異世界黒船来航
時に嘉永六年、徳川家慶治める江戸幕府に激震が走る。7月8日。浦賀沖に名も知れぬ国の、名も知れない艦隊四隻が来航。幕府に開国と通商の自由を求めたのだ。
武器、砲弾、蒸気機関。その他あらゆる面で江戸幕府の文明を凌ぐその艦隊には、驚くことに「魔法」を操る異形の者さえいた。
そう。浦賀沖に来航した四隻の艦隊。俗にいう「黒船」。その黒船に乗っていたのはゴブリン、エルフ、オーク、人外魔獣などの異世界の住民達であった。
彼らはその軍事力、魔法の力を拠り所にして、幕府に不平等条約を結ぶように迫った。時の老中、阿部正弘はこの困難を乗り切るために、語学に秀でた万次郎。のちの仲濱万次郎を江戸に呼び寄せる。万次郎はアメリカで暮らした経験もある男だ。
土佐藩の藩校「教授館」で、教授職に就いていた万次郎は、その依頼を受けて、教授館の教え子、静蘭とともに江戸入りをする。
「先生。それにしても『異世界』からの黒船だなんてタチが悪いですねぇ。いっそのこと江戸の軍事力でズバンッ! と敵を一掃できないもんなんでしょうかねぇ」
江戸への旅も終わり、用意された住居で荷物をまとめる静蘭は、万次郎に尋ねた。
「そう簡単に言うもんじゃないぞ。静蘭。武力の行使は最後の手段。交渉と根回しを続けて、何とか戦を避けさせるのが私とお前の役目だ」
そう窘められた静蘭は頭に後ろ手を組み、舌を出す。
「にしても先生。浦賀に訪れた『異世界』連中の醜さを見ましたか? ゴブリン、オーク、人外魔獣と呼ばれる連中の醜さといったら」
万次郎は、阿部正弘から授かった本を開く。それは異世界の摩訶不思議な文化について記された書だった。黒船の船長「リガル・ソム」から阿部へ。阿部から万次郎へと受け渡されたものでもあった。
万次郎は、その不思議な形をした文字を見て零す。
「『醜さ』。そんな言葉を口に出すものではない。静蘭。それより見てみろ。この本を。英語と蘭語を組み合わせたようにも見えるが、読み解けないこともない。この本を読んで分かるのは、彼らの文明の高さだ。蔑まれるのはむしろ私達かもしれないぞ」
「へー。それは大したもんですねぇ。先生。どれどれ」
そう言って静蘭は本を覗き込む。その語学力の高さを買われて、万次郎の手伝いを命じられた静蘭だが、一読しただけではその本の中身はまるで理解出来ない。目を丸くして、両こめかみに両指先をあてる。
「あらー、こりゃチンプンカンプンだ。で、先生はいつまでにこの言葉を喋れるようにならないといけないんです?」
目を回す静蘭を万次郎は、微笑ましげに見つめて答える。
「阿部殿と、黒船の船長リガル殿との会談までには身につけねばなるまい。それは静蘭、お前とて同様だ」
「阿部殿とリガル殿の会談。するってえとそいつはいつで?」
静蘭が身を乗り出して尋ねると、万次郎はもう一冊の本を静蘭に手渡す。それは異世界の辞書のようだった。万次郎は質問に答える。
「いつ。それは『三日後』だよ」
そう聞いた静蘭は、本を手にして天井を見上げると大声をあげる。
「三日後! ひぇーーーーー!!!」
やがて三日後。江戸城の大広間に通された、万次郎と静蘭は、そこで初めて異世界の住民と顔を合わせる。阿部正弘と向い合う黒船の船長、リガルは耳が尖り異様に長く、金色に染まる髪をやや短めに刈り上げたエルフだった。
「こいつは凄いですねぇ。先生」。そう驚く静蘭をよそに、リガルは思慮深げに、人差し指を口元にあてて、妖しげなまでの魅力を醸している。
だがその艶やかなリガルよりも、より一層静蘭の目を引いたのは、リガルの傍で足を伸ばして座る、サラリとした長い金髪を持つエルフの少女だった。
