前日譚。とある娼婦は、考える。下※虐待、胸糞あり。苦手な方は読まないでください。
※虐待、狂愛、胸糞注意。
※猛毒フルコース。
とある小さな街の娼館でリーシュと名乗って高級娼婦として働いていたリシュエンヌは、そこで――――出逢ってしまった。
その娼館には、客からの手紙を翻訳する代筆屋の男が出入りしていた。なんでも、孤児院の経営の傍ら、副業での代筆屋なのだとか。
凡庸な容姿に冴えない格好。裕福そうでもなく、身持ちが堅そうで、つまらなさそうな男。
外国語の翻訳ができるのだから、頭は悪くないだろう。その程度の印象しか無かった。
けれど、リシュエンヌの興味を惹かなかったその男が連れていたのは――――
緩いウェーブの掛かったくすんだ金髪。長い睫毛。透き通ったアイスブルーの瞳。滑らかで柔らかそうな頬。薄めの赤い唇。どこか憂いを感じさせる、白皙の冴えた美貌。まるで、ビスクドールかのように綺麗な幼い子供。
リシュエンヌは思わず息を飲み、
「……先生、その子は?」
美しい子供を胸に抱く男へ問うた。
「ああ、すみません。この子はとても大人しくて……その、他の子にすぐ虐められてしまうので、連れて来てしまいました。煩く騒いだりしない、本当に大人しい子なので、あまり気にしないでもらえると助かります」
他の子にすぐ虐められてしまう、そう聞いたリシュエンヌの胸が高鳴った。
そして、リュシエンヌは思い出す。小さな頃に、とてもお気に入りだったお人形のことを。
それは金の髪をした、透き通った青いガラスの瞳が綺麗だったお人形。
リュシエンヌが遊んでいるうちに、髪が禿げ、腕が取れ、瞳のガラスが取れてしまい、顔に穴が空いて――――いつの間にか捨てられてしまった可哀想なお人形。
「その子、とても綺麗。お名前は?」
「寒い日にホリィが見付けた子で、コールドと名付けました。うちでは、コルドと呼ばれていますね」
「……コルド、ちゃん……」
コールド。冷たく透き通ったアイスブルーの瞳に、冴えた美貌。この美しい子供に、とてもピッタリな名前だと思った。
更には、寒い日に見付けたということは……この子は孤児だということ。
とても綺麗な顔をしているのに――――
、
「? なにか言いましたか?」
「ええ。先生、宜しければお仕事の間、わたしがコルドちゃんをお預かりしますよ♥」
「いえ、それは」
「任せてください。わたし、可愛い子がとっても大好きなんです♥」
リシュエンヌが微笑んで言い募ると男は、
「では、宜しくお願いします。いいですか? 大人しくしているんですよ、コルド」
と言い聞かせ、抱いていた綺麗な子供……コルドをリシュエンヌへと渡した。
「ふふっ……綺麗なのに可哀想なコルドちゃん♥」
初めて逢ったその日は、綺麗で可愛いコルドを抱き締めて、その滑らかな頬を撫でるだけで、なにもせずに我慢した。手足に、小さな擦傷や痣があるのを確認して。
それからも、何度か男がコルドを連れて来る度、リシュエンヌはコルドを預かった。
コルドは本当に大人しくて、一言も喋らずにいい子でリシュエンヌに抱かれていた。その度に、やはり小さな擦傷や痣はどこかに認められた。
あまりに大人しくて静かなので、こっそりと柔らかな太ももを抓ってみたが、コルドは痛そうな顔をして嫌がるだけで、一切泣かなかった。声すらも、上げることをしなかった。
暫くして、コルドが赤ん坊の頃に首を斬られて雨の中に捨てられていたということを知った。
更には、常にマフラーや襟の詰まった服で隠れている細く華奢な首には、酷く醜い疵痕が残っていることを知った。
その後遺症なのか、二歳だというのに未だに喋ることができないということを知って――――
酷く不幸で、とても可哀想なコルドのことが、もっともっと愛おしくて堪らなくなった。
これなら、リシュエンヌが少しくらいコルドで遊んでも、誰にも気付かれないかもしれない。
胸に満ちる、愛おしさ。
コルドを見る度に湧き上がる、憐憫と同情心。
隠す為に首に巻かれたマフラーやスカーフを剥ぎ取って、醜い……華奢な首の左側から喉元に向かって走る、皮膚が引きつれ、肉が薄く盛り上がってでこぼことしたギザギザの痕を暴いて晒す。その度に、疵痕を撫でる度、高鳴る鼓動。
