第一章 天空の城
第一章 天空の城
セレス王国。高い山脈に囲まれた小さな国。
この国の一番の特徴と言えば、王族達が住む城だろう。
王国で最も高い位置に建てられた王城は、雲にかかる事も度々ある為、多くの人から『天空の城』という名で呼ばれていた。
周辺国とは高い山で囲われて、地続きとはいえ孤立し、攻め落とす事が難しいために、戦火とはほぼ無縁の国である。勿論、何があるか分からないので自国を守る為の軍備は備わっているが、実際の所、他国と戦を交えた事も無く、どの位防衛力があるかどうかは不透明な所はあるのだが。
勿論、他国との国交も行っている。年に数回、王族達は他国に赴いたり招いたりもしていて、対外的に疎い訳では無い。
貿易方面や人々の行き来等も行う事が容易ではないが、いくつかの場所に関所が設けられていて、交易や人の往来も珍しい事では無くなった。
元々、自給自足を行ってきた国だが、他国の文化も取り込み始め、また、他国もセレス王国の文化を外に持ち出す様になってきた。
大きなトラブルは無かった。あの日までは。
『天空の城』が謎の集団に襲われたのだ。
高所に建てられた城は、当然ながら守りも高く、そうそう簡単に襲われる事は無い。しかし、恐らく少数精鋭で来たと思われる謎の集団は、あっという間に城の中枢機関を押さえてしまった。
そして、ササラこそ、このセレス王国の王女なのである。国王達と共に騎士達に守られ、敵の手を逃れようとしていたのだが、ある事に騎士達は気が付いた。
敵の狙いは『ササラ王女』、ただ一人の様なのだ。
それならば、尚更の事、捕らわれる訳にはいかない。そして、ササラの脱出に側近の騎士であるキーアとレイメイを付けさせた。
これ以降、キーア達はまず、国外への脱出するため奔走する事になったのだ。
良く分からないが、相手の追撃は主に傀儡が多い。捕らえようとしているのか、殺そうとしているのかは分からない。だが、ササラが狙われている事だけは確かだった。
突然の逃亡劇に、勿論、三人とも慣れている訳では無い。それに狙われる理由も分からないので対策の練りようが無い。
たまたま国を出て調べ物をしていた側近でも一番頭の切れるコウの所在が分かったので、一先ず彼と合流する事にしたのだ。
今の所、追手は傀儡がほとんどの為か、あっさりと倒せてしまう。数に物を言わせているのかもしれないが、レイメイもキーアも王室付きの騎士。そう簡単にやられる訳が無い。
……まあ、今後、何が起きるかは分からない所なのだけれど。
こういう経緯があり、逃亡劇が繰り返されているのである。
キーアは元々好戦的で接近戦も、遠距離魔法も得意としている。オールラウンダーの攻撃中心の騎士だ。対して、レイメイはササラの警護をしっかりこなすという役割分担になっている。
……ただ、このササラ姫。氷の魔術を得意としていて、その威力は高い。恐らく身を守るには十分過ぎると思われる程の力がある。問題点を上げるなら、実戦経験が全くない事だろう。なのに、本人は良い事だと思っているのだろうけれど、とにかく援護しようと容赦なく氷の魔法を次々と飛ばす。後ろを守っているキーアに至っては、その攻撃で何度凍らせられそうになったか分からない位だ。
キーアもレイメイも心の底から実感をしている。
……この三人で逃亡するのは厳しい、と。
合流を目指しているコウは側近の騎士でもブレーンの役割を担っている。彼が来てくれたら状況はかなり変わる筈だ。
……いや、そう信じるしかない、そんな残念な状況だった。
「この街にコウがいますの?」
レイメイと手を繋いでいるササラは彼女を見上げて尋ねる。出来る限り旅人という感じの装いで目立たない様にしているが、醸し出す雰囲気ばかりはどうしようもないのも現実である。
「ああ。ここに居るのは間違いないんだが……どの場所に居るのかまでは分からないんだよな。まあ、あいつもこちらの状況は知っているだろうし、変な所には移動していないと思うんだけどな」
そう言うキーアをササラは見上げる。レイメイは平均的な身長の女性だが、キーアは男性でもかなり背が高い方だ。小さなサララからすると見上げても表情が分からない時もある。
「……何だか理不尽です」
「何が理不尽なんだ?」
明らかに自分に向けられて発せられたササラの言葉に、キーアは訝しげな顔をする。
