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「――言ってくれますね」
「うわぁっ!」
「おおっと! い、いつの間に!」
「やあ、初めまして」
声の主は当然の事ではあるが日下だ。まだ二十四時を迎えていないのに到着したらしい。なかなか真面目なものである。
まったく魔力を感じさせずに接近してきた彼に対し、三者三様……もとい、三者二様の反応を見せる。驚く二人と妙に冷静な一人だ。その一人は恐らくは接近に気付いていたのかもしれない、それほど当たり前のように挨拶をしている。
「己を捨て、意志を持たず、本能だけで進め。気配を遮断する日下一刀流の教えです。魔力くらい消してみせましょう。まあ、戦う時も本能だけという訳にはいかないんですけど。……と、えっと、初めまして。日下です」
前に会った時と同じブレザーに竹刀袋を持ったスタイル。言っている事は武道などかじった事もないのでよく分からないが、とりあえず意志を持たない事によって腕輪のアシストを小さくするという意味だろう。そう勝手に理解した。
そうして綺麗に礼をしながら初対面の老人に名乗っている。学生二人と一緒に変に風格のある老人がいるという事で若干の困惑の色は見えるが。
「梶谷です。どうぞよろしく」
真田達にしたのと同じように差し出された名刺を受け取った日下だったが、それに目を通す内にグッと目が大きく見開いた。どうやらその肩書を理解したらしい、何度も名詞と梶谷の顔を見比べているが、当然の反応かもしれない。宮村が何とも思わなかった事が間違っているのだ。これが通常の反応である。
「……何と言いますか、その……人数が増えたんですね?」
何かを言おうと口を開いた日下だったが、かなり悩んだ末に当たり障りのなさ過ぎる質問。もうあまりの困惑にちゃんとしたリアクションができなくなっている。
期せずして心理戦の様相。
「ああ、彼らとは良い関係を築かせてもらっている」
「何と言うか、まぁ……色々あったんだ」
「ありましたねぇ、色々」
二人揃って遠い目で明後日の方向を見る。説明は面倒だからパスというボディランゲージだ、恐らくこれ以上ないくらいに伝わりやすい。
色々などという表現は端的すぎるだろうか。しかしそうとしか言いようがない。戦いました、見逃されました、再戦しました、和解しましたなんて何か間違っている。これは誰か一人が勝利して生き残る戦いなのだ。
その割には宮村とも梶谷とも和解の形で手を組んでいるのだが。
「……? ま、まぁ構いません。戦うのは以前と同じくそちらの方との一対一で良いですか?」
「おお、望む所よ!」
理解はできていないようだったが、そんな事に時間を費やすなんて事はしないようだ。本題を先に進めようとしている。それが良いだろう、これは戦いなのだ。どちらかが敗れ去る戦い。
「僕達は少し離れて観戦させてもらうよ」
そう言って二人から遠ざかろうとする梶谷だったが、真田はそれに従わず宮村に近寄った。助言なんてものは今さら無用だ。だから確認をする。確実に勝つための確認を。
「――宮村君。良いですか、教えた事を全部守って下さい。そうすればもう一つ魔法が使えます」
「OK、分かってる。心配せずに見てな」
ここまで空気を弛緩させ続けていた真田が神妙な顔で言うと、それだけで空気が少しピリッとした気がする。その確認を受けて、宮村は笑った。可笑しいのではない。ほどよい緊張と緩和、正しくリラックスしたその精神状態。楽しい。顔が緩んで仕方がない。
その表情を見て満足したらしく、真田は宮村の腕を軽く叩いてその場から離れた。前回は巻き込まれて痛い目を見たので慎重だ。梶谷の手を引いてさらに離れた場所へと移動している。視力も上がっているので問題はないのだが、戦いを見守る側の姿勢としては何とも言いがたい。
日下の方に向き直ると、戦うために距離を開けて彼は竹刀袋から何かを取り出していた。いや、本来なら竹刀なのだろうが、どうもそんな様子ではない。
そう、以前は柄が白で刀身は黄色というか竹の色だったのだが、今は柄も刀身の部分も黒。よく見てみれば柄の部分の黒は柄巻のような……。
「……ちょおっ! それ、マジの刀じゃねぇか! なんつーもん持って来てんだよ!」
刀だ。刀身の黒いのは鞘の色。アレは刀だ。初めて見た。宮村のツッコミも勢いを増そうというもの。真田も唖然としているし、その隣で流石の梶谷も眉を潜めている。戦闘、殺し合いとは言ってもそれは魔法を使ってのもの。これほど本格的な武器が出てこようとは、ちょっとした口喧嘩をしていたら相手が全力で論破する気満々のディベーターを雇ってきた気分だ。
こちら側が明らかに焦っている様子を不思議そうに見ていた日下だったが、ようやく合点がいったらしく鯉口を切って刀身を僅かに覗かせた。すると、そこにあったのは想像していた銀色の鋭い輝きではなく、目にも明らかな木製の刃。
「刀? いえ、これは竹光ですよ。斬れません」
「何だよ、ビビらせんなよ……」
その正体が竹光(とはいえ竹製ではないが)である事が判明した瞬間、宮村は小さく呟きながら胸を撫で下ろす。いくらなんでも真剣を相手にするのは恐怖があるらしい。そりゃそうだ。
日下は再び刀を納め、ブレザーの前を開けた。そこには変わったベルト(ソードベルトと言うらしい)が見える。そこに刀を差して固定。これで完成とばかりに刀を叩いて、彼はニヤリと笑った。
「でも、やっぱり刀の形をしていた方がイメージが強くなりますので……確かに刀と遜色ないくらいに危険かもしれませんね。勝負、止めておきますか?」
「ほ、ほっほーう? そりゃつまり、俺が刀なんぞにビビッて戦いを投げ出すって思ってるって事か? 舐めんじゃねぇぜ!」
嘘だ。先程は普通にビビッていた。もっとも、そのビビっていた声は真田には聞こえていなかったのだが。そんな自己矛盾を抱えながら気勢を上げる。考えてみれば相手が何を持ち出そうと諦める事はありえないのだ。この状況で尻尾を巻いてしまう訳にはいかない。右の拳を強く握り締めて、それを突きつける。
「見せてやらぁ、俺の手には魔法が掛かってんだ。お前の生意気な顔に絶対パンチをブチ込めるようになる魔法がな!」
「よく分かりませんが、見せてもらいましょう」
柄を握り、ゆっくりとした動作で鞘から引き抜く。芝居の小道具のようなアルミ箔加工のされていない刀身の全貌を明らかにしたかと思えば、左手も添えて上段に構える。まだ少しだけ残っていた和やかさがこの瞬間に消えた。今この場にいるのはやはり魔法使い、今にも相手が飛びかかってくるのではないかと緊張が走る。




