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食事の後、片付け(料理の礼に真田が一人で担当した)を終えてから交代で風呂に入り、「覗いても良いんだよ?」「覗かないでねでしょうが、普通は」的なやり取りをしたら時刻は早くも午後二十三時半。テレビから深夜のバラエティ番組を垂れ流しつつ、真田は床に寝転がって携帯ゲーム機で遊び、吉井はベッドの上で部屋にあった少年漫画を読んで何ともまったりとした時間を過ごしていた。
近頃のゲーム機というものは便利だ。時間だって表示される。ふと確認するともうそんな時間だったので、のそのそと起き上がって外出の準備を始めようとする。
(待ち合わせ場所まで走って十分ってとこか……そろそろ出ないとな)
今日も今日とて索敵作業。三週間前のあの戦いから、何となく宮村との集合場所は学校の校門前となっている。今までは歩いてそれなりに遠い印象のあった学校だが、今や走って十分、しかも疲労無しだ。便利なものである。
約束の時間は午前零時、できれば三十分前に到着して待っていようと思っていたが、時間に気付くのが遅れてしまった。
「んー? 優介、また外出るの?」
クローゼットから制服を取り出す姿を見て、外出すると気付いたのだろう、吉井が漫画からチラリと視線を動かして真田を見ながら問い掛ける。また、とは言葉の通り。彼女がこの家に住みついてから毎晩、索敵のために外出しているのだ。
「え……あ、はい。遅くなると思うんで、勝手に寝るなり出てくなりして下さい」
「はーい。……寝込みを襲っても、良いんだよ?」
「だから襲わないでね、でしょうが。しかも出てく気ゼロですね?」
「ふっふっふー」
「腹立ちますね、何か」
やはり出て行く気はない。もっとも、真田も無駄だと分かりながら言っている節があるのだが。出て行くワケがないでしょとばかりに大きな胸を反らせてわざとらしく声に出して笑う姿に少し苛立ちながら、シャツの上から詰襟を着る。ちなみに下は脱衣所で着替える。
真田にとって、こうして夜に外出するのはもはや日常茶飯事だ。しかし、他者にとっては必ずしもそうではない。そう毎晩外出するためには理由が必要となる。
「でもさぁ、優介って毎晩外に出てるよね。あの時もそうだったし……何してるの? バイト?」
「え? ええ、まぁ……そうですね」
あの時とは、真田と吉井が出会った時の事だ。それも夜、魔法使いとして活動している時の話。
だが、魔法使いとして夜の街を徘徊して戦っていますなど話せるはずもない。彼女は出会った時の事を鮮明には覚えていないのだ。それは都合の良い事なのだが、だからこそ納得させられるだけの外出理由をでっち上げなければならない。
その点では、向こうからバイトなどという言葉が出たのはありがたい事だ。何も思い付かずに下手な言い訳をするという事がなくなる。
助かったと内心で思いながら曖昧に肯定する真田だったが、それを受ける吉井はしっかりと顔を見るのではなく、漫画から覗いたままで訝しげな声色で続ける。いや、訝しげな声色というのは主観だ。だが、表情が見えない事が後ろ向きな解釈を加速させる。
「ふーん……風見の方でバイト、かぁ……こんな時間に出て、風見まで行って、二時くらいに終わってるんだ?」
この女、やけに鋭い。ここから風見市まで、電車はもうないので自転車か徒歩という事になる。こんな時間に出発をするという事は当然ながら到着する頃にはとっくに日付も変わっている。
そして、彼女と出会ったのが午前二時頃。それまでに仕事を終えて外を出歩けるような状況になっていなければ辻褄が合わない。短すぎる。ほとんど働く時間が存在していない。
墓穴を掘らないようにと相手の言葉に乗っかって肯定したつもりだったが、どうも墓穴を掘る場所が変わっただけだったかもしれない。
「……別のバイトですよ。今日のは割と近いんです」
「へぇ……」
平静を装って答えてみたつもりだったが、上手くいっただろうか。こんな時は目が隠れていて得したと思う。見えていたら恐らく、泳ぎまくった視線が筒抜けだ。生え際の辺りがジワリと湿り気を帯びてきたのは暑いからではないだろう。
二人の間に妙な沈黙が流れる。前髪によって遮られてはいるが、視線がぶつかっている。戦いだ。人付き合いが皆無な人間の嘘と、あるいは女の勘と呼ばれる存在の。
漂う緊張。耳に入るのはテレビから聴こえてくる笑い声くらいのもの。恐らく数秒の事だったのだろうが、腕輪の力のせいか、数十秒、数分に及んでいるのではないかと錯覚させられる。吉井の問いから始まったこの緊張状態、それを打ち破ったのもまた彼女だった。
「――ん、頑張ってね!」
「あ、はい……頑張ってきます」
顔を隠していた漫画を下げると、そこには笑顔があった。花が咲くような、といった言い回しがあるが、まさしくそう表現するに相応しい華やかで明るい表情。虚を突かれたあまり、思わずオウム返ししかできなかった。それも不自然だっただろう。真田は目立つ事、つまり不自然な事に対して敏感だ。しかし、彼女は気にした様子がない。
彼女は納得したのだろうか。分からない。それとも、最初から何かを疑っていたのではなく普通に疑問を抱いただけだったのだろうか。そんな問い掛ける事などできるはずもない疑問が胸の中に芽吹く。
動揺、疑念。そんな真田の心の動きを感じ取ったのか、それとも素なのか。吉井は普段通りのやり取りが行なえるような上手いパスを出してきた。
「でも帰ってきた時に寂しいよね……玄関で待ってようか? 甲斐甲斐しい奥様って感じで」
「あ、結構です」
「えぇー……」
彼女は唇を尖らせる。こんなのがこの三日ほどで行なわれ続けてきた普段通りのやり取り。これで疑いも何もない普通の関係、普通の空気に戻る事ができた。きっとそうだ。
そんな気遣い(かどうかは分からないが)に感謝をしながら、再び漫画に視線を戻している彼女に向かって軽く片手を挙げてから、着替えて学校へと向かうため静かに部屋から出て行く真田であった。




