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第四話

どうも長元坊です。

前回の高等小学校or中学校編予告…アレは嘘だ!!

というわけで今回は設定を書いてきました。

 前回、色々な事に頭を突っ込んだので、一部その解説をしようかと思う。


 新聞の論評に関しては1905年の年末、一年を振り返る記事に、日露戦争の中身・各戦場の簡単な解説と軍の動きに対する批評を掲載。(ただし、解説はするものの新聞社の主張がそのまま民衆の意見にならないよう批評は最低限にした。)


 一方的に戦意などを上げる記事は新聞の役割ではない。新聞のモラルの習熟度が進まなければ民度も向上しない。

 史実でも日本の民度が高いと海外から言われるのはごく最近で、昭和の経済成長期は海外旅行に行った日本人観光客の評判は良くなかったとされている。(モラルの向上のきっかけは1964年の東京オリンピックとの声もある)



 河内型戦艦の改良点は、主砲の口径を45口径砲に統一したこと、ドレッドノートと同じような主砲配置にしたことである。

 これにより、主砲が一基減ってしまったが、そのスペースを活用した結果一門当たりの弾薬が増えることになり、時代の流れに乗るようにしたのである。

 しかしこの時代、砲塔の旋回速度がまだ遅い為挟み撃ちをされると砲塔旋回に時間がかかり、結果砲門が一基減ることによる弾薬投射能力が下がるという欠点がある。

 早く蒸気力ではない機械化の時代が来ないかな?



 上記の河内型戦艦の開発に当たってドレッドノートより少し遅く完成した薩摩型戦艦の扱いに関しては一番艦でネームシップの薩摩は海外へ売り飛ばし、二番艦の安藝は売らずに戦力化した。

 というのも薩摩は従来の機関であるレシプロ機関を積んでいた為に足が遅い。だが安藝は蒸気タービン機関を積んでいるから最大船足20ノットを記録した。

 当時の20ノットというのはとても速い部類に入るので、この優速を活かして第一次世界大戦を乗りきってもらう予定だ。(その後は未定、多分廃艦)



 赤毛米は明治40年(1907年)頃には北海道内で8割を占めていたという。

 そんな寒冷地で出来た稲を東北で活用しないわけがない。赤毛米の飼育方法は普通の稲と少し違い、苗が育ってから水田に植えるではなく、種を直接田に蒔く直播を行っていた。

 その為、東北の米農家は北海道の米農家から指導を受ける必要があったので余裕のある農家の次男三男坊を指導に来てもらった。

 大正時代になってからは陸羽132号を進めようと思うが急に全ての品種を入れ換えることは出来ないため、しばらくは両種混合体制になりそうだ。



 日本刀を宮本包則さんに作ってもらった件だが、月山貞一さんに比べて質実剛健に仕上がるということである。

 また、宮本包則さんには後継者がいない。弟子は取っていたものの師から受け継ぐ前に早世してしまった。

 だから小学校を卒業したら意欲のある若者や戦傷軍人を紹介したいと考えている。



 ニホンオオカミの件については、捕獲願いを出してから一年で雄と雌の両方を手に入れることが出来た。これからツガイにし数を増やしていく予定である。

 その後、北海道のエゾオオカミも絶滅しそうな勢いで減少しているとの話を聞き同じように捕獲願いを出した。(ただし、北海道に拠点が無いため、アイヌの人たちに飼育を委託した)


 それに関連して狂犬病が今後流行っていく傾向にあるので、ルイ・パスツールが1885年に開発した狂犬病ワクチンと同じものを取り寄せて飼育オオカミに接種させている。



 上記が小学校前半の解説、下記が余り説明しなかった高学年時の解説。



 陸軍にモンドラゴンM1908の研究を進めたのは世界でも最初期の半自動小銃の事や利点を理解して貰いたかったからだ。

 史実でも研究用に少数購入してるようだが、最低でも20丁は欲しいな。特に機関部の構造や作動方式を研究して貰いたい。

 ガス圧作動方式は世界でメジャーになっていく方式なので是非実用化にこぎ着けれる技術力を磨いてほしい。



 海軍の扶桑型戦艦の設計に介入したのは、その砲門の数と構造に物申したかったからだ。

 砲門数6基12門……戦艦に大口径砲をたくさん載せたいのは分かるが、これだとトップヘビーだ。それに艦橋の事もある。


 このままだとあの居住性が劣悪な伊勢型戦艦になってしまう。「そんな事はさせない。その大きさを利用した余裕のある設計にして貰う。」

 と考えて介入した結果、

 全長


 主砲 45口径35.6㎝連装砲 4基8門

 副砲 50口径15.2㎝単装砲 16門

  40口径8㎝高角砲 4門

 魚雷 53.3㎝魚雷発射管(水中)

 機関 宮原式ボイラー

  ブラウン・カーチス式蒸気タービン2基4軸


 と主砲の数以外はほぼ変わっていないが、船体中央の艦橋形状の変更、3番4番砲塔を廃したお陰で機関室の配置等のスペースに余裕ができ、後の改装も容易になる可能性が高まった。


 しかし、この案を採用するに当たって海軍艦政本部の人達と衝突、論争した。

 当時の海軍の戦艦は砲門数を10基以上装備したい、攻撃力で海外の戦艦に負けたくない(一理ある)、と駄々をこねた。

 自分の提案した主砲4基8門の設計案を採用しないと頑なに言ってきたため、今上陛下(明治天皇)に泣きついた。

 陛下から勅命が伝えられると艦政本部の上層部は不満げだが、仕様書にゴーサインの判子をしてさっさと消えてしまった。(後の改装で攻撃力が足りなければ主砲を増設出来ると説明したのに)


 因みに恒暖が設計したのは艦の形と煙突・主砲の位置とバイタルパートの概念説明と強化である。(つまり全体の形・仕様だけ書いて後は造船将官にポイーした)


 これにより、扶桑型戦艦の欠点はある程度改善され、史実よりもバランスの取れた戦艦になった。

 バランス比率は

 攻撃力 中(の下?)

 防御力 高 ※甲板防御は進んでない

 速力 中

 となっている。


 だがこの時、これによって悲劇が起こるとは恒暖は思っていなかった…


 3番艦と4番艦(伊勢型戦艦)が史実の扶桑型と同じ仕様になったのは後日談。



 陸海軍の統合運用による兵部省(防衛省)の設置については明治天皇の存命の時は許可が降りなかった。というか議論が脱線したりして進まなかった。

 明治天皇はこの事に憂いて、嘉仁皇太子殿下に情勢をよく見て決めるように遺している。

晩年の年まで明治天皇を頼る(使う)…

主人公結構悪どいですね(笑)


扶桑型戦艦の設定で書けなかった所は

違法建築無し・バイタルパート厚めぐらいですかね。

配置としては

○○○○艦煙○煙○塔

1・2砲 橋 突 物 突 物 3・4砲

となってます。(丸は気にしないで下さい)


伊勢型戦艦の登場は後日書きますが、アレは上層部の暴走です。

ユニコ○ンガ○ダム3号機のフェ○クスみたいな物です。

?? 「つまらない意地で勝手に作った戦艦」

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