エルフの少女は、白い足が長く、肌質はきめ細やかだ。綺麗な睫毛の伸びた、酩酊感のある瞳が、静蘭を魅了し、強く惹きつけた。静蘭がそのエルフの少女の魅力にとらわれていると、少女の口から不思議ななまりの挨拶がついて出る。
「コン、ニチハ」
静蘭は思わず真っ赤に晴らした顔を、両手で叩くと「こんにちは」と挨拶を返す。その様子を楽しげに見ていたリガルは、そのエルフの少女を万次郎と静蘭に紹介する。リガルは簡単な日本語を話せた。彼は嬉しそうに口を開く。
「彼女は私の娘でね。名をスウォークという。ただの少女でしかないんだが、読心術にも長けていてね。『パパがだまされたらイヤだからついていく』って聞かなかったんだ」
「スウォーク」。不思議だがどことなく引き込まれる名前だ。かつて静蘭が、万次郎の手伝いで訪れた長崎にいた蘭人にもない名前だ。クスッと笑って「ねぇ。パパ様」とリガルの服の裾を引っ張る、スウォークから、静蘭は視線をそらして俯く。
「綺麗な……、子だな」
やがてリガルを筆頭とする異世界側の交渉人3名と、万次郎と阿部正弘らの会談が始まる。するとしばらくして退屈してきたのか、スウォークは痺れた足を崩して、リガルに話しかける。
「ねぇ。パパ様。私、あの方と江戸を見て参りたいわ」
「あの方」。そう言ってスウォークが指さしたのは、一重瞼の切れ長の瞳を持つ男。マゲを結おうと伸ばし掛けの髪が妙に愛嬌がある静蘭だった。静蘭は慌てて両手を振って取り乱す。
「わ、私なんぞは! スウォーク殿の江戸への案内人には不釣り合い! 分不相応であります!」
その様子を見てリガルと万次郎は微笑ましげだ。リガルもこの青年、静蘭に心を許したらしい。リガルは万次郎に一言「では」と告げると、大広間の皆に伝える。
「それでは私の娘、スウォークをそちらの青年、静蘭殿に江戸の街へと案内していただこう」
その言葉に異論を差し挟むものは、大広間にはいなかった。ただ一人静蘭を除いて。静蘭はひたすら両手を顔の前で交差させる。
「わ、私なんぞは! 異文化交流の妨げ! 私のスウォーク殿への好意などはむしろ邪魔になるばかりで……! あっ」
そう口を滑らせて顔を伏せる静蘭に、スウォークも少し興味を持ったようだ。静蘭の手を軽やかに握るとこう口にする。
「行きましょう。静蘭殿」
やがて江戸の城下町へと足を踏み出した静蘭とスウォークは、江戸の街の人々の視線を一身に浴びる。その視線に静蘭は少し緊張しながらも、誇らしくも感じていた。
二人は江戸の娯楽を観て、遊んで回り、弓打ち小屋の一つを訪れる。弓の腕前には自信のある静蘭は、弓打ち小屋で自分の魅力を、少しでもスウォークに感じてもらおうと心弾ませる。
「スウォーク殿の世界には、弓と矢はございますか?」
そう尋ねる静蘭にスウォークは、少し関心がなさそうに答える。
「んー。あるよ」
何とかスウォークの気を引きたい静蘭は、話をつなごうと懸命だ。
「そ、そうでありますか。では試しに二人で弓の打ち合いでもしてみましょう」
そう言われてスウォークは気乗りしない様子ではあるものの、軽く頷いてみせた。スウォークと静蘭の二人は的から離れたところに立ち、弓を構える。
「よし! それでは勝負でござるよ! スウォーク殿」
その静蘭の掛け声と共に二人は弓を引き、矢を放つ。静蘭の矢は見事、的に当たり、スウォークの矢は残念ながら的にまで届きもしなかった。それを見て静蘭は得意げだ。
「いかがでござるか。スウォーク殿。私の弓の腕前、中々のものでございましょう!」
そう言って鼻息荒く腰に手をあてる静蘭に、スウォークは不満げだ。「んー!」と声を出すと自分の放った矢、的まで届かなかった矢を魔法で、的に当ててしまった。それを見た静蘭は驚くと同時にスウォークを止める。
「ス、スウォーク殿! あやかしの術なんて使ってはダメでござるよ!」
