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そうして一分ほど沈黙が続いたが、疲労も心の傷も回復したのか宮村がふらつきながらも歩き始めた。行こうとも何とも言われなかったので戸惑ったが小走りでそれに並ぶ。すると、突然問いが飛んで来た。
「そう言えばさ、何か言おうとしてなかった?」
その言葉を聞いても一瞬、何の話か分からなかった。仕方がない事だと思いたい。あれだけ変に濃密な時間を挟んだのだ。訳が分からなくもなるだろう。記憶力だけが取り柄の真田にしては失態だが。
「……あ、そうでした……えと、アレです。あの人、もしかしたらこの辺にはたまたま足を伸ばしただけなんじゃないかなって」
「と、言うと?」
「……分かりませんでしたか。普段の行動範囲は別の所であって、この辺にはちょっと来てみただけだったから、今になって探してもなかなか会えないんじゃないかって話です」
「あー、そーゆー……え、じゃあ見付かんないんじゃね?」
「相手の理解がワンテンポ遅れるって腹立つもんなんですね……。そうです、あちらから会いに来るくらいの感じじゃないと見付からないんですよ。となると……」
言いたかった事を説明し終えて話を次の件に進めようとした、その時だった。ちょうどそのタイミングで角を折れる。何となく、嫌な予感はしていたのだ。
「!?」
二人で驚く。デジャヴが凄い。
曲がった所にいたのは大きな影。まあ、端的に言えば着ぐるみだ。先程のような謎の生物ではなく、実に分かりやすい緑色をしたカエルの着ぐるみ。所々が汚れていたりと気になる点はあるのだが、すぐにそんな事を言っている場合ではなくなった。
「あ……」
真田のものでも宮村のものでもない声。二人ではないのなら、その他にはもう一人しか候補は残っていない。その籠りに籠った声は目の前にいる分厚い緑色の布地の奥から。
「喋った!」
「喋る変態だ! 逃げましょう!」
喋る変態とは一体何なのだろう。もうよく分からない。考えてみれば着ぐるみと偶然出くわして、それがちょっと声を発したからって逃げるような事はない。最近は着ぐるみが喋って飛び跳ねたりするくらい割とある事だ。
とにかく、先程の謎の生物の印象が強すぎるのだ。もう普通にテーマパークに行っても恐怖に震えるかもしれない。
「あ、待って……待ってー……」
「追って来ます!」
「割と遅いぞ! ギャップがヤベェ!」
何とも言いがたい縋りつくような声で制止を求めながら走ってくるその姿は、先程の生物とはまるで異なるドタドタとした情けない走り方だった。もっとも、恐らくそれが普通の事なのだろうが。
しかも遅い。威圧感を感じるほどだったそのサイズは一瞬にして小さくなっていく。
「――ぁうべっ! ……待って、待ってよぉ!」
変な声が聞こえたので振り返ってみると、そこには地面に倒れ伏してもがいている緑色の物体。そしてそれは顔を上げる事もできず片手をブンブンと振りながら、やはり制止を求めている。
(何て悲しい姿……や、待たないけど)
待てと言われて待つはずもなく、二人はそのカエルを置き去りにして駆け抜けて行くのだった。
「ふぅ……逃げ切ったな」
「はい、確実に」
立ち止まった二人は口を開く。一切、その息は乱れていない。もう余裕である。疲れるまでもなく逃げ切ってしまった。先程は休憩に時間を割かなければならなかったが、今回はそんな事もなく早速再び歩き出す。ずっと適当に動き回ったが、結局は家や学校の周囲だ。あまり足を運んだ事はないが見覚えのある場所である。
しかし、それなのに真田の足は少しだけ迷ったようにその動きを緩めた。迷ったと言ってもそれは道にではない。頭の中に浮かんだ恐ろしい事実を認めるか否かにだ。
「今のは……同じ人ですよね。ね? ねっ?」
「いや違うだろ。着ぐるみ違ったし、場所も離れてるし足遅いし喋ったし」
「止めて下さい。あんなのが二人もいるなんて思いたくないです」
冷静に(あるいは冷酷に)宮村が事実を突きつける。バチンと音を立てる勢いで右耳を塞いだのだが、それでもその事実は消えそうになかった。
「現実を見ろ、アレはいるんだ。二人も。喋るタイプの着ぐるみと素早いタイプの着ぐるみがいるんだ」
「何ですか、そのゲームのゾンビの種類みたいな言い方……」
「素早い着ぐるみは落ち着いて狙わないとすぐに接近されてしまうぞ」
「落ち着いて狙えないから攻略情報に頼りたいんですけど」
完全にどうでも良い方向の話題で少しだけ盛り上がる。それはきっと受け入れがたい現実からの逃避だ。真田はもちろん、宮村も何だかんだで着ぐるみを着た変態が二人、編隊を組んで夜の町を闊歩している認めたくないのだ。
しかし、その話も長くは続かなかった。咄嗟に思い付いたネタだっただけに、これ以上はもう膨らませようが見付からない。
全然違う話を始めようにも真田の頭ではネタが思い付かないので、仕方なく同じネタを別の方向にズラして話し始める。
「で、アレも魔法使いでしたか?」
「んー、多分。足遅かったから絶対ってワケじゃないけど魔力は感じたし」
「……結構いますね、魔法使い」
「なんかもう意外とすぐ見付かるんじゃねぇかな、アイツ……」
「もうヤダ、この町……」
暇していたのが嘘のようにポンポン魔法使いが現れた。しかも魔法使いの中でもかなり異色な部類が。この町、実はかなりの魔境なのではなかろうか。思わずうんざりとした表情を浮かべた顔を覆って隠す。が、しかしこれはチャンスだ。今日まで探し求めていた人物の事を宮村が口にした事で、そちらに話題を持っていく事ができるようになった。あの謎の生物の事など忘れて他の話をしよう。