「確かに私は幼いですけれど……貴方は私の表情が分かるのに、私が貴方の表情を見れない事があるというのは平等ではないと思います」
そう小さな姫に宣言されて、キーアは困るしか他無い。
ササラは本人が言うとおり幼い方だろう。19歳のキーアに対して、ササラは14歳。おまけにササラは背が小さく顔つきも幼い。逆に、キーアは逞しいせいか、大人びている。
「……いや、そんな事を言われてもな」
「……下手したら父親に見えるかもしれないわね?」
レイメイはくすくすと笑う。残念ながら、レイメイがササラと手を繋いでいても母親と娘に見えたりはしない。歳の離れたお姉さんと少女といった所だろう。しかし、流石に父親は言われ過ぎだと思う。せめて従妹とか……。
「あのなあ、5歳しか離れてないんだぜ? それだけは勘弁してくれ……。まあ、保護者には違いねえけどさ」
「保護者とは何ですか。私はこれでも14です。一通りの事は出来ます。別に心配して頂かなくても……」
反論するササラにキーアがその小さな頭を撫でる。
「お前さ、自分が狙われている自覚あるのか?」
「わ、分かっています! でも、私とあなたは5歳しか違わないんですよ?」
「……いや、5も違えば、随分違うだろ……」
身長やら体格やらは5歳違うと、年齢的に大きく
「でも、私は、王族として、いつかは王位を継ぐ者として勉強もしっかりしていますし、武術も学んでいるのです! 歳の差なんて……今は、今は、厳しいかもしれませんが、私が年齢を重ねたら、貴方などには負けませんわ!」
何だか、言い争いになって来た。
ササラはキーアに子ども扱いをされるのが嫌いなのだ。自分だってしっかりしているのだから、護られるだけの存在に甘んじるのは嫌なのかもしれない。それは、彼女が王女であり、誇りから来ているものかもしれなかった。
「あー、はいはい。分かりましたよ、お姫様」
「分かっていません! 全く、貴方という人は……!」
すっかりササラは機嫌を損ねてしまった。
「……キーア、姫様に対する態度はどうかと思うのだけれど?」
レイメイからも苦情が来てしまった。
「あー、もう、分かったよ。こうすりゃ良いんだろ?」
キーアはササラを抱き上げると、肩に乗せる様にして高い位置へと彼女を連れていく。
姫である事が分からないような衣服にフードも被っているけれど、急に高い位置に置かれたササラは驚いているようだった。
「こ、こら! そんな目立つような事をするんじゃない!」
「いや、不平等とか言い出したのは、こいつだろう? これなら問題解決だ」
「……本当に困ったものだわ」
悪びれた様子の無いキーアに、レイメイは頭を抱えるしかなかった。
そして、キーアの横でも文句を言う声が聞こえてくる。
「キーア! 私は子供ではないのです! 今すぐ下ろしなさい!」
「……でも、見えないとか何とか不満を言ってたのはササラだろう?」
「……う……」
キーアの言葉にササラも言い返す事が出来なかった。……間違いでもないからだ。
「その格好だから問題ないだろうし、見晴らしも良いだろう?」
「ううう……。悔しいですが……ここは割り切って、景色を楽しむ事に致します」
ササラのぷいっと拗ねた声に、キーアは思わず笑ってしまい、余計にササラを怒らせてしまったのだった。
「まあ、やっぱり、コウを見つけるなら宿だよな」
「ええ、どこかの誰かと違って、目のつく場所にはいないでしょうね」
「そうですね。どこかの誰かとは違いますもの」
「何故、そんなに集中攻撃を受けないといけないんだ、俺は」
まともな事を言ったはずなのに、レイメイとササラから冷たい視線を受けるキーア。凄く納得がいかない。
「……それは置いておくとして。それなりに普通の宿、少し中心街から離れた所ってところだろう」
「どうして断定しますの?」
不思議そうに尋ねてくるササラにキーアは、にっと笑う。
「コウみたいな奴が、変に高い宿や安い宿は不信がられるだろう? まあ、最初は位が位だから、そこそこ良い宿だったかもしれないけど……こっちの状況が状況だからな。ある程度は目立たなくしているって考えるのが妥当ってとこだ」
「……キーアに説明されると、何だか納得がいきません」
凄く嫌そうにササラに見られて、キーアは溜息をつく。
「ったく、うちの女連中は人様を馬鹿にして……」