そう口にして慌てふためく静蘭に、「ふーんだ」と一言スウォークは言いながらも、満更でもなさそうだ。愛らしくフェアな心持ちの静蘭に、さらに心を開いたようだ。だがスウォークは少し俯きがちに静蘭に告げる。
「静蘭?」
突然名前を呼ばれて戸惑った静蘭は、訊き返す。
「はっ! な、なんでございましょう? スウォーク殿」
そう尋ねられたスウォークは、悲しげに言葉を零す。
「実は、パパ様。こんなズルいことはしたくないの?」
「『ズルいこと』とは何でござるか? スウォーク殿」
静蘭が問いかけると、スウォークは不思議な魔法の一つでも使ったのだろう。静蘭の心に直接話しかけてくる。そこではスウォークは流暢な日本語を話せた。スウォークは静蘭の心に訴える。
「パパ様。本当はこんな強引なこと。不平等条約を結ぶなんてことはしたくないの。普通に異文化交流をして、江戸の人達と仲良くしたいと思っているのよ」
その事実を前にして、静蘭は驚く。
「そ、そうでござりましたか。ではスウォーク殿のお気持ちも」
スウォークは長い睫毛の瞳を伏せる。
「私もこんなことは、したくないのよ。みんなと仲良くしたい。そう思っているの」
「そうでござったか」
静蘭はスウォークの胸の内を聞いて、言葉をなくす。すると何やら弓打ち小屋の周辺が騒めいていることに静蘭とスウォークの二人は気づく。静蘭が弓打ち小屋の外を見ると、たくさんの江戸の住民が集まり、何やら話をしている。
「な、何でござるか!?」
当惑する静蘭に、読心術に長けたスウォークが告げる。
「みんな、こう言ってる。こんな気味の悪い連中とは仲良くしたくないって。私のことをあやかしの術を使う化け物だって」
「な、な、何と! そうでござったか!」
そうと聞けば話は早い。静蘭は弓打ち小屋をスウォークの手を引いて飛び出し、江戸の住民達にこう大見得を切ってみせる。
「みなの者! ここにおられるスウォーク殿をどなたと心得るか! こちらにおわすスウォーク殿は、江戸と異世界の仲立ちを志す、高徳の士でござるぞ!」
やや力が入りすぎた感のある静蘭だが、その静蘭のひたむきな眼差しに、さしもの江戸の住民達も気圧されたらしい。みな、すごすごと退散していく。「ど、どうでござるか! スウォーク殿」と息巻く静蘭の手をスウォークはしっかりと握って、こう呟くのだった。
「アリガトウ。静蘭」
その言葉に静蘭は顔を真っ赤にしてこう零す。
「うひゃあ。スウォーク殿、とんでもござりませぬ! わ、私なんぞは! 私なんぞは!」
その夜。スウォークはあてがわれた宿泊先で、父のリガルと話をする。リガルの話によると、異世界側と江戸幕府側の話し合いは折り合いがつかず、決裂したらしい。リガルは悲しげに口にする。
「残念ながら、武力の衝突は避けられそうにない。私にとっても不本意だがそれはやむを得ない」
その言葉を聞いたスウォークはリガルの真意を推し量るように、それこそ読心していく。
「パパ様。本当は江戸の方々と普通に仲良くしたいんじゃありませんこと? 不平等条約を強要したり、ましてや武力の衝突なんて嫌悪感さえ感じられているのでは?」
リガルはスウォークの読心術に言葉をしばし失う。しかし彼は職務に忠実であらんとするためにあえて気丈に振る舞い、片手を軽くあげる。
「スウォーク。君は賢い娘だ。そして理想家でもある。だが現実世界では理想だけでは解決しない問題も数多くあるんだよ。それに私は一介の交渉人に過ぎない。異世界政府の意向には逆らえないんだよ」
スウォークは悲しげに目を伏せるも、一向に引く気配がない。
「パパ様は間違っているわ。いや間違っていると自分自身知ってさえいる。パパ様が本当に取り組みたいのは、異世界政府の意向を正すこと。江戸の人々と争うことじゃないわ。実際!」
