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「鍛冶屋だけにもっと鉄鋼業にも力を入れたかったんだけどね。ともあれ、僕はただの隠居した老害だよ。少々財を蓄えただけでそれ以外そう力がある訳でもない、ただの魔法使いだ」
「ろ、老害だなんてそんな……」
自虐的に笑顔を少し弱々しいものに変える男――梶谷に、真田も狼狽しながらフォローする。もはやそこには殺し合いをしていた相手であるとか、先程までの苛立ちなど存在していない。
徐々に領土を広げていくその姿。教科書で読むような遠くの出来事ではなく、つい最近の話。そんな大事を成していった存在に強く興味を惹かれた真田はその発展を続けているまだ天井の見えない将来性に憧れて高校生だてら株を所持している。もっとも、初めは貯め込まれていたお年玉をかき集めた十万円という僅かな資金しかなく、ただの所有欲を満たすため程度のものであるが。
まあそんな訳で、真田にとってこの梶谷という男は急激に尊敬に値する、何だったら憧れと言っても差し支えない所までランクアップしてしまった。
「ただのって、魔法使いの段階で《ただの》ではないよなー」
「宮村君!」
そんな相手に対して揚げ足取りとも呼べる軽口を叩くものだから真田も黙ってはいられない。鋭く短い叱責を飛ばすのだが、梶谷は気分を害すでもなく笑っている。
「ははっ、良いんだよ。それに、失礼だというなら君はさっき僕を思い切り蹴り飛ばしたんだがね」
「う、む……すみませんでした」
相手の素性が分かるだけで人間とはこれほどまでに変わり身ができるらしい。かなりの殺意(もちろん死なないと分かっている上でだが)を込めて蹴っていたはずが、今では何でそんな事をしたのだろうかと後悔が頭の中を支配している。口の減らない真田が素直に謝罪するのだから相当だ。
(想像以上の社会的地位……! 化物レベルだ。幸運、本当にラッキー!)
一応は打算も忘れていない。大人というだけで自分達ではできない行動ができるのに、さらに財力もあって、恐らくはかなり顔も利く。これほどの価値がある人物と出会って協力関係を結べたのだこの幸運には感謝したい。
「……あれ、でも何でこんな所にいんの?」
そんな事を考えている間に宮村が疑問を抱いたらしく質問をぶつけていた。確かに会社は東京にあるはず。それなら家も東京にあるはずだ。
それが何故かこんな所を徘徊して魔法使いをやっているのだ、確かにそれは気にならないと言ったら嘘だ。
「ああ、妻の生まれがこの辺りでね。色々あって去年からこちらに住んでいるんだ」
「ふーん。よく分かんねぇけど、色々あんだね。まあよろしくお願いしまッス、おっちゃん。俺は宮村 暁、ここの生徒やってる」
「ちょっと、宮村君!」
自分から聞いておいてこの興味の薄さ。再び叱責も飛ぼうというものだ。しかも馴れ馴れしく『おっちゃん』などと呼ぶわタメ口だわ、問題が一つでは済まない。宮村にとっては肩書も年齢も関係なく同じ魔法使いの対等な協力者という意識なのだろう。それは分からないではないが、真田の胃がキリキリと痛み出すのは止められない。ただでさえ状況を完璧には受け止めきれていないのに。
「良いさ良いさ。たまには若者の刺激を受けたいものだ」
「そうは言いますけど……あ、ええと、僕は真田 優介です。宮村君のクラスメイトで……あ、二年生です」
カラカラ笑う梶谷、キリキリ痛む真田。極めて対照的な状況。しかし自分から名乗らないのもさらに失礼が重なる事となる。勢いよく頭を下げてから宮村の言葉には足りなかった年齢に関しての説明も付け足して、また頭を下げた。
「真田君と宮村君、よろしく頼む。君達は確か、あの日下君とかいう魔法使いと戦うために特訓しているんだろう?」
「……いつから見てたんですか」
「この一ヶ月間、勧誘する機を窺ってきたからね」
それはストーカーとも呼べるのではなかろうか。思わずツッコミを入れそうになったが、それは飲み込む。正直、まだ思った事をズバッと言うには親しさが足りない。まだ緊張している。
そんな考えなどもちろん知る由もなく、梶谷は用件を告げた。