「あんまり考えていない様に見えるから仕方が無いわね。本当にただの馬鹿なら、騎士なんかになってないというのが残念な事実なのだけれど」
「……お前、やっぱり酷いな。本当、姫様といい、同僚といい、言いたい放題過ぎるだろ」
レイメイの言葉にキーアは肩をすくめる。
「じゃあ、酷いお嬢様方に認めて貰えるよう、俺が当ててやろうか?」
「……? キーアにそんな能力、ありますの?」
「当てるって……まさか、片っ端から宿を訪ねて歩く気? そんな事をしたら、目立ってしまうじゃない!」
「だから、目立たない様にするって。お前等、どこまで馬鹿にしてるんだよ……」
どこまでも酷い女性陣だった。
「なあ、女将さん。ここの宿泊客で、金髪に赤い瞳の……大体、俺やこいつ位の歳の男が一人で泊まってないか?」
キーアは自分とレイメイを指して、宿屋の女将に問う。
ここは、街の中心街から少し離れた宿屋。特徴的なのは、花壇に様々な花が咲き乱れていて、少し可愛い感じのこじんまりした所だ。しかし、少し離れているとはいえ、中心街には比較的出向きやすい場所にある。どちらかといえば民家に近く、知る人ぞ知る、そんな感じの宿屋なのだ。ここに泊まっているとキーアが言い出した時、ササラもレイメイも何を言っているのだろうかと思った位の宿なのだ。
「あら、いらっしゃい。人探しをしているのかい? でも、あんまりお客の個人情報を漏らすような事は出来ないんだよ」
「俺達は、そいつの友人なんだ。もし、そういう奴がここに泊まっているなら、言伝だけでも良い。間違ってたら、間違ってたで問題ないだろう?」
「……まあ、確かにそうだねえ。今、部屋に居るから言伝くらいはしても構わないよ」
キーアの押し切りに、宿屋の女将も少し折れて来た様だ。
「サンキュ、助かる。んじゃあ、間違っていた時のお詫びも兼ねて、アップルパイと一緒に伝えてくれないか? 『銀狼が来ている』って」
「……? 暗号みたいな言伝だね。まあ、こちらも手ぶらよりも買って貰える方がありがたいからね。しばらく、ロビーで待っていて貰えるかい?」
「ああ、ありがとう。宜しく頼む」
キーアは、アップルパイの支払いを済ませると、ロビーの椅子に座って待っているササラとレイメイの所に戻ってきた。
「キーア」
「何だ?」
レイメイの呼びかけに、キーアは答える。
「どうして、ここにコウが居ると思うの? まあ、確かにやり方としては不味くは無いとは思うけれど……」
「言伝は『暗号』みたいなものですの?」
心配そうなレイメイに、不思議そうなササラ。どこで、何が情報として漏れるか分からない状況なので、どうしても行動を起こすたびに不安になるのだ。
「ああ、そんなもん。コウが聞いたら、間違いなく分かるだろ。アップルパイも好物だしな」
「成程、そうなのですね。少しずつ情報を組み込むのですか。あなたが、そこまで頭が回るとは思っていませんでした。新たな発見です」
「……なあ、お前、少しは人を褒めるとかいう発想は無いのか?」
ササラの言葉にキーアは溜息をつきつつ、それも仕方が無いかとも思う。キーアはササラだけでなく、王族付きの騎士だ。交流はあるものの、ここまで一緒に過ごした事等、ある筈もない。キーアはササラを良く見てきたが、ササラの方はそうでも無かっただろう。
後は、余り怪しまれない様にと、適当な雑談を交わしながら女将の帰りを待つ。適当な雑談は……主にササラが子供扱いされたり、キーアがやり込められたり……割と当たり障りの無い内容だ。しかし、それにも意味はある。こうやって交流を取る事は、とても大事だからだ。お互いを信じられなければ、今後に支障をきたしてしまうだろう。
その時、階段から誰かが降りてくる足音が聞こえる。女将が戻って来たのかと思って振り返ると、そこには懐かしい顔が居た。
「……コウ! 本当に、ここにいたの!?」
レイメイの言葉に、コウは少し面喰ったような顔をする。
「いや、皆が尋ねて来てくれたと分かって降りて来たんだけど……その反応は何なのかな?」
「いや、レイメイも姫様も、ここにお前が居るって信じてなかったからさ」
「え? そうなのか?」
キーアの言葉に、コウは驚くばかりだ。何せ、彼はメッセージを受け取って降りて来たのだから、全員が状況を知っていると思っていたのだ。
「……本当に、キーアが一発で当ててしまいましたわ。悔しいですけど認めないといけませんね」
