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「はぁ、はぁ……」
「……ぅぐ……はぁ……」
静寂の中に聞こえる二人の呼吸。片や仁王立ちで相手を見下ろし、片や仰向けに倒れて空を見上げている。その手には武器であり防具であり、同時に誇りでもある刀はなく、少し離れた所に転がっている。
二人の手にはまだ腕輪が残っている。だからまだ続ける事ができる。しかし、それが可能に見える状態ではない。
勝負は、決まった。
「――終わり、だな」
「……ですね。動けそうに……ありません、から」
「そっか」
息も絶え絶えに発せられた日下の声は小さい。しかし他の音も存在しない空間ではハッキリと聞き取れた。その全てが終わったと言わんばかりの穏やかな声が。
「…………」
「…………」
沈黙。ただ時を待つ日下はもちろん自分から喋り出す事はなく、かと言って宮村が喋る事もない。ひたすら沈黙。
「……あ、あの」
「んあ?」
耐え切れない、この謎のまったりとした空気。仰向けのまま顎を引いて無理に宮村の方を見て口を開くと、当の宮村は半開きになった口から馬鹿みたいな呆けた声(意味を持たないという点においては音と呼んでも良い)を発する。
「な、何をしてるんですか?」
「え、いや。まだ立てねぇのかなって思って」
「はい?」
あまりに当然のように返された言葉は言外に「何当たり前の事を聞いちゃってんの」くらいの意味を含んでいた。
どうやら何かしらのすれ違いがあるようだ。お互いにとっての『当たり前の事』がぶつかり合って鍔迫り合いをしている気がする。相手が何を言っているのか探り合うように、微妙に空気がピリッとする。
「や、だから言ったろ? 終わりって。戦い終わり」
「……はい?」
「だからさぁ……」
「馬鹿ーっ!」
「うぐおぁっ!」
意味は分かった。宮村の言いたい事は把握できた、だからこそ再び聞き返すように繰り返す。意味が分かっているのに意味が分からないなんて状況は初めてだった。
そんな気持ちも知らずに何で分からないのかと首を傾げながら説明しようとした宮村だったが、その背中に絶叫と共に何かがぶつかった。
何かと言うか、真田だ。会話の内容までは聞き取れていなかったが、何となく状況が見えてきたらしく罵倒しながらフライングクロスチョップを繰り出した。
「ちょっと、何ナチュラルに見逃そうとしてるんですか! 何でどいつもこいつも勝負を付けずに……」
「いや、全面的にお前に言われたくないんだけどさ」
「うっ……」
指を突きつけて(表情はあまり変わらないが)怒りを露わにする真田、背中をさすりながら反論する宮村。見事なまでに図星を突かれて、真田は黙りこくった。仕方がない、彼もまた敵だった相手をを見逃した末にこのような状況になっているのだ。それも二人。
「み……見逃す?」
ようやくそれを言葉で聞く事ができた。どうやら本当にこの男は敵を見逃そうとしていたらしい。やはり分からない。何を考えているというのだろう。
「ん? おお、これで終わり。立てるようになったら帰っても良いぜ? 明日も朝練あるんだろうし」
「い、いえ。明日は朝練がないので今日にしたんですけど……でも、どうして……」
「あー、アレだ。お前がなかなかどうして良い感じでアレだったからだな、うん」
「宮村君、もう少しボキャブラリー増やして下さい」
「つってもなぁ……」
何かしらの考えはあるらしいのだが、それが言葉にはできないようだ。先程まで頭を使い続けていてショートしかかっているのかもしれないが、それにしても語彙が貧困すぎる。
何をどう言えば良いのか困ったように頬を掻いている宮村の背後に、今度は梶谷がゆっくりと近付きながら説明を引き継いだ。
「宮村君は日下君の事を倒すには惜しいと思った、と言った所かな?」
「そう、それだ! ナイスおっちゃん、その言い回しが出てこなかった!」