一目見たときから惹かれていたが、コルドのことを知れば知る程、際限無く愛しくなる。
リシュエンヌは、その愛おしい気持ちを籠めて、幼いコルドへと熱く滾る猛毒を囁き続けた。
「ねぇ、コルドちゃん。知ってるかしら?」
コルドの綺麗な顔が歪むところ、
「すごく悪いことをした人は、首を切られて殺されちゃうのよ? 死刑なんだって」
苦しむ顔、
「赤ちゃんなのに首を切られちゃうだなんて、コルドちゃんはどんな悪いことをしたのかしら?」
辛そうな顔、
「きっと、コルドちゃんは生まれたことが間違っていたのよ♥可哀想にね♪」
痛そうな顔、
「私はね、そんな惨めで憐れなコルドちゃんが本当に、心の底から大好きなの♥」
傷付き涙ぐむ顔に、
「鋸で切られた汚い疵痕だけ残されて捨てられた可哀想な子」
恍惚感を覚え、
「コルドちゃんはね、誰にも愛されないの」
もっと、
「養子の件だって、この疵痕を見てみ~んな厭がったのよね?」
もっと、
「赤ちゃんのときに親が首を切って殺すような子だもの。誰もが嫌って当然だわ」
見たくて、
「コルドちゃんは賢いから、ちゃあんと自分でわかってるのよね?」
堪らなくなる。
「私だけがコルドちゃんを愛してるの♥」
コルドを傷付ければ傷付ける程、
「好きよ? 大好き。コルドちゃんが好き♥」
リシュエンヌは恋い焦がれるように、
「可哀想だから、愛してあげる♥」
酔い痴れるように、
「私だけの可哀想なコルドちゃん♥大好き♥」
コルドに夢中になってのめり込んで行った。
コルドがいないと、コルドへ毒を囁かないと、コルドを傷付けないと、コルドの疵痕を触らないと、コルドの首を絞めないと、その情緒が安定しない程に。
コルドの養子縁組の話を聞き付ける度、それらの話を全部ぶち壊してやった。コルドがどこかへ行ってしまうなど、絶対に嫌だったから。
やがてコルドがリシュエンヌに抵抗しなくなり、大人しく首を絞められ、アイスブルーの瞳から段々と光が消え、表情が無くなっても――――
そのことでさえも、リシュエンヌには愛おしくて堪らなかった。
無表情な顔が苦痛に喘ぎ、咳き込み、涙を流す。とても綺麗なのに、酷く醜い疵痕のある、愛しい愛しいお人形。
そんな風に、リシュエンヌがコルドと遊んであげるようになってから二年程立ち――――出逢ってからずっと口を利けなかったコルドが、やがて言葉を話せるようになった。
その声は、可愛い顔には似合わない、少し低めの掠れたハスキーな声。
ざらついた、少年のような可愛くない声ですらも、可哀想で愛おしい。
そしてリシュエンヌは、
「ねぇ、コルドちゃん。私との秘密を誰にも言っちゃ嫌よ?」
喋れるようになったコルドへ、
「最近、コルドちゃんに妹ができたのよね? 確か、ステラちゃん……だったかしら? 耳の聴こえない、可哀想な女の子なのよね? コルドちゃんの代わりに、一緒に遊んでみたいわね♪」
口止めをする。コルドの代わりに、可哀想な義妹と遊ぶことを示唆して。
「でも、もちろん私が一番に大好きなのは、可哀想で可哀想で可哀想で可哀想なコルドちゃんだから、安心してね? 変わらずに愛してるわ♥コルドちゃん」
けれど、他の可哀想な子がいたとしても、リシュエンヌの一番はきっと変わらない。
「愛してるわ♥愛してるの♥私よりも惨めで可哀想なコルドちゃんが大好き♥」
新しい義妹の為に口を噤み、リシュエンヌにその身を差し出す、綺麗で健気で優しくて、酷く憐れで、とても可哀想なコルド。
――――そんな、楽しくて愉しくて、愛おしくて、堪らなかった日々に、ある日突然、
「っ!? なにしてるのっ!?」
横槍が入った。
「コルドちゃんっ!?」
後輩の娼婦が、
「やめなさい、リーシュっ!!」
生意気にもずかずかとリシュエンヌの部屋へ無断で入って来て、
「退いて!!」
怖い顔をしてリシュエンヌを突き飛ばし、
「コルドちゃん、大丈夫っ!?」
リシュエンヌの、大好きで大好きで堪らないコルドを奪って部屋から出て行った。
それからリシュエンヌは、コルドと会わせてもらえなくなり、酷く寂しくて辛い思いをした。
そして――――あの日。
