第三話
本日三時半頃に第二話を修正しました。
箇所は、
済州島が日本に帰属する場面で、読者様のアイデアにより、
鬱陵島も日本に帰属するという設定に変更しました。
併せて誤字修正も行いました。
恒暖王が小学校卒業までにしたことは多岐に渡る。
一つは、各新聞社の論調に対して冷静な分析を求めた。士気を煽るような記事は、国民の戦争に対しての誤解・無理解を生むと考えたからだ。軍もわかっていると思う。上村彦之丞海軍中将のように家に投石・恐喝・抗議など、されてはたまらないからな。
一つは、河内型戦艦の設計への介入である。ドレッドノートが進水、就役したのが1906年中だ。河内型が計画されたのは明治40年(1907年)、起工が1909年である。日本で最初で最後の弩級戦艦なのだから、日英同盟の名を借りて助言を貰う事が出来る筈だと思い、陛下に奏上した。
一つは、水稲農林一号が出来るまでの間のつなぎとして、北海道の赤毛米を東北地方に流通させる事にした。飼育方法から刈り時までを北海道の農家から指導してもらう。勿論寒冷地米の開発は促進させる。
一つは、武道の鍛練用に刀を作ってもらった。恒暖王は唐手(空手)、柔術、剣術の三つを学んでいた。前の二つは道具を持たなくても良いが、剣術だけはどうしても訓練用の刀と真剣が必要だ。将来軍人になった時の事も考えて発注したのだ。依頼した先は刀匠、宮本包則さん。この人の作った刀は質実剛健に仕上がるという話を聞いたので依頼した。
一つは、ニホンオオカミの保護である。1905年に捕獲された個体が最後の確実な生存情報であるが、1910年までにちらほら目撃や
それらしきイヌ科動物が発見されているため捕まえるのは不可能ではないと考え、生きた個体の捕獲依頼をした。その後狩猟団体が設置した罠で捕獲したのを受け取り、首輪をして広い空間で飼うことにした。本格的に飼育するのは二世のオオカミからである。
これが小学校の前半で行った事である。高学年になってからの事は、
陸軍のモンドラゴンM1908の少数購入して自動小銃の研究や扶桑型戦艦の設計への介入、陸海軍を統合した兵部省の再設置を求めた。
これ等は、ほとんど事で陛下の協力の元に進めた。助言の見返りが欲しいとは思わないけど、これくらいはしても良いよね、と思う恒暖だった。
そして運命の1912年7月30日、今上天皇(明治天皇)が御崩御された。その後日本全体が喪に服すに先だって、先帝が存命の時にある話が行われていた。先帝が死期を悟って遺言書を作るのだが、ある一つの題について話し合われた。賀陽宮第二子恒暖王についてである。出席者は明治天皇、皇太子嘉仁様である。
明治天皇は、
「嘉仁よ、お前にやって欲しいことがある。」
と言った。
「父上、それはどのような事なのでしょうか?」
「賀陽宮恒暖は知っておるな。」
「はい、たまに息子裕仁と一緒に勉強をしたりするのを見かけます。上の学年にいるからか、良く教えに来てくれてますね。」
「朕亡き後、恒暖の面倒を見てくれるか?あやつは、この国に無ければならない存在だ。」
皇太子嘉仁様(大正天皇)は、そう言う父(明治天皇)を見て、弱々しくなった今少しボケ始めているのではないか、と感じながら一方で恒暖が陛下にお願い(助言)して行っている事業があり、日露戦争時の陛下の影には恒暖が影にいた事も知っているので半信半疑でいた。
「面倒は見ます。彼の父である賀陽宮邦憲は1909年に亡くなってますからね。父上に聞きたいのはどの程度の面倒を見れば良いのでしょうか?」
「あやつのする大抵の事は認めてやってくれ。助言も前向きにな。国政・軍事・経済に関しては良く聞きながら物事を進めるように。あやつ自身の事で敢えて言うならば、結婚は好きな者としても良い、職業も軍人以外にしたい事があればやっても良いとな。」
「父上、さすがに譲歩しすぎではないですか?三つの事柄に関わる事ならば理解出来ますが、結婚や職業は理解しかねます。」
「大丈夫だ、問題無い。文通しているのが神社の巫女だという。あやつは第二王子だ。皇族の嫡男以外は華族に臣籍降下するだろう。よって先の二つの問題に不備は無い。」
「それだと他の皇族から反発が来ると思われるのですが。」
「それも問題無い。朕が自ら遺言書に書いておく。口出し無用とな。」
「わかりました。希望の沿うようにやってみます。」
こうして賀陽宮恒暖王の扱いが明治天皇から大正天皇に引き継がれたのである。
そして明治天皇の大喪の礼が行われる期間の間に今上陛下に即位した嘉仁様は、ある夢を見た。
それは大国主命が現れあそばせ、明治天皇の時と同じように話し、消えていったという。
この時、今上天皇嘉仁様の賀陽宮恒暖への半信半疑は確信に変わった。
多分次から高等小学校か中学校編になります。
投稿してから賀陽宮常憲王の話がないので載せたいのですが、いかんせん資料が無いので書きにくいです。
兄弟仲は良好です。
(恒暖が兄常憲に対して甘えるからです。)