そこまでスウォークが口にすると、リガルは彼女の言葉を遮る。
「スウォーク。言葉が過ぎるぞ。私がやるべきは異世界政府の利益を引き出すことであり、江戸の人々と手を取り合うことなどではない」
「だってパパ様!」
スウォークが大きな身振りでその父に言い抗うも、リガルはスウォークの元を離れ、自室に戻り、それ以上彼女の言葉に耳を傾けようとしなかった。スウォークの失望の言葉を背に受けながら。
「パパ様」
一方、万次郎と静蘭は、今日の会談の結果について話をしていた。万次郎は、スウォークとの淡いひと時を過ごした、静蘭の思いを打ち砕くように伝える。
「静蘭。残念だが、異世界政府、リガル殿との折衝は失敗に終わった。明々後日には、彼らは武力行使に至るだろう。全面戦争だ。これは仕方ない。私達は江戸を守るために戦うだけだ」
万次郎の辛い報告に、静蘭は激しく狼狽える。
「ちょっ、ちょっと待ってください! 先生! あそこまで穏やかな雰囲気で話が進んでいたというのに、何一つ成果を上げられなかったというのでござるか!?」
万次郎は心底無念そうだ。唇をひたすらに強く噛み締める。
「ああ。事実、そうだ。静蘭。お前はスウォーク殿と心を通わせて、いい結果を勝ち得たらしいが、私達はそうはならなかった。静蘭。つまりはこれが大人の世界というものだよ」
大人の世界。その言葉を聞いた静蘭は、万次郎に激しく抗議する。
「『大人の世界』とはなんでござるか!? 先生! 僕がスウォーク殿と心通わせることが出来たなら、先生とリガル殿も分かりあえるはず! 先生! 最後の最後まで努力なさってください! 全てが終わりでもしたかのように諦めないで!」
その言葉の重みを、深く心に刻み込んだ万次郎だが、口元を悲しげに覆うばかりだ。戦が避けられないことを自覚しているらしい。悲しげに、そして懸命に訴える静蘭を宥めるしかない。
「静蘭。お前もこの悲しむべき現実を受け入れざるを得ない時が、きっと来るだろう」
「そんな現実など! 私は受け入れませぬ!」
そう叫んで静蘭は自室に籠ってしまった。その静蘭の後ろ姿を見送り、万次郎はこう零すしかない。
「大人の、世界か」
万次郎とリガルの話し合いが決裂して三日後。ついに異世界側は、武力の行使、つまりは戦を江戸に仕掛けてきた。ゴブリン、オークらを筆頭にする剣術士達の、手練れ振りもさることながら、何よりも江戸幕府を苦しめたのは、エルフらの扱うあやかしの術、異世界でいうところの魔法であった。
炎の魔法、ファイガ。氷で人を凍らせるブリザド。地響きを立てて江戸城を揺るがし、壊乱させていくクウェークなど。江戸の兵士達はその威力の前に防戦一方だ。
江戸城にはたちまちの内に炎が回り、みなは鎮火するので精一杯だ。戦場で剣を交える戦士達も、双方負傷し、あるいは命を落としていく。
江戸の街が瓦礫と化していく、凄惨な光景。それはこの戦がどらかが完全降伏するまで続くかのように思われた。
時同じくして、江戸城内では家慶と阿部正弘、そして万次郎が対抗策を練るも、一向に手立てが浮かばない。万次郎、阿部正弘は苦渋を滲ませる。
「これは落城し、異世界側の要求を飲むしかござらぬか」
さすがの万次郎も落胆を禁じ得ず、江戸の被害を最小限に抑えるための案を考え始めていた。
だがその頃、一人だけ、その最悪の結末を避けようと奔走している人物、男がいた。それは他ならぬ静蘭だった。静蘭は秘密裡にスウォークとコンタクトを取り、戦場を高みから臨める、江戸城の屋根へと二人して登っていた。静蘭はスウォークの手を引いて、告げる。
「こっちでござるよ。スウォーク殿。足元にお気をつけて」
「ありがとう。静蘭」