リシュエンヌは、娼館の中にコルドが来ていることを知った。そうしたら堪らなくなって……
ずっと、ずっと直接会うことを、遊ぶことを、毒を囁くことを我慢していたリシュエンヌは、コルドを見付けるなり自分の部屋へと連れ込んだ。
華奢で、子供にしては低い体温の身体を強く抱き締め、首に巻かれたスカーフを剥ぎ取り、襟のボタンを外し、晒け出した疵痕を優しく撫で、
「あぁ、あぁ♥コルドちゃんっ!? コルドちゃん♥コルドちゃん♥大好き、ずっとずっと会いたかったの♥♥♥会えない間、ずっと寂しくて寂しくて寂しくて寂しくて寂しくて、会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて堪らなかったの♥コルドちゃんも寂しかったでしょ? コルドちゃんを好きな人なんて誰もいないものね♪コルドちゃんを愛してあげてるのは、わたしだけなんだから♪あぁ、大好きよコルドちゃん♥コルドちゃん、愛してるわ♥」
白く細い首に這わせた手に、思わずぐっと力が入ってしまった。
「っ!?!?」
コルドの苦しげな顔、ヒューヒューと掠れた呼吸、赤く染まる顔、喘いで潤むアイスブルーの瞳。
その全てが愛おしくて、うっとりとコルドの顔を眺めていたら――――
「………………」
くたりと、コルドの身体から力が抜けた。
「…………え?」
閉じたアイスブルー。赤くなっていた顔は蒼白で、薄い唇の端からは唾液が垂れている。今まで苦しげに喘いでいたのに、喘鳴が急に途絶えた。
「どう、したの?」
いつもなら、手を弛めた途端に苦しげに咳き込むのに。それどころか、今は――――
「…………コルド、ちゃん?」
薄い胸が、上下すらしていない。
「ぅ、そ……コルドちゃん? 起きてよコルドちゃん、ねぇ、嘘でしょ? コルドちゃん?」
絞めていた首から手を放し、その華奢な身体を揺するが、その胸は上下せず、アイスブルーの瞳は閉じたままでピクリともしない。
細い首に残る手形。だらりと投げ出された手足。上下しない薄い胸。蒼白な顔。半開きの唇。
リシュエンヌは、頭が真っ白になった。それからの記憶は、断片的にしか覚えていない。
ただ、酷く不愉快なことがあったのは確かだ。
あの生意気な後輩が、リシュエンヌからコルドを引き離した女が、リシュエンヌからまたコルドを奪った。あの女……ローズがリシュエンヌのコルドへキスをして、それが酷く腹立たしくて、許せなくて許せなくて許せなくて――――
気が付いたらリシュエンヌは、カーラの娼館を追い出されていた。
無理矢理外に引摺り出されて……
「ハッ、いい気味ね。ほら、アンタの荷物よ。わざわざ詰めてあげたんだから有り難く思いなさい」
と、リシュエンヌの荷物の入った鞄が放り投げられた。憎々しげな目でリシュエンヌを睨むのは、コルドと会えない間にその代わりに遊んであげていた後輩の娼婦。
「ああ、それと、高価な物は今までの慰謝料として貰っといてあげるわ。それと…………」
女はリシュエンヌを見下すように笑い、
「リーシュが今日で高級娼婦を辞めたわっ!!!! 直ぐにでも辻に立つみたいなの!! 可愛がってあげてください!! よろしくお願いします!!」
大きな声で言った。
「え?」
「それじゃあリーシュ、もう二度と高級娼婦には戻れないけど、せいぜい頑張ってね♪」
ニヤニヤと嗤って、娼館へと戻って行った。
高級娼婦は、国の管理する娼婦。一度でもその辺の男に抱かれれば、私娼となる。そして、二度と高級娼婦と名乗ることが許されなくなる。
「…………リーシュが……?」
低く卑しい声がして、
「なぁ、幾らだ? リーシュ」
ギラギラとした目付きの男達に、
「ひっ!?」
裏路地へと連れ込まれ――――
※※※※※※※※※※※※※※※
それからのことは、思い出したくもない。
最初、カーラの娼館を追い出されたリシュエンヌを囲ってやると言う男は、何名もいた。貴族や裕福な男性達。
けれど、囲ってやるという言葉が気に食わなかった。リシュエンヌを、憐れむ顔が特に。
だけど、貴重品を奪われたリシュエンヌは、一夜の宿にも困っていたから――――
だから仕方なく、男性の家へと行った。
