出会いはエンカウント
酷い夢を見た。この前別れた元彼が、お前って胸無いのな、と馬鹿にしたように笑っていた。半ば暴力的に目覚まし時計を止めて、スマホを見ると、4月6日月曜日。なんと今日から新学期。心機一転、高校三年生だってのに、最初っから最低な朝だ。私は舌打ちして布団を剥ぐ。
ベッドから降りてカーテンを開けると、これまた汚い部屋が明るみになり、私は転がっていたラリックマのぬいぐるみの足を踏みつけて立ち上がる。こいつらは一日中部屋で転がってればいいのに、私は今日から学校っていうかったるい場所に八時間拘束されなくちゃいけない。投げ捨ててある少女マンガや1000円で買った鞄、買ったはいいけど恥ずかしくて着れないリズリサのワンピース、それらを全部無視して私は部屋を出た。
着替えるのも、髪を整えるのもまず飯を食わないとやる気が出ない。階段を降りていけばいくほど、お母さんが作った目玉焼きと、ケチャップの甘くて酸っぱい匂いが鼻腔に香る。やっぱり朝はご飯を食べなきゃ始まらないよね。近頃の子供は朝ごはんを食べないらしいけど、めっちゃ損してるよそれ。
「おはよ、ナナ」
お母さんは、キッチンで忙しく朝食と弁当を作っていた。歩いて三分の場所に小学校がある妹や、自転車で五分の場所に中学校がある弟とは違って、電車で一時間かけて高校に通っている私は、お父さんよりも早起きしなければいけない。我が黒橋家では、家の裏で自転車屋を営んでいるお父さんが一番遅起きだ。高校に入るまでは私も弟たちと一緒に七時半に起きてのんびりしていたのに、高校に入ってからはそうもいかなくなって、お母さんも時々ぼやいている。なんで駅から五分の商業高校に行かなかったのよ、なんて言うけど、私はどうしても普通高校に行きたかったのだ。
「んー、目玉焼き、おいしそー。いただきまーす」
フォークを刺したとき、とろりと卵が溢れるような半熟加減。お母さんはこれが本当に上手い。
我が家は目玉焼きにはケチャップと決めている。クソみたいな夢を見た直後だからこそ、新学期だから可愛くいこうだなんて思ってしまって、ケチャップでハートを付け足してみる。少しキュートになった目玉焼きの皿には、カリカリに焼かれたベーコン三つと、おまけのように盛り付けられたサラダ。
朝のニュースで放送されている、何の根拠もなさそうな占いを見ながら、私は優雅に食パンにマーガリンを塗って口に運ぶ。美味しい。
『残念! 運勢最下位は、七月生まれのアナタ!』
「うそ、私じゃん」
七月生まれのアナタ。恋愛運が低迷する日。出会いには期待しない方がいいかも。ラッキーアイテムは十字架。
脳天気な声が告げるあまりにも非情な事実に、私は咀嚼していた目玉焼きを思わず飲み込んでしまった。慌てて水を飲み干したら、それもまた変なところに入ってむせ込んでしまい、お母さんが心配そうにこっちを見る。
「大丈夫? あんた今日運悪いんじゃないの。お父さんの十字架のネックレス持っていく?」
「......大丈夫」
げほげほと咳き込んで、テレビを睨みつけた。占いなんか信じてやるものか。ここまで悪いことが続くと、なんか逆に運命を打ち砕いてやろうだなんて感情が湧いてくる。いつも伸ばしっぱなしの髪だって念入りにセットしてやる。私は急いで朝食を食べ終えて、最後にもう一度水を飲んで、リビングを出ようとした時、お母さんが思い出したようにこんな事を言った。
「そういえば、隣の家の男の子、今日からあんたの学校に編入するって聞いたけど。会ったら挨拶くらいしておきなさいよね」
「......は? 田中さんちに息子なんかいたっけ......」