両手で指パッチンをしてから、そのまま昔流行った黄色いスーツの芸人のように両方の人差し指を向けて讃える。自分に思い付かなかった言葉をあっさり出した事に感動しているのだろうか。
真田はどうして理解できたのかが理解できないと、若干引いたように横目で梶谷の方を見る。
「……よく分かりましたね、梶谷さん」
「ままある事さ。同業他社を吸収しようとするが、それよりも競争していた方がより発展に繋がる事もある。その考えを僕は否定しないよ」
分かったような分からないような答え。端的に言うとライバルが欲しかったからという事で飲み込めば良いのだろうか。
倒れたままの日下をすっかり蚊帳の外に置いて話す三人。急に賑やかになった場の雰囲気にはそぐわない暗い声が、微かにではあるが三人の耳に届く。
「……僕は……」
「ん?」
何か話しかけたのかとそちらに視線を向ける宮村だったが、どうやらその様子ではない。目を閉じ、握り締めた拳は震え、何かを堪えているような様子が窺える。
「僕は……俺は……っ!」
「お、ちょっと素が出てきちゃってるじゃん?」
「宮村君」
その一人称の変遷をニヤニヤと笑って茶化す宮村を小さな声でたしなめる。どうにも様子がおかしい。とても見逃されて助かったとなっている人間の反応ではないと感じた。
すると日下は突然、跳ねるように起き上がる。刀を拾い上げて鞘に納め、素早く一礼だけして全力疾走でその場から離れるのだった。
「――っ! 失礼、しました……!」
みるみる消えていくその姿は、見逃されたという状況は逆であるが、以前の戦いの後を思い出す。その凄まじいスピード、金メダリストも逃げ出すなどと以前は表現したが、それよりもさらに速くなっているかもしれない。全力で走るチーターを後ろから捕まえようかという速さ。休憩した事によって動けるようになったのか、それとも早くここから消え去りたくて無理をしたのか。
揃って呆然としながらそれを見送る三人だったが、真田がポツリと呟いたのをきっかけにして我に返った。
「……行きましたね」
「ふっ、強敵だったぜ……」
「うっさいですよ」
気取って言う宮村に対して即座に冷たい言葉を返す。そのレスポンスの早さに満足したのか、嬉しそうに笑いつつ梶谷の方を向いて問い掛ける。
「へへっ。で、どうよ、おっちゃん」
「うん?」
「俺の実力。しっかり目に焼き付けたか?」
「ああ、もちろん。素晴らしい戦いだった。相手の上を行く戦術、戦況を覆されてもなお諦めない根性、胆力。合格だ。……などと、上から言える立場ではないけれどね」
ベタ褒めだ。いや、話は合格か不合格の二択なので後の話は気分を良くさせるためのリップサービスなのだろうが、それにしてもよく褒めてくれた。おかげで宮村の機嫌は上々だ。満面の笑みで真田の方をバシバシ叩いている。
「やったぜ真田! 俺達の勝ちだ!」
「……はい、そうですね」
腕輪を着けた状態で叩かれると割と痛い。それもそのはず、服の上から一発殴っただけで青く腫れさせた男なのだ。そしてあの時よりもちょっと強くなっている。このままだと肩の骨が砕けるのではなかろうか。
ただまあ、水を差すのも悪い。肩の骨くらいなら回復できるだろうと考え、我慢しながら薄く笑って頷いた。
そんな二人の様子を微笑ましげに見詰めていた梶谷だったが、ふと腕時計の文字盤に視線を落とす。
「ふふふ……さあ、我々も帰ろうか。今日は流石にこれ以上は戦えないだろう?」
「あ、はい。そうしましょうか。ね、宮村君」
「押忍。やー、俺ももう限界なんだわ。これ以上やられたら完璧に死ぬ。さっきの真田のタックル、マジで死ぬかと思ったもんよ、腕輪ぶっ壊れそう」
「えっ!?」
まさか自分が殺しそうになっていたとは。衝撃の告白に目を剥き口をガクンと開けて仰天する真田の顔を指差して、宮村はひとしきり笑い転げるのだった。