けれど、暫くするとリシュエンヌは男達の家から追い出されてしまった。
あるときは男性の奥さんや娘、家族の手で。またあるときは、リシュエンヌを望んだ男性自身の手に拠って。「この人でなし!!」「毒婦が!!」という風に、リシュエンヌを罵倒して。
男達の家を転々としていたが、やがてリシュエンヌを囲ってやると言う男はいなくなり――――
渋々装飾品やドレスを売って暫くは凌いだが、その金も直ぐに尽きてしまった。
高級娼婦でいられなくなったリシュエンヌは、一夜の宿にも事欠くようになった。
そして、それまで相手にしていた貴族や裕福な商人といった紳士的な男性達でなく、今まで関わって来なかったような、粗野で下品で卑しく、見窄らしい身形の男共の相手をさせられることになった。
男と一緒でなければ宿へ泊まることすらできなくなった。風呂へ入れなくなった。服の着替えが無くなった。食べ物を買うのも困難になった。
男に媚びなければいけなくなった。
今まで、リシュエンヌは常に選ぶ側だった。それが、選ばれる側へとなってしまった。
やがてリシュエンヌは、食べ物を得る為に、その日一日を生きる為に男の袖を引くようになった。
それら全てが、酷く耐え難いことだった。
辛くて辛くて堪らない。
どんなに惨めな気持ちになっても、嫌で嫌で堪らなくても、身体は勝手に空腹を覚える。
日は沈み、また朝がやって来る。
そうしてリシュエンヌは、男の袖を引く。
そんな日々が続いたある日――――
狭い路地付近を歩いていたリシュエンヌに、訛りの強い英語で東洋人が話し掛けて来た。その男はニコニコと胡散臭い笑顔で、煙管を勧めた。
「吸うとハッピーになれる。これ。おねーさん、ツラそうな顔。でも、美人だからタダでイイ。イヤなこと。ゼンブ、忘れられる」
嫌なことが、全部忘れられる――――
その言葉に、フラフラと紫煙を立ち上らせる煙管へと、手を伸ばした。
※※※※※※※※※※※※※※※
煙管からくゆる紫煙を呑み、重苦しい曇り空をぼんやりと見上げ――――
やがて、日が暮れる。
暗くなって来たら、また男の袖を引きに行かなくてはいけなくなる。夜を過ごし、少ない対価を受け取り、また朝が来る。
そして、ぼんやりと空を眺める。
そんな日々を繰り返し――――
いつもの道すがら。薄汚い路地裏。
最近はなんだか街がざわついている気がする。
なんでも、有名な業突張りの高利貸しや浮浪者が殺されたのだとか。
高利貸しが殺されて、借金を返さなくて済むと浮かれて騒いでいる連中がいる。
化け物がどうとか、新聞にも載っていた。
けれど、そんなどうでもいいことなんかより――――
とある娼婦は、考える。
一体、なにがいけなかったのかしら?
私はなにも悪くない。絶対に悪くない。
なにも悪くない筈の私が、なんでこんな惨めな目に遭っているの?
いつもの自問自答。答えは無い。
悪いのはあの女なのに!
全部全部、リシュエンヌから大好きな大好きなコルドを奪ったあの女のせいだ!!
あの女のせいでリシュエンヌはこんなにも惨めで耐え難い生活をしているというのにっ!?!?
嫌な気分になると、あの綺麗なコルドの顔が苦痛に歪む姿が堪らなく恋しくなる。
けれど、あのカーラの娼館には戻れない。
もう、コルドへ猛毒を囁くことができない。もう、あの細い首を絞めることはできない。
だから、嫌なことを忘れる為、稼いだ少ない金を握り締め、フラフラとした足取りで阿片窟へと向かっていると――――
「……手伝ってくれたら阿片を融通してやる」
と、男が、まだ話の通じる阿片中毒者へと話しているのが聴こえた。
阿片。阿片。阿片、阿片、アヘンアヘンアヘンアヘンアヘンアヘンアヘンアヘン………………
それは、嫌なことを忘れる為に必要なモノ。
「なにをすれば、阿片をくれるの?」
※薬物は絶対駄目です。
読んでくださり、ありがとうございました。
ヤバい女のヤバい半生でした。
こんなん書いておいてなんですが、メンタルはヤられてませんか?大丈夫でしょうか?
そして、とりあえずはこの話で一旦完結にしますが、話を思い付いたら、こっそり増えているかもしれません。黒髪の彼の話とかを書けたら、なのですが・・・