いつか、逢いに行こうと思っている。
ローズねーちゃんに会いに行くと――――
「コルドちゃんっ! 心配したんだからっ……」
少女めいた妖艶な美貌がくしゃりと歪み、ぎゅっと柔らかくて熱い身体に抱き締められる。
「……うん。ごめん、ねーちゃん」
ぽろぽろと落ちる熱い雫。
「コルドちゃんが、無事でっ、よかったっ……」
強く、強く抱き締められる。
「コルドちゃん……コルド、ちゃんっ……」
やがてそれが、大きな泣き声に変わり――――
「心配かけてごめんね」
ねーちゃんが泣き止むまで、謝りながらずっとその背中を撫で続けた。
「……コルドちゃん……余所の家の子になっちゃう、のよね? ……ホリィちゃんと、二人で……」
泣き腫らした顔の掠れた声がぽつんと言った。
「……遠くに、行っちゃうって……聞いたわ」
「……うん。ごめんね? 嘘に、なちゃった」
大きくなったら、ローズ……ロザンナ姉ちゃんの家族になって、一緒に暮らすという約束。
「コルドちゃんの、嘘吐き」
達成されるとは思っていなかった、ロザンナ姉ちゃんが望むからと、した約束。
けれど、いつかは……と、多分、ロザンナとオレが期待していた淡い約束。
「うん……ごめん」
「人気ナンバーワンのこのローズを袖にするなんて、コルドちゃんったらホントいい度胸してるわ」
「…………」
「だから、あたしの大好きなコルドちゃんは、絶対に幸せにならないと、ダメなんだから」
くしゃりと、涙に濡れた泣き笑いの真っ赤な顔が子供みたいに微笑む。
泣いて泣いて泣いて、ぐしゃぐしゃの顔でも、やっぱりロザンナは綺麗だった。
「大好きよ。愛してる。コルドちゃん」
落とされた熱い唇は、涙の味がした。
「オレも。愛してる、ロザンナ」
「ふふっ、コルドちゃんったら、ホっント…………男の子だったら、結婚したかったわ。絶対、絶~対、すっごくいい男になっただっただろうなぁ? 女の子なのが、残念なくらい」
「……ねーちゃん、やっぱり幼児嗜好?」
「ふふっ、冗談よ。コルドちゃんは、女の子でもすっごく可愛いわ。そ・れ・と、あたしはコルドちゃんが、大好きなだけよ? 何度も言わせないでちょうだい。愛してるわ。あたしの、大好きで大好きで堪らない……コルドちゃん」
※※※※※※※※※※※※※※※
『コルドの手、ずっと冷たいね。いつもよりも冷たいかも。寒いの? 大丈夫?』
ステラの言葉に、ドキッとした。
「っ……」
「?」
『どうかした?』
首を振る。
いつもより、冷たい……か。
元々体温は低めな方だったんだけどな……?
オレは、やっぱり変わったのかな?
まあ、最初に会ったときにシンが水を不味いと言っていた気持ちはわかったけどね。
水が美味しくない。けれど、喉が渇く。
水を飲まないと、身体が乾燥する気がする。
あぁ……うん。やっぱり、変わってるわ。色々。
変わったことが、寂しい。
変わらないといけないことが、寂しい。
離れないと、いけない。
けれど、変わらないことを選べない。
離れないことを、選べない。
「…………」
『貧血なのかも』
『それじゃあ、ご飯沢山食べないとね』
にこりと微笑むステラ。
『そうだね』
オレとホリィがこの家を出ることを決めてから、ステラはずっとオレの傍にいる。
スノウはホリィにベタベタとくっ付いている。
そのスノウは、「コルドのバカっ!? あたしからホリィをとらないでよっ!? 大っ嫌いっ!?」と、すごくオレに怒って泣き喚いて後から、全く口を利いてくれない。
ウェンは変わらず針仕事。けれど、近くに寄っても邪魔だって言わない。運針の手を少し緩めて、オレの話に付き合ってくれる。
レイニーはあれこれと気を付けないといけないことを滔々と語る。
掏摸、詐欺、誘拐などetc.……
何度も何度も、気を付けろと繰り返す。そして、同じ話がループしてる。
心配性というか、なんというか……
「……おい、聞いてンのか? チビ」
「はいはい、聞いてるよ。レイニー」
適当な返事をすると、レイニーが真剣な瞳でオレを見下ろしていた。
「……お前さ」
「なに?」