お母さんに聞き返そうとしたけれど、弁当を作るのが忙しそうだったのでやめた。きっと私の知らないところで田中くんは生きていて、何らかの都合でうちの高校に入学することになったのだ。今まで一度も見たことがなかったのだから、これからもお目にかかる機会はないだろう。
私は洗面台に立ち、顔を洗って歯磨きをしてコンタクトを入れた。前日にアイロンをかけておいた、皺一つないワイシャツに腕を通し、ブレザーのボタンを閉める。あとは髪をちゃっちゃと弄ったら、朝の準備は完了だ。ちょうど七時、私は家を出る。いってらっしゃい、と忙しいのにわざわざ玄関先まで来てくれるお母さん。いつも通りの朝だった。いってきまーす。ドアを開けたその瞬間、私は体制を崩して転んだ。
「うわっ、痛っ!」
玄関の床に尻餅をつく。弟の靴が隣で転がっている。今日はやたら天気がいい新学期日和。後光が差してキラキラしている、同い年くらいの男の子が、そこに立っていた。
「あら、田中くん! 今日から晴蘭高校に編入するんでしょ? ウチの七瀬をよろしくね〜!」
振り返ると、大阪のおばちゃんみたいなノリでお母さんが男の子に絡み始めている。田中くん? 今日から同じ高校? 尻餅をついたまま慌てふためく私。恐る恐る見上げる、うちの高校の派手なデザインのブレザーを着た、田中くん(仮)。ブロンドに近い色のぴょこぴょこ跳ねた長めの髪と、びっくりするくらい白い肌、なぜだか赤い色の瞳、生意気そうな八重歯。派手な制服と相まって、一見するとジャニーズにでも居そうな男の子だ。こんな子が隣に住んでいて気付かないわけがない。ていうか、田中くんはなんでいきなり家に押しかけてきたのよ。
「おはようございます、黒橋さん。僕、隣の田中さんのお家に下宿させてもらってる夢野冬夜と申します。つまらないものですが、よければどうぞ」
田中くんは、話についていけない私を無視して、柔らかい微笑を浮かべて挨拶をする。お母さんの方は彼に目がハートになってしまって、あらあら、気を遣ってもらわなくてもいいのに、なんて言いつつきっちりお菓子を受け取っている。近くのイオンにある、美味しくて評判の高い焼き菓子店のチョコレートだった。
「ナナ、田中くんを学校まで案内してあげなさい。困ってる人は助けろってのが、黒橋家の教訓でしょ?」
「知らないよ! そんなの初めて聞いたよ!」
私はやっと立ち上がり、スカートについた砂を払う。どちらかというと今困ってるのは私の方だし、いい年してこんなジャニーズの端くれみたいな男におめめキラキラしてるお母さんもおかしいよ。早くもお母さんとグルを組んだっぽい田中も、調子に乗って「じゃあ、七瀬さんに案内してもらおうかな」なんてほざき始める。ふざけるな、こんな目立ちそうな奴と居たら女子に目をつけられるに決まってる。でも、お母さんと田中をこれ以上一緒の空間に置いておくと、私が疲れてしまう。0.2秒くらい必死に考えた末、わかったわかった、いってきまーす! って、田中の腕を掴んで外に出た。がちゃりとドアが閉まり、お母さんの脳天気な「いってらっしゃーい」が聞こえる。
「はー......田中、なんかごめんね。ウチのお母さん、あんたみたいな若い子大好きだからさぁ。ほんとごめん。学校の場所はわかる?」
田中は五センチくらい上から私を見下ろす。明るい外に出ると、ブロンドの長い髪もなぜか真っ赤な瞳も、やっぱり目立つ。どうせ髪は染めて目はカラコンなんだろうなと思っていたが、よく見ると顔立ちも日本人離れしている。小学校の時にクラスにいた、フランス人と日本人のハーフの男の子みたいだ。
そんな田中に不本意ながら見とれていると、彼はさっきまでの笑顔はどこへやら、急に不機嫌になって、私に言い放った。
