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宮村、梶谷、日下。三人の仲間を得た真田だったが、まだもう一人。話をするべき相手がいる。
「あの、これ、返却です」
「おーす、真田君。ちゃんと返してくれてサンキュー」
昼休み、訪れたのは学校の図書室。一週間ぶりにやって来たカウンターには、この曜日の当番を担っているクラスメイトの姿がある。友人の友人、ショーゴ氏だ。この男とも決着を付けねばならないだろう。
返却したのはもちろん『今日から始めるボクシング入門』、もう必要のない本だ。覚えさせたい事は全部宮村に教えたし、真田の記憶にも残っている。昼でなければ司書さんがいて、そちらに返却もできるし、入れておけば勝手に手続きをしてくれる返却ボックスなる真田にとっては夢のような存在もあるにはあるのだが、それでも昼休みに直接返す事を選んだ。
「いえいえ。あ、そうだ、明日一緒にお昼食べませんか? 四人で」
驚くほどにスッと出てきた言葉。しかもその内容はこれ以上ないと思えるほど親しげ。自分でこんな事を思いたくはないが、まるで真田ではない、まったくの別人がそこにいるようだった。
ショーゴも(当たり前ではあるのだが)随分と驚いている様子で目を見開いている。しかし、彼は真田が思っていたよりもずっと良い人であるようで、実に普通に笑って頷きながら返事をしてきた。
「は? 明日? 四人で? ……おお、良いね良いね! 親睦深めちゃおうか。レージにも言っとくよ」
「はい、ありがとうございます」
真田の表情は別に笑ってはいない。基本的には能面のような無の顔をしているのだが、そこから妙に親しげな口調で話しかけるものだから実に気味が悪い。しかしそれでも、この底抜けに良い人だったらしいショーゴ氏は気にするそぶりもなく冗談めかして言うのだ。
「まっさか真田君に誘ってもらえるなんてなー。明日は槍降って休校になるんじゃねぇの?」
「ああ、それはそれで助かりますね。変に緊張しながらお昼食べなくて済むんで」
「誘っておいて酷くね!?」
思わず口からこぼれ出た本音に衝撃を受けるショーゴ。
「今の僕はいかにして仮病で明日休むかを考える事に全力です」
「いや学校来いよ! どんだけ一緒に食いたくないんだよ!」
この下らぬやり取りは真田と宮村がノリだけで会話している様を彷彿とさせる。むしろツッコミの勢いだけで言えばこちらの方が凄まじいか。
これは自己評価ではあるが、かなり友人らしい会話に見えるのではないだろうか。表情豊かな相手と能面のような表情の自分というかなり奇妙な状況ではあるが。
「僕、唐揚げに勝手にレモン掛ける人って嫌いなんですよね。三人もいたら話してる内に誰かがそんな思想を持ってる事が分かっちゃうんじゃないかと不安で不安で……」
「思想って、そんな大層なもんじゃないって……ってか、唐揚げにレモン駄目か?」
ショーゴが口にしたのは、ただの素朴な疑問のはずだった。しかし、その言葉を聞いた瞬間に無表情だった真田の目がカッと見開かれ、それと同時にパンドラの箱まで開かれる……。
「誰の許可も得ずにそんな狼藉、愚か過ぎます。唐揚げってのは鶏肉に下味と粉を付けて揚げてるんです、アレは単体でも美味しく食べられる完成系なんです!」
「でもサッパリ食いたくね?」
「自分の皿に取って掛ければ良いじゃないですか。唐揚げはそのまま食べる! ちょっと味に変化を付けたきゃ塩でも振れば良い、サッパリ食べたきゃその時に初めてレモンを掛ければ良い。あなたは初手でレモンを掛ける。それは唐揚げの食卓における進化を否定する行為です。あなたは無限に広がる唐揚げの可能性を、その無神経な手で一つだけ残して全て消し去ったんだ!」
「こえぇよ! スゲェ圧で唐揚げ語るなよ!」
無表情だけれども目は大きく開かれていて、いつの間にか身を乗り出し顔を近付けて語っている。相手の視点から見ればこれは軽いホラーだ。それに対して勢いのあるツッコミで返せた事を褒めるべきだろう。
「ちなみに明日の昼食はコンビニで買ったチキンカツサンドの予定です」
「唐揚げは!?」
「そうだ、帰りにコンビニで唐揚げ買おう……」
「明日の昼は!?」
極めてマイペースに話を進める真田に付いて行けず頭を抱えている様子を見ながら、真田は一体どんな視点で相手をしているのか、思い切り見下したような偉そうな溜め息を吐いた。洋画のように大げさに肩を竦めて呆れている気持ちを露わにする。
「細かい事を気にする人だ……そんなんだから唐揚げレモン派なんですよ」
「何かいつの間にかレモン派にされてる……俺は一応自分の皿で掛けるからな!」
「そうですか。でもやっぱり液体は最後をお勧めします。液体は……吸います。逃れられません。それでは」
ほとんど変わらなかった表情がようやく動いたかと思えば何故か妙に苦み走った渋い表情で静かに言い残して背を向け、どこかの相談役を参考にしたとしか思えない仕草で肩越しに片手を挙げて去ろうとした。
が、その時、その背中に聞きたい事が思い浮かんだらしく声が掛けられる。
「……いや、颯爽と去られても…………あ、そうだ、その明日の昼なんだけどさ!」
「メンデレビウム」
「は?」
呼び止められるとは思っていなかったのだろう。振り向いて咄嗟に何かを言おうと開いた口から出てきたのは元素の名前。原子番号は101、元素記号はMd だ。そしてそれは、頭の中にずっと浮かんでいた表にある名前。
何故そんなものを口にしてしまったのだろう。理由は分かっている、ずっと暗記しようとしていたからだ。あまりに咄嗟だったのでそれを言葉にしてしまった。それだけ。
しかしそれは真田にとって大きなミス。頭は真っ白、何か言い訳をしようと口を開くのだが、そんな状態では頭の中をさらに曝け出してしまうだけだ。
「…………ノーベリウム、ローレンシウム……」
「……ラザホージウムだっけ」
並べられた名前の続きを、ショーゴも恐る恐る引き取って続ける。流石に何を言っているのだろうと探っている様子だ。
その様子がいかに大きなミスだったのかを真田に自覚させる。真っ白になった頭とは裏腹に真っ赤に染まる顔。もう何を言えばいいのかも分からない、先程までのように話すのは不可能。そこで、真田の取った行動はシンプルなものだった。
「…………ご、ごご、ごめんなさぁいぃぃぃ!」
「あっ、真田君! 何で逃げんの! どうしたんだよ! ちょっと待てよー!」
全力疾走。腕輪の力を借りた高速の、まさに脱兎の如くと言った言葉が似合う全力の逃亡。
そのみるみる遠ざかる背中に向かって手を伸ばしながら、ショーゴは訳が分からないと困惑を露わにしながらも、心配するように大きく声を張り上げるのだった。
真田の魔法使いの知人、三人。
普通の知人、一人未満。