「いいとこの家に貰われンなら、そろそろその喋り方やめとけ。もう、俺って言う必要も無ぇだろ」
「ま、追々ね」
「追々じゃなくて、さっさと直しとけ」
「レイニーがそれ言うかな?」
オレが、オレと……男っぽく喋るようになったのは、レイニーがそうしろって言ったからだ。「観れる面なんだから、女の格好で歩くな」「近所のガキ共に舐められない態度を取れ」「やられたらやり返せ」「変な奴には絶対近寄るな」などなど……
色々なことを、レイニーが教えてくれた。
なんだかんだで、面倒見がいい。
口も態度も、ついでに手癖も悪いけど……
弱い者虐めが嫌いで、オレやステラ、ウェンが誰かに虐められてたら、ホリィと二人でいつもそういう奴らをやっつけてくれた。
「だからだ。困ンな、お前だろ。チビ」
「大丈夫だって」
どうせシンも、普段は男の子の格好だし。
オレが似た格好で、男みたいな口調で話してたって気にするような奴じゃない。
「大丈夫じゃねぇっての。俺のせいみてぇじゃねぇかよ。お前が、女らしくないのが……」
顔を逸らし、ぼそぼそと呟くレイニー。
「別にレイニーのせいじゃないよ。というか、レイニーのお陰だよ。オレがオレなのは」
いつも、守ってもらってたから。
オレは多分、レイニーに憧れてるんだ。レイニーは、格好いいオレの兄貴だからね。
格好いいレイニーの真似……になるのかな?
「は? 意味わかんねぇし」
「いいよ。わかんなくて」
「?」
「それよりさ、手紙書いてよ。レイニーも」
「あ? なんで俺が」
「ちゃんと読めるように書いてね?」
「誰が書くかよっ……」
「?」
『レイニー、どうかしたの?』
『手紙書いてって、お願いしたら断られた』
『ああ、悪筆』
『実は割と気にしてるみたいなんだよね』
『知ってる』
クスクスとステラが笑う。
「おいチビ、お前なに言った?」
「レイニーが手紙くれないって」
「お前が代わりに書けよ。ステラ」
と、言ってオレの手を顎で差す。
通訳しろ、と。
『レイニーが、ステラが代わりに手紙書けって言ってるんだけど?』
ステラがまたクスクス笑い、指を滑らせる。
『レイニーがなに言ってるか判ればね?』
「レイニーがなに言ってるか判れば、代わりに書いてもいいってさ?」
「っ……」
「ま、楽しみにしてるよ。レイニーの手紙」
「知るかっ!」
ぷいっとそっぽを向くレイニー。
「書かせるから楽しみにしてろ。コルド」
珍しく笑みを含んだ低い声。
「なっ、勝手に決めンなウェンっ!?」
兄妹のやり取りに、クスクスと笑う。
ウェンはさ、お父さんみたいって言ったら怒るかな? レイニーとそう変わらない年齢なのにね。
なぜかウェンはお父さんだ。
ステラは可愛い妹で、オレの親友。
スノウは……クソ生意気で手の掛かる妹、かな?
こうして、惜しむように数日間を過ごし――――
オレとホリィは家を出た。
※※※※※※※※※※※※※※※
会えないのは判り切っている。
ステラとロザンナは筆まめで、ちょくちょく手紙を送ってくれる。
ウェンは偶に。
スノウも、あれから字を覚えたらしく、ホリィへの手紙が偶に来る。
オレには、数年に一度くらい。
そして、更に頻度が少ないのが悪筆な手紙。
手紙を貰ったら、なるべく返事を出そうとは思っているんだけど……
近況は……書けないことばっかなんだよなぁ。
見た目が……ホリィは、十五、六歳くらいの少年に成長している。ホリィも、人間を逸脱した成長速度。けど、オレの見た目は、あの頃から然程変わってない。十一歳前後の見た目だ。
場所を察せられるのも困るし。そんなこんなの事情で、ステラとロザンナが、もっと手紙を寄越せと拗ねるくらいには、手紙を出せていない。
なんて書こうか……なにを書いていいのか、毎回すごく悩む。こうして悩んでいる間に――――
「リア、手紙来てるよ? また、家族から」
と、手紙を持って来たのは、オレをリアと呼ぶようになった神父服の眼鏡。薄味な顔の。
「ありがとう、ライ」
「どう致しまして」
手紙を渡すついでとばかりに、屈んだライが頬へキスを落とす。
