第二章9『バリア』
「目標を確認。任務を遂行する」
曇り空の下、その声は空気に溶ける。仮面に隠れた顔からは、性別などは読み取れない。ただ一つ見えている口元は、感情のない、暗く陰ったものに見える。声の主は、目標を追って音もなく何処かへと消えていった。まるで、影に溶け込むかのように。
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「ァァァァ……やっと帰れる……」
ただひたすらに黒い空の下、フラフラと帰宅路を進む。余りにもふらついているせいで、歩道から外れ道路にはみ出そうだ。見た人は車に轢かれないかと心配することだろう。まぁそうなったら、ぶつかった車が吹っ飛ぶんだろうが。
「明日から授ぎょブッッバァ」
後方から飛んできた黒い物体に、アラタは飛ばされる。背中に走った衝撃は弱いものではなく、頭を地面に叩きつけながらの縦回転。無論、アラタにダメージはないが、コンクリートの地面はズタズタだ。
「どこの誰だか知らねぇけど、おかけで50m分歩かずにすんだぜ」
温厚――と言うよりは、感性がおかしいアラタだからこその一言だろう。普通なら、今ので死んでいるし、生きていてもこんな反応はしない。
「よっこいs……」
膝に手を付き、立ち上がろうとしたアラタは、再度黒い物体の攻撃を食らう。先程のものがデコピンレベルにすら感じる重い一撃を、難なく受けると拳を構える。
「あのなぁ、いくら痛くなくても、俺にダメージが無くても……制服は敗れちゃうんだよ」
一気に十年分ほど汚れた制服を片目に仰ぎ見ると、右腕を振り上げる――よりも速く、後方に潜んでいたもう一匹に殴り上げられた。雲の掛かった空へ、服を裂かれながらアラタは飛ばされる。
「あぁぁ、指定バッグの肩掛けが……いやそこじゃない………1枚しかない制服が、敗れたぁっ」
相変わらず、論点がズレている。冬に海水浴をするくらいズレている。
落下しながら、アラタは見る。自分をはね上げた存在を。
「トラ、か?」
ソレは――ソイツは、虎だった。毛並みは黒く、煤のような物がチリチリと身体から上がっている虎。ホワイトタイガーの逆、ブラックタイガーという奴だろうか?肘や膝の辺りからは、常に黒い炎のようなものが揺らめく。重低音で喉を鳴らし、コチラを見上げる鋭い目は、正しく虎のものだった。
「まさか……動物園から脱走した、のか?」
そんな訳はないが、街中に虎が――ましてや、黒い虎が居るなんてことがある筈もない。断っておくと、アラタは馬鹿なのではなく、想像力が豊かなだけである。
くだらない考察をしているうちに、虎はその体を深く沈ませ、踏み込む。
「………来る」
「GRAAAAAAAAkkkkuuuuu!!!」
一匹は、向かって左に身を隠した。もう一方は、黒い炎が強くなり、煤の様な物で、背中からカマキリの鎌のように刃を伸ばす。
「GYARAAAAAAkkkuuuuuu……!!」
「うるさいっ」
左右から襲う鎌を無視し振り上げた右腕は、虎の顔を吹き飛ばす。いつもの事ながら、見事な無双っぷりである。いや、何時もなら見事に無双していただろう。
「……GYANnnnn!」
「は?」
間一髪、紙一重で、アラタは刃を躱す。普段ならば受けていた攻撃に対し、アラタの心は避けろと言ったのだ。前髪を掠め、鎌は通り過ぎていく。アラタの髪は、髪本来の柔軟性を兼ね備えたまま、オリハルコンなんか目じゃないほどに頑丈である。それは、アラタの神体強度に比例して全身が強くなっているからである。その髪が、先端2m程切られたのだ。
”一瞬にして、頭を再生させた……”
「……この虎っっ」
「kugruuuuuu……GRAAAaaaa!!!」
「……遅いっ」
攻撃を避ける為に仰け反っていたアラタは、地に手を付き、虎を蹴り上げる。勿論、虎の上半身は消し飛ぶ。
「死んっ……でないのかよ」
「kfuuuu…」
先程同様、虎は即座に再生する。今回の方が破壊面性が大きいにも関わらず、先程よりも早く。
「GURAU!!」
「……俺には、お前の全てが遅すぎる。再生する速度もな…」
再度、虎が飛び込むよりも速く、右腕で殴る。再生しようとする肉体も、殴る!飛び散った全てを、殴る!!
