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第一話

こんにちは、長元坊です。

部活に勉強に資格と執筆に時間がかかっております。すいません。


>2019年4月30日 加筆修正

 僕は賀陽宮第二皇子恒暖(つねはる)。三歳です。生前は中村暖人として生きていました。

 つい昨日まで熱を出していて、一週間ほど寝てたみたいです。宮内庁の職員やら両親やお付きの武官までもがあたふたしてたみたいですが、僕はこの通りもうピンピンしています。それよりも重要なことは前世の記憶が戻ってきたことです。これに併せて脳内でグーグル先生がいつでも教えてくれるようになりました。

 でも今、もっと重大なことがありました。日露戦争までもう一年をきっていました。史実通りなら負けないので問題無いのですが、被害を抑えたいですね。でもあまり介入しすぎると、おかしな奴とか軍にマークされるのでやめときます。(本格的な介入は日露戦争以後だね)

 なので、僕は戦後のポーツマス条約を有利に進めるための情報を整理することにし、陸軍の大まかな兵器と部隊の編成を考え、海軍関係では、鹵獲の扱いや艦の作りを脳内辞書から引っ張って勉強することにしました。戦争が始まりそうになったら陸軍と海軍の士官には「仲良くしてね」と、念を押して言っておきます。


 開戦まで一年切ってるからか、国際的には良い雰囲気ではないですね。


  約一年後、日露は戦争状態に突入していた。


 1904年2月8日夜、旅順港に日本海軍の駆逐隊が攻撃を仕掛け、戦争の火蓋が切って落とされた。しかし、この作戦は結果的には成功しなかった。ロシア海軍にダメージは与えられたが、味方との連携不足や荒天等が原因で失敗に終わった。


 その後、戦争が経過していくに連れて日本陸軍は海軍の支援を得て次々に上陸し朝鮮半島を北上していった。


 僕恒暖は乃木希典中将に会う機会(勝手に遊びに行った)があったので、後の旅順攻略に役立ちそうな話をしてみた。


「ねぇねぇ、おじさんが"のぎちゅうじょうかっか"ですか?」


「私が乃木希典だが君の名前は?」


「僕は、かやのみやつねはるといいます。今日はおじさんとお話するために来ました。」


「おっ、皇族の方であったか。そうか、でどんなお話をしてくれるのだ?」


「乃木おじさんは軍人でしょ?だからこんどの戦争にも行くのかなって。」


「行くかもしれないが今はまだ命令が来てないから行くことはないぞ。命令が下ったらすぐに行かなければならないがな。」


「だからね、もし行くことになったときのために僕がかんがえたさくせんを説明しにきたの。」


「はっはっは、そうかそうか、どんな作戦なんだ?」


 ここで僕が考えたのは作戦でも何でもなかったが攻略経験を積むのに良いと思った訓練だった。


「ほっかいどうに五稜郭っていうのがあるの知ってる?」


「ああ、知っておるよ。戊辰戦争時において最後に行われた決戦の地だな。」


「五稜郭って西洋式のようさいなんだよね?じゃあそこで攻城戦したら良いとおもったの。」


「そうですか、よく勉虚されとるんですね。」(そういえば、あそこは1897年まで練兵所として使っていたな。こんな小さな子がそこに目を付けるとは将来化けるかもしれんな)


「それでね、まず飛び出てる一角を狙って大砲撃った後に二つか三つに分けた班で同時に一気に攻めるの。」


「これは単純明快で分かりやすい作戦ですな、恒暖王殿。ありがとうございます。これでこの戦争勝ったも当然でしょう。」


「本当?ありがとう!また説明できるようにかんがえてみるね!」


 とこんなやり取りをして帰ってきた。これで旅順攻略戦の戦没者数が減れば良いのだが…


(話した時期は三月から四月の間です)


 ※※※※※※※※※※


「なんという子供だ。いくら皇族方と言えどもあのような教育はまだしていないはず…どうしたらあのように知恵が付くんだ……?」


 と、乃木希典は考えていた。いくら三歳といえど、成長が早すぎると。しかし、あの子が言っていたように西洋式の要塞の攻略方法は今度の戦争に役立つかもしれんな、と感じるのであった。


