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真田 優介は落胆していた。
日下と一応の決着をつけたのも昨日の事。丸一日時間が空いた事で体力もすっかり元通り、体も動くようになったらしい宮村と夜の散歩(正しくは索敵)をしているのだが、どうにも彼の心中は暗い。
それとは正反対に、右隣を歩いている宮村は鼻歌でも歌い出すのではないかと思うほどに機嫌が良いのがどうにも腹立たしい。
「いやー、強敵も倒して、また夜の散歩もできて。楽しいなー、ふんふふーん」
「……倒してないですよ」
陽気にブンブンと腕を振って歩きながら、とうとう鼻歌を歌い出した宮村。肩を縮めつつ猫背でトボトボ歩く真田。これが真田にとっては通常運転であるとか、そんな事はこの際、関係ない。彼がツッコミ、あるいは悪態、もしくは暴言すらろくにできないほどに落ち込んでいる事、それだけが問題なのだ。
「アイツ、また来ねぇかなー。何度でも相手になってやるぜ」
「……今度こそ死にますよ?」
「真田のツッコミもキレが悪くて、俺は傷付かないから楽だなー」
「…………はぁ」
嫌味と呼ぶには少々弱い真田の発言に対して、宮村の方が嫌味で返す。もっとも、これを嫌味として言っているのかは分からないが。この男に限って言えば素の可能性もある。悪気なく少し調子に乗っているだけなので真田も別に気にはしない。
それに、調子には乗っているが一応は気遣うという気持ちが残っているのだから。
「で、どした?」
「いえ、昨日の事を色々と思い出してまして……」
「俺は昨日の事を思い出すとテンションが上がる」
「……羨ましい限りです」
本当に悪気なく少し調子に乗っているだけなのだろうか。一瞬にして疑惑が駆け巡る。この男、実は悪意に満ち満ちた人間なのかもしれない。上げて叩き落とすトークスキルと、それを悪気を一切感じさせない顔でやりきってしまうポーカーフェイスの持ち主なのだ。間違いなくそうだ、そうに決まっている。
この嬉しそうな顔を見ていると馬鹿みたいな事をグルグルと考え続けてしまいそうだったので、とりあえず前を向く事にした。思考自体は決して前向きではないが、顔くらいは前を向いていないと危ない。隣の相方が気を抜いているので自分が前に注意していなければと、よく分からない義務感に駆られる。
そうして歩く事数分、以前に日下と遭遇した道に差し掛かった、その時だった。
「……ん?」
「アイツは……」
道の先に誰かが立っている。ブレザーを着て竹刀袋を背負った、どう考えても見た事のある少年。
「こんばんは」
「日下君?」
そこにいたのは日下 青葉だった。挨拶をしながら一礼をして、こちらに歩み寄ってくる。そうすると腕輪が反応した。昨日の今日なので当然だが、腕輪はちゃんと残っているようだ。
「おう、どうしたよ。何だアレか、リベンジか? 良いぜ、やってやる! あ、でも朝練大丈夫か? 明日も休みとか?」
「い、いえ。リベンジとかではなく……あと、朝練は……はい、大丈夫です」
「えー? 何だよー」
「あっ……」
リベンジやってやる気満々だった宮村は喜々として肩を回していたが、それを否定されると分かりやすく残念そうにその肩を落とす。
それと同時に、真田の頭には別の考えが過ぎっていた。日下の何となくふんわりとした返しが、何となくふんわりと頭の中にあった考えを繋いだような気がした。
「――部活、辞めた……の?」
「は?」
「ど、どうして分かったんですか!?」
「え? えっ?」
不思議と、口から出てきたのはいわゆるタメ口の言葉だった。これまでは部活もせず人脈も皆無だったために年下の相手と話す機会など持たなかった真田だが、いざ話そうとすると思いの外、砕けた口調もできるようだ。開き直る事を覚えた人間は強い。タメ口になるか丁寧語になるのか若干の逡巡はあったが。
そんな砕けた言葉で発せられた言葉はどうやら図星、急に何の話をしているのか分からずオタオタしている宮村を差し置いて話は進む。
「部活、大変だと思う。上手くやっていけないよね……」
「……はい。でも、これでスッキリした気がします」
ゆっくりと頷く日下の顔は少し疲れているように弱々しくはあったが、笑っていた。言っている通り、やるべき事はやり終えたか何かでスッキリとしたのだろう。疲労よりも笑顔の方が強い。
そうして当然のように進行する話をぶった切って、右手を高々と挙げながら宮村も加わろうとする。
「いや、ちょっと待て。話が見えん。どっちかマジで説明してくれ」
こうダイレクトに言われて初めて宮村を無視して話そうとしていた事に気付いた二人は顔を見合わせる。視線だけで無言のやり取りをする事、約一秒。真田は、本人から話すのもアレだろうと考え、かつ直接的には言わない方が良いだろうと色々と練った説明するための台本を頭の中で作って人差し指を立てて口を開いた。
本人に説明させない、直接的に言わない。我ながら随分と人の事を考えられるようになったものだ。
「あー……仮に、宮村君がまだサッカーをやってたとします」
「うんうん」
「そしたら腕輪着けちゃって、外せなくなります」
「ほほう」
こんな時には本人に例えてみた方が分かりやすいだろうと思ったが、どうやら上手くいっているようだ。理解しないまま頷いているような浮ついた感じがない。一つ一つ区切りながら話した事も功を奏しただろうか。
「で、どうします?」
「ん?」
「今、宮村君はそれこそコンクリ壁にめり込むようなシュートが打てます。それをガンガンに使いまくって国立でも目指しますか?」
「や、そりゃズルいだろ。流石に強いとか上手いとか、そんなレベルじゃないし、それで勝っても……ああ、なるほど」
宮村の中でも話が繋がったようだ。
つまりは、腕輪があれば部活で活躍できるかもしれないが、それには意味が感じられないという事。これは真田も一ヶ月前、宮村と出会う直前に考えた事だ。腕輪の力で活躍したとしてもそれは自分の実力ではなく、無意味なもの。
もっとも、真田はそこから腕輪がどうにかなった後で面倒だからと少し不真面目な方向へ思考を発展させたのだが。