「……ライ、さん」
ライを、じっとりと見上げるホリィ。
この二人は、仲が悪い。なぜかホリィはライを敵視していて、ライはホリィを嫌っている。
そしてシルトとシンは、それに我関せず。
「ふっ……やあ、ホーリー。いたんだ? 全く眼中に無かったよ」
「……その眼鏡、度が合ってないんじゃない? そろそろ老眼鏡に変え時とかさ? 年だもんね? おじいちゃん」
「ああ、ご心配無く。ボクの眼鏡、伊達だから。なんなら、裸眼になってあげようか?」
ニヤリと笑うライに、
「っ!」
ホリィが怯む。
ライの魅了、男によく効くからなぁ。
「欲しければ、キスもあげるけど? エナジードレイン付きのやつ」
「い、要らない!」
そしてホリィは、いつも負けている。
前にライにキスされてへばってたし。
いい加減、噛み付くのやめればいいのに。
「コルドっ」
「リアの後ろに隠れるんだ? 男らしくないな……あ、それはずっと前からだったっけ? 君はずっと、リアを守っているつもりで、ず~っとリアに守られてたんだからさ」
オレを盾にしたホリィを見下すライ。
「ライ」
「だってホントのことでしょ? リア」
ライはオレを可愛がってくれるが、男にはなかなか辛辣だ。反撃もさせない。
「ま、そんなことはどうでもいいけど、リアは益々シン様に似て来たね。綺麗だよ」
「そりゃどうも」
オレの容姿は、少しだけ変化した。まあ、家族と別れた頃からそう変わってはいないけど。
ただ、髪の色が変わった。くすんだ金髪だったのが、シンと同じ蜂蜜色のハニーブロンドに。そして、どうやら人魚の特性というべきか――――
ライ同様、男を魅了している……らしい。オンオフの利かない常時魅了というやつだという。
女の子の格好が、前よりもできない。
まあ、それは別にいいけどね。男の格好のしてンのは楽だから。
面倒なのは、一人で出歩けないことだ。
人魚って、不便だ。よく倒れる。
人魚に成ったオレは――――
直射日光や暑さ、空気の乾燥に弱くなった。すぐに喉が……皮膚が渇いて辛くなる。
なのに、ある程度発展している街の水が不味い。
そして……前に一度、一人で昼間に出歩いてみようとしたが、宿の玄関先でへたばった。
夕方や朝方、夜は平気なんだけど。
まあ、案外不便だが、後悔はしてない。
「あんまり、コルドに馴れ馴れしくしないで……」
ぎゅっと背後から腕が回された。
「ヤだな? 君の許可なんて必要無いだろ」
鼻で笑うライ。
「ね? リア」
「どうでもいいが、喧嘩するならオレを間に挟むな。毎度毎度、ウザい」
「っ……」
「リアって、やっぱりシン様に似て来たよね」
ぽっと嬉しげに頬を染めるライ。
なんというか、ライは邪険……とまでは行かないが、シンやオレにぞんざいに扱われるのが好きらしい。
出逢った頃から……変わってない。
なんでも、自分の魅了が嫌いらしい。だから、ホリィで遊んでいるのかもしれない。
「…………」
「ああ……そんな風に醒めた目でボクを見やるリアが大好きだよ?」
「……変態が」
「ホーリー、そんなにキスが欲しいの? いいよ? 仲直りの印に、熱烈にしてあげるよ」
にこりと、眼鏡を外すライ。鮮やかなエメラルドがゆらりと煌めく。
「コルドっ、なんとかして!」
そして、自分で喧嘩を売っといてオレに頼るホリィ。最近、いつもこうなんだよなぁ。
「うん。暫く黙ってろ?」
「「っ……」」
二人して黙る。人魚の声とやらだ。
男には案外強制力が働いて便利だ。喧嘩を止めるときなんかには、特に。
「さて、静かになったことだし……手紙読もっと」
返事には苦慮するが、手紙は純粋に嬉しい。
いつか、逢いに行こうと思っている。
もう少し年月が経って、この然程変わらない姿でも違和感が無くなるときまで待って――――
コルドの子供や孫という体裁でいつか、大好きな人達が生きている間に、ね?
それまで、楽しみに我慢しよう。けど……
「返事、どうすっかなぁ?」
読む前から頭を悩ませ、けれど嬉しくて……わくわくしながら手紙の封を切る。
読んでくださり、ありがとうございました。