 この頃の乃木希典は動員令が下ってはいたが、留守近衛師団長というあってないような肩書きで五月末に旅順攻囲戦の指示が出るまで待機命令にあった。


 ※※※※※※※※※※


 そういえば、この時代はまだ脚気が流行っているのをお付きの兵隊さんに教えてもらったので、どうやって麦飯を陸軍の戦闘糧食にするか悩んだ。しかしそこへ思いもよらぬ事が起こった。

 今上帝(明治天皇)からお呼びがかかったらしい。この時に奏上してみようかと思う。

 海軍には敵巡洋艦隊が通商破壊作戦、つまり輸送艦の拿捕、撃沈を繰り返すので早期に蹴散らすことを提案しようと思う。



 そして四月中旬、父賀陽宮邦憲王と共に御所へ参内した。

 だが謁見の間ではなく、縁側のような所に座って話すだけだった。

「賀陽宮邦憲と息子恒暖、参内しました。」


「ああ、参ったか。硬いあいさつは要らんよ。朕はただ話し相手として呼んだのだからな。」


「は、わかりました。しかし、急にお声をかけられるとは、いったいどうされましたか?」


「朕は恒暖と話がしたいのだ。恒暖君、少しいいかな。」


 そう言って陛下はこちらに視線を向けながら話し始めた。




「お主は神の存在を信じるかね?」


「はい、僕は信じます。天照大神や大国主命と呼ばれる神様達の事でしょ?」


「そうだ。そして朕は君の秘密を知っている。これがどういう意味かわかるか?」


 陛下は自分の秘密を知っていると言ってきた。これは僕の出自、立ち位置の事を知っているという事か?しかし嘘は言えないな。というわけで当たり障りのない受け答えをした。


「はい、輪廻に関する事だったら知ってるよ。」


「!、それならば話が早い。今から話すことは戯れ事だと思って聞いてくれ。」


 そうして陛下は僕に質問してきた。


「今度の戦争、どうなると思う?」


 いきなりだな。だが勝つ、と言ってしまうと不確定要素が増えてしまう。どうしたものか。


「結果的には勝つよ。しかし内容は辛勝というべきものになるかな。」


「それはどうしてか?」


「複数の原因があるよ。簡単に挙げると、一つは被害者が多いこと、一つは戦費が膨大過ぎること、一つは賠償金が得られないことだよ。」


「む、その原因は辛勝に響くほどのものだったのか?最後の賠償金は置いとくとして前の二つは朕にはわからんのだが。」


「旅順というところには露の基地があるでしょ?そこを攻めようとするけど敵の守りが強すぎて被害者がいっぱい出るの。機関銃とかで。海では輸送艦が撃沈されるよ、浦塩巡洋艦隊によって。」


「被害者の事はわかった。戦費の事は大体なら予想はつくがどれぐらいかかるのか?」


「約18億円だとされてるよ。陛下もこの金額の多さはわかるでしょ?」


「国の予算の約7年分か…。賠償金が取れないとなると…返せるのか?」


「不可能では無いけど、時間がかかるよ。10年単位で。」


「どうすればいいと思う?」


「敵が降伏した戦場や鹵獲兵器などを終戦条約が結ばれる時までに回収、出来なかったら戦場で放棄された兵器の所有権はこちらにあると主張すれば良いよ。その後第三国に売るよ。」


「それでマシになるのか?」


「兵器と言っても色々あるよ。銃砲から軍艦まで。特に戦艦は高値で売れるんじゃないかな。海から引き揚げないといけないけど。」


「わかった。そうできるように配慮しよう。」


 その後も陸軍兵士の脚気問題や鹵獲兵器の運用、海軍の早期による浦塩艦隊の撃滅を奏上した。



 そして史実通り1905年9月5日にポーツマス条約が結ばれる。内容もほぼ同じもので合意した。ただ戦利品の中には史実に含まれないものがあった…。



 条約が結ばれる5ヶ月以上前、ロシアのウラジオストクに都度都度ある国から人員が送り込まれていた。誰にも気付かれぬよう昼間の活動は皆無で夜になると行動を始める。仮に昼間の活動はあっても中国人商人を装って活動していた。

 3月初めから5月末までの間に計三百人を越える人員が送り込まれていた。彼らは日本の軍属であるが、陸海軍の混成軍である。混成軍は、特殊なある命令を受けておりその遂行のために特殊な訓練を積んだ兵士達からなる部隊である。特殊の意味は現代で言う陸上自衛隊の特殊作戦群だとか警察のSATや海上保安庁のSST、海外ならデルタフォースとかグリーンベレーみたいな感じだ。

