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説明が無事に終わったのを見届けて、日下は自分の胸に右手を置いて改めて話を始めた。
「僕……俺は、剣道は中学までと決まってたんです。精神を養う事を主にしていたので。だから最後の大会で優勝できるように、願掛け程度ではありましたけど、腕輪を着けました。こんなに戦いが長くなるとは思ってませんでしたし……」
「お前……」
手紙には詳細は書かれていない。何人が腕輪を持っているのか、期限は決まっているのか。そんな基本的とも言える情報は何一つ知らないままで腕輪を持っているのだ。例えば余命一週間の恋人でもいたとしたら、希望を持って戦いに身を投じるだろう。
これも似たような話。戦いがいつまで続くかは分からなくとも大会で優勝したい、そんな気持ちを持って腕輪を着ける人間がいても良い。まして、魔法だ何だと手紙には書いてあるのだ。真田は魔法を使ってから手紙を読んだが、真っ当な順番だったら内容を真面目に受け取るはずもない。
「腕輪の力を使わずに動く事はできますけど、使わずに戦う事はできません。なので辞めました。続けていると……俺は強すぎますから。ベストを尽くせない事には耐えられません」
しっかりと前を向いてそう言った彼の眉間には深い皺が刻まれていた。気にしていないようではあるが、複雑な思いは抱えていそうだ。それも当然の事ではあるが。
そんな少し強張った顔がフッと緩む。先程のような弱々しい笑みに戻っただけであり、心の底からリラックスしているのではないだろうが。
「昼練に参加してから、色々と一気に頑張ってきたんですよ? 顧問の先生に止められても聞かないで……俺、主将でしたから、大会までの練習方針とか書き残して、次の主将も選んで……まあ、推薦くらいの意味しかないですけど。ははは、大変でした……」
右手を胸から顔へと移動させる。顔を覆ったその手の下ではどんな表情をしているのだろう。それを窺う術はない。口から出た渇いてはいるものの笑った声のように笑顔いるのだろうか。こちらは表に出してくれた表情を信じるしかない。
「何で、そこまで……別に方法はあっただろ? 負けちまえばそれは」
「俺は、負けるのが嫌いなんです」
「…………」
カラカラに乾いた宮村の言葉を遮るようにして、手を下ろしながら日下が言う。その表情からは弱さが消えていた。吹っ切ったのか、それとも要らぬ心配をかけないようにしているのか。それも分からない。表情を信じるとは言っても、その奥の心境を読み取るには真田の対人経験は少なすぎた。
しかし、その言葉に嘘がない事はよく分かった。声色などというものが情報として信用できるのかは分からないが、少なくともこの場においては何より信用できる、ハッキリとした声色。
「まして、手を抜いて自分から負ける事なんてできません。俺は戦うって事に真摯でいたいんです」
剣道部主将として、日下一刀流後継者として、魔法使いとして。それは紛れもなく剣士としての心からの言葉。負けてしまえば楽になるが、やはり負けたくない。そんな自己矛盾を抱える事は分かっていても、死という名の自分の敗北を受け入れる事はできなかった。
「じゃあ、俺を見逃したのは……?」
宮村の問いには誰も答えようとはしなかった。けれど、推測ができなくはない。
時間がなくとも一瞬で倒せてしまう状況だったはず。アラームが鳴らなければそのまま殺されていただろうが、時間が来たという理由だけで見逃したのはやはり、自分を倒してほしいからか。倒されまいと全力で戦う傍らで、倒してほしいと再起を願って見逃すというあまりの不安定さ。
そして、その願いに宮村は応えた。僅かな時間ではあったが特訓を重ね、強くなり、そして日下を上回ったのだ。
問題があるとすれば、それでもなお、彼が腕輪を失わなかった事。
「……すまん。俺は……」
事を全て把握した宮村は、もう直角に深く頭を下げて謝る事しかできない。日下の悩みや葛藤、色んなものに耐えながら戦ってきた全てを自分は無駄にした。負けてなお負けなかった。そんな事実が日下を諦めさせてしまったのならば、謝っても謝りきれないほどだ。
しかし、そんな宮村の頭上から聞こえたのは小さな笑いと、穏やかな声だった。
「ふっ……いえ、良いんです」
「え?」
驚きと共に顔を上げたその時、目に入ったのは笑顔。疲労のなくなった、本当に何の含みもないただの微笑み。
「さっきも言った通り、スッキリした気がするんです。本当に全力を出して戦って、それでも勝てなくて……俺が全力を尽くして戦える場所はここなんだって。ここなら自分をもっと磨き上げられるって、分かりました」
そう言って右手を握り締めた日下から大きな魔力が放たれたような、そんな気がした。何か行動をしている訳でもないのに伝わってくるほどの強い強い意志の力だ。
あるいは恐ろしいとも思えるような魔力の奔流だが、不思議とそれに怯む事はなかった。戦うつもりがないだけでこれほどまでに魔力とは優しくなれるものとは。
「今の俺に、部のみんなのためにできる事はほとんどありません。俺のような未熟者に教えられる事は全部教えましたし、たとえ稽古相手でも、もうこれ以上の介入をする事は他の学校の選手に対して申し訳ありません。みんなには悪い事をしました……だから、戦います。俺に残された舞台で、全力で。今日はそれを言いに探してました。同じ場所なら会えるんじゃないかと思って」
「……分かった、頑張って、日下君」
考えを、気持ちを吐き出しきって反応を待つためか口を閉じて頷いて見せた日下に返事を返したのは、まさかのと言うべきか、真田だけだった。宮村は言葉が出てこないのか、あるいはそもそも話すら聞こえていないのか、口を噤んで俯いたまま。気にするなと言われても言葉通りに受け止められていないようだ。
そんな変に気にし過ぎている宮村を呆れたように横目で見ていると、日下がゴソゴソと何事か動き始めている。見てみるとポケットから携帯電話を取り出したようだ。白いスライド式の携帯電話。
「実は、用件はそれだけじゃないんです」
携帯電話に視線を向けて操作をしながら言ったかと思うとそれを目の前まで差し出される。
「連絡先を、交換しておこうと思いまして。困った時や戦いたいと思った時、いつでも連絡して下さい。このお礼に、いつでも力を貸しますし相手をします……あ、赤外線使えますか?」
「……うん。ありがとう。僕は真田 優介です。頼りにさせてもらいます」
その申し出は思いもよらぬものだった。表立って敵対せずに済むようになったとは思っていたが、まさか直接的に協力関係を申し出られるとは。まさに幸運。
真田も携帯電話を取り出して赤外線で連絡先を交換する。真田も携帯電話は最新の物ではない、赤外線も当然のように付いていた。電話帳に登録される日下 青葉の名、メモリ番号004番。
「…………」
「ほら、宮村君」
黙ったままでその様子を見ていた宮村の脇腹を肘で突くとようやく、ノロノロと携帯電話を取り出した。最新の物は高いのでこちらもやはり古い物。とは言っても赤外線機能は搭載されている程度だが。
そうして沈んだような暗い声で名乗った。
「……宮村 暁。その、よろしく頼む」
そんな宮村とは正反対の明るい声で改めて名乗って、新たな仲間となった真摯な美少年魔法剣士は礼儀正しく深々と頭を下げるのだった。
「はい。改めまして……日下 青葉です。まだまだ未熟者ですが、宮村先輩、真田先輩。これからよろしくお願いします!」