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「あ、そうだ……えっと、ご飯、食べますか? 何か作ります……って、買い物行かないと駄目なんですけど」
「おお、ありがとー! あ、そうだ、買い物行くならちょっと買って来てほしい物があるんだけど……」
「はあ、何ですか?」
申し出は何でも受け入れようと決めて大人しく聞く。とにかく下手に出ておけば間違いはないだろうという判断だ。もっとも、直後にその決意をかなぐり捨てようとするのだが。
「うん、マスクが欲しいんだよねー」
「マスク……使い捨てでも良いですか?」
「うん! あと、コンビニで良いから……下着!」
「はぁ?」
耳を疑った。この女は急に何を言っているのだろう。話についていけていない真田を放置して彼女は続けている。
「二枚くらいで良いかなぁ、今着けてるのと合わせて三枚、何とか回していけると思うんだけど」
「――い、いやいやいやいや! 何言ってるんですか、回すも何も、家帰ればいくらでもあるでしょ!」
やっとツッコミを入れられた。真面目に考えている様子だったので本気のようだったが、その方が問題だ。とにかくまずは真意を聞き出さなければならないのだが、彼女は可愛く首を傾げるばかり。
「ん? んんっ、んー……」
最初は白々しく聞き返し、次はちょっとした相槌感覚で、最後は考え込んで。これだけ「ん」で考えている事を伝えられる人間はそう多くもないだろう。
そうして考える事数秒、彼女が口にしたのは先程の依頼よりも遥かに耳を疑ってしまうような内容だった。
「うん、私、帰らない事にした」
「はぁっ!?」
「ほら、この顔であんまり外出たくないし……それに、別に帰んなくても今さら心配とかされないだろうし……ほらほら、むしろ帰ってこの顔見せた方が心配されるし!」
「そういう事じゃないでしょ! どこに寝泊まりする気なんですか!」
「え? もちろんここだけど……真田君、一人暮らしでしょ? 一人くらいだいじょぶだいじょぶ」
軽い口調で言いながら部屋の中をグルリと見渡す。彼女は自分が何を言っているのか分かっているのだろうか。
「スペースの問題ではなくてですねぇ!」
「じゃあどんな問題? 真田君、もしかして私を襲ったりしちゃったり……?」
「し、しませんよ! するワケないじゃないですか!」
「それじゃ問題ナシ! ……だよね?」
「ぐっ……むぅ……」
「へっへっへー」
恐ろしい事に、断る理由が見付からなくなった。この顔で出歩きたくないのは分かる。家に帰らなくても心配されないというのは知りえないが、彼女の素行からしてありえない話でもないように思える。そして、当然だが襲うような事はありえない。自分で言うのも何だがそんな度胸はどこにもない。強いて理由を挙げるならば他人を泊める事への若干の潔癖からくる嫌悪感や面倒臭さなのだが、それは果たして理由足りえるのだろうか。自問した結果は、否だ。
顔の前で手を合わせながら微笑む姿は要望が叶って満足そうだ。それは良い、それは良いのだが、真田からすれば一応念を押さなければならない。
「…………正気ですか?」
「正気、大マジ、チョー素面」
「いや、素面は当たり前ですけど……」
「顔は素面じゃないけどね」
正直かなりイラっとした。こちらが大真面目に悩んでいる所でそんな冗談を飛ばされたらもう呆れるやら腹が立つやら。総合すると、仕方ないと思い始めていた自分が驚くほどに泊めたくなくなった。
しかし、そんな事で拒否できるかと自問するとやはり(もちろん自分の尺度であるが)否。せめてもの反抗として、あからさまに嫌そうな深い溜め息を吐き出して見せる。
「――はぁ……分かりましたよ。でも、できるだけすぐに帰って下さいよ! 良いですか、分かりましたね!?」
「はぁい」
元気に片手を挙げてあっけらかんと返事をされた。溜め息も念押しも全て無意味だったようだ。強い諦めと無力感が真田を襲う。結局、彼は吉井の言うまま従うしかないようだった。
「そんじゃ改めまして……吉井 香澄です。不束者ですが、どうかよろしくお願いします」
「……真田 優介です、お願いします」
「うん、よろしくね、優介!」
どこで覚えたのか三つ指をついて変に礼儀正しく名乗る彼女に対して力無く返すと、いきなり名前を呼び捨てにされた。そんな呼び方をされたのは両親以来だ。普段の真田ならばその距離感を正そうとしたかもしれないが、昨夜から続けてジェットコースターのようなアップダウンで色々とあって疲れた彼には到底無理。その呼び方に抵抗する事もできず、ヨロヨロと立ち上がるしかない。
「……買い物、行ってきます。色々買ってきます」
「ごめんね、ありがとー。――ところで、今日のお夕飯はなぁに?」
これは挑発だっただろうか。夕飯のメニューを聞く事で私は帰りませんアピールをしているのだろうか。そんな邪推をしながらも小さな声で答える。今日の夕飯は昨日の段階で食べたい物があったので決めていた。
「……鶏肉の生姜焼きにしようかと」
「と、鶏? 豚じゃなくて?」
「何ですか、鶏、悪いですか」
「いや、鶏肉は好きだけど……」
「そうですか。ちなみに棒棒鶏風サラダ、昨日できた鶏ハム、鶏肉と根菜の煮物もありますから楽しみにしてて下さい」
「え、えぇー……」
別に嫌がらせのつもりはない。自分の好きな物ではあるが、真田なりのおもてなしの気持ちだ。しかし、何でそんなに鶏肉ばっかとでも言いたげに唇を尖らせたその表情を見ると少しだけ胸がスッとする。嗚呼、初めて得た快感よ。
いつの間にか普通に話せるようになっていた事に気付くのは夕飯を食べながら話している時。本人ですら気付かぬほど自然に馴染んでしまった彼女との生活は、こうして始まってしまう事となったのだ。
しかし、食事時の賑やかさというものは物珍しいものだ。すっかり慣れた自宅での夕食がまた別の物のように感じる。
しかも彼女は他に相手がいないので積極的に自分に話し掛けてくる。面倒だし気疲れするが、これはこれで悪くないかもしれないと、心の底ではそう思いつつある真田であった。もちろん、本人は絶対に認めようとしないだろうが。
受傷から約七十時間。彼女の熱傷は、未だに一切の回復の様子を見せていない。