「だから、お前……少しは感心するなり何なり、もうちょっと違う態度を取れ」
ご機嫌斜めらしいササラに、キーアは溜息をつく。本当に、この姫君にはどう思われているのだろうか。
「とにかくだ。コウがここに泊まっているなら、客室が空いていれば俺達も泊まろう。多少、リスクはあるかもしれないが、余り悠長にしてられないからな」
そう言うと、キーアは戻ってきた女将に空き室を聞いて手配を頼みに行った。
そんなキーアの様子を見ながら、コウはくすりと笑う。
「ササラ様のお傍にレイメイとキーアが居たのは幸運だったね。あれで、キーアは頭が切れるだろう?」
「……ええ。今、それを少し認めないといけなくなって、どうにも納得がいかない所」
「私もレイメイに同意します」
「……これは、中々、手厳しい所に居たんだなあ」
レイメイとササラの言葉に、コウは苦笑する。キーアの境遇を思うと、ちょっと同情してしまった。
「おい、何とか部屋がとれたぞ。って言っても、せいぜい三日泊まれれば良いって所だが。コウは今まで通りの個室、レイメイとササラは二人部屋、俺も個室だ。ちょっと財布には優しくないが、この辺は妥協するしかないな」
「そうだね。いきなり部屋を変えるのは不自然だから。でも、皆が集まっているのは危険もあるけど、それ以上に安心があるからね」
キーアの宿泊の取り方に、コウも賛同の意を示す。
「しかし、男女が別の部屋、というのは当たり前として……少し話し合いの場が必要だと思うのだけれど」
レイメイが、そう声をかける。コウとは合流したばかりだ。互いに知っている情報を共有していく必要があるだろう。
「まあ、部屋の広さ的にレイメイとササラの部屋を使うしかないな。長居はしないから、安心しろ。まあ、こちらとしても獲って喰う様な奴等でも無いしな」
「一言、多い!」
直ぐにレイメイの拳がキーアに入る。安心といえば安心なのだろうけれど、そこまで言われると腹が立つのは何故だろうか。
「そ、それじゃあ、後でレイメイ達の部屋にお邪魔するよ」
コウは当たり障り無く、そう言って自室へと退散していく。そして、いまいち理解していないササラをレイメイが手を取り、宛がわれた部屋へと出かけていった。
「……うーん、コウが居れば纏まるかと思ったんだが、少なくとも俺の境遇は変わりそうにないな」
三人を見送ったキーアは、そう溜息をついてから、荷物を置くべく自室へと向かったのだった。
「まず、僕が聞きたいのは国で何が起こったのかを正確に知りたいな」
レイメイ達の部屋に集まった四人は、話し合いを始める事になった。色々と調べた事があるのだろう、コウの手元には、沢山の書類が共にある。
余り話に加われそうに無いササラは、ベッドの上で枕を抱えながら座っていた。
「……それに関してなのだけれど、私達は直ぐに姫様を連れて逃げたから、余り多くは知らないの」
「正直、どこが襲って来たのかも分からない始末だ。ただ、傀儡をやたら使ってきて、国を今すぐにでも潰そうとか、王家を潰そうとか、そんな感じはしなかったな。……だから、余計に分からないんだが」
「……そうか、成程。じゃあ、僕が外部から手に入れた情報の方が、意外と役に立つかもしれないね」
レイメイとキーアの話を聞いたコウは、手元の資料をめくりながら二人に話し始める。
「僕は、セレス国の創建に関する記述の真実を確かめる為に、ここ、隣国のカミラの首都にある王立図書館を調べていたんだ。セレス国が襲われたっていう話を聞いたのは……申し訳ないんだけど、一週間ちょっとくらい前なんだよ。何故か、情報規制が引いてあるみたいで、かろうじて耳にした程度で……実際の国の状況は分からなかった。勿論、直ぐに帰国をしたかったけれど、それも規制がかかっていて、僕は僕なりにここで出来る事をしようと決めたんだ。この宿に移ったのも、その頃かな。余り目立っても困るからね」
「……? 情報規制に、国の行き来も規制されていたのか?」
「うん、何故かは分からないんだけどね」
キーアが投げかけた疑問に、コウは頷く。
「それで、カミラ国とセレス国の間にあるものを調べてみる事にした。国交は比較的穏やかに行われていたようなんだけれどね」
「そうです。私も、カミラ国の王家の方々と何度もお会いしましたわ。コウのお話を聞いていますと、どうして規制が引かれたのか、私には理解しかねます」
