七話
どうもこんにちは、長元坊です。
1ヶ月を目処に更新する予定でしたが間に合わず今日になりました。
ほぼ毎日更新されてる方は本当にすごいと感じます。
前回起業するために打った布石について説明しようと思う。
起業するための布石と言ったが、実はもう企業を立ち上げていた。
僕の事をよく知る退役軍人を使って起業したのだ。
日露戦争で巡洋艦強奪作戦を行った将兵たちである。その中で、負傷し予備役または退役した者たちの協力の下、起業した。
起業した場所は三重県・香川県・広島県・大分県・長崎県である。
また、各県の地名を使って起業している。
何故この立地にしたのか、その理由は大きく3つある。
第1に、海沿いであること。
第2に、前項がリアス式海岸または良港になる条件が整っていること。
第3に、陸海軍の工廠に遠くないこと。
としている。(実際は過去・現在の中堅・大手の造船メーカーが存在している海岸に作った)
これに伴って近くに存在した土地と漁船の修理場等を買収。
土地調査した後、工場と船台及びドック建設をする予定だ。
工場設備がすべて整うまでの数年の間は、大型の木造漁船や鉄張り船、鉄筋を使った木造船などでノウハウを稼ぐつもりである。(もちろん漁村や民間向け)
詳細は以下の通りである。
三重県雲出村(現在の津市)の海岸。
香川県詫間村(現在の三豊市)の海岸。
広島県佐江崎村(現在の三原市)の海岸。
大分県下ノ江村(現在の臼杵市)の海岸。
長崎県黒瀬村(現在の西海市)の海岸。
各地域の企業の上に立つのは松浦商会という企業である。この企業もまた露巡洋艦強奪作戦に参加した将兵で構成しており、また代表には同作戦で暗躍した海軍出身の松浦次郎さんが就任した。
松浦次郎さんは作戦中敵兵に攻撃され負傷した将兵でその負傷が元で名誉の退役をされた人なのだ。
上記の事は置いといて下記に工程を載せる。
1911年 起業と共に各地域の土地の買収を始める
1912年初頭 早い所は土地調査が終了、造成を始める
1912年10月20日 早い所は付属の金属加工工場が完成
1914年1月末 早い所は2つで1セットの船台が完成、第1ドックは半年後に完成予定
1915年 遅い所はこの年末までに第1ドック完成予定
上記のように各造船所に2つの船台と1つのドックを作るまでが第一期工事計画である。
この事業をするに当たり、各地域の銀行から総事業費の1~2割程度の資金を借り入れている。
取引には
三重県 雲出造船所→百五銀行
香川県 詫間造船所→百十四銀行
広島県 佐江崎造船所→六十六銀行、百四十六銀行
大分県 下ノ江造船所→ニ十三銀行、百九銀行
長崎県 黒瀬造船所→十八銀行
である。
1910年前後の日本経済は停滞気味だったということで銀行側の反応は余り良い感じではなかったが、粘り強い説得と担保代わりの金塊を見せるとしぶしぶ融資に貸してくれた。
なお、なぜ旧国立系銀行にしたのかというと、どうせ昭和に入ってから一県一行政策がされるのだから生き残る確率が高い銀行にしておいた方が良い、との考え方から来ている。
(どんなに小さくても銀行業者を自分の企業グループに入れれば経営地盤が固くなるとの事。本当の狙いは、企業グループ化。)
造船所の建造期間がバグってますが、そこはご愛嬌ってことでお願いします。
(そうでもしないと第1次世界大戦に間に合わないんですよね。)
近日中に文字数の少ない次話を載せようと考えています。