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このような事は予想していなかった。燃え始めて観念した所で男が自らの力で炎を消すと思っていたためだ。男の能力は水、今回に関しては自分が勝利したが、通常ならば相性が悪い相手のはず。
「あ、あああ……熱い、熱い……ぎゃああああ!」
悲鳴は続く。声は裏返り、涸れ、それでも絶叫する。目を閉じたままで祈るように眉間に力を込める。真田が自身の意思で炎を消す事ができないだろうかと考えたが、消えない。そもそも、男の体を覆う炎と自分が出す炎は違うと、何となくではあるが感じていた。
非常に感覚的で説明が難しいが、この炎は自分に繋がっていない。そう感じた。あえて例えるならば、ライターの炎は持ち主の意思で消す事ができるが、それが燃え移った炎はもっと別の外的要因が無いと消す事ができないと言うように。本来ならその外的要因を生み出す事ができるのがこの男のはずなのだが、男は叫ぶばかり。
「え、と……そ、そうだ! ちょ……ちょっと! 待っててくださいね!」
そう言って真田は走り出そうとした。男が炎を消さないのならば、外的要因を自ら用意するしかない。仮にも既に一年は通い続けた学校だ。最も近い水道の位置を頭に思い浮かべる。外に掃除用具入れはあっただろうか、バケツはどれだけあるだろうかと考えながら背を向けた所で悲鳴が唐突に途絶え、ドサリと、何かが倒れる音が聞こえた。
何か、とは言うがこのような状況で可能性は一つしかありえない。冷静に考えるならば倒れた事は気にせずに早く水を用意して鎮火をするべきなのだが、そこで冷静になる余裕などあるはずがない。そうして振り返った真田の目には不思議な光景が映った。
「あれ、火が……」
男の体を包んでいた炎がみるみる小さくなっていく。しかしそれは決して燃え尽きて自然に消えようとしているのではない。どうしてなのかは分からないが、男の着けている腕輪に炎が吸い込まれているように見えた。
炎が小さくなるにつれて体が露わになる。そこには、再び不思議な光景。
「燃えてない……な、何で?」
まず初めに見えたのは頭。坊主になるまで短く刈り上げられた髪は何一つ変わらず、ただの一本も燃えた様子は無い。
顔、肌には火傷の一つも無く、眉も睫毛も残っている。
足、履いていたスニーカーも汚れてはいるが、炎とは何ら関係の無い泥などのようだ。
右手、着けているアクセサリーの素材も融点も分からないが、恐らく最初と変わらない。
胴、服は動き回った事で乱れているが、もちろん燃えてなどいない。
そして左手、腕輪が少しずつ炎を飲み込み、完全に炎の存在が消失する。そして、少しの間眩しく輝き始めたかと思えばパンと軽やかな音と共に、腕輪が砕けた。
後に残ったのは静寂と暗闇、そして火傷どころか傷一つ無い男の体。腕輪がなくなっている以外はまったく最初に目にした時から変わっていないように見えた。
「……い、生きてる……良かったぁ」
手のひらの上に小さく灯した炎で男を照らし、胸に右耳を寄せる。すると割と穏やかな一定のリズムで鼓動が聞こえてきた。あれほどの事があったが死んではいない、ただ気を失っているだけのようだった。何故死んでいないのか驚かないでもなかったが、驚くべき出来事が多過ぎるあまりにどうにも感覚は麻痺している。
どうやって戦うのか、あるいは逃げるのか。そんな命懸けの考え事が一段落すると、新たな考え事が次々と頭の中に溢れてきた。
「この腕輪――そうだ、手紙! 読んでみないと……」
思い出されたのは腕輪と共に送られてきた白い封筒。男も言っていた。あの封筒の中の手紙にはきっと腕輪の事などが書かれているに違いない。男が襲ってきた理由も。
そんな事を考えて早急に家へと帰ろうとした真田の足を止めたのは、未だに目を覚ます事もなく倒れたままの男の存在だった。
このままここに置いて行くのは問題があるだろう、しかし連れて行くのは難しい。明らかに自分より体の大きい男を運ぶのは同年代の男子と比べても明らかに非力な真田には不可能に等しい。そして仮に運べたとしても校門を乗り越える事は絶対に不可能。さらに言えば運んだとしてどこに置いておけば良いのかも分からない。
そんな迷いと葛藤の末に真田が導き出した考えは一つ、シンプルで、そしてとても建設的だった。
「え、と……ご、ごめんなさい!」
これで何度目になるか、数える事も面倒な謝罪を口にしつつ、朝までに目を覚まして自分で帰る事を祈って走り出した真田の足は男の背後に回り込んだ時よりも遥かに素早く動いていた。