「ぎゃーぎゃーうるせえブスだな。まず俺、田中じゃねえし。誰がそんなダサい苗字名乗るかよ」
「......え?」
さっきあんたが自己紹介した夢野なんちゃらも、相当痛くてダサいと思うよ、っていうツッコミも忘れてしまうほど、田中の突然の変貌は衝撃的だった。吐き捨てるように言った田中の声はさっきより二トーンくらい低くてドスがきいている。さっきの笑顔は営業スマイルだったっていうの? もしや田中、こんな顔して熱女好きとか? いろいろと考えてしまう私を置いて、田中はすたすたと歩き出してしまう。
「あっ、待ってよ、田中!」
「だから田中じゃねえって言ってんだろ!」
「学校、こっちだよ!」
そっちには郵便局とバスターミナルしかないよ。まったく逆方向に歩き出していく田中を引き止めて、私は駅があって賑わっている方を指さす。ここは特に住宅が密集しているわけでもないし、地図もわかりやすいから、どっちに行けばいいかなんてすぐ分かるだろうに。田中はちょっと抜けている部分があるみたいだ。
「わっ......わかってるよそんなの!」
「わかってないでしょ! あんた、切符の買い方とか知らないタイプの人間でしょ絶対!」
駅の方に歩いていく田中を、私は後ろから走って追いかけた。たぶんこのままじゃ、田中は学校までたどり着けない。
新学期日和。日差しが急に強くなる。しばらく歩いていると、前を歩いていた田中が突然振り返り、助けを縋るようにこっちを見てきた。
「......七瀬、日傘持ってない?」
「ひがさ?」
女子かよ! というツッコミが頭の中で入る。いや、今どきの男子はなんか化粧水とか使うらしい。そんなの私でさえ、たまにサボるのに。肌が白くて綺麗な田中も、いわゆる美容男子なのだろうか。紫外線にやられるのって、誰でも嫌だもんね。わかるわかる。
「普通の傘しかないけどいい?」
「......日に当たらなくていいなら、なんでもいい」
田中は私が差し出した、水色の傘をさして、極力日が当たらなそうな場所を歩いていた。この徹底ぶり、女子以上である。
しかし、見ていると、ただ紫外線を避けているだけじゃなさそうだ。さっきあんなにギラギラしていた目が乾ききって淀んでいるし、足取りもさっきと比べて重そうになってきた。もしかすると、あまり日には当たってはいけない体質なのかもしれない。
「田中、もうすぐ駅だから頑張ってよ」
「だから田中じゃないって言ってるだろ......」
返事にも覇気が無い。あまり声をかけない方がいいのだろうかと思って歩いていたが、薄暗い駅に入った瞬間、田中は見違えるように元気になった。私はこの駅の地味で暗くてお化けが出そうな雰囲気が本当に嫌いだというのに、田中はなんだかズレている。
こんな無人駅を通学に使う人なんて私と田中しかいない。売店の一つでもあれば変わるのかもしれないが、今日も相変わらず、小屋みたいな駅内にベンチが四つ置いてあるだけだった。電車が来るまであと十五分。長い。
自販機で買ってきたのだろうか。朝から午後の紅茶を飲んでいる田中は、コンクリートの壁の、「生ハメファック」と汚い文字で書いてある落書きを興味深そうに眺めていた。私は暇で仕方が無いから、田中に話しかける。
「ねぇ、田中って日に当たるよりこういう薄気味悪い場所の方が好きなの? 変わってるね」
「当然だろ」
そうかなぁ。私は相当変だと思うよ。何気なく私は返し、スマホに目を落とそうとしたとき、背を向けていた田中がこっちを振り返った。
ブロンドの長い髪が、立て付けの悪いドアから入った風に揺れている。こっちを見つめる真っ赤な瞳。ニタリと田中は笑う。そして、まっすぐ私を見て、こう言い放った。
「だって俺、吸血鬼だもん」