 話を戻すが、彼らの目的は敵の軍艦「ロシア」または「グロモボーイ」の強奪であった。何故こんな作戦を考えたのかというと、表向きは敵兵力の確実な削減だが、本音は少しでも戦利品が欲しかったから、というのは内緒である。

 ともかく、そうした理由で彼らは来たのだ。そして闇夜に紛れ、2・3ヶ月の内に集めた現地情報を整理・駆使して7月某日から3日間渡って作戦は決行された。


 全身黒茶の軽装な迷彩服を来て、最低限の武装(拳銃と銃剣、手榴弾)をし、少数の班で手信号を使いながらコソコソとバレないように、時には弾薬庫に隠れ時には湾内を泳ぎ、少しずつ、かつ確実に前進していった。その様はまるで忍者、忍である。その甲斐あって隊員の多くは一等巡洋艦「グロモボーイ」と二等巡洋艦「アルマース」に乗り込むことが出来たが、やはり動く人数が多かったのか、まだ乗船していない少数の班が見つかってしまう。そこで艦内に潜入した隊員達が隠密に乗船している水兵を減らすことで乗船する際の危険度を下げることに成功した。その後、すべての隊員が乗船すると艦内を無力化し、夜の内に出向した。そして混成軍の内、陸軍出身者が艦内のパトロールを行い、海軍出身者で艦を運航する。(足りない部分は補いあった。)

 途中、水雷艇などが追撃してきたが、基地を出る前に一等巡洋艦ロシアは弾薬庫を爆破され大破させたので驚異となる軍艦は無く、損害が増えることはなかった。その後日の丸を掲げ、日本の第二艦隊の旗艦の出雲と第二十艇隊に護衛されながら長崎の佐世保に引き揚げ、作戦は成功した。

 この作戦が作られた背後には、今上帝と作戦を唆した子供が暗躍したらしいと噂されたり、されなかったりしている。


 ※※※※※※※※※※


 日露戦争が終結した。概ね史実通りの展開を見せているが少し変わった点もある。

 最初に戦没者の数が減ったことである。戦病死者数が約一割減り、病死が二割減った。これは麦飯効果である。負傷者数はあまり変わらない。ロシア側もあまり変わっていない。

 次に戦利品である。先に挙げた強奪した軍艦である。他にも鹵獲兵器の数が多いなどである。これらは修復した後に他国へ売却する見込みだ。これで幾分か戦費の回収が出来ればいいんだが。


 ※※※※※※※※※※


 1905年の年末、また明治帝に呼ばれて御所に参内していた。冬で寒いので今回は室内である。そして明治帝が話しかけてきた。


「久しぶりだな。朕は終戦後のゴタゴタで少し忙しかったぞ。悪いがまた、相談に乗ってくれんか。」


「はい。お久しぶりだね。いいよ。僕は暇だからね。」


「早速だが、今後の事を一緒に考えてくれないか。」


 そうしてまた陛下の相談に乗ることになりました。おい枢密院、仕事しろよ。


 ※※※※※※※※※※


 日露戦争後に清とは満州善後条約を結ぶのだが、恒暖によりもたらされた露清密約を知った日本側は、史実の内容に加えて慰謝料を請求する。

 清側は当初知らんぷりをしていたが、同密約の正式名と五月に破棄の宣言をしたことなどの事実を突きつけ、雀の涙程であるが慰謝料を引き出すことに成功した。

 だが、満州善後条約の内容には書き足される事はなかった。ポーツマス条約の会談の際に清を会議に入れなかった事に対する矛盾だと列強からの批判を防ぐためであった。

日露戦争編完結です。次は第一次大戦までを書こうかと考えています。その前に戦利品の扱いとか書きたいですね。


というか、まだ日露戦争終わってなかったのに1920年代や30年代を考え出す自分が情けなくなく感じます。色々知れましたが。


明治帝と話す時の主人公の口調が色々乱雑ですが、緊張していると思ってください。


国産戦闘機の短編を投稿したその日の午後に、livedoorの軍事ミリタリー速報でXF-9-1エンジン本体が納入されたことに驚きました。


日本企業の不正が多い今日この頃ですが、大手の企業には頑張ってほしいものですね。

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