容についても言えない。リディアのような協力者になら言えることでも、ディートリヒのような敵対するおそれがある人間には、言うわけにはいかない。
「なぁ、どうせ苦労してんだろ? 悪ぃことは言わねぇから、独立なんてやめて帰って来い」
答えが返ってこないと察したディートリヒは、話題を切り替えた。これがアンナに声を掛けた本当の目的だ。ディートリヒの狙いは、『アンナの独立を阻止すること』である。
そのことはアンナも理解している。アンナが依頼を受けた際は、ディートリヒが妨害をしてくる可能性を考慮しなければならない。
「戻る気は無いって、何回言えば分かるの? 離して!」
アンナは、余計なことを言わないように細心の注意を払っている。しかし、ディートリヒも引き下がるつもりは無いようだ。
「ふん。それが今のパーティかよ。そんなひ弱そうな姉ちゃんが、役に立ってんのか?」
ココをじろりと見て、鼻で笑いながら言う。ディートリヒは、挑発をしながら付け入るスキを探しているのだろう。
しかし、ココが役に立っていないのは否定できない。資格を持った冒険者でもなく、特別な知識や経験があるわけでもない。荷物を持っているルークの方が、まだ役に立っているくらいだ。
「それは……」
ココは言葉を返すことができず、後ろめたいような表情を浮かべて俯いた。挑発されたと感じたルークは、とても不機嫌そうだ。
「失礼なおっさんっすね。あんたに、ココちゃんの何が分かるんすか」
ルークは堂々とした態度でディートリヒの腕を掴み、アンナの腕から引き剥がした。その姿を見たアンナは、得意げにふふんと鼻を鳴らす。
「あんた、たまにはいいこと言うじゃない。ココにだって、いいところがいっぱいあるからね」
今のところ、ココが役に立ったことは一度もない。しかし、今それを言っても仕方がないので、アンナはココのフォローに回った。すると、ルークもアンナの言葉に続く。
「そうっすよ。今日は隠れているっすけど、ココちゃんの足はアンナさんよりきれいなんす!」
ルークは、そう言ってココの足に視線を移した。
鍛えられたアンナの足は、きれいではあるが少しゴツゴツしている。対するココの足は、健康的で肉付きが良い。ルークのお気に入りである。
残念ながら、今日のココはパンツスタイルだ。スキニーなら良かったのだが、ダボダボのパンツ。今日のココからは、足のラインをうかがうことができなかった。
「え……?」
「感心したあたしがバカだったわ……」
ココはキョトンとして声を漏らし、アンナは呆れた様子で呟いた。
話の腰がポッキリと折れ、しらけた空気が漂う。あたりには、飲み屋の喧騒だけが響いている。そんな中、ディートリヒはルークが背負った荷物を見て、ニヤリと口角を上げた。
「くくく。お前はなかなか筋が良さそうじゃねぇか。うちの事務所に来ねぇか?」
「え? 俺?」
ルークが持たされている荷物は、かなり大きくて重い。この荷物を文句も言わずに持てるというのは、ある種才能である。ディートリヒはそこを評価しているようだ。
「いいじゃない。このアホはくれてやるから、あたしに関わらないで」
アンナはそう言って、ルークの背中をグイと押した。
「ちょっ! 勝手に決めないでくださいよぉ!」
「お前にだったら、高い給料を払ってもいいぞ」
ディートリヒはルークをおだてるような素振りを見せる。すると、その後ろに控えている下っ端風の男が、嫉妬に満ちた目でルークを睨みつけた。彼はルークのことが気に入らないようだ。もし移籍をしたら、ルークは大変だろう。
しかし、ルークはそんなことは気にしていない。
「金じゃないんすよ。もっと大事なものがあるんで、それは無いっす」
ルークにとって、金は重要ではない。女が居ないパーティに同行するなら、ポーターという仕事を続ける理由が無くなる。ルークの中に、アンナの事務所を辞めるという選択肢は無いのだ。
「……ま、無理にとは言わねぇよ。それよりもアンナだ」
ディートリヒはすんなりと引き下がった。しかし、アンナを諦めるつもりが無いようだ。
「だから! もうあたしに関わらないで!」
「そうは言ってもなあ。仕事、無ぇんだろ? 素直に戻ってこいよ。今なら3人まとめて面倒見てやる」
アンナが何度否定しても、ディートリヒは折れない。ついにはルークとココが交換材料にされてしまった。
ルークはそれが気に入らないらしく、またしても会話に割り込む。
「ちょっといいっすか?」
「ん? 何だ?」
「アンナさんの何がいいんすか?」
ルークは真剣な表情でディートリヒの前に立った。
「あん? 何が言いてぇ?」
「本気で戻ってきて欲しいなら、その理由を説明しないとムリっすよ?」
「そりゃお前……」
ディートリヒは戸惑いながら口ごもる。その様子を見たルークは、さらに追い打ちをかける。
「アンナさんの何が良くて、何をして欲しいんすか?」
「いや……仕事を……」
ディートリヒは必死で言葉を選んでいるようで、上手く答えられない。これでは、ディートリヒの真意は伝わらない。
「即答できないんすね。だったら、この話は終わりっす」
ルークの言葉に、ディートリヒはかなり動揺している。その間にルークはアンナとココの手を引き、そのまま飲み屋の外に出た。
少し歩いて、飲み屋が視界から外れた。追ってきたりはしていないようだ。ルークは「もういいかな」と呟いて一度立ち止まった。
「あんた、今日はいったいどうしたの? 妙にいいこと言うじゃない」
アンナが嬉しそうな笑顔をルークに向けた。ルークは真剣な表情で答える。
「アンナさんの乳の良さが理解できない奴なんて、マジで信用できないっすからね。アンナさんは世界有数の美巨乳っすよ? 見たい! 揉みたい! 吸い付きたい! それが答えっすよ!」
ルークが口を動かすたびに、アンナの嬉しそうな表情はみるみる崩れ、呆れ顔に変わっていく。
「……あんたには、感心するだけ損ね」
アンナが言葉を失う中、ココが訝しげに質問する。
「あの……もしあの人がそう答えたら、ルークさんはどうするつもりだったんですか?」
「何言ってるんすか。絶対に許さないっすよ」
ルークは即答した。言っていることが矛盾しているが、それとこれとは別問題だ。信用できたところで、すんなりと渡すわけがない。ありとあらゆる手を尽くして、移籍を妨害する所存である。
「そうですか……」
「だから、こいつに興味を持ったらダメだって……」
アンナは可哀相なものを見る目でルークを見つめながら、アンナの肩に手を置いた。
静かに時が流れるが、ぼんやりとはしていられない。アンナが小声で「行くわよ」と呟き、一行は街の外へと歩き出すのだった。