異世界側の圧勝という、一種の江戸幕府にとっての破綻を避けるために、スウォークと静蘭は最後の手段、アイデアを実行に移そうとしていた。静蘭とスウォークは未だ戦闘が続く、江戸近郊を見下ろし言葉を交わす。静蘭がスウォークに伝える。
「スウォーク殿。最早この戦を止めるには、スウォーク殿のあやかしの術、もとい魔法と読心術を使うしかござりませぬ。どうかご協力を。この静蘭めに最後のお力添えをしてください」
スウォークはこの意思堅牢な、それでいて純粋無垢な、心の持ち主、静蘭に心から惹かれていた。彼女は、例え異世界政府から「裏切者」扱いされたとしても、静蘭に協力しようと心に決めていた。静蘭は江戸城に吹き込む風に身をあおられながら、気高く口にする。
「スウォーク殿。この戦が双方にとって本意でないのなら、この江戸城からみなの心に呼びかけてください。そしてその剣を、矛を収めるように訴えてください」
スウォークも静蘭の真摯な眼差しを前にして、力強く頷く。
「分かったわ。静蘭」
スウォークと静蘭。二人が臨む江戸の街では未だ戦禍が収まらない。静蘭は、その様子を見て悲しげな瞳を一瞬見せたが、意を決してスウォークに呼びかける。
「それでは、お願いします。スウォーク殿」
その呼びかけに応えたスウォークは一度大きく息を吸い込むと、異世界の者、江戸幕府の者問わずに、戦に興じる人々の心へこう呼びかける。
「みなさん、私の声が聴こえますか? 私は、黒船の船長リガル・ソムの娘、スウォーク・ソムです」
突然各々の、心奥深くに響いてきたスウォークの声に、異世界の戦士達、江戸幕府の戦士達は、剣を翳したその手を、斧を振り上げたその手を止める。彼らが仰ぎ見たのは、江戸城の上で光に包まれながら、その魔法の力で舞い上がるスウォークの姿だった。スウォークは言葉を紡ぐ。
「みなさん、私はあなた方の本心が見えます。あなた方は戦で相対しながら、本当のところ、争いを望んでいない。あなた方は共に手を取り、共に発展したいと胸に秘めている。いや、たしかにそう思っているはずです」
その痛切なメッセージを前にして異世界、江戸幕府双方の戦士達は動揺を隠せない。スウォークはみなの心を手に取るように把握して、伝える。
「ほら。そうです。あなた方は、今、私のこのメッセージを聴いている間にも、戸惑いを隠せない。今にも剣を、矛を、収めたいと願っているはずです」
静蘭は輝く光に包まれて、力強いメッセージを送るスウォークにひたすら見惚れていた。
「この子なら、時代を、世界を変えられる」
そう静蘭は胸に強く確信していた。スウォークの服は風にあおられ、揺れている。彼女のメッセージは続く。
「だからこそ、あなた方は今一度自分の本当の心に帰り、戦を辞めるべきです。あなた方に私のメッセージが届くでしょうか。伝わるでしょうか。願わくば、私の祈りにも似た想いが伝わるように。そう胸に期待してやみません」
スウォークの想いが伝わりかけたのか、異世界、江戸幕府の戦士達はその剣を、刃を、一人、また一人と降ろし始める。
だがその時、一頭のゴブリンが口にする。
「あんたの言い分は間違っちゃいない。だけどよ。俺達の役目は、江戸を制すること。綺麗ごとを並べて、仲良しごっこすることじゃねぇ」
するとその声に異世界の戦士達は、強烈なシンパシーを感じたのか、口々に同意する。
「そうだ、そうだ! 例えリガル殿の娘の言葉と言っても、やすやすと受け入れるわけにゃ行かねぇ!」
「理想だけじゃ、世の中渡りきれねぇってことよ!」
「所詮、お嬢様の空論よ!」
そう言ってついにはスウォークを罵る言葉がみなの口をついて出た。その言葉がスウォークの胸に直接響いたのか、彼女は体のバランスを崩してしまう。そのスウォークを全身で支える静蘭。