「寿流戦闘術・ウージー」
両腕でのラッシュは、見事に虎を沈黙させた。何も残らない程、跡形もなく。
「ぁ"っ」
それは油断だった。普段から警戒心を持たず、油断しているアラタだったが、今回はそれとは違う。いつぶりだろうか?多少なりとも、苦戦を強いられた敵を倒した事により生まれた油断。アラタは忘れていた――もう一匹の、虎を。
「BURAAAWuuuuu!!」
「なっ…aぶなっ」
いくら油断していたとはいえ、攻撃をモロに食らうアラタではない。当たる寸前、観てから避けた。頬を掠めはしたが、大したダメージではない。むしろ、一発食らわせてやった。
「何で……切られるんだ?この髪も、この頬も……何なんだコイツら」
「………buraaaffuuuuu」
「この再生力も以上だ。そもそも、コイツは生物なのか?」
今与えた傷も、気が付けば無くなっている。それどころか、ダメージを全く受けたように見えない。こうなってくると、少し興味が湧いてくるものだ。アラタは、間合いをとるため、後ろに距離をとる。
「あぁ、こんな奴が、地球上に居るんだな。学会にでも発表したら、一儲け出来そうだ。それとも、動物園かな?」
「buruuuuffuuuuu……」
「どうしたんだ?日も陰ってきたし、そろそろ来いよっ。一匹目同様に、こr……同じようにしてやるよ」
「……wuuuuuu」
そして、虎は地面を勢いよく踏付ける。蹴ったのではない、駆けたのではない。地面を、踏んだのだ。
「……?」
「BURAAAAaaaaaaaa!!!!」
後ろの影が、突如として伸びる。棘のように、針のように、槍のように鋭く。背後からアラタ目掛け、実体が有るかのように空中に伸びる。
「………?」
「BAWUuuuuaaaaaaa!!!」
「なん……な、ん?な、なにィッ??」
やっとこ気づいた時は、既に当たる寸前。持ち前の身体能力で躱すが、ズボンの裾が裂かれる。
「危なっ、くそまたかッッ」
絶えるえることのない攻撃。アラタからすれば遅いが、確実に狙いに来ている。隙を付き、本体を攻撃しようと思いつくが、本体の姿が見当たらない。何処からか見ているのか、的確な攻撃である。
「まぁ、ノロすぎて当たらな……下からッッ?」
余裕こいているアラタの足元から、影が飛び出す。この攻撃には、アラタも意表を付かれた様で、ジャンプでの回避を迫られた。空中への、回避を。
「不味いなぁ。空中じゃあ、遅くても攻撃を避けられない」
「BUGAAAAAaaaaaaaaaaaa!!!!!」
肩から上を地面から出すと、今までで一番に鋭く影を伸ばす。「トドメだ!」と言ってる風な咆哮を上げて。
「と、思うよなぁ?」
飛び出した影は、アラタに当たる直前で、砕けた。いや避けた、弾かれた?とにかく、アラタには届かず、消えていった。
「やっぱり、顔を出したなっ。獲物に、ちゃんとどめを刺せたか確認しなきゃいけないからなっ」
「uu!!!」
「だから、必ず仕留めに来るように、空中に飛んだんだ」
「qyunnn!」
「遅いって、言ってんだろッ」
威力の押さえられた蹴りは、虎を中に浮かす。
「Bauuu……」
「何があったんだって顔してるな。出したのは一瞬だし、分からなかったかもな」
着地したアラタは、淡々と話し始める。
「俺が、命の危機に差し掛かったのは……そうだなぁ、アレで3度目だった。でも俺は、その危機を乗り越えれば乗り越える程に強くなっちまうんだよ。だから、『穏やかな生活と、静かな安らぎ』を求めてるんだ。これ以上、強くなりたくないからな。でも――それでも俺は、この前、命の危機に直面した。そして、乗り越えてしまった。」
何時そんなに時間が経ったのか、日は沈みかけていた。パチパチと着き始めた街頭に照らされ、アラタは手をかざす。
「そこで手に入れてしまっまんだよ、新しい力を」
何か見えない力に押し潰され、虎は空中に消えた。そこに残るは、手を握りしめたアラタと、肩掛け部分の切れたバックのみ。
「”バリア”を」




