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真田 優介は退屈していた。現在時刻は二十三時半。とりあえず宮村のウォーミングアップの体操に付き合い、これから始まるのであろう戦いに際しての最後の作戦伝授。そこまでやり終えてしまったらもう、やる事が何もない。
「――なんかさぁ」
「はい?」
「ここんとこ毎晩同じ所に来てるからいい加減に新鮮味がないわ」
今いるのは待ち人、日下に指定された近くの坂の上にある学校のグラウンド。つまりは、景山高校グラウンドだ。よもや相手がそこの生徒だと分かって指定したのではないだろうが、こちらからしてみれば四夜連続。たまに来る分には少しワクワクするが……。
「……まぁ、今晩までの辛抱ですから。それに新鮮な顔ぶれもありますよ?」
そう言って手で示した所には梶谷の姿。スーツが汚れるのも気にせず裏返したバケツに窮屈そうに座り、口にくわえたペンライトで照らしながら老眼鏡をかけて文庫本を読んでいる。なんとも言葉にしがたい微妙な光景だ。
「そりゃあ、おっちゃんは新鮮っちゃ新鮮だけど……やっぱロケーションだよ、問題は。毎晩ここに通ってるし、毎朝も通ってるし。今日体育あったろ? サッカー。もう手首ジンジンしてウザいったらねぇの」
それもそうだろう、昨夜は真田と梶谷が激戦を繰り広げた場所なのだ。さぞ宮村は他人の魔力を感じた事だろう。当の真田はおよそ半分が自分の魔力なのでそこまでの違和感はなかったのだが。
「分かりますけどねー、あちらの指定ですから仕方ないですよ」
「何でわざわざウチの学校を指定するんだか……」
「知らなかったんでしょう、普通に考えて」
「新手の嫌がらせの可能性もマジであるぜ、これ」
「ないない」
フワッとした陰謀論を繰り広げていると、やはり体勢的に若干の無理があったのか片手で腰を押さえて伸ばしながら梶谷が近付いてくる。もう一方の手は老眼鏡を外してから目頭を揉んで、読書をしていただけのはずだが疲労感でいっぱいだ。
「……ふぅ、昼間は暑かったけれど、その分だけ夜は冷え込んだ気がするね。真田君、良かったら火をくれないか?」
「あ、はい。良いですよ。ちょっとした焚火みたいなのでもしますか?」
「やあ、それは良い。よく燃えそうな物が見付かると良いんだけれどねぇ」
「いざって時はずっと手でも燃やしておきますから。体壊さないで下さいね?」
「ははは、ありがとう。心配してくれて嬉しいよ」
何だかやたらと和気藹々とした(かなり悩んだ末に失礼なのは今さらだと開き直った)会話。ここだけ切り取れば下手すれば仲の良い祖父と孫の会話に見えない事もないだろう。手を燃やすなどとかなりクレイジーな表現は存座しているが。
まあ、そんなホンワカとした空気を漂わせているとホンワカしている場合ではない約一名の機嫌が悪くなるのは自明の理。
「そのちょっとしたスポーツ観戦感覚やめてもらっていいかねぇ! こっちは内心、決戦ムードに燃えてんだから!」
「失敬な、僕も燃えてます」
「物理的に燃えてんじゃねぇっ!」
掲げられるメラメラと燃え盛る炎に包まれた右手、これまでで一番の完成度で打ち抜かれた右ストレートの風弾がそれに穴を開ける。
良くも悪くも緊張感はない。いや、燃えてはいるらしいが、それを雰囲気から察する事はできない。面子が増えても変らぬ空気だ。それもそのはずと言うべきか、この弛緩した空気を一番漂わせている真田はこの戦いにある程度の自信を持っている。さほど大きな炎でもなかったが、それでも威力が減退する事なく貫いて行った風弾によって自信はより深く、確信と呼んでも良いレベルにまで達する。
「……大丈夫ですよ、多分。こっちは初期レベルが低かった分この数日でドカンとレベル上がりましたから。そのギャップに日下君もボッコボコです」
真っ赤に燃えたサムズアップ。そのシュールさと砕けた口調が相まってノリだけで言っているように思えるが、一応は本気で信頼している。特訓の最終段階を実際に確認できてはいないが、それは昨夜戦いの後にグラウンドに転がっていたボコボコのバケツと不安の消えた宮村の顔を見るだけで充分だ。
「ほう、それだけ自信があるんだね?」
「もちろんです、あっちの優位性を潰しましたから」
「優位性? なるほど、見ているだけではよく分からなかったからね、楽しみにしているよ」
この場で最も自信を持っているのは宮村本人でもなく真田である。特訓が上手くいったらしい様子を見た事もあれば、一応でも策を与えれば宮村なら何とかするだろうと信じているからだ。
真田は自分に自信を持つ事はできないが、自分が絡んでいたとしても結局の行動を起こすのが他者ならばいくらでも自信が持てる。過信もできる。まあ、言い方を変えるなら無責任なのだが。
「っつーか、俺もイマイチ消化しきれてないんだけど、本当に大丈夫なんだよな?」
「だぁいじょうぶです。宮村君の手には《魔法》を掛けておきましたから。戦ってみたら意外とアッサリ当てられますよ」
「ふぅん、魔法……ま、お前がそう言うならそうなんだろ。よっしゃ来やがれ日下 青葉、俺がズタボロにしてやるぜ!」
魔法とはもちろん炎や風や氷の事ではない。真田が宮村と戦った時のような、言い換えれば方法だ。相手に自分の攻撃をブチ当ててやるための方法。
もっとも、実際に戦ってみればすぐに分かるだろうが現段階で中途半端にしか理解できていないのにこれほど一気に自信を付けるのは少々問題である。
すると割と近くから、いつぞやのように唐突に聞き覚えのある声が聞こえてくるのだった。