「スウォーク殿! 大丈夫でござるか!? 何て奴らだ! これほどまでにスウォーク殿が心を尽くしているというのに!」
顔にやや赤みの差したスウォークは静かに静蘭に告げる。
「静蘭殿。私では、ダメ、だったみたい」
「まだ分からぬでござるよ! スウォーク殿! 最後まで諦めてはなりませぬ!」
静蘭は涙ながらにこうスウォークに訴える。だが江戸の街は、二人の純粋な魂とは裏腹に、またも戦禍が拡大しそう勢いであった。
その様子を見て静蘭は、今一度顔をあげると、戦に臨むみなへ、大声で訴えかける。
「なぜにみなは平和を愛しようとなさらぬか! お互い歩み寄ろうとしないのでござるか! なぜに分かり合おうとしないのか! あなた方は! なぜに!」
そこまで口にしても静蘭の言葉はみなの心に届かない。その光景を前に、さしもの静蘭も言葉に詰まる。理想がついえ、相届かず。そうスウォークと静蘭が思ったその時、凛とした声が戦場に響き渡る。
それは他ならぬ黒船の船長、そしてスウォークの父、リガルの声だった。リガルは黒船の甲板上から、「浸透」の魔法を使い、異世界の戦士達に告げる。
「我が親愛なる同胞よ。たった今、今しがた私は異世界政府の長、タガメロ殿と通信し、江戸城陥落の手を休めるようにとの伝令を受け取った。そなたたちの武勲と勇敢さは称える。だが、だからこそ、その高潔さに殉じてその剣を鞘に収めよ」
リガルの指令に、さすがの異世界の戦士達もたじろぎ、彼の意向を汲み取ると、武器を収めていく。異世界の戦士達にとって、リガルは全幅の信頼の置ける指導者であり、敬愛の対象でもあった。
だからこそ彼らは一度は剥いた牙を、半ば恥じるように鎮めていく。その様子を見てリガルの声は満足そうであり、同時に気高くもあった。
「それでこそ我が愛すべき闘士達だ。そなた方の果敢さを称えてやまない」
その情景を間の当たりにしたスウォークと静蘭は、体中から力が抜けていくのを感じる。
「リガル殿。ありがとうございます! 誠にありがとうございます!」
「パパ様」
憔悴しきった静蘭とスウォークに、リガルは優しく語りかける。
「二人とも、戦の調停ご苦労であった。二人の純粋さ、清廉さに私は称賛を惜しまない」
静蘭はリガルに呼びかける。
「リガル殿。本当に感謝の極みでござります! ありがとうございます!」
そしてスウォークは一つ。たった一つだけ素朴な疑問をリガルに投げかける。
「パパ様。パパ様は理想だけではダメだと仰った。それなのになぜ?」
リガルは黒船の甲板上で優しく微笑む。
「何。私も思うところがあってね。理想の通じない『大人の世界』なら、そんなものいらない、と思ったわけさ。それだけだよ。スウォーク」
一息ついたリガルは背筋を伸ばすと、言葉を付け足す。
「静蘭殿。誠にご苦労であった。そなたの純粋さがなければ、私の気持ちが翻ることは決してなかったであろう」
その言葉を前に静蘭は激しく恐縮するだけだ。
「リガル殿! 滅相もございませぬ! 私なんぞは! 私なんぞは!」
取り乱す静蘭にスウォークが尋ねる。
「私なんぞは?」
その艶やかなスウォークの問い掛けに静蘭は、顔を真っ赤に晴らす。
「私なんぞはスウォーク殿が……、好きなだけでござる」
不意の告白を受けたスウォークは髪を一度かき上げると、静蘭の頬に優しくキスを、口づけをした。
「私もよ。静蘭。私もあなたのことが大好き」
「ひゃぁあぁあああああ!」
そうして、静蘭の感極まった大声とともに無事、「異世界黒船来航」の一件は落着したのであった。
後日。江戸復興後、神社で結婚式をあげたスウォークと静蘭は、永遠の愛を誓い合った。紋付き袴と白無垢に身を包み、手をつないで、江戸の街を歩いて回る二人の足元には、それはそれは美しい花々が咲き乱れていったという。