今まで口を挟めなかったササラが話に入ってきた。
「確かに、カミラ国とは、それなりに良好関係にある筈ね。まあ、隣接している国だから、多少、国境付近でいざこざが起きる場合もあるけれど、あくまでその程度だったと記憶しているけれど」
レイメイも不思議そうに首を傾げた。それに関してはキーアも同様の意見である。それに対して、コウは話を続けた。
「古い歴史書に依ると、元々、セレス国とカミラ国は一緒の国土だったようなんだ。いや、正確には他の国も含めて巨大国家だったらしい。それが、時代の流れもあって少しずつ民族の違いや文化の違いが生まれて、小さな国へと分かれていったらしいんだ」
「……もしかしたら、それが関係している可能性もあるって事か?」
口を挟むキーアに、コウは曖昧そうな表情を浮かべる。
「それはまだ分からないよ。ただ、そういう歴史があったという事だけは間違いのない事実なんだけどね」
「成程な。つまり、ここではセレス国の今の現状を知る事は中々難しいって事か。とはいえ、ここが一番近いから、何とかして情報を集める手段を見つけないといけないだろう。……後、あの後、国がどうなったのかは分からないが……滅ぼされている可能性はどの位か、という所か」
そう言い終えて、キーアは慌てて口を閉じる。ササラが真っ青になっていたからだ。
「ま、まだ、そうと決まった訳じゃないんだからな? 実際、それ程の時間が経っている訳じゃないし、俺達の様な騎士達も兵士達も居る。そんなに簡単にはやられたりはしないって!」
慌ててフォローしてみるが、ササラの表情は優れない。
「……お父様も、お母様も……どうしていらっしゃるのでしょうか……」
ササラは背伸びをしてみせているが、まだ子供だ。両親の事が心配なのは当たり前なのだ。だが、無事だとは言いきれない。攻撃を受けている以上、確かめる術が無い現状ではいい加減な事は言えない。上っ面の励ましなど、ササラには分かってしまうだろう。
そんなササラの様子を見て、キーア達はこれ以上、話を進める事は酷だと分かっている。
「よ、よし! 気分転換に、どこかに飯を食いに行こう! コウは結構居たんだから、それなりに美味い店を知っているよな?」
「あ、うん。きっとササラ姫にも喜んで頂ける所だと思いますよ?」
「姫様、参りましょう?」
キーア、コウ、そしてレイメイがササラを気遣うように言ってくれる。その気遣いが、ササラには嬉しかった。
コンコン。
深夜に、コウの部屋のドアがノックされた。
まだ、起きていて、調べ物の続きをしていたコウは、扉の向こうの相手が誰なのか見当がつく。
「いらっしゃい、キーア。二人には聞かせられない話かな?」
「……まあ、そんな所。入っても良いか?」
「うん、構わないよ」
コウはキーアを招き入れる。深夜の灯りの中で映るキーアの表情は真剣そのものだ。その顔つきで、いかに重要な話があるのだろうと、コウは思う。
「悪いな。ササラには絶対なんだが、余り、レイメイにも聞かせたくない話なんでさ」
「うん」
昼間も、かなりキーアは失態を犯したような気がするのだが、それ以上に重大な話らしい。
「……まだ、お前には話してなかったんだけど、襲ってきた相手の目当てはササラの様なんだ」
「姫様が?」
コウには初耳である。国が襲われたことは知っていたが、まさか、先程まで一緒に過ごしていた姫君が狙われているとは思わなかった。どちらかというと、王族で跡継ぎでもあるから連れて逃げていると思っていたのだ。
「何故、ササラを狙っているのかは不明だ。だが、今までの逃走で感じるのは、相手はササラの命を狙っているのではなくて、ササラそのものを生け捕りにしたい、そんな感じがする。少なくとも、殺される確率は低いんじゃないかと思っているんだ」
キーアは、ササラを連れて一か月近く逃走を続けている。その言葉に嘘が無い事くらいはコウにも分かった。いや、そもそも、コウの知るキーア自体、嘘をつく人間ではないのだけれど。
「お前さ、セレス国に入るのを規制されているって言ってただろう?」
「う、うん。理由は良く分からないけれど、余り突っ込むと、却って戻り難くなる可能性が高いから」
「賢明な判断だ。それで、折り入って頼みがある」
「頼み?」
珍しいと思う。彼は行動派だが、同時に理論派でもある。つまり、その行動には理由が必ずと言って良いほど伴っているのだ。
