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「!?」
二人の目の前に突如として現れたそれを見て、声にならない音を喉から発する。
「…………!」
目の前のそれも恐らく驚いているのか一歩ほど後退した。
目の前にいるそれ。真田よりも大きいそれは、耳が長かった。顔の横にあるのではなく、UFO型の大きな頭の上から。細く長い耳(どうもウサギの耳のように見える)が長さに負けてか途中で折れている。
口を開けた丸い横顔のような黒いつぶらな目。柔らかい逆三角形の赤い鼻。そして猫口。
これは猫なのか。いや、耳の主張からしてウサギか。鼻が赤いのでトナカイの可能性だって否めない。いやいや、トナカイとは流石に似ても似つかないだろう。猫口からは鋭い牙が見えている。結局これは何者なのだ。
妙に華やかな桜色の体色、寸胴体型な腹の色だけは黄色。手へと一瞬だけ目を向けるとそこはやたらと鋭い。
端的に感想を言うならば、気持ち悪い。
こんな生物が自然界にいるはずがない。そう、これは着ぐるみだ。普段楽しく住んでいる町の角を一本折れると、そこには謎の着ぐるみが立っていた。
文字で表すと冷静なようだが、この時の彼らは急に出会ったそれに対しての驚きで頭がいっぱい。しかも、その謎の生物が今にも襲い掛からんとする熊の如く(だから結局何者なのだ)両の手を振り上げるものだからさあ大変。
「へ、変態だ!」
「逃げるぞ!」
二人して来た道を全力で駆け戻る。これはヤバい。変態という表現は不適格かもしれないが、もうそれで良いだろう。真夜中に道端で気持ち悪い着ぐるみを身に纏った人間がいたら、それはもう変態と呼んで良いのではなかろうか。
「…………!」
その変態は逃げ出した彼らを追って走り始める。真田がチラリと背後を見ると、そこには猛スピードで走る着ぐるみの姿。しかもいわゆる着ぐるみ的なドタドタした走り方ではない。鋭く腕を振ったスプリンターのそれだ。そんな格好でガチの走り方をするものだから、なお気味が悪い。
「追って来ます!」
「クソ……はえぇ!」
身軽さでは圧倒的に勝っている。先に走り始めた分、距離をとる事もできた。しかし、あの着ぐるみはスピードでこちらに勝っているかもしれない。少しだけ得られた貯金を確実に食い潰すように、ジリジリと距離を詰められている。
捕まる。このまま走り続けていては確実に。人通りがないため全力で走り続けられるが、それは相手も同じ事。大きな体を気にせず走る事ができる。
(もっと速く……もっと速く走れれば……っ!)
眉間に皺を寄せ、唇を噛み締めると血の味がする。自然と前を走る事になった宮村の背中が自分の足の遅さを自覚させる。どうして自分はこんなにも足が遅いのだ。もっと速く。もっともっと速く。
などと、頭の中はシリアスなのだが、冷静に考えてみるとよく分からない着ぐるみに追いかけられながらシリアスに考えているのだからシュールな話である。
真っ直ぐ走っていては駄目だ。相手の視界(がどの程度の広さかは分からないが)に入っていてはスピードで負けているのだから逃げ切れるはずがない。
「宮村君!」
背中しか見えないのでアイコンタクトで連携する事はできない。名前を呼び掛けて、後は考えが伝わるかどうか、それだけ意思疎通ができているかの勝負。
とにかく視界から消えなければいけない。そのためにはとにかく曲がる事が大切だ。角をいくつも折れてその度に視界から消えて、最終的には何とか撒くしかないのだ。
その考えは伝わったのだろうか。宮村が急に道を左に曲がった。あまりに突然だったため真田も少し驚いたがそれに続く。これほど急に曲がったのなら、そう広くはないであろう視界からは本当に消えたように見えたかもしれない。
そのまま少し走ると再び左右に曲がる事ができる。宮村は迷う事なくその道を右に曲がった。後を追いながら一瞬だけ確認すると、曲がる直前になって道の向こうに桜色の物体が現れる。
貰った。このままならあと一、二回ほど曲がれば完全に撒ける。
次は左へ、そして右へ……上空から見ればジグザグな軌道を描いているように走り続けた二人は徐々にスピードを落とし、やがてゆっくりと立ち止まる。その頃にはもう背後から何かが走ってくるような音も何も聞こえてはこなかった。勝った。
「はぁ……はぁ……に、逃げ切ったか?」
「はい……た、多分」
二人して肩で息をする。本来なら疲労はほとんどないはずだが、今回は逃げようという気持ちが強すぎて無意識で自分の足を動かしてしまっていた。疲労感を軽減するという意味で、以前とは比べ物にならないくらい体力は向上したと言って良いのだが、それでも息を切らすほど必死だった。そのおかげでこうして無事に逃げ切れたのだから良しとすべきなのだが、どうしてこんなに必死にならなければならなかったのかと考え始めるとどうにも納得がいかない。
「何だったんですか、アレ。いつからこの辺りはテーマパークになったんですか。だとしても何故着ぐるみに追われるんですか」
「……アレだよ、最近あるだろ? ホラーナイト的なアトラクション」
「つぶらな目をした着ぐるみに全力で追われるって、どんだけサイコなアトラクションですか!」
「いやぁ……すっげぇ迫力だったなぁ、あんなにかわ……可愛い? いや、まぁ可愛い着ぐるみだったのに……」
「アレもジャパニーズホラーなんでしょうか……」
恐らく可愛らしい物として生み出された着ぐるみが追いかけて来る薄気味悪さとシュールさは間違いなく日本的なものだろう。もっとも、かと言ってジャパニーズホラーと呼ぶにはドタバタし過ぎていたような気がするが。あの着ぐるみ、どんな構造になっているのだろう。
疲れを紛らわすためにそんな考えに埋没しようとしていたのだが、そこで自分では気付かなかった事実がぶち込まれる。
「つーか、アレ、多分魔法使いだった」
「え、マジですか」
「マジマジ、ちょっと魔力感じたもんよ、フワッと。と言うか、そうじゃないのにあのスピードだったら……それはもう、怖すぎる」
「あー……そらそうですね」
改めて考えてみれば当たり前だ。自分はともかく元サッカー部で運動能力も高い宮村に走ってくらいつけるスピードなのだから魔法使い以外ではありえない。いや、それでも着ぐるみを着てそのスピードを出せるのは異様なのだが。
「……だとして、暇は潰れました?」
「……もっと暇してたかった」
答える宮村の目は遠くの方を見ながら死んでいた。漫画だったら目のハイライトが消えている事だろう。可哀想に。しかし同情はしない。魔法使いに会えないから暇だと言ったからこんな事になるのだ。あのタイミングでフラグを立てやがったのだ。なお、この時の真田は自分も暇だと同調した事など完全に棚に上げていた。