前日譚。少々実験をさせてくれないか?※グロあり。
暴力、グロ、流血注意。
不快に思う表現があります。
※ネタバレを含みます。
気付いたときには彼は、独りだった。
彼に親は無く、頑丈な石造りの、暗く冷たい牢の中に独りでいた。
月に二、三度投げ込まれる、冷たくて血の気が全て抜けたソレが、彼へ与えられる餌だった。
彼は最初、ソレを食べることが厭で厭で堪らなく、ソレを拒否した。
しかし、何日もソレを食べないで飢えに耐えていたら、彼の主を名乗るモノが現れ、その瞳を淀んだ血の色に輝かせて彼に「喰え」と命じた。
すると、彼の思考に霞が掛かり、彼の意志とは無関係に身体が動いて……
彼は、ソレを喰っていた。
それからの彼は、身体と意志とが解離した状態で、記憶がとても曖昧になってしまった。
牢の中でぼんやり過ごし、投げ込まれる食べたくない餌を、主を名乗るモノに無理矢理処理させられて、無為に日々が過ぎて行った。
ところが、彼のそんな日々は唐突に終わりを告げることとなった。
主を名乗るモノが死んだという報せと、
「無事かっ!? ……お前っ……喰った、のか? いや、喰わされて……っ!」
という低い声と共に――――
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「お前、名前は?」
くすんだ金髪に緑灰色の瞳の、とても長身の男が、彼を牢から出して聞いた。
「……人狼の、ガキ……」
彼は、主と名乗るモノが彼を呼んだ言葉を答えた。久々に喋ったので、掠れた声で。
「それは、種族名だ。名前も無い、のか……?」
「?」
彼には、その長身の男が苦い顔をした意味がわからなかった。
「血に狂った同族は…………すまないが、助けてやれない。俺を恨んでくれて構わない」
緑灰色の瞳が、憐れむように彼を見下ろす。
「?」
しかし、彼には憐れまれる意味もわからない。男が苦い顔で腰に帯びた剣へ手を掛けたとき、
「エレイスの若君」
女の声がした。
「! なんだ、人魚」
「その子供を手に掛けることを躊躇うならば、少々実験をさせてくれないか?」
男の格好をした小さい女。
「実、験? ……回収はもう済んだのか?」
「ああ。感謝する」
「……なにを、するつもりだ?」
男が警戒するように女に聞いた。
「××を喰えなくしてみようと思ってな? そうすれば、手に掛ける必要もあるまい」
アクアマリンの瞳を煌めかせ、女が言った。
「……せめて、コイツに決めさせろ」
「ふむ……それも道理。では、人狼の子よ」
女が彼を見下ろし、聞いた。
「君は、外を見たいと思わないか?」
「そ、と……?」
彼は、頷いた。
「では、実験をしよう」
女が、にっこりと微笑んだ。
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数日後。彼は、地獄を見た……
彼は、理性が飛ぶ程に飢えさせられた。そして、その彼へと女が白い腕を差し出した。
彼は彼女の腕へ喰らい付き、彼女は彼の身を刻みながら、彼へと刻み込む。
「お前は人間を喰らうことができなくなる。お前は、人間を喰えない。お前の身体は、人肉を受け付けない。胃が受け付けなくなる。口へ入れると、吐き出してしまう」
美しい魔性の声が、彼の心身を侵すように、痛みと共に深く深く染み込んで行く。
彼は彼女の白い肌を血塗れにし、彼女は彼を自身の血と彼の血とで染め上げ――――
体力が尽きては気絶し、血の匂いで目を覚まし、彼女へ喰らい付いては、その身を刻まれる。
何度も何度も繰り返される赤い地獄の苦痛。
やがて彼が正気に戻ると、彼女は愉しげに笑っていた。とても愉しそうに……
「ふふっ、フハハ、アハハハハハっ!? 成功だっ! アハハハハハハハハつ!!!!」
狂気を感じさせる、血に染まった美しい笑顔。爛々と輝く、酷く無邪気なアクアマリンの瞳。
そして――――
「よく頑張ったな?」
低いハスキーな声がした。
「?」
ぼろぼろになった彼を抱き留めてくれたのは、とても大きな男。深緑の瞳が彼を見下ろし……
「相っ変わらず、エグいことしやがる。ンで、アンタがそこまでする理由はなんだ? 下手すりゃ、どっちかが死んでたぞ」
落ちる瞼の中、男と女がなにかを話す。
「うん? 単に、実験を思い付いたからだ。特に理由は無い。その子供が死んだら……また次の機会に実験をしていただろうよ」
「……そうかよ?」
呆れたようなハスキーがして、彼は意識を失った。
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彼が目を覚ますと、血を落とした女と長身の男がなにかを話していた。
彼も、血が綺麗に洗い流されたようで、銀灰色の毛並みがふさふさしている。
「ところで、人魚の」
「なんだ? エレイスの頭領殿」
「暫くは、俺もアンタ達に同行させてもらう」
「成る程。経過観察、か。では、宜しく頼もう」
「応。それで、この子の名は?」
彼が起きたことに気付いたのか、深緑の瞳とアクアマリンの瞳が彼を見下ろした。
「ふむ……確かに、名が無いのは不便だな。では、今日から君の名は……盾だ。私の盾になるがいい。君が飽くまで、付いておいで」
こうして彼は名前を手に入れ、彼を救った彼女に付き従うこととなった。
読んでくださり、ありがとうございました。
とある狼さん達でした。