「……ササラについて調べてくれないか?」
「姫様を?」
予想しない言葉が飛び出してきた。だが、キーアの表情は真剣そのものだ。
「相手は、ササラを狙っている。だけど、俺達はササラが何故狙われるのか、その理由すら分からない。それじゃあ護るにも限界がある。俺も出来る限りはやってみるつもりだが、護衛もあるからな」
「……そうだね。確かに僕達は姫様が狙われる理由が分からない。ただ、僕達が知りえる事が出来るかどうかは保証できないけど……」
それに関しては、未知の可能性もある。現段階、ササラの守護を行ってきた騎士達にも理由が分からず、本人にも自覚は無い。手がかりも全くない状態だ。
「……本当は、俺が一番知っているかもしれないんだけどな」
ぽつりとキーアが小さな声で零す言葉を、コウは聞き逃さなかった。
キーアはササラ姫の事を『ササラ』と呼ぶ事が多い。それは、彼にとって、『ササラ姫』ではなく、『ササラ』だからだ。
キーアの両親は王家との親交が厚く、キーア自体、ササラ姫を小さな頃から知っていて、半ば兄妹の様に育っている。所謂、幼馴染だ。だが、身分的な違いや様々な事から、それなりに距離があるのだ。しかし、距離があるとはいえ、他の騎士達に比べれば、圧倒的に親密だと言えるだろう。それに、ササラは余り覚えていないようだが、キーアは幼い彼女の唯一の遊び相手でもあった。だから、キーア自体は彼女の事を小さな頃から知っている。ササラの方に自覚が無くとも。
「後、もう一つ、言っておきたい事がある」
「何だい?」
次の言葉を紡ごうとして、キーアは一瞬言葉に詰まったが、真剣な面持ちでコウに伝える。
「誰も信用するな。勿論、俺に対しても。どこから何が漏れるのか分からない。……だから、頼んでおいて申し訳ないと思うんだが……」
「僕も、僕自身も信用するなって事だよね」
「ああ、悪いな」
仲間であっても信用することが出来ないという事は悲しい事だ。
しかし、現状ではそうするしかない。誰かが内通者であるとは考えたくは無いのだが、本人に自覚が無い所で大切な事が漏洩する可能性が否めないからだ。
そう、それはササラが何であるか分からない事に加え、襲撃者についても分からず、ササラが狙われる理由すら分からない。とにかく、現状では何も分からないのだ。だから、襲撃者の仲間達がどこかにいるかもしれないし、いないかもしれない。それに関しては全くの未知数。全てを疑う事になるのだ。それが、ササラを守る為ならば。
「それにしても、キーアは姫様の事になると必死になるよね。姫様の前では見せていないけど、僕には丸分かりだよ。まあ、繋がりが僕達よりも深いから、もっと違う気持ちも入っているんだとは思うけどね」
からかうようなコウの口ぶりに、キーアはため息をつく。
「……あいつは俺の妹みたいなもんだしな。あいつが覚えてなくても、それは変わらない。まあ、別に気にする事もない話だけどな」
そう語るキーアの言葉に、コウは何とも言えない気持ちになる。片方は覚えていて、片方は覚えていない。それは、どこか悲しさを感じる。本人がそれで良いというのなら、そうなのかもしれないけれど。
「おい」
「な、何?」
「……お前、俺の事、一瞬でも憐れんでたな?」
「そ、そんな事は無いよ!?」
「ったく、一応、俺達のブレーンなんだから、もう少しポーカーフェイスを覚えろよ」
「普通は、表情に出さないよ! ただ、相手が君だったから……」
「だから、俺にも気を許すなって言ったばかりだろ……」
キーアは深いため息をつく。
「まあ、話したい事は終わったし……睡眠時間を削って悪かったな。俺も部屋に戻って寝るとするわ」
そう言うと、キーアは座っていた椅子から立ち上がり、扉の方へと向かう。そして、去る前にコウに振り返った。
「今の話、絶対に誰にも話すなよ?」
念を押すように言うキーアに、コウも真剣な面持ちで頷く。
「分かってる。誰にも話さない」
「ありがとな。じゃあ、お休み」
どこか安心した顔をして、キーアが部屋を後にする。それをコウは、じっと見ていた。
……本当のブレーンはキーアだ。コウは、そう思っている。だが、自分を信じてくれたから、先程の話をしてくれたのだ。
だから、自分に出来る限りの事を今以上に頑張ろう。そう、コウは改めて心に刻んだのだった。