「明日だったか、僕も観に来て良いかな?」
「ああ? まあそりゃ、もちろん良いけど」
突然の申し出に面食らったようだったが、宮村はそれを了承する。別に断るような事でもなければ協力する事を約束したばかりの相手、申し出を受け入れないなんて選択肢はまずないだろう。なので真田も口を挟みはしない。
「ありがとう。宮村君の特訓の成果、二人で何をやってきたのか、それを見せてもらうよ。宮村君の力は体感できていないからね」
「って事は次は俺が試されてるってワケか。へっへっへ、良いじゃないッスか。見せてやるよ、この俺の修行の成果!」
「まあ内容考えたのは僕なんですけど」
「そ、そこは良いだろ! 実際に頑張ったのは俺なんだし……そう、二人の! 二人の修行の成果を見せてやる!」
二人の気の抜けたやり取りが響く。これが思った事を言う真田との会話というものだ。いつか梶谷ともこのような会話をする時が来るのだろうか。少なくともこの時は一切そんな情景を思い浮かべる事はできていない。
まだギャーギャー言い合っている二人の姿を、梶谷は眩しそうに見守っている。すると、我慢しきれなくなったのか手で口を押えて小さく欠伸をした。
「ふっ……それでは、僕は失礼させてもらおうかな。いい加減に歳でね、この時間まで起きているのは本当に堪えるんだ……」
「あ、はい。お疲れ様でした」
「お休みー、おっちゃん」
「ああ、お休み。後で名刺のアドレスにメールでも送ってくれ、登録しておくよ」
片や丁寧に頭を下げて、片や妙に親しげに手を振って。それぞれの見送りを受けながら背を向けた梶谷だったが、振り返って一言付け加えてから再び歩き始め、肩越しに軽く手を振って行った。
やたらと決まっている渋い後ろ姿を、その決まっている感じに逆に少し呆れながら見つめる二人だった。
あと数十年したらアレになるのだろうか。そんな自問に対して即答で無理だと答えながら。
「……思ってたんだけどさ」
「はい?」
梶谷が去った後、一昨日も似たような状況になったが、今回もまた宮村が先に口を開いた。
「お前、かなり普通に話してたよな、おっちゃんと」
「……? …………あ、あああああ……っ!」
何を言っているのか分からないといった風で首を捻った真田だったが、自分がフランクではないが内心とは違ってまるで普通の人間のように話していた事に思い至って両頬を押さえ全力で嘆き始める。
別に嘆くような事でもない。以前にもあれくらいの年齢の相手と割と自然に話していた事もある。しかし真田にとってそれとはまた状況が違うのだ。
滅多に会う事などないであろう相手と、今後も会うどころか既に明日も会う事が確定している相手だ。あらゆる言動に問題がなかっただろうかと(蹴り飛ばして殺そうとしているのが既に問題だが)頭の中を駆け巡り、緊張と不安で手が震え始める。
「いや、慌てても遅せぇから」
「何か、ずっと色々考え事しててワケ分かんなくなってました……」
思えば戦っている時からずっと考え事をしていた。どこに攻撃してくるのか、どうやって防いでやろうか、どうすれば近付けるのか、そしてどうすれば殺せるのか。
その後の会話もやれ利用だ価値だと打算でいっぱい。素性が明らかになってからはもう頭も真っ白。頭を使わずに会話すれば自然と話せる真田だが、どうやら頭を使い過ぎても結構自然になるらしい
宮村が爛々と目を輝かせている。良い事を思い付いたと口で言わなくとも目で語っている。そしてこの怪しい輝きはまず間違いなく真田にとって別に良い事ではない。
「それか! よし、明日からお前すげぇ考え事してろ。何かこう……円周率千桁くらい暗記してろ。それしながら誰か、ショーゴとかに話しかけてみたらイケるぜ!」
「イケないです、イケないですって。円周率暗記しながら話しかけるってもう頭の中がゴチャゴチャで喋れないですもん」
「じゃあ周期表を全部……」
「宮村君は僕に喋らせたいんですか? 暗記させたいんですか?」
「……俺の分まで良い大学に行ってくれ」
「暗記メインなんですね?」
何だかんだと慌ただしかった夜も、いつも通り二人のくだらないやり取りで過ぎて行った。
再戦の日は、明日。




